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奈落に沈む(下)

 冷たく重い耳鳴りがする闇の中。そこに俺は居た。

 戦場の地響きが低い振動となって、頭の中に直接(ひび)く。


 当然だ。だって俺は、黒騎士を道連れにして泥の中へと沈んだのだから。

 なので、本当なら何も見えないのが正しいのだろうが……不思議なことに俺は今、奴の黒い炎を見据(みす)えている。


 深い奈落の底で、酸素が無いにもかかわらず、当たり前のように燃え盛る呪いの炎。

 泥に阻まれて黒騎士の姿は見えないのに、炎だけはしっかりと網膜に映る。


 それがどういった原理によるものなのか、俺には理解(わか)らない。

 ただ、改めてこの炎が、ただの自然現象とは別物であることを再認識した。


 まあいい。奴の炎が超自然的なものであろうとなかろうと、この泥の中で目印があるのはありがたいことだ。

 奴が着ていた鎧のほうは目に見えないが、炎の形と手探りの感触を頼りに、必死で鎧の形を捕らえ続ける。


 泥の中で、燃える闇。

 光無き世界で、もがく影。


 消える直前の蝋燭(ロウソク)のようなものだろうか。

 黒騎士の鎧は激しく燃え上がりながら、周囲の魔術を焼き払っている。


 だが、水と土を混ぜ合わせた泥自体が消滅することは当然なく――いや、焼き固めて這い上がろうとしているのか? まったく、油断も隙も無い。


 奴のしぶとく、激しい抵抗。それを尾で抑え込むように、全身で(から)みつくように。


 ――絶対に、逃がさない。


 冷たく、重く(まと)わり付く泥の感触。全方向から圧迫してくるように()し掛かってくる。


 苦しい……いや、不死身の俺が呼吸をする必要は無いのだが、どうしてもそう感じてしまう。

 とはいえ、泥の中に沈むこと自体は、これで二回目だ。そういった意味では精神的にも余裕があった。


 さあ、沈め。沈め。沈め!

 どれだけ貴様が足掻(あが)こうと、二度と空の下に帰すつもりは無い!


 お前は泥の中で、燃え堕ちて()け。

 暗く冷たい(おり)の底で、()ちていけ。


 燃え尽きかけた黒騎士の肉が崩れて、灰になった骨が壊れて、弱まっていく生命(のろい)の炎。



 そしてついに――俺の目の前で、炎が消えた。



 …………勝った……のか……?


 あれだけしつこかったのに、最期は(いさぎよ)かったな。

 俺は黒騎士らしからぬ結末に困惑しながら、噛みつく(あご)や手の力を(ゆる)め、様子を見る。


 ()に落ちないが、奴が再び動く気配は無い。俺が拘束していた鎧は完全に沈黙していた。


 どうやら、本当に終わったようだ。

 だが……やっぱりなんか、すっきりしない。あと、何故(なぜ)か胸騒ぎがする。


 まるで、まだ黒騎士が生きているかのような……とりあえず、地上に戻ろうか。

 そう思ってふと上を見上げると、真っ暗な世界で唯一、遥か彼方(かなた)に燃えている黒い炎が目に映った。


 俺は自分の目を疑う。

 バカな。なぜあんな離れたところで奴の炎が燃えているんだ?

