つよくなりたい
ピンチに陥っている黒オオカミの姿を見て、灰色耳は加速しました。
オヒメサマは後から付いて来ていましたが、どんどん距離が離れていきます。
でも、灰色耳は待ちません。なぜなら、急がないと間に合わなくなってしまうからです。
黒い甲羅でカチカチの怪物は、身体から炎――暖炉にあった奴とは色が違う暗い炎を噴き出しながら、黒オオカミに止めを刺そうとします。
灰色耳はそれを阻止するため、地面を蹴って加速しました。
――させるか!
灰色耳の蹴りがさく裂!
しかし、硬い殻――漆黒の鎧に弾かれて、ゴンッと鈍い音がしました。
――か、かたい……!?
冬に呪われた世界では、大抵の生き物が甲殻や鱗ではなく毛皮をもっています。
もちろん例外はありますが、少なくとも灰色耳にとって、こんな硬い相手と戦うのは初めてのことでした。
――なら、あしでしょうぶ!
足での勝負とは、つまり素早さで戦うということです。
ウサギ持ち前のキレがあるスピードで、黒い鎧の怪物を翻弄します。
空間を縦横無尽に移動し、隙を見ては鋭い蹴りを入れる灰色耳。その攻撃の合間を埋めるように放つ魔術の牽制も、黒オオカミが感心するほど見事です。
しかし、悲しいことに、小さなウサギの攻撃は、全身鎧の前には軽すぎました。
ドゴォッ!?
灰色耳のお腹に衝撃が奔ります。
硬く広がった左腕の突き上げ――つまり、盾によるシールドスラムを食らった彼女は、苦悶の表情で泥の上に転がりました。
耳の先以外真っ白だった毛皮は、グジュグジュになった泥のせいで、黒く汚れてしまいました。
――かはっ……ケホッ……!
うまく、呼吸ができません。
たったの一回、攻撃を食らっただけで、灰色耳はもう立ち上がれなくなってしまいました。
――クソッ! こんなの!
そんな灰色耳の止めを刺そうと、黒い鎧の怪物は歩み寄ってきます――。
「――待ちなさい! クロード・フォン・ニブルバーグ!!」
そんな灰色耳を守るため、今度はお姫様が前に出ました。
どうやら、灰色耳が戦っている間に追いついてきたようです。
――オヒメサマ! きちゃダメだ! こいつ、つよい!!
しかし、その思いは伝わりません。
お姫様と黒い鎧の怪物は、一触即発の雰囲気で対峙します。
「……やはり、此処に居たか。ソフィア・エリファス・レヴィオール」
黒い鎧の怪物が灰色耳を無視して、彼女に答えます。
お姫様はキッと、黒い鎧の怪物を見ら見つけました。
「ここからは……わたしが相手します! 水の球よ!」
お姫様が唱えると、彼女の周囲に水でできた玉が浮かび上がりました。
「えいっ!!」
しかし、その水の玉が黒い鎧の化け物に触れると――正確には、魔術を燃やしてしまう憎悪の黒い炎に触れると――あっという間に水球は形を失い、ばしゃんと音を立てて崩れ落ちます。
「うっ……聖なる壁よ!」
今度は光の壁を作ります。
でも、これも黒い鎧の怪物が放つ炎を受けると、跡形も無く消え去ってしまいました。
黒い鎧の怪物は、続けて炎を放ちます。
お姫様は何とか避けようとしましたが、ぬかるみに足を取られて転んでしまいました。
「キャァッ!!」
「恨むな、とは言わない。せめてここで、苦しまないよう死なせてやろう……!!」
――ああ、オヒメサマがころされちゃう!?
灰色耳は全身に力を入れて、なんとか立ち上がりますが、ふらついてとても歩けるような状態じゃありません。
黒い炎が膨れ上がります。
お姫様を、亡き者とするために――。
しかしその時、不思議なことが起こりました。
なんと、地に伏して動けなくなっていたはずの黒オオカミが、跳びはねるように体を起こして、突進で黒い鎧の怪物を突き飛ばしたのです。
そして黒オオカミは、お姫様との間に陣取るようにして、鎧の怪物の前に立ち塞がりました。
「まさかこの短時間で――魔力で無理やり、己の体を操っているのか! 化け物め!!」
体制を整えた黒い鎧の怪物は、そう叫びました。
――よっしゃ! すごいぞ!
灰色耳は黒オオカミを讃えます。
その間に呼吸を整え、なんとか歩ける程度にまで回復しました。
緊張で張りつめた空気が、場を支配します。
灰色耳は、どうすればこの黒い鎧の怪物を倒せるか、必死で考えます――。
「――そこまでじゃ! メアリスの騎士、ニブルバーグの末裔よ。今すぐ剣を納めるのじゃ!!」
すると、お姫様とは別の女の子の声が雪原に響き渡りました。
時々お城にやってくる、緑色の服を着た女の子です。
大声で言葉を交わし始める二人。
ただ残念なことに、灰色耳にヒトの言葉は分かりません。
しかし、なんとなく雰囲気から、互いに威嚇し合っていることは分かりました。
「……光と水と大地よ、魔獣さんに、大いなる癒しを――」
「ソフィア、俺は大丈夫だ。だから今のうちに、早く逃げろ!」
その隙にお姫様が黒オオカミの治療を施しますが、状況はよくなさそうです。
黒オオカミの言う通り、お姫様は逃げるべきなのでしょう。
「いいえ、魔獣さん。これはもともと、わたしたちの戦いです……これ以上、わたしが逃げるわけにはいきません」
しかし、お姫様は逃げず、戦う覚悟を決めました。
灰色耳もお姫様の足元に位置取って、黒い鎧の怪物を警戒します。
――にげないなら、オヒメサマはあたいがまもるぞ! かかってこい!!
