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灰と砂と花弁と(上)

 その日、放浪の魔女は鎖の魔女の下を訪れた。


 山奥の洞窟のように偽装された魔女の家。

 その奥に隠された(とびら)を開くと、いつも魔女のお茶会が開かれる雑多な部屋があった。


「……いらっしゃい。待っていた、わよ」


 その部屋には、いつも通りに鎖の魔女が。

 しかし、彼女はいつもより神妙な面持(おもも)ちで、放浪の魔女を迎えた。


 部屋の中には二人の魔女。しかし、その見た目から受ける印象は対照的だ。

 片や、外見は十歳にも満たない童女にも見える放浪の魔女。彼女は黄金の絹糸のような髪をサイドテールにまとめている。

 そして、今日も着ているのは萌木色のドレス。その上にはローブを羽織(はお)っていた。


 美少女と(しょう)するにしても、やや幼過(おさなす)ぎる容姿。

 その姿は童話なんかに登場する“魔女”のイメージとはかけ離れていて……どちらかといえば“魔法少女”といった呼称のほうが、まだピッタリなのかもしれない。


 対して、鎖の魔女は妖艶(ようえん)な大人の女性だ。

 褐色の肌に、束ねられた白くて長い髪。黄金の瞳に、横向きの瞳孔。()じれたヒツジの(ツノ)とヤギの(ヒヅメ)。そして(ひたい)に輝くは(くれない)の宝石――彼女はそれらを有した、バフォメット族の美女である。


 全身に刻まれた呪刺青(タトゥー)を隠そうともしない扇情的な服装。そして、彼女を象徴する“誓約(ゲッシュ)”を課せられた無数の鎖。

 その姿はまさに、神話や童話に登場する“(あや)しい魔女”か……あるいは“悪魔”の典型的なイメージと言えるだろう。


 鎖の魔女は水煙草(シーシャ)の煙をふかしながら、悩ましげに口にする。

「要件は……まあ、やっぱり、その話よね?」

 彼女の視線の先には、小さな腕に抱えられている細長いドーム状のガラスのケース。

 その中に飾られているのは、一本の植物の(くき)……花が散ってしまったバラの残骸であった。


 ただ(とげ)が生えているだけの(くき)。客観的に見て、そこまで大切に飾られるほどの価値があるとは到底思えない。

 その先端から散った花弁も、ドームの底で(しつ)の悪い絨毯(じゅうたん)のように(しな)びて黒ずんでいる。

 しかし、放浪の魔女はそんな無価値なゴミを、まるで大切なものであるかのように――例えるなら、幼子が大切な人形を抱えるように、あるいは母親が愛する我が子にするのと同じように、これ以上傷付けてしまわないよう優しく抱きかかえていた。


「……仕方ないわ。貴女にとっては、残念な結末だったかもしれない……けれど、ね? 彼にとって必要だったのは、『愛』よりも、『強さ』だった。それだけの事なの」

 鎖の魔女は放浪の魔女を(なぐさ)めるように微笑みかける。

「理不尽に(あらが)うため、(チカラ)を求める……それも、きっと、一つの解答だったのかもしれないわね。だから、いつまでも、気に病んでばかりいるのは……」

「下手な気休めは要らん。(わし)の頼みたいことは、もう分かっておるじゃろ?」

 放浪の魔女は散ったバラのケースを鎖の魔女に差し出す。

 だが、鎖の魔女はそれを受け取らず、静かに首を横に振った。

「……じゃあ、結論から、言わせてもらうわね――無理、よ」

 それは回答を勿体(もったい)ぶりがちな彼女にしては珍しく、きっぱりと頭ごなしな否定だった。


「貴女も、知っているはずでしょう? 誓約(ゲッシュ)の魔術は、簡単には(くつがえ)せない。だからこそ、誓約(ゲッシュ)の魔術()()るの」

 鎖の魔女は優しく(さと)すような口調で、放浪の魔女の頼みを聞けない理由を説明する。

「そんなこと、分かっておる」

「結末が気に入らないから、都合が悪いから。そんな理由で、魔法をやり直したい……なんて、そんなことを思うような覚悟じゃ、何も成し()げられないわ」

「だから! そんなこと、儂だって、分かっておる!」

 駄々っ子のように声を荒げる放浪の魔女。そんな彼女に、鎖の魔女は(たず)ねた。

「それなら、貴女は契約を(たが)える代償に、何を差し出す心算(つもり)なの? 生半(なまなか)な代償じゃ、何一つ、貴女の望みは叶わない……」


「――無論、(わし)の、全てじゃ」

 スミレ色の瞳に確かな覚悟を宿して、放浪の魔女はその言葉を口にした。


「…………却下、ね」

 鎖の魔女はにべも無く答える。そして、(うれ)わしげにため息を()いた。

「これはね、別に意地悪で言っている……そんな心算(つもり)じゃ、ないのよ?」

「ほう。それなら、どういった心算(つもり)なのじゃ?」

 放浪の魔女は鎖の魔女をジッと(にら)みつけた。


「もう、そんなに怖い顔しないで……“足りない”のよ。単純に」

 彼女は伝える言葉を、慎重に選びながらゆっくりと口にする。


「彼にとって貴女は……そう、ただのお節介な魔女。貴女と彼との間には……差し出せるほどの(えん)が無い。だから……たとえ“貴女の全て”を支払ったところで、それは彼を救うための代償足り得ない」

