星の導き
第六章、開幕です
ソフィアが冬の城から居なくなって、早くもひと月が経過した。
バラの花弁は、未だ散っていない。しぶとくも、残された何枚かは花托の先で紅に淡く輝いている。
……まあ、ソフィアが城を去った今、何枚の花弁が残っていようと、もはや関係ないのだが。
結局、愛の奇跡は起こらなかった。
物語はもう、終わったのである。
相変わらず冬に閉ざされた世界で、俺は無為な毎日を過ごしていた。
朝起きて、食事もとらず、見晴らしの良い監視塔に上って……日が沈むまで退屈な景色を眺める。
そして夜になったら寝床に戻って寝る……それだけの毎日だ。
誰とも関わりを持ちたくなくて、生意気にも俺を心配しているらしいウサギのペトラや、とにかく世話を焼こうとしてくる仮面ゴーレムたちを遠ざける。
ペトラは俺の態度がだいぶご不満だったようだが、白リンゴをたらふく食わせてやったら渋々と納得してくれた。
魔法の鏡で動画を見る気分にもなれなかった。
それ以前に、何かを楽しめるような気分にはなれなかった。
だからと言って、この気を紛らわすために他の何かをしようとも思えなかった。
今しばらくは、ただ一人で居たかった。
眠れない夜は萎れかけたバラを眺めながら、永遠を手に入れる日を待つ。
そこに感慨はない。
喜びも無い。
むしろ、こんな憂鬱な気持ちで永遠を生きなければならないのか、少し不安になったりもした。
それとも逆に……永遠を手に入れたら、俺は吹っ切れられるだろうか。
儚き人間の殻を脱ぎ捨てれば、俺は本当の意味で、永遠を生きる伝説の魔獣と成れるのだろうか。
――永遠にこの寂しさを忘れて、魂は自由になれるのだろうか。
ふと窓の外を見ると、今夜は窓の外には星空が広がっていた。
雲の無い空は久々だ。
澄んだ冷たい空気の中で輝く星々。
その輝きに導かれるように、気が付けば俺の脚は自然と監視塔へ向かっていた。
長い螺旋階段を登りきると、一気に視界が広がる。
ひんやりとした無音の空気が、俺の身体を包む。
そこは見回しても視界を遮る壁は無く、最低限の柱だけで構成された空間だ。
床から天井に至るまで、全てが世界を一望できる形に工夫されている。
冷たい床と天井に刻まれた意匠は、かつて繁栄したこの国の忘れ形見であろうか。
俺は勝手にこの塔を監視塔と呼んでいるが、本当はただの展望台だったのかもしれない。
監視塔とは、主に高所から安全に周囲や領地を確認するための塔である。
冬の城においても、この塔は最も空に近い場所だ。
しかしこの場所は、本来の目的を果たすには十分以上に広い。360度見渡せる円形の優雅な空間は、例えるなら天空のテラスか、夜空のダンスホールであった。
だが……この景色を共有したい相手はもう居ない。
一緒に踊りたい相手は、もう居ない。
以前と何も変わらないはずの世界が、俺にはどうしても色褪せて見えてしまう。
見上げれば、決して手の届かない星の海。キラキラと瞬くそれらの光は、もはや俺には無縁の存在。
冬の星座と言えば、有名なのはオリオン座だ。
星座に詳しくない俺でも、あの特徴的な三つ子星の並びは簡単に見つけられる。
最後にあれを見つけたのは、はたして何時のことだっただろうか。
なんとなく俺は懐かしい姿を求めて星空を見渡すも、すぐに見つかるはずがないことに気が付いた。
「そっか……異世界、だもんな……」
ここは俺のいた故郷ではない。きっと星の並びも、地球で見た星空とは違うだろう。
永遠に冬の世界。取り残された俺。
見下ろせば、闇に沈んだ大地が永遠と広がっている。
まるで、絶海の孤島に取り残された気分だ。
どうしようもない孤独感に包まれて、遠吠びたい衝動に駆られた。
「――星が、綺麗ですね。貴方も、そう思いませんか?」
背後から不意にかけられた言葉。
突然聞こえた女性の声に、俺は驚いて振り返る。
「……誰だ?」
問われた彼女は、ただ微笑った。
そこに立っていたのは放浪の魔女でも、ましてやソフィアでもなく、全く見覚えのない少女であった。
