リベンジ(中)
――時を同じくして、場所は監視塔。魔術障壁の制御装置がある最上階。
城下町に戦火の広がるなか、ソフィア姫は結界を再構築しようと必死になっていた。
だが進捗は芳しくない。
黒騎士が放った炎に術式の根幹が焼き切られ、装置はほとんど機能停止していたのである。
「ソフィア姫、無理はしちゃダメだよ!」
リップも双眼鏡を放り出して、今にも倒れそうなソフィア姫の肩を支えてくれる。
魔術には疎い彼女からしても、回路を破壊された装置で障壁を出そうとするソフィア姫が明らかに無茶をしていることは理解できた。
リップは触れたソフィア姫の体温が熱っぽくなっていると感じた。
さらに彼女の呼吸は浅く、回数だって増えている。
顔を覗き込んでみればその焦点は微妙に合っておらず、そしてこんなにも寒いのに彼女の全身はじんわりと汗ばんでいた。
「これ以上は本当にまずいって、少しは休まないと――」
「ありがとう、リップ……」
しかし彼女はお礼を言うだけで、決して作業を止めようとしない。
自分が何とかしなければ……じゃないと民が、皆が殺されてしまう。そんなある種の強迫観念が、ソフィア姫を無理やり動かしていた。
だが障壁を再構築する目処が立たないのも事実。
こうなったら、もう一つの方法に賭けるしかないのだろうか。
そう、たとえ結界が無くても、要は黒騎士を無力化できればいいのだ。
ただし、それはかつて彼女が失敗した方法だ――具体的には、黒騎士の呪いを解くことであった。
以前に黒騎士の診察をしたソフィア姫は、黒い炎の真実を知っていた。
彼の炎は、間違いなく呪いの類だ。
魂に絡みつき、肉体を蝕みながら這い回る呪詛。あれは遥か昔の誰か……伝説が本当なら、裏切りの騎士ニブルバーグの憤怒と憎悪が、何かしらの指向性を持って黒い炎の形を得ている。
もし解呪に成功すれば、黒騎士は炎を失い、戦う力も失くすはずだ。
ただ、忘れてはならない。
当時は修道女に扮していた聖女ソフィアのもとに、正体を隠した黒騎士が訪れた際は――彼女の献身にもかかわらず、なんの成果も得られなかったという現実を。
しかし、それは無理もないだろう。
なにせ呪いの起源は、英雄とまで呼ばれた騎士の怨念なのだから。
誰からも褒め称えられたはずの彼が、あらゆる名誉を棄てるほどの妄執か、あるいは執着か……そうとでも表現すべき感情で、黒い炎を現世に留まらせているのだから。
(でも、何かを代償に捧げれば、わたしにだってあの呪いを解くことができるかもしれない……)
ソフィア姫の中に、危険な考えが生じる。
それは魔術を学んだ者なら誰だって聞いたことのある古の魔術――誓約の逸話から得た着想だった。
とにかく、あまり時間はない。さっきもそう悩んでいるうちに、広場の建物が音を立てて崩れ落ちたのだから。
きっとあそこでディオン司祭や魔術師のジーノが……そして婚約者のアレックスと、冬の城から来てくれた魔獣が戦っているのだろう。
しかし、彼らが決して良くない状況であることは、戦場の煙を眺めていれば嫌でも理解できた。
ちなみに結界が修復できていない今、戦士グランツの安否は彼女から把握できていない。
だが客観的に考えて、死んでいる可能性のほうが高い。
それどころか、すでに黒騎士の剣によって少なくない死傷者が出ているはず。
人が死ぬ。それはアレックスやディオン司祭も――あの黒い炎の前では、魔獣さんですら例外ではない。
決断に迷えば迷うほど、全てが手遅れになる。
時間的にも精神的にも、彼女に考えている余裕はなかった。
(わたしは……わたしが差し出せるものは…………また、何もできないままでいるのは、絶対にイヤ!)
