天地凍結の戦場(下)
アレックスを狙っていた不届き者を熨したあと、俺も敵を蹴散らしながら城壁の壊された場所に向けて移動を開始する。
俺の周囲は死屍累々――厳密には死んでいないが、虫の息の兵士たちがそこら中に横たわっていた。
全身打撲に、酷い場合は複雑骨折。挙句の果てに両手両足氷漬け……運が悪ければ多少壊死したり後遺症は残ったりするだろうが、命があるだけましだと思ってくれ。
まあ、この世界なら治癒魔術なんてものもあるのだ。この程度の怪我、実際は意外と大したことはないかもしれない。
それに、最低限これぐらいはしてやらないと、今度は俺の気が済まない。
むしろ、こいつらは運が良かったのだ。
なぜなら今日の俺は少しだけ、優しい気分だからな。まだ意識のある兵士たちを気絶させながら、俺はそんなことを考えた。
……いや、優しいのは俺じゃないか。
俺の中に優しさなんてモノがあるとしたら、それはソフィアたちがくれたものである。
こいつらがそれを無碍にするようならば容赦なく殺してやるが――“なるべく”彼女の意思を尊重してあげたいと思っている。
さて、もともとの天候は生憎の曇りだったため、精霊に指示できる内容が少なかった。だが、今や俺の権能によって本格的に雪が降り始めている。
この地はすでに俺の縄張り。
どれだけ身勝手であろうと、俺の都合で簡単に天気を変えられる。
味方への支援と景気付けを兼ねて、もう一発、龍の言霊をお見舞いしておこう。
――【雪よ、凍れ】【礫と為れ】【我が敵を】【狙い撃て】――
その命令を切っ掛けに、吹雪に舞う可憐な雪が不細工なゴツゴツした鋭い雹の塊に様相を変える。
……なんだろう? 気のせいだと思うが、なぜか精霊たちが不機嫌になったような感じがした。
訂正してやるべきか?
なら、不細工ではなく、“逞しい”とでも言っておいてやる。
いずれにせよ自然現象を利用して広範囲に攻撃できるのは便利だ。上手く精霊を従えれば、あとはこいつらが勝手にやってくれるし。
天候によってできることが大きく左右されるのが唯一のネックだが……今の俺にとっては大したデメリットじゃない。
強いて言えば、星詠みの魔女に忠告されたとおり、精霊を奪われないよう気を付ける必要があるってことぐらいか。
とにかく、これでメアリス兵の侵攻は邪魔できるはず。
もちろん、前回俺が暴れた時に猛威を振るった氷の刃とは違って殺傷力は低い。つまり、そのぶん誤射や巻き添えが万が一あったとしても、その被害は少なめだろう。
「魔獣さん!」
邪魔してくる兵士たちを叩きのめしながら進んでいると、城壁の上からソプラノボイスが聞こえてきた。
「どうした!」
「あっち! グランツが戦ってる!」
アレックスが指し示す先は、まさに城壁が倒壊している場所だった。もしや黒騎士と? これはもっと急いだほうがいいかもしれない。
「了解だ!!」
俺は体を反転させて目の前の数人を尾で薙ぎ払い、城壁に叩きつける。
さらにそのまま氷で磔にしたが……兵士どもは脳震盪か何かでとっくに気絶していた。
すでに結構な数の敵を倒したが、白を基調とした軽鎧のメアリス兵たちはまだまだ数多くいる。敵だらけの戦場を移動するのは一苦労だ。
しかし、逆にその他の兵種は見当たらない。その事実に若干の違和感を覚えた。
例えば前回は全身をガチガチに固めた鎧を着こんでファランクスを組む重装歩兵みたいな部隊も見た気がするが……どうやらこの戦場に、その姿はない。
まあ、今回は速度重視の進軍だったはずだから、鈍足な部隊はお荷物だったのだろう。
そのおかげで敵兵はほぼ全員が軽装備。空からの氷塊攻撃が効果的だったわけだから、俺からすればありがたい話だ。
俺は空から降る氷の礫に四苦八苦する軽装備の兵士たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返し、その勢いで兵士の群れを突破する。
一方で、城壁の上を並走するアレックスは走りながら、目に付く限りの味方を弓矢で支援している。
相変わらずアレックスの放つ矢はツバメのように翻り、ハヤブサのように敵を強襲した。
あるいはその疾さを、光や雷に喩えていいかもしれない。
少年の城壁内外問わずの辻斬りめいた援護射撃によって、命拾いした連合軍やバフォメット族は数多くいるだろう。
戦場で希望を振りまいて輝く太陽の王子。
まさに伝説のワンシーン。
それこそアレックスは本当の意味で、英雄並みの活躍をしていた。
城壁崩壊の現場に到着してみれば、周囲には黒い炎の気配が色濃く残っていた。確かにさっきまで、奴がこの近くで戦っていたのは間違いなさそうである。
ただし、肝心な黒い鎧姿は見えない。
「……ひと足遅かったか!」
舌打ちする俺。
だが代わりにと言うべきか、壊れた城壁の前でたむろっている集団が居た。その中央にはメアリス兵に取り囲まれながら大剣を振りまわしている屈強な戦士の姿があった。
「へっ、来ると思ったぜ。やっぱこの雹を降らせたのはお前さんだったか!」
また一人、相手を倒しながら戦士は言った。
