弱点(上)
「――願わくば御名を崇めさせたまえ」
「天に坐します片翼の女神様よ」
「出来損ないの天の使徒は」
「異界の果てより呼ばれし魂の名を……」
「浄罪の炎を……薪を焼べろ黎明の鐘が鳴り止むまで」
「我らが敵を焼き払いたまえ」
――その歌うような声音は、かつて聴いた聖歌隊のようであり。
しかし紡がれるその願いは、寛容さの欠片も無い総ての神敵の殲滅で――。
「片翼の女神様よ」
「儚き我等がために浄罪の炎を」
「御名を崇めさせたまえ……」
「人ならざる身を持ち生まれ出る罪の子らよ」
「天の使徒はせめてもの償いを」
「我らが敵を焼き払いたまえ」
それぞれの小さな口から詠唱される、独善的な祝福の呪文。
俺をぐるりと遠巻きに取り囲む、角の無い子供たちの群れ。
断続的に飛来する、業火の魔術。
心無き女神の使徒たちが歌う、浄罪の炎の物語。
それはまるで追複曲のように、何度も何度も、何度も繰り返される。
「浄罪の炎を」
「罪の子らよ」
「女神様」
「我らが敵を焼き払いたまえ」
「罪の子らよ、不確かな盟約は果たされる」
「浄罪の炎を」
「黎明の鐘が鳴り止むまで、そして総ての神意は一つとなった」
「彼らの罪をも赦したまえ」
「我らが敵を焼き払いたまえ――……」
バフォメット――地球ではかつて、牧神として崇められた存在。
そして今では、異教徒たちの手によって、悪魔に貶められた存在。
その名を冠する種族の子供たちが、自らを奴隷に貶めた女神の名を借りて放つ断罪の炎。
壊された人形のようなその姿を、天使と呼ぶには悲しすぎよう。
自我を、自由を奪われ、女神の先兵となった子供たち――それは、あまりにも皮肉過ぎる光景ではないか。
放たれ続ける火炎の魔術。
子供たちは容赦なく俺に殺意を叩きつけながら、一歩一歩、じわりじわりと近づいてくる。
気が付けば、すでにパイプを加えた中年軍人たちの姿は無い。
どうやら、俺が炎に気を取られている間に逃げられてしまったようだ。
俺は戸惑い、動けないでいた。
子供たちを傷付けるわけにもいかないので、吹雪の守りはとっくに解除している。
無抵抗状態だ。
そして、この判断が正しいのか、俺には分からない。
この場面において、どうするのが正解なのか。それこそ本当に神が存在するなら、是非とも道を指し示してもらいたいくらいだ。
いっそ、殺してやることが救いなのか。
しかし幸か不幸か、俺にはこの子供たちを救う手段に心当たりがあった。
再生の秘薬――俺の血に、一滴の調律薬を混ぜて作る奇跡の霊薬。
あれさえ飲ませれば、額の宝石に施された処置も回復するのではないか?
まだ、助けられる。
その可能性に考えが至ってしまった俺にはもう、この子たちを殺す選択肢はなかった。
しかし、それは希望であると同時に、俺にとっての枷となる。
下手に希望が残っているせいで、俺はその子供たちに成す術なく、紅蓮の炎にその身を灼かれ続けていた。
だが、それで構わない。
どうせ、俺は死なないのだ。
取りあえず今は、耐え続ければいい。
俺がひたすら耐え抜いて、魔力切れになれば、きっとこの子たちも退いてくれるはず。
生きてさえいてくれれば、あとで俺がどうにでも助けてやることができる!
――しかし、現実は俺の想像を遥かに上回って残酷だった。
パキッ。
炎が燃え盛る轟音の狭間で、俺の耳が聞き取った何かが割れる音。
それは、使い終わった魔石が割れる音に聞こえた。
限界を超えた急な魔力消失のため、物質の結晶構造が外界との魔力差に耐え切れず、ひびが入り砕け落ちる。
その小さな魔石は、一際小さなバフォメット族の子の、その額にあった。
「…………え?」
無言のまま倒れる、小さな人型。
闇色の空に還りゆく、救われぬ魂。
何が起きたか理解しようとしている間に、視界の片隅でまた一人、別の子が糸の切れた操り人形のように事切れた。
額の宝石が小さい子から、順に力尽きて倒れていく。
折り重なる遺体。
その石畳の上に倒れ伏す屍たちを踏み越えて、他の子たちは前へ進む。
信じられない気分だった。
奴らにとって、メアリス教国にとって、バフォメット族の子供は、その命は、多少高価であるにしても――そう、使い潰しても惜しくない程度の消耗品にすぎなかったのだ。
俺には理解できなかった。
感情的にはもちろん、子供を戦場に駆り出すこと自体がありえない。
だが、常識的に考えても、軍事コスト的に考えても、絶対おかしいに決まっている。
子供一人を産み育てるのにどれだけの時間がかかる? どれだけの費用がかかる?
それをまさか、初めから兵器として運用し、そのまま使い潰す心算だったなんて、誰だって夢にすら思わないだろう?
間違っても、俺の認識が甘かったなんてことはないはずだ。
なにより、何度考え直しても、子供を使い潰しの兵器扱いするなんて、どんな世界でも許されることではないはず。
しかし、俺の目の前にある現実は変わらない。
人の命が湯水のように消えていく。それが戦争。
世間では少年兵、少女兵なんてものも珍しくない。
知識としては知っている。
どれだけ目を逸らそうとも、それは地球でも変わらない事実だったのだから。
だが、俺が生きていたのは、表向き平和な時代の平和な国、平成の日本だった。
目の前で命を『消費』される子供たちの姿に耐性があるはずもなく、ここが戦場だということも忘れて……自身を焼く炎の熱さすらも忘れて、ただ呆然と立ち尽くす。
そのショックは、一人の子供が俺に駆け寄っていることにも気が付けないほどであった。
とてとてっと、おぼつかない足取りで、火炎魔術の集中砲火をすり抜けるようにやってきたその子――彼女は、まさかの女の子だった。
不意に正面から抱き着かれ、俺はハッと意識を取り戻す。
まずい。
このままでは、この子まで炎の巻き添えになってしまう。
俺は咄嗟の判断でその女の子を腕に抱え込み、襲い来る爆炎から庇った。
間一髪で、炎と女の子の間に割って入る俺。
なんとか間に合ったようだ。
火炎の猛攻から女の子を守ることに成功した俺は、火傷痕を再生させながらほっと一息つく。
女の子は俺に守られながら、じっと俺の目を見つめ……その小さな口を開いた。
「――憎悪に燃える昏き炎よ」
その瞬間、女の子の体から噴き出すように燃え上がる黒い炎。
それは、あの黒騎士が使った呪いの炎と同じものであった。
英雄の末裔にしか使えないはずの黒い炎。
不死であるはずの俺をも殺しうる、魔術を焼き滅ぼす黒い炎。
火力は本物に遠く及ばないものの、真正面から黒い炎を浴びせられた俺は、頭から胸、そして腕にかけて真っ黒に焦がされる。
そして、全身から黒い炎を放った女の子は……俺の腕の中で物言わぬ炭の塊となった。
間違っても、俺の認識が甘かったなんてことはないはずだ。
↑すでに甘い件




