進化の渇望
「やったか?」
魔獣の尾と頭部を斬き落としたグランツが言った。
しかし、ジーノがその言葉を否定する。
「いいえ、まだです!」
ジーノは使えるだけ、ありったけの魔力を込めながら詠唱を開始。
「原初の炎よ、浄化の炎よ……」
魔獣の死体を前にして突然の奇行。オレはジーノが何をやっているのか分からなくて戸惑う。
「な、なにを……?」
「この魔獣が再生する際、呪いの力を感じました! 激しい怒りと怨嗟、そして憎悪の感情! つまり、この魔獣の正体は――!」
――そうか、死霊系か!
見た目からは全く死霊に思えないが、それならこの異様な再生能力も説明がつく!
ジーノは浄化の炎と称される魔術で、魂ごと焼き払うつもりらしい。
「分かった! オレも……オレも行く!」
本日二つ目の切り札を斬る。
また一つ、指輪に付けられた高純度の魔石が砕け散った。
「えっと……聖なる光、浄化の光! 遍く暗き夜の道を照らし、惑いし者、穢れし者に導きと救済を齎せ!」
「――塵は塵に、灰は灰に、全てを焼き尽くせ……完成です。さあ、存在の証すら残さずに、消え去るがいい!!」
ジーノと同時に詠唱が終わり、激しい光と炎が魔獣の死体を包む。
特に、ジーノが繰り出した浄化の炎は、念入りに死体を焼いていった。
炎と光が収まった時、地面の上に残されていたのは白い灰と、ボロボロになった骨の欠片だけだった。
流石に、ここまですれば、二度と再生なんてできないだろう。
文字通り、魔獣の存在は跡形もなく消え去った。
無音の空気。先ほどまでとは打って変わっての静寂。
「……ふぅ」
静寂の中、ため息が漏れた。
「……死ぬかと思った」
「なんとか生き延びましたね。今度こそ本当に……」
オレ達は雪の上に倒れるように座り込んだ。やっと一息つける。
「……結局、なんだったんだ、こいつは?」
「知らないよ~。もう二度と会いたくない……」
そんな中でもさすがはグランツ、冒険者として最上位の戦士。疲労は隠せていないが、それでも座り込むことなく周囲を警戒している。
対して斥候のリップは雪の中に手足を投げ出し、仰向けに寝転がった。
でも、誰もそれを咎めない。
オレ達は勝利の余韻に浸っていた。
「……なあ、グランツ。この魔獣って、ギルドだとどのくらい強い魔物認定されるのかな?」
オレはふと、疑問に思ったことを尋ねてみた。
「コイツか? そうだな……このサイズ帯の魔物だったら、間違いなく断トツだろ。これ以上ってなると……もう、それこそ上級ドラゴンの領域だな」
「これより上がいるの? ボクはもう無理ぃ……」
リップがヘロヘロと、力の抜ける声で嘆いた。
「ハッハ、安心しろ。そりゃあ、こいつより危険な魔物はいくらでもいる。だが、そういうやつらは強いって言うより……なんつうか、群れていたり、そもそも体が馬鹿みたいにデカいんだ」
グランツが雪の上で蕩けるリップを笑いながら答える。
「リップさんにも分かる例だと、前者はゴブリンやオークの異常繁殖、後者はベヒモスやクラーケンといった超大型魔獣が有名でしょうか」
「そうじゃなけりゃ、それこそ本当に上級のドラゴンとか神獣とか呼ばれるヤツだな。なんにせよ、こんな少人数で戦う相手じゃねえ」
「そうですね、これほどの死闘、生涯に一度あれば十分です」
ジーノがしみじみと言った。その言葉にオレたちは全員で同意した。
「でも、初めてだよね」
リップがぽつりと言った。
「何が?」
「このメンバーで、こんなに苦戦するの」
「確かに……そうだね」
オレは同意した。
いつもならグランツが相手の気を引いて、俺たちがサポート。そして隙を見て止め。それで大体終わっていたから、これほどの苦戦は初めてと言えるだろう。
「ヘッ、なーにが苦戦だ。終わってみりゃ、終始こっちのペースだったじゃねえか」
グランツが笑いながら口を挟んだ。
「特にアレックス、お前の動きは良かったぞ。尻尾の警戒を怠ったのは減点だが……それを差し引いても、今回誰も死ななかったのはお前の働きが大きい。リップも、よくあの場面で冷静に動けた」
あの時グランツは遠くに居たが、ちゃんと俺たちが見えていたらしい。
オレとリップはグランツに褒められた。冒険者としてトップクラスのベテランに認められて、オレは気分が高揚した。
「ま、お前たちもそろそろ最上級に片足突っ込んでいるからな。自信を持っていいぜ?」
「やれやれ、とうとう貴方たちに追いつかれるのですかね。なんだかんだ長い付き合いになりますが……ま、これからも、よろしくお願いしますよ?」
いつもは素直に褒めてくれないジーノも、今回ばかりはオレ達の成長を歓迎してくれた。
「同じランクに成ったら、もっと依頼に融通が利きますからね。目一杯こき使ってやります。せいぜい今のうちから、覚悟しておいてください」
