入浴と冬の玉座の物語
「ただいまー♪」
暖炉の部屋の扉を開けて入って来たのは、見るからにピコピコご機嫌なネコミミの斥候少女だった。
お風呂上りの赤髪はしっとりと濡れている。
そのせいか、元々の小生意気な仔猫のような印象と打って変わり、成長した大人の猫のような色気が感じられた。
「いやー、気持ちよかったね。あんなに凄いお風呂、生まれて初めて見たよ♪」
浮かれた調子でお風呂の感想を述べるネコミミ少女。その後ろから続いて、案内兼監視役の仮面ゴーレムが入ってくる。
仮面ゴーレムは俺に向けて無言の“問題なし”のサインを送って来た。特に怪しい動きはなかったらしい。
「まあ、王城の浴場ですからね。当然それなりに立派でしょう」
「違うんだよな~、ただ広いだけじゃないんだって。まっ、入ってみればわかるよ♪」
歯を見せて快活に笑うネコ娘……こいつら、冬の城を温泉宿か何かと勘違いしていないか?
俺の側からすれば、今さらこいつらにちょっかいを出す理由が無いのは事実だ。奴らからしても、俺がソフィアを『保護』していた以上、無駄に敵対する道理は無いのかもしれない。
でも一応ここは、お前らを襲った魔獣の住家なんだぞ?
俺だったら、人食いライオンが目の前で日本語を話し始めたところで、そのまま友達になる勇気はない。
お前らも、もう少し警戒とかさ、するべきじゃないの?
これじゃあ仮面ゴーレムに命じて、真面目に監視させている俺が馬鹿みたいじゃないか。
俺は彼らの呑気なやり取りに、呆れてものも言えなかった。
さて、斥候の少女が浴場から戻ってきたのなら、次は野郎ども三人を風呂に入れる番である。
長旅をしてきた冒険者たちの格好は汗や泥で汚れていた。
そんな状態でこれ以上、城の中を歩き回ってほしくない……それが正直な気持ちだ。
「よし、次はお前らだ。汚いから、さっさと風呂に入れ」
その間に洗濯も仮面ゴーレムに命じておこう。
俺はこの場にいた二人に、風呂に入れと焚き付けた。
「何を言っているのですか? 魔獣さんもですよ?」
「……え、俺も?」
振り返ると、そこには厳しい顔つきでじっと俺を見つめるソフィアが居た。
「いや、俺はさっき、泥を流して来たたばかりだぞ?」
魔術師の策略により全身泥まみれになった俺は、城に入る前にそうする必要があった。
だが、ソフィアから見ればまだ不十分だったようである。
「まだです! だって、体じゅうの毛が泥と絡まって、大変なことになっているじゃないですか! ほら、こんなに!」
ソフィアに指された所を見てみれば、毛の奥のほうに泥が固まっていた。
うわ、本当だ。ちゃんと洗ったつもりだったのに……。
「さっきからポロポロと泥が床に落ちてます。ゴーレムさんにも手伝ってもらって、ちゃんと、綺麗に、してください! いいですか?」
「りょ、了解しました!」
なんとも表現し難いソフィアの迫力に、俺は素直に返事をすることしかできなかった。
俺の返答を聞いて、彼女は満足そうに微笑む。
「では、わたしは夕食の支度を手伝ってきます。皆さんはそれまで、ゆっくり体を温めて下さい」
そう言い残して、ソフィアは部屋から出て行った。
ソフィアを怒らせたことよりも、落とした泥で迷惑をかけてしまったことに気落ちする俺。
実際のところ、ソフィアには逆らえないよな。
掃除含めて、家事全般は彼女にやってもらっているわけだし。
冬の城の主たる不死身の魔獣も、彼女の前では形無しである。
……もしかして俺って、ソフィアの尻に敷かれている状態なのでは? いや、彼女には世話になっているから、別にいいんだけどさ。
「ソフィア姉ちゃん、すげえ……」
不死の魔獣すらも逆らえない女傑が去った部屋の中、弓使いの少年がぽつりと言った。
* * *
冬の城の一角、大理石造りの広々とした浴場。
仮面の魔女作の自律型守護像たちによって徹底した維持管理のなされているその場所は、相変わらずの豪華さだ。
勝手にこの場所を改造した放浪の魔女には決して教えないが、密かにここは俺のお気に入りスポットとなっている。
いつもはここで一人、冷え切った体を温めるのだが……今日はいつもと事情が違っていた。
……いや、本当になんだこれは。訳が分からない。
泡塗れで佇む俺は、今の状況に困惑していた。
まず、俺が泡塗れにされているのは問題ない。
実際ソフィアの言う通り、毛と泥が絡まって大変なことになっていた。
このまま浴槽に入ったり、城の中を歩き回ったりすれば、そこらじゅうに泥を撒き散らす羽目になっていただろう。
だからこれは仕方がない。
俺の全身を洗う数体の仮面ゴーレムたち。
これもまだ分かる。俺一人で全身の毛を手入れするのは時間がかかるからな。
手伝ってもらって感謝するばかりだ。
妙に仕事が丁寧というか、奉仕に熱が入っている気がするが……これも当然の成り行きだろう。
問題は次だ。シャンプーで抜けた俺の毛を、一本一本大事そうに拾って束ね続ける魔術師の青年。
お前は何なんだ! 高レベルの変態か!?
