弱点(下)
神聖メアリス教国の研究機関には、亜人の家畜化や繁殖とは別の、とある一貫したテーマが存在する。
とはいえそのテーマ自体はなにも、大げさに騒ぐような隠された秘密なんかではない。
メアリス教徒が望むもの。それは、今も昔も変わらず「英雄の力の複製」だ。
もし女神様に忠誠を誓った全ての神兵が、かつての英雄たちの力を手に入れたならば……それこそが彼らの理想であった。
実現すれば、この世界の在り方を根本から変えてしまう禁断の技術。
バフォメット族の女の子が放った黒い炎も、その研究の一環で開発されたものである。
だが現在、メアリス教国が有する技術では、英雄ではあっても異世界出身ではない裏切りの騎士、ニブルバーグの黒い炎を再現するのが精々だ。
しかもそれだって、魔石化した脳の一部が露出するバフォメット族以外にはまともに施術できず、成功させたとしても完全な制御は不可能。
現段階では零距離での自爆特攻くらいにしか使い道のない発展途上の技術である。
ただ運用法が限られるとはいえ、黒い炎の模倣をたった八年で実用レベルに漕ぎ着けたのだ。そう考えれば相当な進歩と言えるだろう。
そして今まさに行なわれている黒い炎の運用試験。
その実戦における結果は、この地を任された軍部のトップを満足させるのに十分なものであった。
「ほうほう、これは想像していた以上に、良い勝負をしておるではないか」
先ほどまで自分たちが居た広場を双眼鏡で眺めている中年の大佐。
彼がレンズ越しに眺めているのは、悪魔の目に加工を施した家畜の餓鬼どもが繰り広げる戦いの様子だ。
その視界の向こうでは、自我を奪われ人形と化した子供たちが、文字通り命を燃やし、次々と倒れゆく。
その悲惨な光景を中年大佐は、まるで面白いサーカスでも観賞しているかのように楽しんでいた。
「それに、儂の考えはどんぴしゃりと正解だったようだな。愉快でたまらんわ」
大佐が得意気に言うが、周囲の騎士たちは意味が分からず困惑する。
「つまり……どういうことでしょうか、大佐殿?」
理解の及ばない騎士たち。中年大佐はたっぷりともったいぶったあとで、部下たちの反応を見ながら楽しげに説明した。
「あれが偶然迷い込んだだけの、野生の魔獣ではないということだよ。奴は逃げ出すどころか、餓鬼を庇う素振りまで見せた。こいつはもう、確定だろうな――あれは、飼い馴らされた魔獣だ」
そう言って、中年の大佐はにやりと口元を歪めた。
彼が魔獣の被害について報告を受けた時、覚えた違和感の正体がこれだ。
報告を聞いた限り、魔獣は捕食活動をするわけでもなく、兵士を積極的に害そうともしていない。
にもかかわらず、指揮官として振る舞っていた者は執拗なまでに殺されていた。
野生でも集団のリーダーや後衛を優先して狙う知能をもつ魔獣は存在するが……そんな魔獣が単体で人間の町を襲撃するとは考えにくい。
それこそドラゴンのような圧倒的な力を持つ存在だったり、よほどの理由が存在したりしない限り、まずありえないだろう。
それに以前、気になる情報を見た。
当代の黒騎士、クロード・フォン・ニブルバーグが軍部に上げた報告書だ。
その中には、伝説級の異界『冬に呪われた地』において、不死に近い再生力をも魔獣と交戦したという記載が残っていたのだ。
「お前たちもあの資料に目は通しているだろ? その中に英雄サマの末裔が戦った、不死身の魔獣についての情報があったはずだぞ」
「ま、まさか……あれが、そうだと仰るのですか!?」
騎士たちは中年大佐の言葉に恐れ慄いた。
ちなみに、その報告書では「黒い炎は有効だったものの、腕の骨を折られて剣も失ったため、やむなく撤退した」と締められている。
つまり、あの黒騎士が、魔獣相手に逃亡を余儀なくされたのだ。
騎士たちの恐怖した反応は当然だと言えた。
……なお、その地で魔女や少女に遭遇したことについて、一切の記述はなかった。
その意図的に隠された情報により、今まで報告書の価値は「新たに危険度の高い異界を発見した」程度で留まっていた。
さて、そういった事情もあって、報告があってしばらくあと結局ソフィア・エリファス・レヴィオールの捜索は一時中断されたわけだが……はたして偶然だろうか?