 しかも見えている()()が本物なら、黒騎士は今、地上に居る。


 こうしてはいられない。俺は黒騎士の鎧を放り捨て、周囲の泥を凍らせる。

 そして、それらを足掛かりにしながら、急いで浮上した。


 * * *


 一方そのころ、地上に残った面々はすでにこの戦闘の終わらせ方を考えていた。


 たとえ黒騎士が消えたところで、戦争はもう少し続くだろう。

 だが少なくとも、このレヴィオールの地を、これ以上血で汚す必要はないはずだ。


「――さて、喜んでばかりもいられませんよ。まだ戦闘は終わっていませんから」

 ジーノが戦いの終わる気配を見せない城壁のほうを見ながら言った。


「でも、ソフィア姉ちゃんのおかげで戦況はこっちが有利だよね。オレ達が黒騎士を討ちとったって教えれば戦いはきっと終わるよ!」

「……はたして、そう上手く行ってくれるでしょうか?」

 アレックスの発言に疑問を(てい)したのはディオン司祭だ。


「どういうこと? メアリス教国の人たちだって、無意味な犠牲は出したくないでしょ?」

「だといいのですが。なんと言ったって、彼らは黒騎士の配下ですから……」

 ディオン司祭が口にしたのはそれだけだったが、他の者たちはなんとなく納得した。


 しかしメアリス教国の兵士がみんな奴並の狂信者だなんてことは……流石に現実的ではない。グランツがとりあえず提案する。

「まあ、物は(ため)しだ。まずは証拠に()ぎ取った黒騎士の(かぶと)を見せつけてやろうぜ。奴らが投降しないなら……その時は、その時だ」

 そう言ってディオン司祭のほうへと振り返り、何かを探し始めるグランツ。だが目当てのものが見つからない。

 グランツはきょろきょろ周囲を見回した。


「ん? そう言えば奴の(かぶと)、どこへいったっけか?」

 彼につられて他の者も周囲を探すが、なぜか見つからない。


瓦礫(がれき)にでも混ざってしまったのでしょうか?」

「いえ、そんなはずは……」

 ディオン司祭が(いぶか)しげに言った――その瞬間だった。


(あぶ)ないっ!!」


 突然、アレックスがディオン司祭を突き飛ばす。

 その刹那(せつな)、何かが上空から落ちてきて、さっきまでディオン司祭が居た場所の石畳を砕き――黒い炎を噴き出した。


 誰もが地面に注意を向けていた完璧なタイミングを狙っての奇襲。

 空の警戒が主な役目でもある優秀な弓使いのおかげで、なんとか最悪の事態を(まぬが)れる。


 さらにアレックスがすかさず氷の矢を放って反撃した。

 それは、まず回避不能の速射。動作は目に留まらないほど素早く、それでいて流れるような――まさに一流と言っても差支(さしつか)えがない弓捌(ゆみさば)き。少年が積み上げた努力の賜物(たまもの)である。


 しかし、そんな完璧な速射も、燃える黒騎士相手には上手く行かず……ジュワッと音を立てて矢が()かされてしまった。


(く、黒騎士……バカな! そんなはずは!?)

 ならば、泥の底に沈めたのは誰だったんだ!? ジーノは声を出す余裕もないほどに困惑したが、すぐさま違和感に気が付く。


 実体が、無い。

 目に見える黒騎士の姿は、炎によって作り出されている幻影だ。

 唯一(かぶと)の部分だけが本物で、それが黒い炎によって宙に浮いている状態だった。


 考えられるパターンとしては、単なる黒い炎の遠隔操作か、あるいは肉体を完全に捨て、自身の(かぶと)媒介(ばいかい)にこの世へ(よみがえ)って来たのか……。

 ――ちなみに、鎧の姿で再現されているのは、それが彼にとって“最も自然な自分の姿”だったからだろう。


 とにかく、冷静に考察している場合ではない。


(ヴァッス)……いや、泥よ(シュランム)ッ!」


 魔術師のジーノは自分の背後に広がる沼から泥を拝借し、黒騎士の姿を()した炎の消火活動に当たる。


 一方でグランツは動けずにいた。

 なぜかと言えば、目の前の炎の塊に斬撃が通用するとは、とても思えなかったからだ。


 グランツは決して大剣を振りまわすだけの戦士ではない。

 こういった不定形の敵には、大抵の場合だと核となる部分が存在する。そして並の相手なら、その核ごとぶった切る技術をグランツは持っていた。


 だが目の前のこいつはどうだ。

 核はおそらく、金剛鉄(アダマンタイト)製の(かぶと)

 これほど加工が困難かつ貴重な――そして、単純に破壊することすら一筋縄ではいかない物質を核としている相手は初めてだ。


 はたして、自分の技が通じるのか……その迷いが、グランツの判断を(にぶ)らせる。


 迷ったのは一瞬。

 しかし、その一瞬こそが、この戦場では致命的であった。


 ジーノが飛ばす泥を斬り伏せる騎士剣。

 いや、騎士剣の形を()した黒い炎。


 続けて黒騎士の形状をした炎は一番近くの獲物であるアレックスへと襲い掛かる。


 当たり前だが弓使いのアレックスは、黒騎士の攻撃をどうにかできるような防具は身に着けていない。

 だから脱兎の(ごと)く後方に距離をとる。


 悪くない判断だ。

 しかし、目の前の敵は騎士の形をしているだけで、本当は不定形な炎の(かたまり)……つまり、いくら間合いを離しても意味が無かった。


 さらに大きく燃え上がる闇色の騎士剣、アレックスに迫る炎。グランツが一歩遅れて(かば)いに出る。

 だが、もう遅い。


 少年は正面から、黒い炎の騎士剣(ブレード)によって袈裟(けさ)()りにされた。


 炎に肉を切り裂かれ、血飛沫(ちしぶき)すらも噴き上がらない。

 肩から胸にかけて、刀傷とは表現し(がた)(えぐ)れた黒焦(くろこ)げの火傷(やけど)(あと)が広がる。


 それは素人目に見ても、明らかに致命傷だった。


「アレックスっ!!」


 せめて、これ以上は。

 そんな思いから、グランツが黒い炎の騎士に斬りかかる。

 だが案の定というべきか、大剣が炎を切り払ってもすぐに騎士は元の形を取り戻し、お返しとばかりに黒騎士の幻炎(げんえい)が巨大化した黒炎の騎士剣(ブレード)を振り下ろす。

 それを防ぐためグランツは、反射的に大剣で受け止めようとしてしまった。


 今までは上手く受け流していた黒騎士の剣だが、真正面から受け止めてしまえば武器が持たない。

 無残にも魔獣の尾からできた大剣は千切られてしまう。


(あ……これ、死んだわ……)


 歴戦の戦士の脳裏に絶望的な未来がよぎった瞬間――誰かが叫んだ。


「突っ込め!!」


 どうやら、諦めるには早過ぎたらしい。

 グランツはその声の主を信じて、目の前の燃え盛る炎の(かたまり)に――折れた魔獣の大剣で斬りかかった。




 もはや完全に炎のほうが本体

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