* * *
とても、不思議な雰囲気の少女だ。
淡い燐光を纏い、重力を感じさせない佇まいの少女。
腰の下まで広がっていく長い髪は、深い夜空のような紺色で、星明りに濡れて艶やかに輝き、先のほうへ行くに連れて明け方の空のような瑠璃色に染まっていく。
藍色の瞳の奥にはキラキラと、星屑が輝いていた。
そして、踊り子か、あるいは祭司のような衣装に身を包み、その姿は煌びやかで、ミステリアスで。
例えるなら、彼女自身が夜の――星空の化身であるような少女だった。
少女は俺に悪戯っぽく微笑みかける。まるで、俺たちが昔ながらの友人であるかのように。
あまりにも好意的過ぎるその笑顔は、逆に俺の警戒心を掻き立てた。
「冬の空って、本当に素敵ですよね? 大気がこれ以上なく澄んでて、星を見るのに最っ高です。それも、こんなに空に近い特等席で……悠久を越えて、二人きりの世界で、寄り添う影……キャハッ♪ も~う、ロマンチックが止まりません!」
堪え切れないといった様子で、はしゃいだ笑いを溢す少女。
夢見るような声で語られる、独りよがりな言葉。
少女の素足は軽い足取りで、俺のほうへと歩み寄る。魔獣の姿を恐れる素振りはまるで無い。
そして彼女は無遠慮に、俺の鬣を撫でようと手を伸ばした。
俺は触れられる寸前にその手を払い除け、少女に牙を剥きながら再び問い掛ける。
「質問に答えろ。お前は、誰だ。まずはそれからだろ?」
相手は突然現れた、あまりにも馴れ馴れしい不審者。
俺の冷たい対応は当然であろう。
手を払い除けられた少女は拒絶されたことに一瞬愕然とした表情を見せたものの、すぐに納得したように顔を綻ばせた。
「……ああ、そうでした! 自己紹介がまだでしたね! ステラちゃん、うっかりです! これは失敬しました♪」
彼女は俺の訝しむ視線も気にせず、その場でくるりと回ってヒラヒラした衣装を翻す。
そして舞台女優のように、優美なお辞儀をした。
「初めまして。我こそは魔女界の最可愛アイドル、ステラ・ラピスちゃんです! これから長ーいお付き合いになると思いますが、以後お見知りおきをっ♪」
俺に向けられる自信満々の笑み。
自己紹介する彼女の目は、明らかに俺の反応を期待して輝いていた。
実際のところ、ソフィアに出会う前の俺だったら、コロッと落ちていたかもしれない。
上目使いで俺を見つめる彼女の顔立ちは、厳しめに評価しても整っているし、蒼を基調とした踊り子のような衣装も扇情的だ。
しかし、今の俺が露出度の高過ぎる格好をした彼女を見て、真っ先に思ったのは……「寒そう」の一言だった。
むしろ見ているこっちが寒くなる。
ちゃんと服を着ろ。
「魔女、ねぇ……放浪の魔女の知り合いか? 悪いが、奴は今、この城に居ない。後日改めて訪ねてくれ。今夜のところは、お引き取り願おう」
なんとなく彼女から面倒な気配を感じた俺は、どう追い払おうかと画策する。
そんな俺の冷めた態度が不満だったのか、ステラと名乗った少女はあざとく頬を膨らませた。
「ぶー、なんですかそれ? 今日のステラちゃんは、ドロシーちゃんじゃなくて、貴方に逢いに来たのですよ?」
こんなに可愛い女の子が来たのだ。だからもっと喜べ。
彼女の表情は雄弁にそう語っていた。
考えてみれば、わざわざこんな時間に俺を待ち伏せしていたのだ。簡単に逃がしてくれるはずもないか。
続けて彼女は来訪の目的を告げる。
「そうっ! 親切なステラちゃんは迷える貴方に、ちょっとした“予言”をお届けに参りました!」
「……予言だと?」
最近よく耳にしたその言葉に、つい俺は反応してしまう。
もしかして、この少女が噂の――。
「ち・な・み・にぃ……ステラちゃんは、巷では『星詠みの魔女』なんて呼ばれ方もしていまーす♪」
そう言いながら、彼女は「キラッ☆」と擬音が聞こえそうなポーズをとった。
放浪の魔女曰く、「魔女界屈指の狂人」。
俺はどうやら、厄介な魔女に目を付けられたらしい。




