手繰り寄せる勝機(下)
雪と氷の舞台で対峙する俺たち。
あの大剣を持った戦士と合流する前に、なんとか決着をつける必要がある。
「ジーノ……」
「大丈夫、分かっています。上手く誘導さえできれば……」
弓使いと魔術師の二人が何かを話している。
会話しながら魔術師が拳銃に片手で弾を装填。その所作はかなり手慣れていた。
まず俺が駆け出し、二人と――特に弓使いに狙いを定めて距離を詰める。
不意を突いてくる弓使いさえいなければ、魔術師も戦士も恐れるに足らない。そう判断した俺は真っ先に弓使いを殺す心算で動いていた。
そして意外にも、弓使いの少年は剣を抜いて堂々と前に出た。
右手に持っているその剣は、通常のものよりも細く、そして軽そうだ。
刀身が黄金に輝く剣。刃渡りは指揮棒ぐらいの大きさで――純粋な剣というよりは、矢としても使えそうな独特の形状をしている。
地球で言うなら……忍者の使うクナイという武器が一番似ているだろうか。
「光の精霊よ、我が剣に加護を!」
魔力が込められ、輝きを増す黄金の剣。聞くからに光属性っぽい詠唱。
交差する間合い。
俺は弓使いに向けて、腕を振り下した。
しかし俺が叩きつけたのは雪の積もった地面だけで、弓使いの少年はそれを見事に回避する。
攻撃を躱した少年は俺の腕に足をかけ、それを踏み台にして駆け上がった。そして俺の頭上を取ると、鬣を掴んで俺の背中に跨る。
そのまま背後から、首元に鋭い一撃。
「ガァッ!!」
急所を貫かれた痛みに、獣の唸り声が漏れる。光の加護とやらのせいか、黄金の剣は易々と俺の肉を切り裂いた。
だがこの絶好の好機。少年の攻撃が、一回では終わるわけがない。
ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ。
何度も、何度も突き立てられる剣。
痛え! もしかして、首を切り落とす気か?
だがそんな悠長な真似、許すわけがないだろ!
俺は尻尾を使って弓使いを払いのける。
「うわぁッ!?」
予想外の反撃だったのか、弓使いがソプラノボイスで驚きの声を上げた。
もし俺が普通の獣だったら、背中側を攻撃する手段が限られていた。そういった観点では、弓使いの作戦は正しかったと言えるだろう。
だが、俺の爬虫類のように太い尾は、見た目からは想像できないほどに器用なのだ。さらに生えている刺を指のように扱うことで、実質三本目の腕として扱える。
この尻尾があれば、背中に張り付いた虫けらを払い除けるなど、造作もない。
空中に放り出される弓使い。
俺はその頭を尾で鷲掴みにし、雪原に強く叩きつけた。
「キャンッ!?」
その衝撃で、降り積もっていた粉雪が舞う。
弓使いの少年は思いのほか、可愛らしい悲鳴を上げた。
肺の空気が押し出されて、咳き込む弓使いの少年。
こいつはしばらくまともに動けないだろう。
さて、止めの追撃を……しかし、ふとした疑問が俺の行動を阻害する。
あれ? 止めを刺す必要ってあるんだっけか?
いや、そもそも……こいつら誰だ? メアリス教の騎士じゃなくね?
狂戦士化の影響下にもかかわらず、俺は余計なことを考えてしまっていた。
その混乱は一言で表せば、苦戦を強いられ続けたせいだった。
一筋縄ではいかない戦士や魔術師、それに弓使い。彼らの相手を俺の拙い直感に任せるのは荷が重過ぎた。
彼らを攻略するため、俺は自然と思考に頼っていたのである。
だが冷静な思考は、衝動的な感情とは対極なる存在だ。
思考することによって興奮が抑えられ、その結果狂戦士化による破壊衝動が僅かに治まってしまっていたのだ。
殺意の衝動が鳴りを潜めれば、目の前に転がっているのはただの子供だ。
しかもなんとなく少年扱いしていたが……下手をすれば少女の可能性だってある。その容姿だけでなく、石鹸や淡い香水の匂いからも弓使いの少女疑惑は増した。
女の子、あるいは子供を殺す。
ほんの少しとはいえ、理性が戻っている状態。
俺は一線を越えられず、一瞬だけ躊躇ってしまった。
戦場ではその一瞬が致命的だ。現に魔術師の青年はその隙を逃すことなく、地属性の魔術を展開する。
「偉大なる大地よッ! 私の意志に従い、千の槍と成れ!」
地表に魔力が奔る。彼の叫びに応え、俺を貫こうと、大地から無数の槍が生えてきた。
反射的に俺は飛び退き、その土の槍を避ける。
しかし一回避けただけでは終わらず、次々と生えてくる大地の槍。
一歩下れば、またその足元からも槍が突き出てくる。生えた槍の側面からも、また別の槍が枝のように伸びて容赦なく俺を狙った。
休む間もない連続の猛攻。
土でできた無限の槍は、まるで詰将棋のように俺を壁際に追い詰める。
その魔術を躱せば躱すほど、俺と弓使いの距離は遠ざかっていった。
大地から生え、枝の伸びた無数の槍。今やそれは壁のようになっていて、俺は弓使いを視認すらできない。
なるほど、上手いな。
俺を攻撃すると同時に、土の槍を壁にして弓使いと俺を分断したわけか。
「魔獣を封じる檻と成れッ!!」
そして最終的に、魔術師は俺を捕らえるよう大地に指示した。
地の槍の魔術。その最終段階。
大地が隆起し、俺を生き埋めにしようと迫ってくる。
俺と弓使いを引き離し、仲間の安全が確保され次第の純粋な質量攻撃。なかなかえげつない魔術だ。
だが甘い。俺の得意フィールドは、何も平原だけではないのである。
俺は隆起した地面を蹴って、跳躍した。
競り上がる土の壁、襲い掛かる土の槍、そして氷の壁で三角跳びを繰り返し、上空から今度は魔術師に狙いを定める。
「なっ!?」
魔力の操作に集中していたのか、反応が遅れる魔術師。慌てて俺に銃を放つが……やはり、魔力が込められてければ豆鉄砲だよ。
俺は飛んでくる散弾を払いのけた。
――バシュッ!