やべえよ、やべえよ……。
想像してみてほしい。銭湯に行ったら自分の抜け毛がせっせと回収されている様を。
もはや恐怖しか感じないだろう。
湯気で曇った彼のメガネが、更なる変質者っぽさを際立たせていた。
「オイ、ジーノ。お前、ドン引かれているぞ?」
湯に浸かっていた戦士が注意した。
見た目はこの筋骨隆々の脳筋戦士が最もアウトローなのに、もしかしたら一番の常識人かもしれない。
そうだ、いいぞ。もっと言ってやってくれ。
「ああ、すみません。貴重な素材が手に入る機会でしたので――そうだ。アレックス君も、手伝っていただけませんか?」
「え? あ、うん。分かった」
体を洗っていた弓使いの少年は体に付いていた石鹸を流すと、俺の周囲の変事に加わった。
なぜだ、なぜ増える!?
せっせと俺の抜け毛を集める魔術師と弓使いの少年。
俺はこの光景にどう対応すればいいのか分からなかった。
「……なあ、お前たち。そんなものを集めて、どうするつもりだ?」
本当は無視できればよかったのだろうが、我慢できるわけがない。
とりあえず俺は、冷静な表情を取り繕って尋ねてみる。
俺の質問に魔術師の青年が答えた。
「さあ? それを調査することも含めて、私の仕事ですから」
「……仕事だと? いや、そもそもお前らは、結局どういった繋がりなんだ?」
「そうですね、私達四人はギルド……冒険者の集う組合に登録している仲間です。あっ、冒険者って言って通じます? 比較的最近に組織されたはずなんで」
「まあな。言葉からなんとなく想像はつく」
それを聞いてむしろ、やっぱり冒険者か……というのが正直な感想だ。
ネット小説で大活躍の冒険者という単語。
何かとチープな印象が付きまとうが、翻訳魔法がそう訳したのだ。ということは、大体俺のイメージ通りの存在なのだろう。
「別にこんな大冒険を毎回しているわけじゃないぜ? 要はアレだ。基本は魔獣相手の傭兵団みたいなもんよ」
戦士が風呂の中から、ざっくりとした要約を補足してくれた。
「素材の採集や調査、盗賊相手の仕事なんかもあるので、一概にそうは言い切れないんですけどねえ」
「なるほど。つまり、お前らがやっているのは、素材の収集ってとこか」
俺は魔術師の手の中にある抜け毛の束に視線を向けながら言う。
「一応、そうだとも言えます。ですが厳密な話をすると、未知なる素材の調査は私が所属している魔法大学の仕事……まあ、本当のことをぶっちゃければ、冒険者ギルドは関係ない個人的な趣味です」
……お前の個人的な趣味なのかい! 冒険者の説明が丸々無駄になったじゃねえか。
まあ、研究職の人間って、少なからずそういうところがあるからな。
まさか自分の抜け毛にそんな価値があるとは思えないが……魔獣の体毛と考えれば、十分何かしらの素材たりえるのか?