できることが限られているなか、ソフィア姫は必死で考える。
そして考えに考えた結果、彼女はついにその発想へと至ってしまった。
もし仮に、黒騎士の強力な呪いを解くために相応しい代償があるとするならば――それは同じく英雄の血を引く末裔の、自分自身の命ではないだろうか?
――結論から言えば、それは可能だった。
ソフィア姫には自覚がなかったが……皮肉なことに、鎖の魔女の血を引く彼女には誓約の魔術を扱う素質があったのだ。
* * *
――襲い掛かってきた黒騎士の剣を、俺は角で受け止める。
そのまま全身で突き上げるようにしゃくり上げ、奴を上空へと撥ね飛ばした。
直後に堕ちてくるのは、俺の全身を包む巨大な黒い炎の柱。視界が炎に呑まれ周囲の様子が分からなくなる。
言うまでもなく黒騎士の攻撃だ。
上空から噴きつけてくる炎を防ぐため、俺は氷のドームを生成する。
すでに背中側は真っ黒に焦げていたが……やはり再生が遅い。今のうちに焦げた部分を氷で埋め合わせて応急処置した。
俺が炎の渦の中で動けない間も、他の面々による攻撃の手は緩まない。
空中にいる間はアレックスに狙い撃たれ、着地と同時にグランツに斬りかかられる黒騎士。
不死身の魔獣が居なくても、素晴らしい連携で黒騎士に引けを取らない英雄たち。
そして俺を拘束する炎の柱が消えた頃、何か考えがあると言っていたディオン司祭がついに黒騎士の真正面へと躍り出た。
全身鎧に加えて剣と盾を装備する騎士に対し、軽装と徒手で無謀な接近戦に挑むディオン司祭。
黒い炎で風の籠手が焼き消される。ディオン司祭はそのつど風の守りを修復するが、やはり炎の熱までは完全に防げていなさそうだ。
しかし、それでも彼は攻撃の手を緩めない。
一対一の対面から黒騎士の動きを見切り、隙あらば数発の掌底を繰り出す。
だが効果があるようには見えない。
あれほど技を駆使しているのに、鎧の内側まで衝撃が通らないのか。
しかも黒い炎に手を突っ込んでいるため、彼の腕は明らかに火傷をしている。指の先なんかは炭化しているようにも見えた。
これ以上は無理だ。そろそろ不味いと思った俺は、戦闘を交代するため黒騎士の背後に回る。
――その時、ディオン司祭が何かを噛み砕き、それを口から吹き出した。
なんだ!? 唾か?
いや、違う。キラキラと輝くそれは、細かく砕けたガラスの欠片だった。
それは黒騎士にとっても予想外の攻撃だったのだろう。吹き出されたガラス片は黒騎士の顔に襲い掛かり、奴をひるませる。
そうか、霊薬が入っていた小瓶か。ディオン司祭は口の中に小瓶を仕込んでいたのだ!
なるほど。霊薬を服用しながら戦っていたのなら、黒い炎に手を焼かれても戦闘を継続できた理由に合点がいく。
この推察が正解であることを示すかのごとく、ディオン司祭の炭化した両の手先はじわじわと再生を始めていた。
しかし、ディオン司祭が目潰しなんて使うのは意外だったというべきか……はっきり言って、この愚直なほどに真っ直ぐで、自分自身に一番厳しそうな老人の印象にそぐわない卑劣な手であるように思える。
だからこそ、黒騎士にとっても不意を突かれる形となったのかもしれない。
――理想を綺麗事のままで終わらせないために、手段は選ばない。たとえ外道には落ちれなくても、汚い手ぐらいなら使って見せる。
俺にはこの老人が戦っている背景なんて知る由もない。
だが……彼の戦い方からはそんな、清濁併せ呑むような決意が、あるいは覚悟のようなものが感じ取れた。
さらにディオン司祭は、黒騎士の頭部へ右腕を伸ばした。
西洋式兜の顔面を覆うパーツ――いわゆる面頬の隙間に指をひっかけて、絶対に外れなさそうなほどがっちりと掴む。
その手が黒い炎に焼かれながら、しかしそれを厭う様子はなく。
秘薬の効果と拮抗しているとはいえ、黒騎士に特攻を仕掛けるディオン司祭の表情には迷いが一切見られない。
そしてディオン司祭は、ここで勝負に出た。
彼は重心を落とし、体を反転させ、盾を持つ黒騎士の腕の下に自分の左肩を滑り込ませたのだ。
「逆巻け!」
その瞬間にぶわっと局地的な旋風が舞い、黒騎士の足が地面から離れた。
黒い炎に臆さない精神。長年積み上げられた技術。鍛錬を怠らなかった肉体。さらに、巧みかつ老獪な風の魔術。
心・技・体・魔の芸術的な一致。
黒騎士はまるで無抵抗であるかごとく老人の背中に担がれ、そのまま転がり落ちるように石畳へと叩きつけられる。
バキッと留め金の壊れる音がして、ディオン司祭が黒騎士の頭装備をもぎ取ることに成功した。
――こ、これは、一本背負い!?
