孤独の選択(中)
「いえ、ただ、貴方は今の内に知っておくべきだと、そう思ったから話してみただけですよ?」
「……知っておくべき、だと?」
俺が問いかけると、星詠みの魔女は小さくペロリと舌を出す。
「さて、どういうことでしょうね? まあ、慌てなくても何れ貴方は全てを理解する羽目になります♪」
そう言って彼女は、笑顔のままで流そうとした。
しょせんは、ただの昔話である。気にする必要はないのかもしれない。
しかし、相手は腐っても魔女だ。
彼女には、言葉巧みに俺をけしかけた前科があり――同時に、無視できる内容でもなかった前例がある。
だからどうしても、ただの戯言としては切り捨てられない。
「思わせぶりなこと言いやがって、それで誤魔化せると思うなよ?」
それとも……こうして訊き返してしまうことこそが、彼女の術中にある証拠なのだろうか。そんな不安を覚えながら、警戒しつつも俺は魔女に食ってかかった。
「まあ、時期についてはちょっと早めですし、知らないままでいたって特に何も変わらないのですが……ステラちゃんの悪いクセですね。貴方にはつい、肩入れしたくなっちゃいます♪」
よく口のまわる魔女だ。それとも単にお喋り好きなだけなのか。
「あるいは、『貴方は彼らにとてもよく似ている』――そう思ったから、話しちゃったのかもしれませんね♪」
まるで俺の心を読んだかのように、彼女はそう付け加えた。
「……似ている、だと? 俺が邪神みたいな奴だって言いたいのか? 余計なお世話だ」
その遠まわしな言い方が、ますます俺の癪に障った。俺はいちいち不快な気分にさせてくる星詠みの魔女を睨みつける。
わざわざこんなタイミングで話題にしてきたのだ。自意識過剰なんてことは無いだろう。
だが、世の中には俺なんかより自分勝手で傍若無人な輩なんていくらでもいる。
奴らを野放しにして、俺だけが咎められる筋合いはない。
しかし、彼女の真意は違ったらしい。
苛立つ俺を小馬鹿にするように宥めながら、星詠みの魔女は告げた。
「まあまあ、そう怒らないでください。貴方が思っているような意味ではありません!」
「じゃあ、どういう意味だ?」
俺が猜疑に満ちた視線を向けると、星詠みの魔女はあっけらかんとした様子で言った。
「それはもちろん、英雄も邪神も、“力こそ正義”だってことです♪」
「……はぁ?」
しばらくの間、俺の開いた口は塞がらなかった。
「だってそうですよね? 要は互いに力でねじ伏せあって、勝者が未来を勝ち取った――その結果が現在に繋がっているのですから」
星詠みの魔女は続けて持論を語る。
いや、確かにそういった見方もできるが……それをおおっぴらに言う人間は滅多にいないんじゃないだろうか。
「いくらなんでも暴論だろ……」
てっきり英雄たちを賛美する方向に話を持っていくと決めつけていたので、これはあまりにも予想外だった。
「より強い者が、望む未来を手に入れる。そんなことは当たり前です。そして、かつての英雄たちは、勝利したからこそ“英雄”になれました……もし殺されていれば、ただ邪神に刃向っただけの、惨めな敗北者扱いだったでしょう」
この世に絶対的な正義や悪は存在しない。
ただ勝者の物語が正義として語られるのみ――それは月並みな、当たり前の言葉。
星詠みの魔女は、残酷な真実を告げる。
しかし、それは俺も辿り着いてしまった境地だ。
「貴方が願っているほど、世界は美しくありません。確かに、人々は英雄たちの物語を語り継ぎ、彼らのような生き方を推奨します――でも、実際にそのような生き方を選んだ人間たちは、果たしてどれだけ存在するのでしょうか?」
言葉に詰まるが、俺はなんとか反論する。
「……たとえ少数でも、過去の人々がそんな生き方を選んだからこそ、今があるんだろ」
ただし、反論した理由は、俺自身にも分からない。
「それは、貴方の本心ですか?」
彼女に問われたが、俺にはそれを即座に肯定することができなかった。
だって、もし此処がそんな人々ばかりの暮らす世界だったなら、きっとソフィアが悲しむような“今”なんて無かったはずだから――。
「“力こそ正義”、確かに貴方はそう言いました。しかし、その割にチグハグなあなたの言動……本当は“別の何か”を信じているのではないです? 少なくともステラちゃんには、貴方が英雄の側ばかりを持て囃しているように見えます」
「なっ!? 別に、俺は持て囃してなんか……!」
「でも、肯定的に捉えているのは事実ですよね? どちらもやっていることは、暴力の行使にすぎないのに……そもそも貴方にとって、英雄と邪神の違いはなんでしょうか?」
立て続けに問いかけてくる星詠みの魔女。俺はとっさに、思いついた模範解答の一つを答える。
「自己犠牲の、精神、とか……?」
……なぜ俺が、人間の善性を弁護する側にまわっているんだろう? ふと、そんなことを思う。
しかし、俺が再び殻に閉じこもることを、星詠みの魔女は許さない。
「つまりそれは、彼らが報われず、不幸な結末に終わったからこそ、『邪神と違って私利私欲のためじゃないから素晴らしい!』って意味ですか?」
俺が自分を見失いかけて悩んでいるのに、星詠みの魔女はさらにとんでもないことを言い出した。
「誰も、そんなこと……」
「でもでも、人々が英雄に求める自己犠牲ってそういうことでしょう? 一切の見返りや賞賛を求めさせず、謙虚であることを強要しながら人助けさせる……つまり、相手の善意や優しさを逆手に束縛して、利用しているだけですね♪」
それはだいぶ穿ち過ぎな見方だと思った……だが、同時に俺が胸の奥に隠している本音の代弁でもあった。
しかし、素直には認められない自分が、確かに存在している。その理由はやっぱりわからない。
「誰かが犠牲になって守った世界。なのに、そこで幅を利かせるのは、いつだって戦わなかった人間たちです。高みの見物を気取っている――むしろ、そういった意味で、邪神とそっくりさんなのは召喚した人間のほうなのでしょうか?」
挙げ句のはてに、俺が放った渾身の綺麗事は、ボロクソに否定された。
やはり解らない。
世界を救った者達の英雄譚を聞かされたと思ったら、そのあとは否定ばかりである。
星詠みの魔女は何を説こうとして、あの英雄譚を語ったのだろう?
