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冬に君臨する気配

 ――(ところ)()わって、霊峰レヴィオールの西側、街道も無い山の中。武装したバフォメット族とドワーフ族の集団が道なき道を歩いていた。

 彼らはレヴィオール王国奪還作戦を決行する連合国側の奇襲部隊だ。その構成員はレヴィオール王国の生き残りたちが中心となっていた。


 雪の積もる山の中、木々の隙間を()うように彼らは進んでゆく。

 彼らの故郷は、この(とうげ)を越えれば見えてくるだろう。


 月も星も無い闇夜は奇襲に最適だ。

 天候は彼らに味方している……そう思いきや、ここに来て分厚い雲の天蓋(てんがい)から、ちらちらと雪が舞い降りてきた。


「ああ、とうとう降ってきましたね。もう少し持ってくれればよかったのですが……」

 部隊の先頭を歩いていた少女が、崩れた空模様を憂いながら言った。


 彼らを率いるは、レヴィオール王家の生き残りにして、英雄の血を引く末裔(まつえい)、ソフィア・エリファス・レヴィオール。

 彼女は白銀を基調とした、法衣かドレスにも似た軽鎧を身に(まと)っている。

 しかし、ソフィア姫はまだ少女であるうえ、結界と治療の魔術を(たく)みに使いこなす。そのため、鎧は防御よりも動きやすさと魔術的な補強が優先された(つく)りとなっていた。

 その凛々(りり)しくも可憐(かれん)なる異形の姿は、(まさ)しく英雄の末裔(まつえい)――今代の聖女と称するに相応(ふさわ)しい美しさである。


 そして、流石はバフォメット族の健脚と言うべきか、彼女はその華奢(きゃしゃ)な見た目とは裏腹に、苦も無く山道を進んでいた。

 その後を付いて行く者達も同様だ。

 もしこれが真人族のみで構成された部隊だったなら、こう簡単にはいかなかっただろう。


 現にこの集団の中にも、真人族は両手で数えられる程度しか存在しない。そして、その数少ない真人族のうち、二人がソフィア姫の(かたわ)らに(ひか)えていた。

「仕方ありません。もともとギリギリのタイミングだったのです。本格的に雪に閉ざされる前に、なんとか間に合ったと思いましょう」

 先に口を開いたのはそのうち片方、メアリス教の法衣を着た痩身の老人だった。


 彼の名はディオン。元メアリス教の元司祭にして、レヴィオール王国を追われたソフィア姫の育ての親でもある。

 さらに言えば、権力争いに敗れ辺境の司祭にされる以前は次代の皇帝候補でもある枢機卿(すうききょう)という立場にもあった。


 高齢であるにもかかわらず背筋の伸びた元司祭のディオンは、山道も難なく進む。

 一時期は神聖メアリス教国に捕まって拷問を受けていたが、今はこうして雪山の行軍にも参加できるほどすっかり回復していた。

 多少(おとろ)えたとはいえ、若い頃は武闘派として、(みずか)らならず者たちの討伐に足を運んでいたのだ。

 彼に与えられた暴風(テンペスト・)大司祭(ハイプリースト)の二つ名は、伊達ではなかった。


 今回はメアリス教徒の説得役、あるいは交渉役となるために同行したディオン元司祭。彼は急にそわそわとしだしたソフィア姫を心配していた。

「ソフィア、何をそんなに焦っているのです? まずは落ち着きなさい。冷静さを失えば、救える命も救えませんよ」

「はい……でも、ディオンさん。わたし、なぜか胸騒ぎがするのです」

「あれ、姫様も?」

 胸騒ぎという単語に反応したのは、斥候(せっこう)役を任された赤髪の少女だった。

 彼女も獣人だが、ヤギかヒツジの特徴をもつバフォメット族とは異なり、大きなネコの耳が頭から生えている。

「リップ。貴女も、何かを感じるのですか?」

「うん、上手く言えないけれど……何か胸がざわってするんだ。多分ボク以外の皆も、おんなじように感じているみたい」

 そう言うと彼女は、周囲の見えない何かを警戒するようにネコの耳を動かした。


 赤毛ネコミミの斥候少女ことリップ。彼女はもともと太陽の国とも呼ばれるヘーリオス王国の王子、アレックスと一緒に冒険をしていたメンバーである。

 しかし今回の作戦に当たって、彼女たちは二組に分かれ、それぞれの戦場へと向かっていた。

 傭兵として戦争の経験もある歴戦の戦士たるグランツと、黒騎士ニブルバーグに対する切り札たりえる弓使いのアレックス。彼ら二人は連合国の正規軍と共に南部の平原へ。

 そして、山道を得意とする斥候の彼女(リップ)と、もう一人のメンバーはソフィア姫の護衛として、このレヴィオール解放部隊に同行している。

 もう一人の同行者、魔術師のジーノが口を開いた。

「リップさんだけならともかく、獣人のほぼ全員が何かを感じている――原因があると判断するのが妥当でしょう。少し見せてもらえますか?」

 彼はメガネの位置を直すと、リップたちの診察を開始した。

「わたしの見る限りでは、特におかしなところは無さそうに思いますけど……」

 治癒魔術の心得があるソフィア姫も簡単に()てみるが、特に異常は見受けられない。

 ()いて言えば、大気が、周囲の魔力が変にざわついているような――。

「いえ、ですが。これは明らかに不自然……まさか、英雄症……?」

「英雄症?」

 耳慣れない単語に、ソフィア姫は首をかしげる。

「ジーノさん、何か心当たりがあるのでしょうか?」

「……英雄症とは確か、高位の魔獣が怒りに我を忘れた際、周囲の精霊や生物の魂が影響を受ける現象のことでしたね」

 元司祭のディオンが、診察に集中するジーノに代わって解説した。


「怒りに狂える魔獣に近づき過ぎた者は、恐慌状態に(おちい)るか、逆に魂を揺さぶられ興奮状態となり――短絡的で恐れ知らずの、無謀なる戦士になると()われています。(ゆえ)に、皮肉を込めて英雄症と呼ばれるようになったのだそうです」

