懐柔
武器を持った、角の無いバフォメット族の男たち。
こう言っては失礼だが、その外見はおとぎ話に出てくる悪魔のイメージに酷似していた。
過酷な扱いを受けているのだろう、生傷だらけの褐色の肌。
普通の人間より大柄で、少し痩せてはいるが、日々の肉体労働のためか筋肉は衰えていない。
伸びすぎて鬣のようになっている白い髪と髭。
どこを見ているか分からない、不気味な横向きの瞳孔。
ヒトならざる、ヤギの蹄。
その身に着ているのは粗末な襤褸布の服に、有り合わせの防具。
なお、角が無い理由については、わざわざ語るまでもないだろう――家畜の角は、取り除かれる宿命なのだ。
そんな彼らが、剣や槍といったそれぞれの武器を構えて、俺のことを睨みつけていた。
容赦ない殺意を俺に向ける。
……なあ。ここは、地獄か?
少なくとも、地上の楽園なんかではないだろう。
あらゆる方向から俺を取り囲むバフォメット族の男たち。この場における一番の問題は……俺が彼らを攻撃したくないという点だ。
とりあえず吹雪に舞う氷の刃は、危ないので消しておこう。
俺は吹雪の結界を解除する。
すると風が止み、氷の刃が石畳の上に落ちていった。
砕けた氷の刃はそのままキラキラと、魔力に還元されて大気中に消えていく。
吹雪が止んだのをよいことに、彼らはジリジリと近づいてくる。
俺は今さらになって、吹雪の結界の使い勝手が悪過ぎると気が付いた。
自分の周囲に常時展開する無差別な広範囲攻撃。それは周りにいる全てが敵なら非常に有用だ。
だが、そうでなくなった瞬間、こうも使い物にならなくなる。
相手を傷つけないで、手軽に無効化できる手段を持たない俺。
とりあえず足場を凍らせて――そのまま足を氷漬けにして時間稼ぎを計るが、相手は魔術に長けたバフォメット族。その程度では、文字通り足止めにもならない。
不幸中の幸いだったは、今度はどれだけ時間をかけても、あの子供たちのように死んだりしない……ということだけだ。
――ああ、本当にラッキーだな、畜生がっ!!
心の中で悪態を吐いている間にも、俺は壁際に追い詰められていく。
バフォメット族の男たちは、口々に詠唱を唱え始めた。
彼らの額で輝く悪魔の瞳。
バフォメット族は第三の目とも呼ばれるその宝石を通して魔力を直接『視る』ことができる。
その特性から、優れた魔術師や魔具師となる者が多い――かつて放浪の魔女から聞いた説明を思い出した。
こちらから攻撃できない上に、ほぼ全員が一流の魔術師。
ある意味、メアリス教国の兵士共なんかよりよっぽどやりにくい。
その聞こえてくる単語から、彼らが唱えているのが炎か雷の魔術であると理解できる。
背後には壁。眼前にはバフォメット族。
ついでに屋根の上にもバフォメット族。路地裏にもバフォメット族。
蹴散らして逃げるのは簡単だが、やっぱり被害者たちに危害を加えたくないと思ってしまう俺。
まんまとメアリス教国の策に嵌っていた。
俺はなにか良いアイデアが、この状況を打開できる方法が無いか考える。
――ふと、人間だったころに読んだ漫画のワンシーンが脳裏をよぎった。
その漫画の中で、閉じ込められた主人公たちがとった行動。
出口が無いなら――。
……これ以上は、あまり町を壊したくなかったが、仕方がない。
もちろん悪いとは思っている。
てか、すでに手遅れ感すらあるけど。
後でちゃんと弁償……は多分できないな。とにかく、直すの手伝うから! それで赦して下さい!
