孤独の選択(上)
――普通に考えれば、選択肢なんてあってないようなものだ。
俺は多分、ソフィアを助けたい。
黒騎士を倒していない以上、まだ最終的な運命は変わっていないはずだ。そして、その運命を変えられるのは……星詠みの魔女を信じるならば、俺だけのはずである。
心を失くしても、幸せだった日々の記憶は残っている。
たとえソフィアから拒絶されようと、もはや構わない。たとえあれが二度と戻れない日々だったとしても、過去の自分は裏切れない。
そのために俺は、水晶のバラを取り戻す必要がある……バラを失くしてしまったら、きっと俺はまた、訳も分からないままソフィアを悲しませてしまうから。
そして、彼女を助けたいと願うなら、レヴィオール王国を見捨てるわけにもいかない。
もし見捨ててしまえば、心優しい彼女はきっと、命果てるまで悔やみ続けてしまうだろうから。
しかし、彼女に故郷を救う力は無くて、だから俺は魔獣の姿を捨てるわけにはいかない。
故に俺はバラを取り戻し、しかし人間に戻らず、この冬の世界で獣として永遠を生きる未来を選ぶしかないのだ。
……それなのに、俺の中では相反する別の感情が燻ぶっている。
それどころか、むしろバラが散ってから、俺の中で浮き彫りになるのはそちらの昏い感情ばかりだ。
もう今更隠す心算も無い。
俺は人間が嫌いだ。
不条理で醜い人の世が嫌いだ。嘘だらけの世界が嫌いだ。綺麗事を小馬鹿にする人間共が嫌いだ。誰かの優しさや誠実さを踏み躙る社会が嫌いだ。
――そしてもちろん、その中に含まれる自分自身も嫌いだ。
本音を言えば、誰が死のうと興味が無い。
許されるならば、耳と目を閉じ、口をつぐんで、全てを拒絶して、世界の果てでひっそりと暮らしたいと願っていた。
そう。むしろ、ソフィアを助けたいと思ってしまうことこそが、俺にとっては例外なのだ。
そんな俺が、誰かのために永遠を生きるだって?
……絶対に、無理だ。
事実、レヴィオール王国で戦った時も、俺にはできなかった。
例えば、もしソフィアがその場に居れば、敵国の兵士を殺すことを厭っただろう。
そしてその慈悲と寛容の心で――可能なら、命だけは見逃してあげたかもしれない。
しかし、俺は最終的に、目につく限りの兵士を殺戮することを選んだ。
それだけではない。あの偉そうな中年の軍人も、肥え太った枢機卿も殺した。
そして……裏切ったバフォメット族の青年たちも、皆殺しにした。
理由は、単純に“殺したかった”からだ。
俺には奴らを生かす理由が見出せなかった。
命なんてゴミだ。
俺は自分が嫌いだ。
死ぬのは怖かったが、生きるのは辛かった。
迫り来る“死”の影に怯えながら、終焉る日ばかりを夢見てた。
自分の命ですらそうなのに、ましてや他人の命なんて、どうして尊いと思えるだろうか。
だから俺は、気に入らない奴らを皆殺して、踏み躙った。
そこに罪悪感や疑問を感じることができなかった。
どうせ人間の命など、等しく無価値。逆に価値があるならば、むしろぶち殺して無価値に帰してしまいたい。
理性で押さえつけていた俺の本性が、ついに牙を剥いたのだ。
その結果、助けたかったはずの彼女に涙を流させてしまった。
そんな俺が、誰かを愛するだって?
そんなことが、はたして可能なのか?
