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太陽を背に北風は(上)

 噴水広場の寒空の下。重い金属音が(ひび)く。

 騎士を(かたど)る黒い炎が揺らめいて、その形状を(たも)てなくなる。


 しかし、戦士グランツは倒れない。

 かき消されたのは騎士の影。その核と思わしき(かぶと)は、真っ二つに斬られていた。


「まさかとは思ったが……本当に斬れるとはな!」

 勝利を確信した戦士グランツが、にいっと凶暴な笑みを浮かべた。




 この世で最も硬いと言われる金剛鉄(アダマンタイト)製の(かぶと)

 それを斬ったのは、グランツが握る獣尾の大剣だった。


 ただし、現在の剣は黒い炎に焼き切られた無残な姿ではなく、かといって先程までの漆黒な魔獣の尾でもない。

 その巨大な凍属性の剣は、まるで冬の世界を一部切り取ったかのような、大いなる凍結の(チカラ)を帯びている。


 はたして、黒騎士の(かぶと)が斬られたのは、炎の熱と冷気の温度差による疲労破壊が原因だったのか。

 それとも純粋に、剣が宿した魔力が強力だったせいなのか。


 凍てつく鱗殻と、鋭い氷の刃から構成された冬の王の剣。その剣先が、冷たく(きら)めいた。


 ――それは(のち)に、凍結属性最強と(うた)われる大剣。


 伝説によれば、斬り落とされた冬の王の尾より(つく)られたともされている。


 ひと振りすれば風が凍る。


 二回目を振れば(しも)が降りる。


 もしも(さら)に振ろうものなら、()の地は冬の領域(せかい)となる。


 これは、その初代使い手となる英雄――“厳冬”のグランツが誕生した瞬間であった。




 ――しかし、その剣は同時に、冬の王からこの世界への餞別(せんべつ)となってしまう。


 運命は、あるべき姿に回帰した。


 泥の底から這い上がった魔獣。彼が目の当たりにしていたのは、地に倒れた瀕死のアレックス。

 ディオン司祭が応急処置をしているが、少年は目を覚まさない。


 魔獣はその光景を見て、何故(なぜ)か信じられない気持ちになった。

 そして、その気持ちを自覚した瞬間……心のどこかで戦いというものを楽観視していた現実を、魔獣は思い知らされることになる。


 今回は運が良かったが、最悪アレックスが即死する未来だって十分にあり得た。

 むしろ確率で言うならば、そうなる可能性ほうがよっぽど高かったはずだ。少年が一命を取り留めたのは、ひとえに奇跡だと言っても過言ではないだろう。


 魔獣はあまりにも浮かれていた。

 たとえ彼が不死身であったとしても、他の人間たちはそうじゃない。

 どんな屈強な戦士でも、大切な友人であっても、死なせたくない愛しい少女だったとしても……死ぬときは、あっさりと死ぬのである。

 いや、そうでなくても――この世に寿命という概念が存在する以上、不死の魔獣が(はかな)き者たちと共に生きるのは、どうしても難しい。


 もはや生きるべき世界が違うのだ。

 そんな当たり前のことを、彼は今更ながら実感した。


 確かに魔獣の不死も完全ではない。

 例えば、黒騎士の炎なら、この冬の魔獣をも殺せるかもしれない。


 だがそれを言うなら……この世界は人間なんて、もっと簡単に殺せるのだから。


 そう。()れは、心の冷たい魔獣が、真実の愛を知り、生涯の友を得て、居場所を手に入れる……そんな素敵な物語()()()()