彼女が行方不明になった森の中に、偶然にも冬に呪われた地への入り口があった?
そしてそこに、たまたま黒騎士が引かざるを得ないほどの強力な魔獣が生息していて、たまたま黒騎士とその魔獣が戦うことになった?
全てを偶然だと断定するには、あまりにも出来過ぎた話ではないか。
――だがもし、その不死身の魔獣を使役していたのが彼女だったとしたら?
そう考えれば、なにもかもが一つの線で繋がった。
「特徴は概ね一致しておるし、強さからしても同じ魔獣と見て、まず間違いないだろうな」
中年大佐は断定した。
もちろん、報告にあった不死身の魔獣と、今双眼鏡の向こうで燃やされている魔獣。その二つが同一の存在だと確信できたのは、直接その姿を見てからだ。
しかし、魔獣の姿を見るより前から、中年大佐の中には確信に近い何かがあった。レヴィオールの姫が、魔獣を味方につける何かしらの方法を有していると彼の直感が告げていた。
そう考えれば、面白いほどに辻褄が合ったからである。
そしてバフォメット族の子供をあてがってみれば……案の定、結果は御覧の通りだ。
そこから導き出される結論は――。
「あれの飼い主は、レヴィオールの生き残りで間違いなさそうだな。それにしても……よくもまあ、あんな怪物を飼い馴らしたものだ」
中年大佐が導き出した結論は、限りなく正解に近かった。
このネナトの町に攻め込む直前、漆黒の魔獣はこう判断した。「町の中に野生の猛獣が一頭迷い込んだところで、その背後関係が疑われることはないだろう」と。
もしここが地球ならば、その考えで間違いは無かったのかもしれない。
だが――この世界では常識が違う。
例えば、“婚礼の魔女”に代表されるように、この世界には魔獣を使役する飼い馴らしの魔術が存在するのだ。
他には、命を共有する契約を結んだり、対価を差し出すことで魔獣を味方につけたり、より幻獣に近い存在が相手なら召喚契約という術もある。
飼い馴らしさえ会得していれば格の高い魔獣でも簡単に使役できる……なんて都合の良い話はない。しかし、だからと言って全く不可能な話でもないのだ。
それこそ“婚礼の魔女”が上級のドラゴンやグリフォンを使役している話は、有名すぎる事実である。
とどのつまり、魔獣とソフィアの繋がりがばれたのは、この世界についての理解が浅かった魔獣側の軽率な判断ミスが原因であった。
そして繋がりがばれたことにより、霊峰の反対側から奇襲を仕掛けようとする連合国軍――即ちソフィアたちも今、危険な状況にさらされていた。
……ところで、“婚礼の魔女”に代表される上位魔獣との契約方法は、いわゆる房中術が主な手段として有名だ。
そして今、ネナトの町で暴れているのも上位の魔獣である。
中年大佐は下卑た想像をしながら、ますます内心で家畜の姫君を蔑んだ。
「それにしても、不死身の魔獣か……色に狂った家畜の雌が飼うには、少々過ぎたペットだな。お前たちもそう思わんか?」
周囲の騎士たちに同意を求める中年の大佐。
しかし、騎士たちの頭の中は、あの黒騎士をも苦戦させた不死身の魔獣相手にどういった対処をすべきか、それでいっぱいいっぱいだった。
「た、大佐殿。それで我々は、一体どうすれば宜しいのでしょうか」
「まあ、そう慌てなさんな。お前たちはどうもせんでよい。最悪殺す手段はあるわけだし、こういう時にこそ奴隷は有効活用せんとなあ?」
騎士に問われた中年大佐は、物分かりの悪い部下に対してやれやれといった態度を見せて、再び双眼鏡を覗き込む。
「折角あれほど分かりやすい弱点を晒してくれておるのだ。ワシ等は有り難く、そこ突かせてもらおうじゃないか」
子供たち相手に手も足も出ない魔獣を眺めながら、中年の大佐はさっきよりもいっそう悪辣な笑みで口元を歪めた。
* * *
――ポロリと、頭だった部分が落ちて、石畳の上でバラバラの炭屑となった。
白く見える部分は灰だろうか、それとも頭蓋骨だろうか。
俺は腕の中でボロボロと崩れゆく炭の塊を抱きかかえながら、燃え盛る炎の中で怒りに震える。
身体の修復が、遅い。
炭化した毛皮が、黒い炎で焼け爛れた皮膚が、なかなか治らない。
そしてそれ以上に、胸の痛みが治まらない。
目頭が、熱い。
……なあ、いい加減、そろそろキレてもいいよな?