でも照れ隠しなのか、最後に余計なひと言を付け加えるのは、やっぱりジーノだなと思った。
とても爽やかな気分だった。
オレたち四人で力を合わせればどんな困難だって乗り越える――きっとこれからもそうなんだ。
オレはそんなことを思っていた。
「……それにしてもさ」
ふと、リップが口を開く。
「苦労した割に素材は燃やしちゃったし……ちょっと惜しかったよねー」
なんて呑気な発言なのだろう。彼女の強かさに、オレ達は笑いあう。
でも確かに損失は大きかったな……魔石も二つ使っちゃったし、光精霊の祝福を受けた剣も一本使い潰してしまったし。
「命あっての物種ですよ。また再生されるよりずっといいでしょう。骨の欠片や灰でも充分研究する価値がありそうですが……」
「そうだね。流石にこれ以上復活されたらちょっと……」
「まあ、斬り落とした尻尾や腕は、後で回収しようや。少しは足しになるだろ」
オレ達は和気藹々と語らっていた――その時だった。
メキ……。
何かが軋む音がした。
気のせいだと思いたかったが、気のせいではなかった。
嫌な予感と共に、オレ達は魔獣の燃えた灰を振り返る。
メキ……メキ……メキ、メキ……。
「…………嘘、だろ?」
グランツのその言葉が、オレ達全員の思いを代弁していたことは間違いない。
信じたくない。
目の前の光景を信じたくないが、骨の欠片が再生を始めていた。
……メキ、メキ、メキメキメキメキ――。
欠片が繋がっていく。加速度的に再生が早くなっていく。
骨が、血肉が、毛皮が、殻が、鱗が。
さっき倒した時よりも、より大きく、より頑強に、より鋭く再生していく。
そして、一分も経たないうちに、その魔獣は元の形を取り戻した。
魔獣は眠りから覚めるように、静かに真紅の目を見開く。
再び対峙する漆黒の魔獣。
魔獣の咆哮。
「……これはもう、誰かが犠牲になるしかないですね」
ジーノのその言葉は轟音にかき消された。
絶望の化身が再び動き出す。
決して抗え得ぬ絶望。
オレは逃げだすことも忘れ、その絶望を呆然と眺めていた。
* * *
光も音も感じない暗闇の中、俺は考えた。
やっぱり、俺は弱い。
今日の戦いでは、それを実感できた。
当然だ。しょせん、元の世界では最底辺のIT土方に過ぎなかったのだから。ろくに喧嘩した経験すらないのだ。そんな俺が強いわけがない。
じゃあ、俺に足りないものはなんだ?
肉体が蘇生するまでの闇の中。俺はひたすら考える。
まず、単純に力が足りない。
そもそも魔力で強化しないと人間相手に押し負けるなんて、その時点で論外だ。
少なくとも、あの戦士を片腕で払い除けられる程度の力は欲しい。
素早さも足りない。反応速度も遅い。
せめて弓使いの矢は余裕で避けられないと話にならない。
防御力が足りない。
特に戦士の攻撃が毎回致命傷になるのは辛過ぎる。
弓使いの不意打ちに右往左往するのも情けない。
他にも、薬品に対する耐性がなさ過ぎることが露呈した。
とにかく――弱点が多すぎる。どうにかして穴を埋めなければ。
視野も狭すぎた。
毎回自分勝手な想像で相手を推量して墓穴を掘る。
不意に受ける攻撃を減らさなくては。
もっと戦場を、支配しなくては。
判断力も足りない。
そのせいで、戦いながら上手く魔術を使えないのも問題だ。
つまり総じて、頭の回転が鈍い。
そもそも冷静に思い返してみれば、結局まともに魔術を使えたのは、足止めの一回だけじゃないか。
魔術は遠距離攻撃の手段にもなるのに、なぜ自ら攻撃手段を縛っているんだ俺は。
そう言えば角も使っていない。
攻撃はおろか、頭を守る防御にすら役立っていない。
せっかく持ち前の武器があるのだ。もっと上手く利用しなくては。
電撃で神経系が乱されるのも良くない。
あれが明確な隙となって、結果的に集中して狙われた。
脊髄の件もある……いい加減俺は生物の枠から抜け出さなくてはいけない。
まだ、足りない。
攻撃手段が足りない。手数が足りない。防御手段も足りない。俊敏性が足りない。魔術の発動速度も足りない。探知能力も足りない。
足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない…………。
次は、まだ強く。
もっと強く。
もっと、もっとだ。
せっかく全身を作り直すのだ。
ここまで来たら、とことん付き合ってもらうぞ、冒険者共。
再生していく。骸と魂がリンクしていく。
全身に血が通う感覚が戻って来る。
静かに目を開くと、間抜けな顔で冒険者たちが俺を見ていた。
――さあ、延長戦といこうか。
新しく生まれ変わった俺は、より一層大きな咆哮を上げた。
……おや!?
まじゅうの ようすが……!




