再誕の試練(下)
「どうやら、貴方の覚悟は本物だったようですね。『大変よくできました』……と、ここは素直に褒めておいてあげます」
その星詠みの魔女の態度は、普段よりも幾分か畏まっているように見える。
いつもの無駄に楽しげな姿は、今ばかりは少々鳴りを潜めていた。
「フン、当たり前だ。さっさと続けるぞ」
俺としては面白くない気分だ。
要約すれば俺のやったことなんて、奪われたものを取り戻しただけ。
しかも、一応は敵であるはずの相手に誘導されて、手取り足取りで、である。
だから、俺にとって彼女の態度は、ある種の慇懃無礼……むしろ馬鹿にされているようにさえ感じた。
しかし、ここで俺は察するべきだった。
星詠みの魔女は駄目な生徒を見る教師か、あるいは出来の悪い弟に呆れる姉のように首を横に振る。
「ですが……『まだ甘い』とも、言わざるを得ません――自壊せよ」
彼女の詠唱が終わると同時、俺の周囲で何かが弾け飛んだ。
痛みと共に新品な氷の鎧が砕け、肩と顔面の肉が初めから無かったかのように抉れて血を流す。
それが精霊の崩壊した瞬間の衝撃だと気付くのに、少しの時間がかかった。
ただの魔力に戻った精霊が、キラキラと滅びの光を煌めかせながら、冬の世界の中へ溶けていく。
――もしこれが、ここぞというタイミングで、悪意をもって行なわれていたとしたら……そう考えると、ぞっとしない話だ。
「油断のし過ぎです。精霊とは、世界を構成する要素であり、同時に世界そのもの。
精霊を一度でも奪われるということは、摂理に何者かの干渉……悪意が介在する余地を許すことと同義なのです。それをきちんと理解してください」
星詠みの魔女は忠告した。
先ほどの現象。明らかに星詠みの魔女が意図して精霊に指示を下していた。
きっと命令次第では、精霊が自壊するだけでなく、俺に対して恣意的な反旗を翻したはずだ。
つまり彼女がその気になれば、任意のタイミングで致命的なダメージを俺に与えることができた――この痛みは、それを示す証拠に他ならない。
もちろん自ら手札を明かした以上、騙し討ちにそれを使う意図はないのだろうが……どこまでも俺が格下だと思い知らされた。
俺はまだ強くなる必要があるようだ。いや、それ以前に、世界の仕組みについて知らないことが多すぎる。
戦闘力にしろ、知識力にしろ、もっと力が必要だ。
自分の正義を貫くために。
「記録媒体があってよかったですね。もしあなたが霊体だけの存在だったとしたら――今頃はステラちゃんに乗っ取られていたかもしれませんよ?」
冗談めかして微笑む魔女。
今度は自らの魔力で、十数個の光弾を生み出す。それらはまるで衛星のように、星詠みの魔女の周囲を旋回した。
「常に自分を強く持ってください。どんな所からでも、悪意は入りこんできます。
精霊に限らずとも、守るべきものに憎むべきものが紛れ込む……そんなことはしょっちゅうです」
不本意だが、魔女の言葉には心当たりがあった。
どうやら異世界も、そういう生き辛いところに限って地球と同じらしい。
「彼らを大切にすることは構いませんが、その境界線はしっかりと見極めましょう。
誰も彼もを受け入れていたら、貴方の魂はあっという間に侵略されちゃいますから」
「そろそろ、くどいぞ。そんなにお喋りばっかりしてていいのか?」
今さら言われるまでもない。
とっくに損傷を修復させた俺は臨戦態勢で、星詠みの魔女を見据えた。
「……はい、その意気です。汚染された精霊の殺し方は――さっきお見せしましたね?
今や貴方は精霊に祈るしかない祈祷師ではなく、彼らを従え導く支配者なのです。そこを、履き違えないように」
まるで聖剣を引き抜いた少年に、王の在り方を説く魔術師のような言い草だ。
そんな痴女みたいな恰好で、賢者でも気取っているのだろうか。
お前の割り当てられるべき配役はむしろ真逆だろうがと、心の中でツッコミを入れた。
ふわりと、星詠みの魔女は重力を無視するようなステップを踏む。
それを機に、静謐で謹厳な表情から、けろりといつもの雰囲気に戻った。
「それでは――続けましょうか♪」
彼女はまた、年頃の少女のような楽しげな笑顔で言った。
凍えるような闇の中、俺は燐光を放つ星詠みの魔女を目掛けて駆けだす。
星詠みの魔女は俺を迎え撃つよう、光弾たちに命じた。
惑星のように不規則に見えるカーブを描きながら、俺を目掛けて飛来する十数個の光弾。
しかし精霊を奪い返した今、その密度はさっきの弾幕ほどではない。
少なくとも、流星群のように降り注ぐ光弾よりはずっと避けやすい。
頭上から俺に狙いを澄ます光弾。
それが当たりそうになる寸前で、俺は彼らを置き去りにするように、地面を蹴って加速する。
すると、後ろから四つか五つ弾けるような音がして、さらに固い粉のような雪が巻き上げられる音がした。
俺の視界の先には、周囲に新たな光弾を生み出す星詠みの魔女。
背後からは地面にぶつからなかった残りの光弾たちが、旋回の軌跡を描きながら追って来る気配。
俺は走りながら枯れた倒木を拾い上げると、牽制のため星詠みの魔女にぶん投げた。
