優しさを踏みにじる物語(上)
俺と黒騎士が対峙する中に、突然現れた放浪の魔女。
慌てて駆けつけたのか、彼女は少し息を切らせているように見えた。
雪の降る中で睨み合う俺たち。まずは黒騎士が言葉を発した。
「不死身の魔獣に、魔女が一人。さらには剣も無しか……流石にこの状況、分が悪すぎるな」
黒い騎士は冷静に戦況を判断する。実際、空間魔法を扱う魔女の強さは未知数だ。警戒するのは当然である。
一方で、放浪の魔女が騎士に杖を向ける。
そのアンバランスに長い杖を構える幼女の姿には、妙な迫力があった。
「素直に立ち去るなら、今日のところは見逃してやるのじゃ」
しかし、その脅しに黒い騎士は一歩も退かない。
「……いいのか? 魔女が一国の姫に肩入れして。それは決して許されることではないぞ」
「メアリス教徒のお主がそれを言うか? 笑わせるでない! そんなもの、建て前にすぎん。権力やら戦争やら、お主らの下らんごっこ遊びは、全て儂らの善意の上で成り立っておると知れ!!」
黒騎士の言葉による牽制。魔女はそれを暴論で一蹴した。
本来はなにかしらの協定か条約があったみたいだ。しかし、放浪の魔女による堂々とした破棄宣言。
まさに力を持つ者の、力こそ正義な暴論だった。
「……『ごっこ遊び』だと? 我らが聖戦を児戯扱いとは、なんとも赦せん侮辱。やはり魔女共は、排除すべき邪悪か!」
魔女の言葉に黒騎士は激昂する。
鎧の隙間から、黒い炎が溢れだす。相変わらずその表情を窺い知ることはできないが、本気で怒っているようだ。
「ほざくなよ、小僧。次元の狭間に、抛り捨ててやろうかのう……!」
対する魔女は涼しい顔でその激昂を受け流した。
互いの気が昂る、雪と泥に塗れた戦場。
未だ隻腕・隻眼の俺もソフィアを守るために身構える。
ふと背後から、ソフィアの小さな声が聞こえてきた。
「……光と水と大地よ、魔獣さんに、大いなる癒しを――」
治癒魔術の呪文だ。
ありがたいが、今はそれどころではない。
「ソフィア、俺は大丈夫だ。だから今のうちに、早く逃げろ!」
もし黒騎士が自分の命より命令を優先するタイプだったら、今の状況も安全とは言い難い。ソフィアには一秒でも早く安全な場所に避難してほしかった。
実際に黒騎士は俺たちのほうを――確実にソフィアを気にしている。そこ視線には油断も隙もない。
しかし、ソフィアは首を縦に振らなかった。
「いいえ、魔獣さん。これはもともと、わたしたちの戦いです……これ以上、わたしが逃げるわけにはいきません」
その勇気ある言葉は、小さく、そして震えていた。
黒騎士に対する恐怖と、それでも負けたくないという気高い意志が、ありありと感じられた。
怒気を放つ黒騎士。
魔力を高める放浪の魔女。
俺の背後には怯えながらも立ち向かうソフィア。
もはや戦いは避けられない雰囲気であった。
……だが、なんの前触れもなく黒騎士が怒気を収めたことにより、その一触即発な空気はあっさりと霧散する。
「どうした? 今さら命乞いでもする気か?」
魔女が構えを解いた黒騎士に尋ねた。
それに対し、黒騎士は皮肉気に問い返した。
「素直に立ち去るなら、見逃してくれるのではなかったか?」
魔女は一瞬、不意を食らったような顔をした。
「……ふむ、そう言われてみれば確かに、そんなことも言ったのう」
魔女はしばらく思案していたが、吐いた唾は飲めないと思ったのか、彼女も構えを解いた。
「お主は思っていたより身の程を弁えておるようじゃ。その物言い、認めよう。即刻立ち去るがよい」
「待て、最後に一つだけ、伝えておくべきことがある」
黒騎士は俺に……正確には、背後に居るソフィアのほうに向き直る。
兜の中からソフィアのじっと見つめる黒騎士。
キッと睨み返すソフィア。
いつの間にか呼吸困難から復帰していたウサギも、ソフィアの足元でクロード将軍を一緒に睨んでいた。
「ソフィア・エリファス・レヴィオール」
黒騎士が兜越しのこもった声で言った。
「我々は今、とある人物を反逆の罪で捕らえている。表向きには、悪魔族の少女を教会に匿った背信者としてだ」
「……え?」
何を言っているのか理解できない。いや、理解はできているが理解したくない。
ソフィアの漏らした声は、そんな感じだった。
「そうだ、捕らえられている者はディオン元司祭。今はお前の居場所を――あるいは、共謀者の名を吐かせるために拷問を受けているはずだ」
何も答えないソフィア。
黒騎士は言葉を続ける。
「だがもし、その少女が既に死んでいると明確になれば、彼の身は釈放されるかもしれんな」
「……騙されるな、ソフィア。その言葉が真実である保証がどこにある!」
仮にディオン司祭が捕われているのが事実だったとしよう。
それでも、こいつは予想を言っているだけで、釈放されるとは一切明言していない。
結局何をしてもディオン司祭は殺される……そんなオチが目に見えていた。
要するに、テロリストとの交渉と同じだ。こういった場合、要求を呑めば呑むほどこちらが一方的に不利になるだけなのだ。
しかし黒騎士は俺の言葉なんか無視して、無茶苦茶な要求を最後まで言い切った。
「彼を解放してほしくば、素直にその身を差し出せ――その場に私が居れば、辱めず、跡形もなく焼き殺すことを約束しよう」
ソフィアは呆然自失の状態だった。
「……それが、私に施せる、唯一の慈悲だ」
黒騎士はそれ以上何も言わず、踵を返して森の中に去って行った。
あとには、俺たちだけが残された。
嵐のような時間は過ぎ去り、また平穏な冬に呪われた地が戻ってきた。
ただし地面は泥まみれに荒らされていたが……それもすぐに雪の下に消えるだろう。
「……終わったのか?」
俺は誰にというわけでもなく尋ねた。
「ああ、奴は去ったぞ。お主、今回はなかなか男を見せたのう」
魔女が褒めながら近寄ってくる。
しかし、安心した俺は立っているのも限界だった。
「魔獣さん!?」
雪と泥の上に崩れ落ちた俺。ソフィアの心配そうな声が聞こえる。
大丈夫だ、ただの魔力切れだから。
本当なら動かない肉体を、無理やり魔力で動かしたのだ。その消耗は想像もできないほど激しかったが……少し眠れば回復するはず。
しかし、そのことをソフィアに伝えることはできなかった。
俺を呼びかけ続けるソフィアの声を聞きながら、俺はそのまま気を失った。




