太陽の国の弓使い
その日は朝から曇り空だった。
こんな天気でも冬に呪われた地においては、雪が降っていないだけまだ良い天気であると言える。
とはいえ、外の世界から踏み入った者たちにとっては、どんよりとした不吉な雲であるに違いない。
この地に足を踏み入れるまでは、抜けるような青空が広がる晩秋の快晴だった。それなのに、急にこの空模様である。いったい、どのような理屈なのだろうか。
足元には、深く降り積もった雪。
まだ今年は初雪も降っていないのに、その事実がこの地の異常性を物語っていた。
冬に呪われた地。その境界となる森の中。
大小さまざまな四つの人影が、森を抜けた向こうを目指して進んでいく。
「……でも、伝説級の異界って割には、意外と普通だね。ボク、拍子抜けしちゃった」
枯れ木の森の中を行く四人のうち、一番小さな人影が口を開いた。
彼女はこの四人のなかで斥候役を務めている猫人族の少女だ。赤毛の彼女はしきりに猫のような耳を動かしながら、周囲を警戒している。
「これが普通だって……? リップ、俺には十分異常に見えているが、もしかして俺の目がおかしくなっちまったのか」
一番大きい人影が雪を踏みしめながら、冗談交じりに答えた。
斥候の少女は一瞬、ムッとした顔をする。
「……そうだよ? ああ、グランツ……やっと気が付いてくれたんだね。これでようやくボクも、徘徊を繰り返す耄碌ジジイの介護から解放されるんだ……」
「オイ、それは洒落にならないから本気で止めろ」
グランツと呼ばれた大柄な男は、最近増えてきた白髪を気にしながら言った。
一目見ただけで歴戦の戦士と分かる風貌をした彼は、自身の身長ほどはある大きな剣を背負っている。
その武器をあえて地球の基準で分類するならば、斬馬刀と言ったところであろうか。
しかし、対魔獣――果ては竜種との戦闘を想定されて鍛え上げられたその逸品。到底筋力のみで振るえる代物ではなく、地球では存在しえない非現実的な大剣であった。
「まったく、俺だって本当はそろそろ隠居したいんだがな……未だにこんな老人をこき使いやがって」
「またまた御冗談を。貴方ならあと二十年は現役でいけますよ。私が保証します」
人を食ったような笑いを浮かべながら、メガネの青年が言った。
上物のローブを身に纏い、単発式の銃を腰にぶら下げた彼だが、その本職は銃使いではなく魔術師だ。
どちらかといえば研究者肌の魔術師である彼は、雑談を交わしながらも周囲の景色を興味深そうに観察している。
「だと良いがねえ……」
体力の衰えが気になってくる年頃の戦士グランツは、ため息を吐きながらぼやいた。
「まあ、リップさんの言いたいことも分かりますよ。ぶっちゃけ今のところ、寒くて生息する魔獣が強めなだけで、なんの変哲もない普通の森です」
魔術師の青年は斥候の少女が覚えた違和感に話題を戻す。どうやら彼も似たようなことを思っていたらしい。
「そうそう、それが言いたかったんだよ! 流石はジーノ! やっぱり魔法大学の出身は違うね!」
斥候の少女は共感者を得られて、嬉しそうに賛同した。
彼らが言うように、この規模の異界ともなれば、常識からおかしくなっているような場所がほとんどだ。
例えば有名どころだと、“世界樹の迷宮”の呼び名は足を踏み入れるたびに中の景色が大きく変わってしまうことが由来だし、“龍の根城”なんて所在地がそもそも浮遊大陸なんていう常識外れの存在だ。
他にも、時間の流れがデタラメになっているとされる“黄昏の森”では、一時間前の自分と、一時間後の自分がばったりと遭遇する……なんてこともあるらしい。
そういう意味では、この冬に呪われた地はまとも過ぎて逆に怖いくらいであった。
「ここの境界を見つけるまでは苦労したけど、入ってからは順調すぎて退屈なくらい。これだけ何もないと、ボク眠くなっちゃうかも~」
「だからって油断しちゃダメだよ。オレたちのなかじゃ、リップが索敵の主力なんだから……」
透き通るようなソプラノボイスが斥候役の少女をたしなめる。
その発言をしたのは、弓と矢筒を背負った中性的な外見の少年だった。
その弓使いの少年を一言で表現すれば、ほぼ完璧な美少年だ。
やや癖っ毛の髪は高貴な血筋を思わせる淡い桃色の混じったブロンドで、瞳は大きくてつぶらなサファイア色。
可愛らしく整ったその顔立ちには、まだ幼さが残っている。
さらにそのパッチリとした睫毛に桜色の唇も合わされば、彼がボーイッシュな少女であると紹介されても疑う者はいないはずだ。
しかし残念なことに、少年の容姿について一番目立つのは頬の傷であった。
象牙のような肌に残るその傷痕。
それさえなければ、間違いなく絶世の美男子だったのにと、世の貴婦人たちは口を揃えてそう言うだろう。
