抗え得ぬ絶望(上)
ああ、素晴らしい。
復活した俺は、なんとも絶好調であった。
筋肉が張る。体が軽い。視野が広い。頭の中も、霧が晴れたようだ。
まさに、生まれ変わったような気分である。
これならきっと、もう二度と、誰にも負けないだろう。
目覚めた俺が最初にやったのは、彼ら四人の逃走を封じることだった。
魔力を込めた手で大地を叩く。
四方へ迸る、凍てつく魔力の波動。
それらはある程度離れたところで雪の結晶のように華開き、頑丈な氷の障壁を築き上げた。
見た目は美しいが、此処は牢獄だ。
先ほど作った氷のドームと組み合わさって、ウサギの一羽だって逃げる隙間がない。
これは、絶対に逃がさないという意思の表れでもある。
あるいはこの場所を、処刑場と言い換えてよいかもしれないな。
……いや、処刑場はいささか残酷すぎる。
ここでは『決戦のバトルフィールド』とでも表現しておこう。
この氷による障壁の展開は、復活直後早々に斬りかかってきた戦士に対する牽制でもあった。
案の定、地を奔る魔力が危険な攻撃魔術に見えたのだろう。戦士は仲間たちを庇うため、攻撃を中断して後ろに下がっている。
ついでではあったが、ここまで効果があるのは幸いだった。
そこで呆けていた残りの冒険者たち……主に弓使いと斥候の少女が我に返ったようだ。
だが、残念だったな。もう遅い。
お前たちは完全に、袋の鼠だ。
「……しつこいですねぇ。いい加減見逃してくれてもいいでしょうに」
魔術師が氷の障壁を見て、皮肉気に言った。
弓使いと斥候は慌てて戦闘準備に入る。二人はそれぞれの獲物を構えようとしたが、焦りもあってか若干もたついていた。
そう慌てるなって。準備ができるまでは待ってやるよ。
今となっては不意を衝いてまでお前たちを殺すことに、意味などないのだから。
それに比べて、戦士と魔術師は既に油断なく武器を構えている。そして未熟な二人をしっかりとフォローしているように見えた。
ふむ。なるほど、なるほど。
なんとなくパーティ内の立ち位置が見えてきたぞ。
どうやら戦士と魔術師がベテランで、彼らにとって弓使いと斥候の年少組は庇護対象でもあるようだ。
ただ弓使いと斥候も、このパーティに付いて来られるだけ、若手の天才といった感じか。
待っている間、俺はこいつらに正面から勝つ方法を考える。
最初に思いついたのは、この雪原というフィールドの利用だ。
ここは冬に呪われた地。雪や氷といった資源ならほぼ無限に存在する。これを利用しない手はないだろう。
そういえば、地球に居た頃やっていたゲームでも、雪や氷を利用してくる敵キャラが居たような……。
「どうした? ぼーっと突っ立ちやがって、考え事でもしてんのか!」
考えていると、戦士が挑発してきた。
だが、正解である。そうだ。俺は今、考えていた。
何を? そう、強くなる方法だ。
そして思いついた。
――吹雪を纏ってみるのはどうだろう?
参考にしたのは好きだったゲームの、雪山ステージに登場するドラゴンだ。ドラゴンという存在は、大抵天候を味方につけるものである。
部分的にドラゴンっぽい俺にも、同じことができないだろうか?
吹雪の結界を纏う魔獣……なかなか格好良いじゃないか。
それに、これなら弓矢や投擲瓶も防げるだろうし、今この瞬間に最も必要な能力でもある。
幸い俺には凍属性と風属性に適性があるらしい。
そして一度発動させれば、あとは周囲の魔力で補える。
此処は冬に呪われた地――天然の凍属性魔力はほぼ無尽蔵にあるのだから。多分、不可能ではないだろう。
早速、試してみるか。
意識を集中させる。自分の中の魔力に方向性を与える。
俺の意志に従い、空気が動き始める。自分を中心に、自身を守るように。
風が起こる。雪が舞う。初めは緩やかに。段々と激しく。
「グルルルゥ……」
吹雪が俺を守護するように渦巻く。
さあ、上手くいった。
さて、あとはこれを維持するだけ……それは一度できてしまえば、まるで呼吸をするように当たり前にできた。幸運にも、魔獣の体がそういうものとして適応したらしい。
再生と進化を繰り返した結果だろうか。いつの間にか俺は、ある程度自分の意志で体を作り替えられるようになっていた。
なんにせよ、吹雪を纏う魔獣、これで完成だ。
さあ、どう攻略する? 冒険者共。
迂闊に近づけば、風圧になぎ倒されるぞ?