「ええ。周囲の魔力からしても、それ以外の原因は考えられません」

 ディオンの知識に、魔術師のジーノは(うなず)いて肯定する。

「とはいえ、本来は上級ドラゴン相手ですら、滅多に見られない現象のはずなんですがね。ソフィア姫が知らないのも無理からぬ話です」

 ジーノの言う通り、英雄症なる現象が起こりえるのは、ドラゴンや魔獣の中でも精霊に――つまり、世界の意思そのものに近しき存在と対峙(たいじ)した場合に限られる。


 それこそ、おとぎ話の中の出来事と言っても過言ではない。

 しかし、この厳しい自然に囲まれた霊峰。山奥にひっそりと最上級ドラゴンが暮らしていても不思議ではなかった。

 可能性だけなら、十分にありえるのだ。


 突然湧いて出た脅威に、ディオンは眉間にしわを寄せた。

「……運が悪ければ、伝説級の魔獣と遭遇する羽目になりますか。なんとか戦わず、穏便(おんびん)に済ませたいものですね」

「さらに補足すれば、声も姿も認識できていない状態で影響を受けるなんて、普通ならありえません。それほどの怒り……まさかメアリス教の奴ら、エンシェント・ドラゴンの卵でも盗んだのでしょうか?」

 それは馬鹿馬鹿しい冗談のつもりだった。しかし、口に出して言ってみると、傲慢(ごうまん)なメアリス教徒連中なら、充分ありえそうな話に思えてくる。

 しかし、そうだとして、なんてタイミングの悪い……そう(つぶや)きながら、魔術師のジーノは舌打ちをした。


「リップさん、とりあえず部隊の皆に落ち着くよう伝えてください。あと、警戒についてもよろしくお願いいたします。魔獣はおろか、今はただの野生動物も興奮状態にあるはずですから」

「うん、分かったよ」

「ディオン司祭も、風魔術で索敵をお願いできますか? 私だと魔力が少な過ぎるので……」

「確かに、風を使って広範囲を警戒するなら、私のほうが適任でしょう。心得ました」

 ジーノの的確な指示。二人は素直に了解する。

 そして、斥候の少女リップは伝言のため、雪の積もった坂道を駆け下りていった。


 興奮気味だった部隊が、次第に落ち着きを取り戻す。

 正体不明な心のざわめきも、原因が分かればある程度コントロールできるのだ。


 ……ただ、胸騒ぎの原因が分かったところで、ソフィア姫の抱く不安が薄れることは無かった。

 急に降り始めた雪、そして伝説級の魔獣――その二つの情報から、彼女が連想した漆黒の姿は……。


(いいえ、ありえませんよね)

 彼女はすぐさま、自分の考えを否定する。

(だって、魔獣さんは『冬に呪われた地』から出られないのですから)


 それに何より――あのお人好しな魔獣が、大気を震わせるほどに怒り狂う……そんな姿なんて、彼女には想像できなかった。




 ――しかし、人間たちはまだ、()り始めた雪の、真の意味を知らない。

 浮足立った雪と氷の精霊たちが嬉々として実行するは、新たなる王が下した最初の勅命(ちょくめい)


 メアリス教徒を滅ぼせ。

 片翼の女神を(まつ)る土地を滅ぼせ。

 偽りの女神を信奉する、愚かな人間たちを滅ぼせ。


 神聖メアリス教国に、冬を統べる魔獣の咆哮(のろい)が響き渡る。

 精霊術師、妖精、巨人、神獣、ドラゴン――。

 精霊(せかい)の声を聞くことができる者達は、幾星霜(いくせいそう)に渡り空白だった玉座が、ついに埋まったことを理解した。


 そしてこの日、冬の裁きは執行(しっこう)される。

 大陸の東半分は、これから三年もの間――実に三回の冷たい夏を迎えることになる。


 春と秋には季節外れの(しも)が降り、夏にも冷たい(みぞれ)が降り注ぐだろう。

 太陽さえも退(しりぞ)け、草木は枯れ、麦は実らない。

 鳥も虫も動物も、そして人間も例外なく、皆等しく飢えながら死んでゆく運命(さだめ)


 これから永きに渡り語られる、冷酷で残酷なる冬の王の物語。

 全ての命を憎んだ無慈悲なる不死の獣の伝説が、この日静かに幕を開けた。

 人の身でその事実を知るは、未来を(のぞ)くことが可能な一握りの魔女のみ。


 ソフィア姫の知る漆黒の魔獣は(すで)に、この世に存在しない。

 過ぎ去りし日々は、もう戻らない。




 伝説は誇張されるもの。


 久々にソフィアさん登場。

 そして着実に災厄レベルを上げていく魔獣。

 タイマン性能や軍相手ならともかく、相手が国レベルになれば簡単に滅ぼせる力をすでに持ちます(大凶作)。

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