俺は振り向きざまに、魔獣の怪力で壁を殴りつけた。
モルタルで塗り固められた煉瓦造りの壁が、音を立てて崩れ落ちる。
壁に開いた大穴。
今までの破壊行為については、戦闘中だったから仕方がないと、まだ割り切ることができた。しかし、自分の意思で壊すために壊すのは、また罪悪感が半端ない。
突然の行動と轟音に後ずさるバフォメット族。
その隙に建物の中に転がり込んだ俺は、そのまま反対側の壁を破って外へ飛び出す。
ついでに壁の向こうに居たメアリス教国の兵士を蹴散らして憂さを晴らし、そのまま逃亡することに成功した。
レヴィオール王国、ネナトの町。
曇った夜の闇の中、魔獣とメアリス教国の兵士、そしてバフォメット族の奴隷たちとの鬼ごっこが続く。
バフォメット族の魔術の使い方は非常に巧みだ。
普通に攻撃用の魔術として放ったり、武器に付与したりするのはもちろんのこと。
自身の能力を強化したり、罠のように設置したり、あの手この手で俺を追い詰めようとする。
しかし、俺だって闇雲に逃げているわけじゃない。
今の俺が狙っているのは、バフォメット族とメアリス教国の兵を分断すること。そして、メアリス教国の監視の目から逃れること。
ほんの数分でいい。俺の頭の中には一発逆転の秘策があった。
確かに奴らは、俺がバフォメット族を害せないことには気が付いた。
そこから逆算すれば、おそらく俺とソフィアとの繋がりも推察できているだろう。
だが、こうしてバフォメット族を俺にぶつけてきた。
そこに俺は疑問を持つ。
俺がバフォメット族の味方だと分かっているはずなのに、いったいなぜ?
そのままバフォメット族が俺と一緒になって反旗を翻すとは考えなかったのか?
絶対に裏切られない自信がある? 隷属の魔術を使用している? 妻や子供を人質に取っている?
まあ、何かしらの方法で彼らの行動を制限しているのは間違いないだろう。
だが、それ以上にきっと――奴らが俺を知能の無いテイミングモンスターぐらいにしか思っていない。
それが一番の理由のはずだ。
だって、そうだろ?
もし俺がバフォメット族の誰かと対話できれば……俺が「ソフィアの味方だ」と教えるだけで、バフォメット族はあっさりこっち側に着いてくれるはずなのだから。
そして、それこそが俺達の付け入られる大きな隙となる。
俺とバフォメット族が急に綿密な連携を取り始めたら、奴らにとって青天の霹靂となるだろう。
もちろん、彼らがどんな方法で隷属させられているか分からない以上、実際に協力し合えるかはまだ不明である。
それも含めてまず最低一度は話し合うチャンスが必要だった。
唯一懸念があるとすれば、そもそも彼らが魔獣の言葉を信じてくれるかどうかという点について……でもそれは、信じてもらえなかったとき、初めて考えればいい。
何にせよ、流石にメアリス教国の監視下で堂々と反乱の相談はできない。
そのため俺はこうして逃げ回っているのだ。
石畳と煉瓦とモルタルの街並み。
薄暗い街灯が照らす逃走劇。
夜の静寂を忘れた無粋な兵たちが、いつまでもしつこく追って来る。
それでも町の中を跳ね回り、ひたすらタイミングを窺う俺。
その甲斐あって、ようやく絶好の好機が訪れた。
俺は路地裏に逃げ込んだふりをして、数人のバフォメット族を人目の無い狭い空間に誘い込む。
こうしてまんまと、バフォメット族だけを釣り出すことに成功したわけである。
さて、さっそく追手の一人を捕らえた俺。
今までひたすら逃げ続けるだけだった魔獣に、突然捕まってうろたえるバフォメット族の青年。
彼を人質に取るように口元を抑えて抱きかかえ、他のバフォメット族を牽制しながら俺は話しかける。
「待て、俺の話を聞け。俺はお前たちを救いに来たんだ」
耳元でそう囁かれて、「むグッ!?」と驚きの声を上げるバフォメット族の青年。
「俺はソフィア・エリファス・レヴィオールの……まあ、味方だ。理解してくれたら、その手を下げてくれないか?」
俺が問い掛けると、バフォメット族の男たちは手を下した。すでに攻撃可能な段階にあった魔力は、そのまま霧散した。
恐ろしい魔獣を相手に震える青年たち。しかし、取りあえずは逃げずに話を聞いてくれそうである。