* * *
悪夢だ。
目の前の魔獣を見てオレはそう思った。
薄々感付いていた。この魔獣は、再生するたびに強くなっている。
腕を斬り落とされれば鉤爪がより鋭く、毛皮を焦がされれば鱗がより厚く。
でも、ここまで顕著に姿や能力が変わっていくとは、誰が想像できただろう?
「風の守り……いえ、吹雪の守りと呼ぶべきですかねぇ。どうやらキミの矢やリップさんの目潰しが、そうとう嫌だったようです」
ジーノがそう分析した。
一見メガネの位置を直しながら余裕そうに考察しているが、冷や汗をかいているし、指は震えている。
他の皆もそうだ。
グランツは闘気をたぎらせているが、その裏にある焦燥が見て取れる。リップなんか目に見えて戦意喪失していた。
だが、すでに退路は断たれている。
奴が展開した分厚い氷の壁は、オレ達を逃がさないための檻だ。この魔獣と戦いながら壊すのは、ほとんど不可能だろう。
オレ達がこの雪と氷の闘技場から脱出するためには、奴を倒すしかないらしい。
「オラァ!!」
グランツが大剣を振りかぶり、魔獣に斬りかかる。
しかし風圧のせいで威力が弱まったのか、その剣先は魔獣に鷲掴みにされた。
そして、グランツの巨体が宙に浮く。
「なにッ!?」
魔獣はまるで木の枝を放り投げて遊ぶ子供みたいに、グランツごと大剣を放り投げた。
雪の上に落とされ転がるグランツ。
魔獣はさらなる追撃を仕掛ける。
「グルルルァアアアアアアア!!」
そんな唸り声とも鳴き声ともつかない叫び声の後に展開されたのは、魔獣の周囲に浮く十数本の氷柱。
魔獣が砲撃を指揮する指揮官のように腕を振り下すと、氷柱はグランツをめがけて跳んで行く。
「クッ……! 偉大なる大地よッ!!」
ジーノが間に割って入り、地属性魔術を展開する。
だいぶ簡略化された詠唱で生じる土の壁。
壁は氷柱を防ぐことに成功したが、何本もの氷柱に貫かれた壁はそのまま崩壊した。
しかし、それを予想していたのか、壊される壁の向こうで銃を構えていたジーノ。射線が通ると同時に、魔獣に向けて散弾を放つ。
対して、魔獣は動かない。
ジーノの早撃ちに、反応できていない!
雪原に炸裂音が響いた。
「やったか!?」
つい、オレは叫ぶ。
だが微動だにしていない魔獣の立ち姿は、オレの期待を裏切った。
何が起きた? いや、何も起きなかったのだ。
そこに在ったのは氷だ。
氷が魔獣の体表で弾丸を防いでいた。
魔獣は散弾を躱せなかったのではない。躱す必要がなかったのである。
ばら撒かれる弾の一つ一つが、大木をもなぎ倒せるジーノの射撃。
それをあんな小さな氷の欠片であっさりと防ぐなんて。
今回の再生で、あんな能力まで身につけたというのか。
「……ふざけるなよ」
再生するたびに強くなる――さっきは奴に通じた攻撃が、もう通じなくなる。こんな理不尽があるか?
魔力の細かい調整ができない銃じゃだめだ。
オレの矢じゃないと、あの氷の守りは貫けない。
つまり、この状況を打破できるのは――オレしかいない!!