また傷付けてしまう結末は、目に見えていた。
――そんな俺に、ソフィアを救うだなんて、大層なことを言う権利は……。
「……ずいぶんと、お悩みですねえ」
思考の迷路をぐるぐる彷徨っていると、星詠みの魔女が口を開いた。
「このままでは夜が終わってしまいますよ。あまり長引くようなら、ステラちゃんが決めてあげましょうか?」
「……なんだ? 夜が明けると不都合なのか?」
少なくとも、俺にはそう聞こえた。
なぜなら彼女は“星詠み”の魔女なのだから、そんな理由であってもさほど不自然でないように思えたのだ。
しかし、彼女は俺の問いかけに、余裕の笑みを浮かべながら答えた。
「いいえ、別に? もちろん星が見えたほうが好いですが、見えないなら見えないなりにやり方もあるのです。そもそも今夜は、星なんて見えないじゃないですか♪」
彼女の言ったとおり、漆黒の空は分厚い雲に覆われていて、相変わらず冷たい雪が舞い降り続けていた。もちろん、星なんて見えるはずがない。
「以前逢った夜ほどラッキー☆ガールではありませんが、今回はそれを前提に調整していますから、安定感はむしろ上がっています――たとえ星が見えなくても、ステラちゃんは無敵なのです!」
そして、星詠みの魔女は水晶のバラを俺に見せつけながら言った。
「だ・か・らぁ……軽々しく変な気を起こしたら、ダメですよ♪」
……ご忠告どうも。なかなか笑えない忠告だ。
心の中で俺は悪態を吐く。
強さという名の、絶対的な強制力。そして、間違いと、致命的な大間違いしか並んでいない選択肢……こうして悩んでいる現状すらも、彼女の手のひらの上なのか。
結局のところ俺は、どこまでも利用されるだけの存在だと思い知る。
俺は魔女に対する敵愾心を取り繕うこともせず、不機嫌に鼻を鳴らした。
「しかし、暇ですね~。退屈なので、ちょっと昔話をしちゃってもいいですか?」
俺が相変わらず答えを出しあぐねていると、星詠みの魔女がなんの脈絡も無く呑気なことを言い出した。
本当に煩い女だ。俺は魔女の意味不明な行動に興味ない。変に刺激せず、彼女の奇行を流すことにする。
「……勝手にしろ」
「では勝手に話させていただきますね――そう、あれは確か、一万と二千年……いえ、ざっと千年くらい前でしたか。かつてこの世界に、その名を口にするのも憚られる化け物たちが訪れました――」
つらつらと語り始める星詠みの魔女。
いったい彼女にどんな意図があるのか、俺には分からない。
「――世界の果て、星空の向こう。この世でも、あの世でもなく、別の宇宙からやってきた化け物たち。
幾つもの世界を喰らい、貪り、犯し、弄び……あるべき星空を書き換えながら、その化け物たちは、とうとうこの世界に流れ着いたのです」
なんか、思っていたよりも、壮大な昔話が始まったな。
その生意気にも美しい声音は、聖なる神託のようで……俺はつい耳を傾けてしまう。
「化け物たちは“邪神”と呼ばれ、我が物顔でこの世界に住みつき、好き放題に暴れます。人々は邪神たちを畏れ、ある者達は崇め、奉り、祈り、媚び――救いと慈悲を求めましたが、全ては無駄でした」
そこで一旦区切りを入れ、星詠みの魔女はクスリと笑った。
「まあ、ステラちゃんは当時、まだ生まれていなかったのですけどね♪ でも、それはそれは酷い時代だったそうですよ? 神モドキ達の気まぐれで人間が玩具にされたり、人間に動物を交配させて眷属を創り出したり、本当にやりたい放題だったそうです――そして、異世界から英雄を喚び出すようになっても、それは変わりませんでした」
何かと思えば、かつてこの世界を救ったらしい英雄たちの物語らしい。
そう言えば、実際に彼らの物語を聞くのは初めてである。
おそらく、彼らが戦った相手が“邪神”と呼ばれる連中だったのだろう。
「星の加護を持たない異世界の人間。それは神モドキ達にとって新しい玩具にすぎませんでした。知ってますか? 実は、異世界から英雄を喚んだのは、人間側だけではなかったのです」
……どういうことだ? いつの間にか話に引き込まれていた俺は、問われた意味について考える。
そして、俺は一つの想像に至った。
「まさか……邪神側も、英雄を召喚したのか?」
俺がそう尋ね返すと、星詠みの魔女は楽しげに笑った。
ただ、それは話の内容が面白いというよりも、俺が彼女の話に興味を持ったことが嬉しい……そういった笑顔だった。
「大正解、そのとおりです! しかも奴らは、人間側の英雄に縁のある者を――特に肉親や親友、恋人などを狙って喚び出しました」
「……えげつないな」
その結果どんな悲劇が繰り広げられたか、想像に難くない。
「ええ、酷いですよね? しかも奴らは、人の心すら操れます。愛し合っていた恋人達が、憎き敵同士のように殺し合ったり。あるいは逆に、忌むべき邪悪を訳も分からず愛していたり……そんな愛憎劇やらが色々あったわけですが、救い無い戦いの果て、彼らは邪神たちの封印をやり遂げました」
なるほど。色々と端折られ過ぎな気もするが、とりあえずそれで『めでたし、めでたし』というわけか。
「一応これで、この英雄譚はおしまいとなっています♪」
「……で、急にこんな昔話を始めて、お前は何が言いたい?」
俺の質問に、星詠みの魔女は意味深な笑みで返した。
未来を選ぶ時はね、誰にも邪魔されず
自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ
独りで静かで豊かで・・・
↑こういうサブタイトルではない。