 この物語に、ハッピーエンドは有り得ないのだ。


 人は人の世界に。

 獣は獣の世界に。


 そして、冬の王は、冬の世界へ。


 無慈悲に告げられた幻想(ゆめ)の終焉は、“予言”がまた一つ段階を進めたことも意味していた。


 * * *


 泥の中から()い上がった俺が目撃したのは、地に伏したアレックスと、今まさに殺されようとしている戦士グランツだった。


 しかもグランツの剣が折れていて、これ以上なく絶体絶命のピンチである。

 俺は一縷(いちる)の望みにかけて、剣の修復を(こころ)みながらグランツに突っ込むよう指示を出す。


 元々は俺の尾だったとはいえ、ぶった切られてからだいぶ時間が経っている。なので、剣が治せるかどうかは完全に賭けだった。

 だが、結果は御覧の通り。

 俺のせいでグランツが無駄死にすることにならなくて、本当に良かった。

 それどころか、戦士の持つ大剣は今や漆黒の魔獣の尾ではなく、冬の王バージョンにアップグレードされていたのだ。


 正直なところ、自分でも意外だった。

 もしかすると絶望的な状況に(おちい)って、俺がなりふり構わず必死に頼んだからこそ、精霊たちが応えてくれたのかもしれない。


 しかし、問題はまだ解決していなかった。

 泥沼から這い出した俺は、アレックスと治療するディオン司祭の元へ駆け寄る。


「おい、アレックス! なあ、こいつは大丈夫なのか!?」

 俺が(たず)ねると、治療魔術を止めないままディオン司祭が答えた。

「とりあえず、一命は取り()めました。呼吸も安定しています。ですが一刻も早く、ちゃんとした治療をしなければ……」

 彼が行なっているのは、あくまで応急処置にすぎないらしい。


 仰向けに寝かされたアレックスの胸部を見れば、象牙のような素肌には焼け焦げた斬撃の跡が残っていた。

 まるで肉体に刻まれた、死の焼き印。

 今のところは辛うじて生きているが、少年の体力が限界を迎えるのは時間の問題だろう。


 そして都合の悪いことに、この場にあった秘薬(エリクシル)は先程までの戦闘で使い切っていた。

 ジーノ(いわ)く、拠点にさえ戻れればまだあるらしいが……まるで追い打ちをかけるかの(ごと)く、真っ二つに割れた(かぶと)を中心に再び炎が燃え上がる。

 その黒い炎は、もはや見慣れた騎士の姿を形作った。


「ぅおい!? まだ動けるのかよ!!」

 グランツがうんざり気味の叫び声をあげたのも、無理からぬことだろう。


 さらに今度は、何かが泥の中から勢いよく飛び出す。正体はバラバラになった鎧の部品(パーツ)だ。

 それらはまるで、意思を持っているかのように組み合わさって――。


「……なあ。そういった能力の後出しジャンケンは、どこか他所(よそ)でやってくれないか?」


 そんなことができるなんて、聞いてねえよ。

 思わず愚痴(ぐち)(こぼ)してしまったが、それは当たり前のように無視される。


 黒い全身鎧(フルプレート)の騎士。鎧の接合部がガシャンと音を立て、燃える黒い騎士剣(ブレード)の切っ先は油断なく俺たちに向けられた。


 ――完全復活。


 (まと)わり付いた泥を焼き払う鎧の亡霊。

 少なくとも外見だけは、ほぼ完全に元の黒騎士へと戻っていた。


 だが一見すると万全な鎧も、その中身が今となってはバラバラの骨や焼け焦げた肉片であることを、俺は知っている。


 だから、流石にもう限界だろう。

 少なくとも俺の目には、炎の威力が弱まっているように見えた。


 ……こんなことを願う気持ちが認識を歪ませているだけかもしれないがな。それでも、そう信じないとやっていられない。


 俺の背後ではディオン司祭は意識がないアレックスの治療を続けている。

 戦えるのは、俺含めて三人だけ。



 ――それで、このままの調子で戦いを続けたら、次に犠牲となるのは……いったい()なんだ? 



 ふと、そんな不安が俺の脳裏をかすめる。

 その想像は雑念と切り捨てるには、あまりにも現実味(リアリティ)があった。


 なにせ、ここまでずっと黒騎士のしつこさを目撃しているのだ。

 奴がおとなしく死んでくれるとは、到底思えない。


「そろそろいい加減、本当に、倒れてくれませんかねえ……?」

 もうすぐ訪れる限界への焦燥(しょうそう)か、あるいは憔悴(しょうすい)のせいか、苛立(いらだ)った様子を隠せないジーノ。

 しかし、彼が言うとおりだ。その意見には俺も(まった)くの同感である。


 割と本気で、敵役(かたきやく)のお前が素直に負けを認めれば、全てが丸く収まるのにさ。

 俺は黒騎士を憎々しく(にら)んだ。


 しかし、ここは童話の世界なんかではない。

 どれだけ愛や友情に満ちていたって、誰もが幸せな結末を迎えられるとは限らない。


『この未来を選べば、理想(こころ)を捨てられない限り、貴方は幾度となく同じ絶望を繰り返すでしょう』


 ――ふと今更ながら、俺は星詠みの魔女の忠告を思い出した。




 さらに()が悪いことに、俺の頭から生えた(けもの)の耳が近付いてくる二つの足音を察知する。


 一つはネコ系種族の斥候(せっこう)らしく、気配を殺した静かな足音。

 そしてもう一つは……。


「ソフィア、なぜここに……!」


 噴水広場に姿を現したのは、俺が予想した通りの少女たちだった。

 頭にネコミミの生えた赤毛の少女と、白と銀のドレスのような鎧をはためかせるバフォメット族の少女。


 冬の城に居た頃と、だいぶ変わっているようで、それなのに全然変わっていない。

 こんな状況であるにもかかわらず、精一杯毅然(きぜん)に振る舞おうとするソフィアは、やっぱり美しかった。




 マモレナカッタ……(まだ死んでない)。

 そして引退間際に伝説の剣を手に入れてしまったグランツさんは隠居生活が遠のいていく……。


 結局週末になってしまいましたね。

 続きは早め。連休中に投稿予定。

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― 新着の感想 ―
[一言]  お前……消えるのか…………!?  でも、結局延々幸せに、ってはいかないからなぁ
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