「ジーノはすごいんだよ? なんでも知っているし、色んな研究で有名なんだって」
まるで自分のことのように自慢する弓使いの少年。純粋な言葉に褒め殺しされそうな魔術師のジーノは謙遜しながら訂正する。
「全てが中途半端な器用貧乏とも揶揄されてますが……非才の身なれど、ぼちぼちやらせてもらっていますよ」
「ほう、なんでも知っていると……」
「文字通りに“なんでも”というわけには参りませんが。しかし、知識の広さはそのまま武器になりますから。そうありたいとは願っています」
魔術師のジーノは皮肉気な笑みを浮かべたが、俺にはそれが自信の表れに見えた。
「そうか。ならば折角だから一つ、聞いてみたいことがあるんだ」
「貴方が、ですか?」
魔術師のジーノはなぜか怪訝な顔を俺に向ける。
「大したことじゃないぞ。それこそ、お前たちにとっては当たり前の事かもしれん」
「ふむ……まあ、どうぞ。私が答えられるとは限りませんがが、聞くだけ聞いてみましょう」
了承を得た俺は早速、以前からの疑問を尋ねてみた。
「俺が聞きたいのは、他でもない――この冬に呪われた地についてだ」
「……おや? それは、この地を縄張りとする貴方のほうがお詳しいはずでは?」
意外そうな顔を、魔術師のジーノは俺に向けた。
まあ、俺が悠久を生きる魔獣だと勘違いしているそっちからすれば、そう思うのが自然だよな。
だがそれは誤解なのだ。訂正するつもりはないが。
「いや。俺がここに住みついたのは、比較的最近だからな。この地の由来だとか、呪われた理由については全く知らん」
「あ、オレも興味ある!」
傍らに居た弓使いの少年も元気よく賛同してくれた。
俺が冬に呪われた地について尋ねたことに深い意味は無い。ただの興味本位である。
実は前にも一度だけ、今なお放浪しているあの魔女に尋ねたことはあった。だが、その時の結果は「儂も知らん」の一言だった。
それ以来、なんとなく「そういうものだ」と思って過ごしていたが、せっかく外の世界から博識な人間が訪れたのだ。
ついでとばかりに聞いてみようと思った次第である。
普段は調べものに大活躍な魔法の鏡も、ネットや本に乗っていない情報を調べるのには向いていないからな。
鏡とはあくまで現在を映し出すもの。
魔法の鏡に過去や未来を映す機能はないのだ。
しかし、魔術師ジーノの回答も、俺たちが期待したものではなかった。
「……ご期待に添えず残念ですが、私にも分かりません」
「お、珍しいな。お前さんがそんなことを言うなんて」
風呂の中から戦士が茶化す。
「はい、強いて言えば、不自然なまでに情報が無い。私に分かったのは、そのぐらいでしょうか」
「えっと……どういうこと?」
もったいぶった婉曲な表現。理解できなかったらしい弓使いの少年が尋ねた。
「いえ、ここを訪れる前に簡単に調べたのですけれどね。この冬に呪われた地について語られている文献は、多くの場合吟遊詩人の歌が由来となっています。
では、その元ネタは? そう思って探してみると――大抵行き着く先は、此処に迷い込んだ者の物語であって、この地が冬に呪われた理由までは絶対に辿り着けないのです。
普通この手の伝説には、後付けで何かしらの由来が語られるのが常ですが、この地に限ってはそれすらもありません。
不自然なまでの空白――それこそが冬に呪われた地の正体なのです」
魔術師の青年ジーノはそう締め括った。
地理的、歴史的に完全な空白の世界、か……なんとも厨二心をくすぐる設定だ。
俺がそんな思いに耽っていると、魔術師のジーノが問いかけてくる。
「ところで、これは直接関係があるわけではないのですが……えーっと、魔獣さん? と呼ばせて頂きます。貴方は、この世に季節がいくつあるかご存知でしょうか?」
問われて即座に思いついたのは、春、夏、秋、冬の四季だった。
あれ? 梅雨とか雨季・乾季は、季節に含むのか?
そもそも、ここは四季とかある世界観なのか?
「……外の世界を知らない俺には、なんとも答えられないな」
そもそも異世界の季節なんて知っているはずがないし、仕方がないので素直に答えた。
「でしょうね。貴方は冬しか知らなさそうですし。正解は“三つ”です――春、夏、秋が精霊たちの管理する正式な季節となります」
俺はその正解に違和感を覚える。
横に居た弓使いの少年も同じように思ったようだ。俺の内心を代弁してくれた。
「あれ? 春・夏・秋・冬の四つじゃないの?」
「いいえ。実は厳密に言うと、季節と呼べる時期は三つだけなのですよ。これはとある伝説が由来となっています。まあ、伝説と言ったところで、今となってはマイナーな童話でしかないのですが……」
魔術師のジーノは咳払いをすると、一つの詩を淡々と述べ上げた。
「まずは、芽吹きの季節を司る、心優しき『春の女王』。
次に訪れるのが、命の輝く季節を司る、情熱的な『夏の王』。