オレは矢をつがえた。
「アルくん!」
突然、横から跳び出したリップがオレを押し倒す。
「なっ……!?」
ヒュッと、オレ達の横を冷たい風が通り過ぎる。
オレの頭があった所を、一本の氷柱が通過して、そのまま地面に突き刺さった。
この氷柱は、あいつが撃ったのか?
早過ぎる!? 魔術を使う予備動作が全くなかった!
地面に刺さった氷柱は細く、脆い普通の氷だったのに違和感があったが、これでも当たれば当然怪我をしたはずだ。
オレはリップを庇いながら魔獣に向き直った。
追撃は……来ない。
それどころか、ジーノにもグランツにも、何もしていない。
魔獣はただ、オレ達の出方を窺っていた。
……警戒しているのか?
そう思っていると、魔獣は頬の肉を吊り上げ、牙を剥く。
オレの勘違いじゃなければ……その表情はきっと、嗤っていた。
「オイオイ、もしかしてアイツ……オレ達のことを舐めてんのか」
グランツが不機嫌そうに威嚇した。
「間違いなく、私達を馬鹿にしていますね。まあ実際、こちらのほうが格下なわけですが……」
ジーノはメガネの位置を直しながら無感情に言った。
魔獣と睨み合っていると、少し離れたところで何かが動く気配。
こんな時に、新手か!?
音のするほうを振り向くと、そこに居たのは……さっきグランツが斬り飛ばした、魔獣の尻尾だった。
――しまった!?
オレは慌てて魔獣に注意を戻す。敵を目前に注意を逸らすなんて、愚の骨頂だ。
どうやらあの魔獣の尻尾は、斬られた後もトガケのように動くらしい。あるいは、あの魔獣の意思で動いているのだろうか。
いずれにせよ、おそらくオレたち全員の意識があの魔獣から逸れた瞬間だ。
オレは最悪の状況を覚悟した……けれど、魔獣は一歩もその場所から動いていなかった。
切断された尻尾による陽動。
不意打ちには絶好のタイミングだったはずなのに、魔獣はその隠し札をドブに捨てた。
もはやオレ達相手には、姑息な不意打ちなんて必要ないと考えているのだろうか。
それどころか、魔獣はのっしのっしと歩み寄り、自分の尻尾を手に取った。
「……何をするつもりだ?」
オレの疑問の答えは、魔獣自らが示してくれた。
魔獣の手の中で、尻尾が再生する。
いや、この表現はおかしいか。魔獣の尻尾はすでに生え揃っているのだから。
まるで魔獣が復活するときのように、尾の形が変化していく。
骨が伸び、エッジが鋭くなり、固く、握りやすく、振りやすく、斬りやすく……。
最終的にそれは、一本の剣の形となる。
そう、それはまるで――グランツの持つ大剣だった。
「なんだそりゃ、俺の真似か? ふざけやがって」
言葉が通じるとは思えないが、グランツが問いかける。
二本の後ろ脚で立ち上がった魔獣は、大柄のグランツよりもさらに二回りは大きい。
そんな怪物が身の丈ほどの大剣を持っている――その威圧感は、圧倒的だった。
魔獣はグランツに対して、自分の尾から作り出された剣を構える。
いや、それは構えと言えるのだろうか? 巨大な剣を片手で持ち、粗暴に肩に担ぎ、その太刀筋は想像もつかない。
そして魔獣は、オレ達を……主にグランツとジーノを見据えた。
まるで、掛かって来いと、挑発しているかの如く。
「ハッ! 剣技で殺り合おうってか? 上等だ! 面白え!!」
グランツが叫び、地を蹴った。
再びオレ達と魔獣の、命を賭けた決戦が始まった。
その魔獣の姿は、決闘を愉しむ武人ではなく、まるで、新しい玩具の剣を振り回す無邪気な子供のように見えた。
そして、子供が虫を殺して遊ぶような、無邪気な残酷さが垣間見えたような気がした。
そろそろ主人公最強(予定)タグが、主人公最強タグに変わるかもしれません。