新たな光弾で飛来する丸太の対処に移る星詠みの魔女。
その隙に俺は尾でバランスを取りながら反転し、背後に氷の壁を生み出す。
追ってきた光弾は突然現れた壁に激突すると、氷の壁を粉々に砕きながら光と共に消えた。
これで追手は消えた。俺はさらに反転し、再び星詠みの魔女に向き直る――が、駆け抜けた先に彼女の姿はない。
また消えたか。姿を見失ったらなら――俺はとりあえず全方向に攻撃をすると決める。あの魔女に何かをさせる暇を与えたくない。
俺は咆哮し、雪と氷の精霊に命じた。
――【凍れ】【刃と為れ】【拡散せよ!】――
頭上から炸裂するように放たれる、無数の氷の刃。
俺の周囲三百六十度をカバーするように広がっていく。
精霊に任せきりの攻撃。
広範囲に弾幕をばら撒きたいなら、自分の魔力を使うより時間が短縮できる。
そして何より、効率が良い。
さっきのように星詠みの魔女に乗っ取られるのが目に見えているが……そのために彼女は手を止めざるを得ないだろう。そして、俺にとっては邪魔さえできれば上出来なのだ。
多少距離を取った程度では、魔女は対処を迫られるはず。
その間に、俺は自分の魔力で本命となる、氷の槍の一撃を練る。
そして思惑通り、背後から氷の刃が刺さったり砕けたりする音が聞こえなかった――おそらく受け止められたのだろう。
見つけた。
振り返ると、さっき光弾に砕かれた壁の向こうに、氷の刃を止めた星詠みの魔女がいた。
俺は躊躇うことなく、手中にある氷の槍を投擲する。
真っ直ぐ飛んでいく鋭い氷の塊は、纏う風で周囲の雪を巻き上げながら、星詠みの魔女がいた場所を思いっきり貫いた。
破壊力のある轟音が響く。
進路上の枯れ木が何本もなぎ倒される音が聞こえる。
雪煙で真っ白に染まる世界。あまりにも容赦のない一撃。
――しかし、手応えは無い。
そもそも、この程度で星詠みの魔女がくたばるとは思っていなかった。
もし例の瞬間移動が連続使用に耐えないものだとしたら……そんな淡い期待もあったが、この感触では望み薄だろう。
「なんと言うか……決定打に欠けますねー」
案の定、今度は横の枯れ木の陰から、無傷な星詠みの魔女がひょっこりと顔を出した。
「結局突き詰めれば、どれも氷の塊をぶつけているだけ……そう言えば、息吹は使わないのですか? 今の貴方なら、充分な威力が期待できるはずですが」
パターンの限られた戦闘を指摘され、俺は苛立つ。
「……うるせえ。そんなもの知らねえよ」
実のところ、凍結属性の攻撃手段がかなり限られるのは、薄々俺も感じていたことであった。
しかし、相手に冷気が効かなければ、それこそ直接攻撃するか、氷柱や氷の刃をぶつけるしかダメージを与える方法がないのである。
ましてや、俺がいま直面している問題は、謎の瞬間移動で“そもそも攻撃が当たらない”こと――手札が足りない。
できる手段を増やさないと、このままでは……ジリ貧だ。
「そうですね、後々もっと良いものが手に入りますが……さっきのご褒美に、息吹のやり方を教えてあげましょうか♪」
何をやっても攻撃が躱される。その現状にじりじりと焦りを覚える俺とは対照的に、お気楽な調子で星詠みの魔女が次なるアドバイスを始めた。
「まあ、深く考える必要はありません。頭でやるのと同じように、胸の中で術式を編み、そして息と一緒に吐き出す――ものは試し、さあ、やってみてください♪」
龍の言霊の次は龍の息吹ってか。
まったく、簡単に言ってくれるものだ。
お望みなら見せてやるよ! そして、そのまま凍りつけ!!
不用心に近付いてくる魔女。
あわよくば、そのまま不意打ちするつもりで、俺は体内の凍てつく魔力を息と一緒に吐き出した。
「――はい、残念!」
星詠みの魔女が指を鳴らすと、吐きだされた凍属性の魔力が形を得て、口輪のように俺自身の口を塞ぐ。
そして逃げ場をなくした魔力が俺の喉と肺の中で剣山となり、内側からズタズタに引き裂いた。
「焦りは禁物です。ただ感情任せに魔力を垂れ流すだけじゃ、相手から利用されちゃいますよ。もっと強い意志を込めませんと♪ あっ! あと、喉が霜焼けしないように気を付けてくださいね?」
霜焼けどころじゃない。
首から胸部にかけてえげつない壊され方をした俺は、血をボタボタと吐き出しながら、魔女を睨みつける。
もし視線で相手を殺せる龍の邪眼なんて技があれば……きっとすぐにでも習得できただろう。
「頭と胸で別々の魔術が使える。これは、大きなアドバンテージになるはずです。表と裏を使いこなして、戦況が有利になるよう導きましょう♪」
「……上等だ!」
全ての傷害を修復。我ながら飽きもせず、再び魔女に対峙する。
今まで散々屈してきた。今さらこの程度の理不尽で、挫けてなんかはいられない。
また、何もせず、諦めるわけにはいかない。
真夜中の雪と氷の世界。
冬を統べる魔獣は、痛みを覚えながらも、確実に強くなっていく。
なんとか一矢報いたい俺と、殺す気の無い……しかし、俺を屈服させたい星詠みの魔女。
その戯れ事は――むしろここからが本番であった。
痛みがなければ覚えませぬ(呼吸器が内側からズタズタ)。