傷だらけ血まみれで満身創痍。そんな状態でありながら声を張り上げるその男は、アレックスとともに冬の城を訪れた戦士グランツだ。
俺はとりあえず地面から氷を生やし、その周囲の敵を一掃した。
図らずも恐ろしい魔獣と屈強な戦士に挟み撃ちされた形になったわけだが、相手の兵士たちからすればたまったものではなかったはずだ。
不幸にも戦闘不能となった彼らを後目に、俺はグランツと再会を果たした。
「久しぶりだな。元気には……してなさそうだが」
地面から氷の壁を生やし、死線をくぐり続けた戦士を休ませる安全地帯を作ってから俺は挨拶する。
こんな状況だが、実際挨拶は大事だ。
「いや、この雹のおかげで、首の皮が繋がったところだ。感謝しかねえよ……!」
グランツは威勢よくそう言いつつも、ふらりとよろけ、そのまま膝をついてしまった。
その凶暴な笑みを浮かべる戦士を中心にして、明らかに倒れている敵兵の数が多い激戦地区ができている。
彼は敵に囲まれていた中で、まさに孤軍奮闘していたのだろう。
「ねえ、グランツ! これ使って!」
城壁の上からアレックスが金色の液体が入った小瓶を放り投げる。
戦士グランツがキャッチしてみると、それは俺がくれてやった再生の秘薬だった。これでなんとか持ち直せそうだな。
上でアレックスが見張ってくれているなら護衛は心配ない。ならば戦士が薬を飲んでいる間に、俺は壊された城壁の修復に入る。
「よし。お前らには残念だろうが、こっから先は入場制限だ!」
俺が命ずると、冷たい大地が盛り上がる。
メキメキと軋む音を立てながら、まるで霜が成長するように透明な氷が城砦を形成していく。
自分に敵意を向けてくる雑兵を蹴散らしながら、俺は某雪の女王のように氷でできた立派な城壁を完成させた。
攻城戦といえば破城槌を使うとか、城壁に梯子を立てかけて城壁に登るシーンを映画で見たころがあるが……この世界では地属性魔術で直接ぶっ壊してしまうらしい。
もちろん魔術的な対策はしていたのだろうが、そんなもの魔術を焼き払う黒騎士の前ではあってないようなものである。
ただの氷では、すぐに融かされるかもしれない。なので精霊の力を借りて自動修復するように作っておく。
それに丈夫である必要もあるので、俺に宿る魔力をたっぷり食わせておいた。
「ここを塞いだなら、あとは他の奴らに任せても大丈夫なはず……それより黒騎士だ! あいつは何処に行ったんだ?」
「すまねえ、俺じゃ止められなかった……あいつはもう、中に入っちまった!」
俺が尋ねると回復したグランツが悔しさを滲ませながら答える。想像していた答えだ。しかしここで彼を責めるのは酷だろう。
だがそれはそれとして、不味いな……このままでは黒騎士とソフィアが――星詠みの魔女が語った予言が現実のものになりかねない。
一刻も早く奴を止めなければ!
「オイ、俺も連れてけ! 奴にはリベンジしてやらねえと気が済まねえ!」
「は?」
何を言ってんだ? と言い返しかけたが、押し問答する時間も惜しかったので、なし崩し的に許可する。
「まあいい、好きにしろ!」
よく考えたら黒騎士の炎は俺を殺せる以上、死ぬ危険性は同じ。同条件なら俺がとやかく言う権利はない。
それに、どうせアレックスも付いて来るだろうし、人数が増えようと今さらだ。
なにより、こいつの実力は折り紙付きである。敵なら恐ろしいが、味方ならこれほど頼もしい戦士もそう居ない。
俺は乱暴な仕草でグランツを肩に抱え、城壁の壁に氷で足場を作りながら上へと駆け登った。
「魔獣さん、黒騎士の居場所がわかったよ!」
城壁の上でアレックスと合流すると、少年は開口一番にそう言った。どうやらバフォメット族の兵士に町の様子を“視て”もらったらしい。
そう言えばソフィアも、黒騎士が炎を使った残滓を額の宝石で見ていたことを思い出す。
機転が利くな。コミュ力が欠如気味な俺には、地味に思いつけない方法だったかもしれない。
おかげであっさりと次の目的地が決まった。
「でかしたアレックス! 案内は任せるぞ!」
アレックスが俺の背中にぴょんと跨ると、俺は城壁の内側に飛び降りる。
ちなみにグランツは肩に背負ったままだ。着地の衝撃で屈強な戦士は「ぐえっ」と情けない声を漏らした。
さあ、待ってろよ、黒騎士。
この肩に背負った戦士もリベンジだと言っていたが……ある意味俺にとっても、これはリベンジ戦なのだ。
思い出すは脊髄に剣を突き立てられたあの日の記憶。
あの日感じた無力感。その雪辱を、ここで晴らさせてもらおう。
今度は戦場を町中に移し、俺たちは黒騎士の元へと向かった。
――そして城に向かう途中の広場に奴がいた。
かつて俺と戦った時のように、全身から黒い炎を噴き出させ、片手で振るう騎士剣にも炎を纏わせている。
どうやら交戦中のようだ。何者かが足止めをしてくれているらしい。
広場は瓦礫や、おそらく石畳に使われていた石材で荒れていた。
黒騎士と戦っているのは二人の影。
それはメガネをかけた魔術師の青年と、痩身な老人の二人組であった。
続々と集う最終パーティ(ただし全員男)←どうしてこうなった。