強がって挑発するように睨みつける灰色耳。
でも、本当は怖くて逃げだしたい気持ちでいっぱいでした。
しかし、自分はお姫様を守るナイトなんだという自負が、彼女の足を留めました。
その甲斐があったのか、黒い鎧の怪物は怒気を収めます。
どうやら、戦意を喪失したようです。
彼は一言二言言葉を交わすと、踵を返し、外の世界へと帰っていきました。
「……終わったのか?」
黒オオカミが、誰にともなく尋ねます。
信じられない気持ちはわかりますが、本当にあの黒い鎧の怪物は、居なくなったのです!
――にどとくるな!
灰色耳はクゥクゥと、見えなくなった怪物を罵倒しました。
するとドサッと、背後で何かが倒れる音がします。
振り返ると、力を使い果たした黒オオカミが倒れていました。
「魔獣さん!?」
お姫様が心配そうに駆け寄りますが、黒オオカミはそのまま気を失ってしまったのでした。
* * *
それからしばらくの間、冬のお城はてんやわんやしていました。
黒オオカミの治療のために、お湯を運んだり、お薬を探したり……灰色耳も、冬の世界では貴重な薬草を探して差し入れしました。
傷つき目を覚まさない黒オオカミ。
不死身の再生能力があるはずなのに、傷がぜんぜん癒えません。
そんな彼を、お姫様がつきっきりで看病します。
一方で、薬草を届けた灰色耳にはもう、他にできることはありません。
ただ、お姫様の横で、用意されたリンゴをかじりながら、お姫様の邪魔にならないよう見守るだけです。
半日ほど経ったでしょうか?
なんとか生死の境から回復した黒オオカミが、ようやく目を覚ましました。
「魔獣さん! よかった……気分はいかがですか? どこか痛いところはありませんか?」
「う……ああ、大丈夫だ。心配かけたな、すまない」
いの一番に、お姫様が声をかけます。
窓の外を見れば、外は真っ暗闇。完全に日は落ちていました。
「魔獣さん、ごめんなさい、わたしのせいで……」
「なぜ、ソフィアが謝る?」
「だって、わたしがここに来なければ、クロードもこの城を訪れることはありませんでした。それなのに……わたしのせいで、魔獣さんがあんなことに…………」
「……あの騎士と戦ったのは、俺が勝手にやったことだ。あいつは……そう、あいつは俺の縄張りを荒らしたのだよ。いずれにせよ、戦いは避けられなかったさ」
なぜか落ち込むお姫様を、黒オオカミが慰めます。
灰色耳にヒトの言葉は理解できませんが、その程度はなんとなくわかりました。
「……やっぱり、魔獣さんは優しいですね」
うつむいたお姫様が、ぽつりと言います。
その目からはぽろぽろと、涙がこぼれ落ち始めていました。
「魔獣さんが無事で、本当によかったです……また、わたしのせいで、誰かが居なくなるかもって、そう考えたら、不安で、不安で――……」
――あたいが、よわかったせいだ
泣いているお姫様を見て、灰色耳はそう思いました。
もし自分が、あの黒鎧の怪物をやっつけられていれば、いまごろ……灰色耳も悲しくて、耳がしょんぼりしてしまいます。
それからお姫様は寝床へと向かい、今度は緑色の女の子が黒オオカミと何かを話します。
会話の内容は小難しくててよく解りませんでしたが、しばらくすると緑色の女の子も部屋を去りました。
部屋の中には灰色耳と黒オオカミの二頭だけ。
急に静かになりました。
「……そう言えば、お前も駆けつけてくれたんだよな」
黒オオカミが、優し気な声音で言いました、
「正直、意外だったぞ……助けてくれて、ありがとな」
――なにをいっているかわからないけど、おれいをいっているのはわかるぞ
お礼を言われた灰色耳は、黒オオカミの寝そべる場所まで駆け寄ります。
そして、照れ隠しに黒オオカミを軽くゲシゲシと蹴りました。
その日の夜、灰色耳は考えました。
どうすれば、あの黒鎧の化け物に勝てたでしょう?
その問いに対し、彼女が導き出した答えは、非常にシンプルなものでした。
――つよくなりたいな……。
まだ、自分は弱い。
弱いことは、悲しい。
なにより、あの時少しでも『逃げたい』と思ってしまった自分自身が、情けなくて仕方がありませんでした。
耳長族の多くは、イタチやキツネに怯えながら、穴の中で暮らします。
それが嫌だった灰色耳は、わざわざ枯れ木の森まで来て戦い続けたのです。
全ては、強くなるために。
でも、まだまだ足りません。
圧倒的すぎる強者の存在を知った灰色耳は、もっと強くなりたいと願いました。
奇しくも、その願いは、黒オオカミのものと同じでした。
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