いや、柔道に相手の頭を掴む技なんてなかったはずだ。だから厳密には違うのだろうが……素人の目にはもう、ただの華麗な投げ技にしか見えない。
勢いよくディオン司祭に放り投げられた黒騎士は、受け身も取れず無様に石畳の上をバウンドしながら転がっていく。
むしろ兜が外れさえしなければ、奴の首の骨を折ることができたかもしれない。そう考えると惜しいな。
そして、流石に口に含んだ秘薬だけでは足りなかったのか、ディオン司祭は左肩から背中にかけて広範囲に酷い火傷を負っていた――だが、その皮膚が焦げた右手には、しっかりと黒騎士の兜が握られていた。
思わず俺は感嘆の声を漏らす。
しかし、ディオン司祭のほうも致命傷だ。今の状態で黒騎士に狙われたらひとたまりもない。
ディオン司祭を庇う肉壁となるため、咄嗟に俺は体勢を立て直す黒騎士の前に立ち塞がった。
ところが、投げられた黒騎士の様子がおかしい。
すでに動けるはずなのに、奴は予想に反して地に膝をついたまま、手で顔を押さえ、立ち上がる素振りを見せない。
どうした? まさか、素顔を見られるのが嫌なタイプか? いや、お前はそんな殊勝な性格じゃないだろうが。
俺は警戒を緩めず唸る獣のような呻き声をあげる黒騎士を見据える。
その隙にグランツも最後の秘薬を投げ渡し、自身を治療するディオン司祭を守るように黒騎士に向かって剣を構えた。
「まったく爺さんよ。無茶しやがって」
「すみません。しかし、その甲斐はありました。これで攻撃が通る、はず……で…………?」
いつも鋭く細められていたディオン司祭の目が驚愕に見開かれた。
彼の目に映ったのは、ようやく立ち上がり、俺たちをゆっくりと睨みつける黒騎士の姿。
また、驚愕したのは老人だけでなく、その他の者たちも皆そうだった。
だが無理もないだろう。
俺だって油断していたら、間違いなく叫び声をあげていたはずだから。
なぜなら、兜を外した黒騎士の頭は――それはまるで、人間の形をした蝋燭のように、顔の半分が融解しながら燃えていたのだ。
剥き出しになった骸骨。
それを覆う黒い炎が陽炎のように揺らめき、失った顔を蜃気楼かホログラムがごとく補っている。
しかもそのホログラムの表面や残っている皮膚の下では、謎の文字列らしき何かがムカデかヘビのように這い回っていた。
ずっと人間離れしていると思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。
本当はとっくに、奴は人間を辞めていたのである。
その姿はまさしく、漆黒の鎧に憑りついた亡霊そのものであった。
強い爺さんキャラってかっこいいですよね。
そして気が付けば、いつの間にか一周年。ここまでご愛読ありがとうございます。
出来ればもう少し早く完結させる予定でしたが……。
これからも完結目指して頑張っていきます。