 (つと)めるように無慈悲な声音でそう言って、鎖の魔女は水煙草(シーシャ)吸い口(マブサム)をテーブルの上に置いた。


 誓約(ゲッシュ)とは、ある意味で最も素直な原初の魔術だ。それこそ、魔術師や魔女でなくとも、本能的にその原理を利用している存在は珍しくない。


 誓約(ゲッシュ)は、制約が(きび)しいほど、得られる恩恵は大きくなる。


 誓約(ゲッシュ)は、失うものが大きいほど、与えられるものが大きくなる。


 誓約(ゲッシュ)は、捧げる代償が致命的なほど、起こせる奇跡は大きくなる。


 これらこそが、誓約(ゲッシュ)の基本となる原則。


 それは、誰もが(いだ)きがちな、都合の良い幻想。


 現実には、努力が結果に(つな)がるとは限らないし、痛みや苦労が(むく)われるとも限らない。

 それなのに、万人が感覚的に誤解してしまう。そうであってほしいと無意識に願ってしまう。


 そんな幻想に魔力(チカラ)を与えて現実に引きずり出す――これこそが、誓約(ゲッシュ)と呼ばれる魔術。

 そして、この“幻想を具現化する”過程は全ての魔術の基礎となり、それ(ゆえ)誓約(ゲッシュ)は“原初の魔術”とも呼ばれていた。


 しかし逆に言えば、原始的な誓約(ゲッシュ)の魔術は、痛みを(ともな)わないと奇跡を起こせない。

 そして痛みとは、困難を享受すること。

 あるいは、価値がある物か行為を捧げること。


「要するに、ね? 簡単に差し出せる命に、重みは無いの。簡単に捨てられる軽い命では、天秤は動かせないわ……」


 路傍(ろぼう)の石ころを捧げたところで、奇跡なんて起こせるはずがない。また、見ず知らずの他人を犠牲にして起こす奇跡は非効率だ。


 ――だが、そんな当たり前の事実を、放浪の魔女が知らないはずがなかった。


詭弁(きべん)じゃな」

 幼い見た目の魔女はなにかを確信した表情で、往生際(おうじょうぎわ)の悪い鎖の魔女を見つめる。

「……なによ。嘘は、言っていない、でしょ?」

 なぜか(あせ)りと動揺を見せる鎖の魔女。それは、いつでも余裕のある彼女らしからぬ態度だった。

(なみ)の術師の話なら、そうかもしれん。しかし、お主は“鎖の魔女”。理不尽な奇跡など、お手の物じゃろうて。そんな一般論で誤魔化される程度の、短い付き合いではないぞ?」

 放浪の魔女は、鎖の魔女が意図的に条件を限定していると気が付いた。

 そして、鎖の魔女がこうやって誤魔化そうとしているということは――散ったバラをどうにか救う手だてが、まだ存在するということだ。

 つまり、希望はまだ、(つい)えてはいなかった。


 もちろん、鎖の魔女の不自然な様子からしても、それなり以上の犠牲を支払う必要があるのだろう。

 とはいえ、これはもともと自分が()いた種だ。

 しかも生まれてしまったのは、憎悪に染まった不死の怪物。もはや自分とあの男だけの問題ではない。このまま放って置いて良いわけが無いのだ。

 放浪の魔女には自分で責任を取る覚悟があった。


 そもそも、(くだん)の男を魔獣に変えた魔法は彼女が手掛けた術式である。


 誓いの内容は、“真実の愛を知る”こと。

 その際に捧げられた代償は、かつて男が望んでいたもの――『故郷』と『ぬくもり』と、そして『死』の三つ。


 彼にとっては身に覚えのない、ひたすら理不尽な誓いと奪われた対価。それによって、彼の身に起こった奇跡は……存在の書き換えと固定による完全なる魔獣化。


 一見すると、魔獣の側に一切の恩恵は無い。これは誓約(ゲッシュ)の原則に反する矛盾である。しかし、誓約(ゲッシュ)は問題なく成立していた。


 複数の誓約(ゲッシュ)を鎖のように繋ぎ合わせることで、因果も繋がりも見えない理不尽な奇跡を実現する――()れこそが、鎖の魔女の誇る“魔法”なのだ。


「理不尽な奇跡……凄い言われ(よう)、ね? 言っておくけど、なんでもできるわけじゃ、ないのよ? 代償が必要なのは、変わらない。それに、ちゃんと制約だって、あるんだから……」


 だが、先ほどの彼女は、あくまで“足りない”と言っただけ。そして、その事実はすでに見破られている。


「分かっておる。じゃからこそ、この生まれ持った稀有(けう)なる能力(チカラ)、それを捧げると言っておるのじゃ。誰にも捕えることのできない“放浪”の力。それならば、十分な対価となろう?」


 放浪の魔女がそう言うと、鎖の魔女は置いていた水煙草(シーシャ)を手に取り一服する。そして考えをまとめると、観念したように本心を煙と一緒に吐き出した。


「そうね……ごめんなさい。私、やっぱり、嘘を()いていたみたい」

 何を言っても目の前の少女をはぐらかすことはできないだろう。それを理解した鎖の魔女はもう、完全に降参した様子だった。


「まあ、そうじゃろうな」

 放浪の魔女は別段気にした様子も無く返す。

「もう一度、バラの花を咲かせること。それ自体は、対価さえ支払えばできるの。でも……本当は、私がやりたくないだけよ。だって、こうなることは……貴女が自分を対価にって言い出すことは、目に見えていたから……」

 そう言って、鎖の魔女は目を伏せたのだった。




 インチキ効果も大概にしろ!(鎖の魔女の誓約ゲッシュに対して)

 実際はそれほど便利な魔法じゃないのですが。

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