どうやら、ファーストコンタクトには成功したらしい。
魔力の流れを見た限りでは、奴隷紋とか隷属の魔術みたいなので情報が筒抜けなんてことも無さそうだ。
いよいよ反撃の狼煙が上がる。
ある意味ここまでやられっぱなしだっただけに、俺はついほくそ笑んだ。
とはいえ、時間はあまりない。
この密談はメアリス教国の兵士に不審がられない程度の時間で収めなければならない。
俺は捕らえていた青年を解放し、即座に話に移った。
「では、単刀直入に聞く。メアリス教徒を追い払い、そしてお前たちを救いたい。協力してくれるか?」
男たちはぽかんとした表情をした。
「そのために、俺はどうすればいい? 何が障害だ? 力を貸すから、なんでも言ってくれ」
連続で問われた男たちは顔を見合わせる。
そして、互いに頷き合った。
「……俺たちだけじゃ、なんとも言えない。仲間と話し合う時間がほしい」
一人の男が代表して答えた。
……言われてみれば、そりゃそうだわな。
質問が漠然としすぎていたか。
適当に捕まえた一般奴隷が、急にこんなこと聞かれて、それでスラスラ答えが出てくるような状態なら、とっくに反乱でも起きているのが自然だ。
それに、男たちの様子を見るに、まだ俺のことを信用していない……いや単純に俺を恐れているのが分かった。
「そうか……」
あっという間に八方塞がりである。
事態が一気に好転することを期待していた俺は、思わず落胆してしまった。
いや、でも確実に一歩前進したはずだ。
むしろ俺にとっては、この情報を共有してもらって、巻き込まれないよう逃げてくれるだけで十分動きやすくなるのだ。
被害者である彼らに無理はさせられない。
俺は気を取り直して提案する。
「……とりあえず、俺が味方だということだけ広めてくれれば問題ない。俺はメアリス教国の偉い奴らを潰して回る。お前たちは、できるならで良いが、上手くタイミングを見計らって反乱を起こしてくれ」
それだけ伝えて、俺は立ち去ろうとした。
「ま、待ってくれ」
しかし、聞こえてきた引き止める声。俺は脚を止める。
「おい、いいのか……?」
「でも、こんなチャンス……」
男たちは何か揉めていたが、耳を澄ませても具体的なことは分からない。
「……どうした、何もないなら俺は行くぞ」
「いや、実は、あんたには後で、来てほしい場所があるんだ」
青年の一人が恐怖に体を震わせながら俺に頼んだ。
「俺たちは、協力者を集めてくる。適当に時間が経ったら、兵を撒いて、東の壊れた塔、その下にある袋小路まで来てくれ」
青年の指は東を指していた。
なんだ、ちゃんとそういう反乱軍の隠れ家的な? 場所があるんじゃないか。
まさかそんな場所に、こんな正体不明の魔獣をいきなり招いてくれるだなんて……予想以上の急展開だ!
一度落胆しただけに、俺は今度こそ事態が好転することを期待した。
「今の説明で場所は分かるか?」
「大丈夫だ、問題ない」
東にあったボロボロの塔。その下にある路地裏の行き止まり。うん、完璧だ。
「もともとは職人街の屑石捨て場だ。袋小路と言っても、割と広くて屋根があるのが目印になっている。分かりにくいが、それだけ人目にもつかない場所だ」
丁寧な追加説明、どうもありがとう。
その屋根の下に、反逆の戦士たちが集うって展開なわけだな!
冗談はさておき、代表者とゆっくり話ができるのは有り難い。
もし、その話し合いでバフォメット族の方々を解放できる算段がたてられたなら、この命を盾に取られたじり貧な戦況は大きく変わるだろう。
逆襲の予感に、不謹慎ながらも少し楽しくなってきた。
「了解した。では、そこでまた落ち合おう」
そう言って、今度こそ俺は路地裏を後にした。
一時は失敗したかと思ったが、終わってみれば計画は順調だった。
やっぱり人間、まずは対話が一番だな!
その後、俺は適当に兵を撒き、隠密行動に切り替える。
途中からバフォメット族の追手は極端に減ったからな。あいつらが上手くやってくれたらしい。
あとは目撃者を片っ端から戦闘不能にしていけば、姿をくらますのは簡単だった。
そして大体一時間経過したころを見計らって、俺は例の場所を訪れた。