最後が、恵みと稔りの季節を司る、心豊かな『秋の女王』……」
「……ああ、どこかで聞いたことがあると思った。『季節の王様達』か」
戦士はこの童話に心当たりがあったようで、その題名を口にした。
「ちょっと待て。そう続くなら、その次は『冬の王』じゃないのか?」
俺は不自然に削られた四番目の季節について指摘する。
「いいえ、秋が終われば、一旦すべての季節が終わります。そして季節のない空白の時期を経過して、再び春が訪れるのです。
そう。厳密には、『冬』は季節ではありません。昔の人は季節のない時期を便宜的に『冬』と呼称していたわけですね」
へえ、そうなんだ。と、俺の横で弓使いの少年は感心していた。
「ちなみに、そのお伽噺によると、現在は冥府の女王が冬の管理も兼任なさっているそうです。だから冬は冥界の季節とも呼ばれおり、詩人の間では死の隠喩としても扱われている……と締め括られています」
なるほど。異世界の文化史として聴けば、なかなか興味深い話だ。
「で、急にそんな話をして、結局何が言いたいんだ、ジーノ?」
風呂の中から戦士が魔術師に続きを促す。
「いえ、私はですね、此処に来てちょっと思ったのですよ。
未だ埋まっていないとされている『冬の玉座』。
空白であるがゆえの『冬に呪われた地』。
まさにその主が住まうべき『冬の城』。
そして、冬の城に住みついた、明らかに他の魔獣とは一線を画す『不死身の怪物』――それら全ては、繋がっているのではないのかって」
その持論を展開した魔術師ジーノは、満足げな笑みを浮かべた。
いや、それは考え過ぎだろ。
俺はツッコミを入れようと思ったが、言葉を詰まらせてしまう。
脳裏をよぎったのは、魔獣化の呪いで科せられた三つの代償だ。
一つ目の代償。俺は死ぬことができない。
二つ目の代償。俺は冬に呪われた地から出られない。
三つ目の代償。俺は地球に帰れない。
一つ目はこの呪いの根幹だとして、その他の代償は一体、どういう基準で決まったのだろう?
別に地球のシベリア送りでも、なんなら絶海の孤島でも、ジャングルの奥地でも、この呪いは成立していたはずだ。
そう、まるで――俺をこの冬の城に導くための代償ではないか?
そう考えると、色々と納得できる部分もある。
俺自身にも凍属性の適性があること。そして、進化を繰り返した今となっては、疑似的に冬を呼ぶこともできること。
……少し背筋が冷たくなった。
状況証拠からして、魔術師の妄想が、あながち間違いだとも思えなかったからである。
もしかしたら本当に、今までの何もかもが仕組まれていたのではないだろうか。
俺を『冬の王』へと仕立て上げるために――。
「つまり、この魔獣が、冬の王様ってこと?」
「だとしたら、面白い冗談だな」
弓使いの少年と戦士が言う。
しかし、発言者である当の魔術師がそれを否定した。
「いいえ。おそらく彼はまだ、この異界の正式な主ですらありません。だって、そうでしょう? 貴方はどう見ても、雪原を縄張りにする魔獣には見えませんから」
……確かに、俺の漆黒の毛皮は、雪原において目立つ事この上ない。
だが、今となってはそのちぐはぐな事実こそが、俺を導いた恣意的な何者かの存在をますます証明しているように思える。
「まあ、もしかしたら、いつか本当に彼がこの地の主となって、冬の王と呼ばれる日が訪れるのかもしれませんが……全部私の個人的な妄想ですけれどね」
魔術師は似合わないお茶目な態度でオチを付け、さっきまでの空気は霧散した。
……おい! ここまで壮大に煽っておいて、結局そんな結論かよ!
「えっ? 今までの全部うそだったの!?」
俺の代わりに弓使いの少年が声を上げた。
でも、あんなオチでは仕方がない。なにせ幻想的な世界から、一気に現実へと引き戻されたのだから。
「いえ、嘘ってわけではありませんが……まあ、そうなる可能性は限りなくゼロに近いでしょうね。少なくとも、私たちが生きている間では」
「そもそも、ただのお伽噺だろ? 本気にしちゃ駄目っつうこった」
「そういうことです」
さっきまでの思わせぶりな喋りはどこへやら、打って変わっての全否定だった。
……でも、そうだよな。
常識的に考えて、今までの全てが冬の玉座のために仕込まれていただなんて、有り得るはずがない。
現状で一番怪しいのはあの魔女だが、彼女の思惑通りになれば――真実の愛を得た俺は、元の世界に帰るはずなのだから。
俺を『冬の王』にしたいのだとすれば、彼女の行動は正反対だ。
ひと言で言えば勘ぐり過ぎ。自意識過剰だったのだろう。
だいたい俺なんかが、そんな特別な運命を背負っているわけないもんね。
なんとも尻切れトンボというか、盛り上がりに欠ける竜頭蛇尾な結末に、張っていた俺の気力は抜けていった。
今話で必要な情報は出そろった感じ。後は風呂敷をたたむだけです。