耳に入ったのは、銃声とは違う予想外の射出音。
意識の外側からの、さらなる反撃。
俺は即座に反応するが、宙に浮いた不安定な体勢からの防御は間に合わない。
それは防御を掻い潜り、俺の喉元に突き刺さった。
飛来したものの正体は、黄金の剣だった。
視界の端では、弓使いの少年が転がったままの体勢で弓を構えている。
さっき予想したとおり、この剣の形状は矢として飛ばすことも想定されたものだったらしい。
弓使いは地面に叩きつけられたダメージで、今だってまともに呼吸すらできていないはず。
なのに、状況の理解もタイミングも共に完璧……敵ながら呆れるほどに正確な早撃ちだ。
でも……残念だったな!
狙うなら、目のほうにするべきだった。
痛みも欠損も、死すらも無視して動ける俺にとって、その場所は急所たりえない。魔術師の絶体絶命なこの状況は変えられない!
俺は弓使いの悪あがきを内心で嘲笑った――それが俺の油断だった。
「雷よ、弾けろ!!」
バヂヂィッ!!
弓使いの詠唱を合図に、剣を中心とした紫電が迸る。
稲妻が大気を切り裂く音が周囲に轟き、強大な電気エネルギーが俺を包み込んだ。
「ガゥァアァァアァッ!」
体内に直接高圧電流を流しこまれた俺は、全身が痺れて思うように動けない。
ていうか、雷だとォ!? お前の剣、光属性じゃなかったのかよ!?
不死身とはいえ基本が生物である以上、神経系の電気信号を乱されたら平常ではいられない。
そのまま俺はグシャッと音を立てて、雪の上に墜落した。
駄目だ。さっきから後手に回っている気がする。
この展開は非常に良くない。
さらに不味いことに、戦士はもうそこまで来ていた。このままでは合流されてしまう。
クソッ、急げ! 動け!!
俺は思い通りに動かない体を無理やり動かして、迎撃の体勢に入ろうとした。
――パリン。
顔に何か、ガラスの容器が飛んできて、そのまま割れる。
そして、その中に入っていた液体が俺の顔にぶっかかった。
……な、なんだ、これは!?
じわじわと広がっていく、不快な感覚。
謎の液体がチクチクと、ぞわぞわと、皮膚を蝕む。
ああ――痒い!!
痒い、痒い!! 痒いカユイかゆい痒い!! 目に入った液体が、痒い!
「キャウン! キャン、キャウン!!」
俺の喉から、自分でも驚くほどに情けない悲鳴が上がった。
「そーれ、もう一本!」
雪の中から顔を出した斥候の少女が、さらにガラス瓶を投げつける。
今まで雪の中に隠れていたのか!? その場所はほとんど俺の目と鼻の先。どういうことだ!? 魔獣の感覚器をもってしても、姿を現すまで斥候の隠密は全く見抜けなかった。
「まだまだいくよぉ!」
斥候が次の投擲瓶を用意している。
クソッ! 調子に乗るな!!
俺は痒みで視覚もままならないまま、斥候の声がするほうに向けて足を踏み出す。
しかし、ここでこそ俺は冷静になるべきだった。
そうすれば途中から姿を見せなかった斥候が何をしていたか……何を仕掛けていたか、注意することができただろう。
ガヂンッ!!
何かが俺の足首に噛みついた。
俺の脚に食らいついたのは、トラバサミのような罠であった。
「やった!!」
斥候が歓喜の声を上げる。
間抜けな魔獣が、まんまと罠に掛かった瞬間だった。
文字通りの足止めを食らった俺は、トラバサミに邪魔されて上手く動けない。
そんな状況にもかかわらず、とうとう追いついてくる戦士。その勢いのまま大剣を打ち込んでくる。
「オラァ、もらったぁッ!!」
戦士は叫んだ。
だが俺だって、そう簡単に殺られるかよ! 俺は戦士に向き直り、迎撃のため腕を振り上げようとした。
「させません!! 雷よッ!!」
再び響く雷鳴。
刺さったままの黄金の剣を避雷針にして叩き込まれる。
動けなくなったのは一瞬。そして矢張り、その一瞬が致命的だった。
「これで、終えだぁ!!」
戦士が巨大な剣を振るった。
――ああ、これは……避けられない。
馬鹿みたいに大きな剣なのに、戦士の動作からは扱いにくさを感じない。それはまるで、流れるような剣捌き。
罠に足を奪われた俺に避けられるわけもなく、そのまま戦士の振るう大剣の餌食となった。
最初に斬られたのは尻尾だった。
肉を斬られる熱さと、骨がへし折られる痛み。
切り離された尾が宙を舞う。
尻尾を斬られバランスを崩した俺は、そのまま雪原に膝をつく。
そして、戦いで踏み荒らされた雪の上が、そのまま俺の断頭台となった。
――ああ、そうか。
これでもまだ、勝てないのか。
もっと、強くならないと。
何故かまた、バラの花弁が一枚散ったのが分かった。
強さと引き換えに堕ちていく魔獣。