なんであんな奴らに、俺が紳士的に接してやる必要があるんだ?
これが神の、それを信じる者たちのやることか?
調子に乗ってるんじゃねえ。ぶち殺すぞ、塵共が。
子供たちの進撃は止まらない。
感情を失くした子供たちは、たとえ目の前で魔獣が哮えても恐怖することは無い。
たとえその瞳を灼かれても、腕をもがれても、命尽きるまで決して歩みを止めない。
命を棄てたように行進し、せめてもの別れの抱擁を交わし、黒い炎に焼かれて消えて逝く。
不気味に輝く額の宝石――悪魔の瞳。
俺はその光を憎んでしまった。
だが、今の俺にはどうすることもできない。
これ以上、此処に居ては不味い。
とにかく、この炎の魔力に満たされた広場から脱出しなければ。
俺はやっと、この場から逃げることを決意した。
逃げようとすれば当然、子供たちは追って来る。
俺を逃がさないよう、その身体で、炎の壁で、機械的に退路を塞ぐ。そして、何人かの子供たちは、味方の炎の巻き添えとなる。
炎の中に投げ出されても、悲鳴すら上げない子供たち。
俺はありったけの魔力を注ぎ、地面から氷の柱を連続的に生やしていく。
それで退路を確保するとともに、進路上に居る子供たちを――味方の炎に焼かれる子供たちを炎の中からはじき出した。
とりあえず、これで子供たちが焼け死ぬのは回避だ。
罪のない子供を傷付けたくはなかったが、放って置いても死んでしまうことが分かった以上、むしろ気絶させるほうがまだ希望が残るだろう。
そして炎が途切れた隙を見計らって、俺は氷の柱で飾られた通りを、猛スピードで駆け抜けた。
仕方ないのだ。今は助ける手段が無いのだから。
見捨てたわけじゃない。これはあくまで、一時的な撤退だ。
なのに、無機質な子供たちの視線が、逃げ出した俺の背中に焼き付いた……そんな気がした。
怒りと憎しみと、そして鬱憤を晴らすため、片翼の女神の紋章を背負った白の騎士たちを蹴散らしていく。
少なからず不幸な事故死をする者が増えていただろうが気にしない。
早く、あの中年軍人を、もう一度見つけ出して殺さなくては。
そうすれば、この悪夢も終わるんだ。みんな救われてハッピーエンドになるんだ。
俺はそう自分に言い聞かせながら戦場を駆ける。
しかし、どうも敵の様子がおかしい。
俺の見間違いでなければ、メアリス教国の兵士たちは徐々に撤退しているように見える。
なぜだ?
ここに来て俺を放置するメリットなんて――。
「「「鏃に焔を!!」」」
不意に遠くから聞こえた集団詠唱。
突如として降り注ぐ火矢の雨。
しかしそれらは吹雪の守りを前にして、俺に届く前に吹き飛ばされる。
なんだ、今度は弓兵部隊か?
俺は吹雪に舞う氷の刃で切り裂いてやろうと、そちらに目を向けた。
しかし、そこに居たのは弓兵部隊ではなかった。
彼らの装備は統一されていない。
粗末な槍を持った者、錆びた剣を持った者、鍛冶仕事用の槌を持った者、人それぞれだ。
いや。そもそも、その集団を部隊と呼べるかすら怪しかった。
なぜなら彼らは、メアリス教国兵の規格化された鎧を身に着けていなかったからだ。
その見た目は言うなれば、町の自警団といった感じである。
ここレヴィオール王国はバフォメット族の国。
その町の自警団の構成員となれば――当然バフォメット族の男性たちだ。
彼らだけではない。
後ろの路地からも、バフォメット族の集団がぞろぞろと出てきて、武器を構える。
そしてメアリス教国の兵士たちは、入れ替わるように後退していった。
ここに来てようやく俺は自分のやらかしを察する。
さっきの子供たちに対する態度。あれを見て奴らは、俺がバフォメット族を傷付けられないことに気が付いたのだ!
どこから湧いて出たのだろう。いつの間にか俺の周囲は、通路も屋根の上も、殺気立ったバフォメット族の気配に埋め尽くされている。
そしてそれをさらに取り囲むメアリス教国の兵士。奴らは漆黒の魔獣に怯える奴隷たちをけしかける。
戦況は最悪を極まった。
俺は守るべき、そして救うべきバフォメット族に囲まれて、身動きが取れなくなっていた。