まさに玉に瑕という諺は、この少年のためにあるのかもしれない。
「冗談だよ、アルくん。相変わらずキミは心配性なんだから」
「……そう言ってこのあいだ、先に飛竜に気付いたのはオレだったよね?」
まだ記憶に新しい失敗。それを言われて、ネコミミの斥候少女は焦る。
「あ、あれはアルくんの目が良すぎるだけだよ! 違うよ、ボクは油断していないって。仮に油断していたとしても、油断という名の警戒だよ!」
弓使いの少年は、先輩冒険者でもあるネコミミ少女をジトッとした目つきで見つめた。
「そ、そんな目で見ないで……ごめん、お姉ちゃん謝るから、なんでもするから」
「ほらほら、リップさんを虐めるのはそこまでにして、そろそろ森を抜けられそうですよ」
魔術師の青年が言った通り、四人の冒険者は森を抜けて開けた雪原に出た。
――見渡す限りの雪と氷の世界。
曇り空の下に広がる、果てしなき白色の大地。
永遠を感じさせる冬の領域。
間違いない。ここがあの、おとぎ話にも語られる『冬に呪われた地』なのだろう。
雪原の真ん中には雪に埋もれた廃墟の町があり、そのさらに向こうの丘の上には白亜の城がそびえ建っていた。
「まじかよ……冬の城って実在したんだな」
戦士が驚いたような、感心したような表情で言葉を漏らした。
「……ここが、冬に呪われた地……全ての冬が始まる場所にして、総ての命が死に絶える場所。足を踏み入れたものは、誰もがその氷の世界に囚われるという……」
弓使いの少年は、神妙な目つきで冬の城を見据えていた。
「まあ、吟遊詩人が冬の城について歌っている以上、それは間違いなく誇張された表現でしょうけれどね」
「確かに、言われてみればそうだな。本当に入った奴が皆死ぬなら、外で冬の城が知られているのも可笑しな話だ」
魔術師の青年が情緒の欠片もない野暮な指摘を入れ、戦士もそれに同感する。
「森にも結構動物いたしね。でも不思議だなあ。冬に呪われた地って、今までは簡単に入れなかったんだよね? それこそ誰も入れないって言われるくらいにはさ。なんで急に入れるようになったんだろ?」
「さあ? “星詠み”の魔女様は、時が満ちたとしか……」
実は、彼らがこの地を訪れたのは、とある人物の助言が切っ掛けであった。
突然彼らの前に現れたその人物は『星詠みの魔女』と名乗った。
曰く、弓使いの少年の――アレックスの探し人は『冬の城』に存在すると。
そのため彼らは太陽の国と呼ばれるヘーリオス王国から、はるばる国境の山を越えて、この地を訪れたのだ。
ちなみにヘーリオス王国は対メアリス連合国の中核となる国の一つである。メアリス教国への潜入は、特に弓使いの少年にとっては命がけの行為だった。
「だがよう……あの姉ちゃん、本当に信用できんのか?」
「でも実際、こうして冬に呪われた地に入れたわけだし……あれでも一応魔女様なんだから……ね?」
訝しむ戦士に、弓使いの少年がフォローする。しかし少年も、本心では彼女を怪しく思っているのが見て取れた。
「グランツさん、まだそれを言いますか? まあ、積極的にお近づきになりたいタイプの女性ではなかったのは確かですが……」
魔術師の青年も苦笑いしながら、星詠みの魔女に対する印象を述べた。
「しかも魔女ってことは、本当はすっごい年上なのかもしれないんだよね? それでアレって……キツイって言うより、ヤバくない?」
「おいリップ、流石に言い過ぎだ。せめてもう少し敬ってるフリはしとけ」
「あの方はそんな些細なことを気にする御仁には見ませんが……まあ、あれでも魔女様です。きっと何か、深~いお考えがあるのでしょう」
星詠みの魔女は、もはや散々な言われ様だった。
「と、とにかく皆、そろそろ移動しない?」
弓使いの少年が仕切り直す。
「魔女様の言っていたことが本当なら――あそこに、ソフィア姉ちゃんが居るはずなんだ。こんなことをしている場合じゃないよ」
少年の言葉に、三人は頭を切り替えた。
「そうですね。もし上手くいけば、これで貴方の……いえ、我々の悲願も達成ですか。感慨深いですねえ」
「まさか一介の冒険者でしかないボクが、お姫様救出作戦に関わるなんて……昔のボクが聞いたらビックリするだろうな」
「そうだな……じゃあ、気ぃ引き締めて行けよ。こっから先は、また環境が違う。完全に未知の領域だかんな」
気を引き締めて真面目な表情に戻った戦士グランツ。彼が先陣を切った。
その後ろを斥候のリップ、魔術師のジーノ、そして弓使いのアレックスがついて行く。
四人は雪の積もった平原を進む。
目指すは、遥か遠くに聳える冬の城だ。
星詠みの魔女に導かれ、彼らはその存在を誰も知らない怪物――漆黒の魔獣の元へ向かうのだった。
星詠みの魔女の扱いが酷い件。