そして俺はなぜ、この気狂い女と、正義の在り処や人間の善性について議論しているのだろうか?
……俺は結局、何がしたいのだろうか?
「それでは、せっかくですから、ここでもう一つ別のお話をしてあげましょうか♪ これは、ほんのちょっと前にあったお話です。
不景気の時代、東の果てと呼ばれた国。とあるボロボロの集合住宅に、一人の男が住んでいました――」
俺が何かを言う前に、唐突に星詠みの魔女は勝手に語り始める。
今度はさっきの英雄譚とはまた違う物語。
俺にとっては輝かしく眩しい英雄たちの物語とは違って、まるで朽ちかけたコンクリートのような、懐かしくも暗い灰色の出だしだ。
「――その男の心は荒んでいて、とても冷たい性格でした。
そんな彼の凍りついた心に思うところがあった小さな魔女は、男の姿を恐ろしい魔獣に変え、異なる世界へと連れて行ってしまったのです」
どこかで聞いた話だ。むしろ、その内容には心当たりしかなかった。
「冬に呪われた城にて、愛を知るための試練が始まります。
訪れた運命の相手は美しく心優しき亡国の姫君。
魔獣がかけられた魔法を解くためには、紅いバラが散る前に、人を愛することを知り、愛される必要がありました――しかし、魔獣は彼女の幸せを願い、運命の相手を外の世界へ帰すことに決めたのです」
もし、そこで物語が終わっていたのなら、まだ多少はましなストーリーだっただろうか。
……いや、それだとソフィアが殺されてしまう。なんともままならない世界である。
「ところが、彼女の故郷には、死の運命が待ち受けていました」
いっそ出会わなければ、俺にとって『世界中にありふれた悲劇の一つ』として処理できたのに……ほんの一瞬でもそう思ってしまった自分が、悲しくなった。
「それを知った魔獣は、冬の世界を飛び出します。そして――」
――自分も他人も愛せない憎悪の化け物は、死と殺戮をばら撒きました。そして、助けたかったお姫様も泣かせてしまったのです……ってか。
「……ですが、彼はあの夜、確かに運命を変えたのです。それなのに、彼は救った少女を泣かせた事実にしか目を向けられません」
星詠みの魔女は語り続ける。
俺が思いもよらなかった方向に、その出来損ないの童話は加速する。
「彼は自分を責め続けます。別にかつての英雄たちだって、崇高な理念と信念だけで戦ったわけではありません」
「その足跡は血に塗れて、骸の山だって築いたはずです――それを理解しているはずなのに、認められない彼は、届きえない理想を自分に押し付けます」
「なぜなら、彼は気付けないからです。彼女を一番悲しませたのは、血に塗れた敵兵の骸ではなく、変わり果てた魔獣の姿だということに」
「どうして気が付けないのでしょう? それは、彼は自分が嫌いだからです」
「どうして彼は自分が嫌いなのでしょう? それは、彼が学んだ善だからです」
「繰り返される自己否定。その怪物は、弱い自分を殺し続けました」
「ある時は完璧を求めて、ある時は理由を求めて、ある時は救いを求めて――またある時は、愛を求めて」
普通なら、決して語られるはずがなかった物語の裏側。
星詠みの魔女はその頁を、無理やりこじ開けてしまった。
「……さて。この矛盾にまみれた『自分殺しの物語』。その続きは――どうなるのでしょうね♪」
ストレスフルな展開。
執筆難易度爆上がりですが、コンセプト的にスルーはできない葛藤です。




