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開戦前夜 ~黒い騎士の懺悔~

 お待たせしました。

 最終章開幕です。

 ――これは、昔々(むかしむかし)のお話です。

 世界の果て、星空の向こう。この世でも、あの世でもなく、別の宇宙(せかい)から、のちに“邪神”と呼ばれる化け物たちがやってきました。


 この世界に住む者達は誰一人、その圧倒的な“(チカラ)”に逆らうことができません。

 彼らの希望は、英雄たち……異界から召喚された子供たちだけでした。


 勇敢な少年が死にました。優しい少女が死にました。正しい大人が死にました。

 そんな救い無き戦いの果て、ついに子供たちは、やり()げたのです。


 それなのに、平和を取り戻した世界に、その英雄たちの姿は無くて……。

 決戦の地から帰って来たのは、たった一人の騎士でした。


「よくぞ、生きて戻りましたね。あなたの帰還を祝福しましょう」

 傷ついた騎士を、女神メアリが祝福しました。


 ところが、騎士は突然狂ったような雄叫びを上げ、全身から黒い炎を噴き出させたのです。

 そしてあろうことか、片翼の女神へ向かって斬りかかりました。


 最終的に騎士はその場で討たれます。ですが、女神はその姿にたいへん心を痛め、人間の世界から姿を消してしまいました。


「あの騎士は裏切り者だ。他の英雄たちが帰ってこられなかったのは、奴が殺したからに違いない!」


 人々は(うわさ)します。


「手柄を独り占めするために、他の英雄を殺したんだ! あいつのせいで、女神さまが御隠れになったんだ!!」


 いつしか彼は、その黒い炎にちなんで『裏切りの黒騎士』と(ののし)られるようになりました。


 ちなみに、騎士の(むくろ)は聖都の地下深く、封印鉄(オリハルコン)の棺に封じ込められました。

 その棺は千年たった今もなお、暗い地面の下で(あか)く燃えているそうです。


 しかし、騎士の罪は消えません。

 呪いの炎は贖罪(しょくざい)のため、延々と(めぐ)り続けます。

 その黒い炎を引き継いだ者が、裏切りの黒騎士の末裔としてニブルバーグの()み名を背負うのです。


 ある時代では、秩序の守護者として。


 ある時代では、異教徒の抹殺者として。


 ある時代では、亜人の屠殺(とさつ)人として。


 終焉(おわ)ることは許されません。

 たとえ後継者の命が絶たれたとしても、その時代で最も適性がある魂に炎は燃え移ります。

 保持者の身を狂気と狂信で焦がしながら、騎士の亡霊はその使命を全うするのです。


 命を対価に魔法を、精霊を、神すらをも焼き尽くす憎悪の炎。

 その今代の“黒騎士”は――。


 * * *


 レヴィオール王国に至る冬の山道。木枯らしが吹く、(いま)だ明けない夜の森の中にて。


 黒騎士ことクロード・フォン・ニブルバーグは日課の祈りを捧げていた。

 彼こそが、黒い炎を引き継いだ裏切りの騎士の末裔(まつえい)である。


 敬愛なる信徒たる彼は、洗礼(のろい)を受けたその日から、一日たりとも祈りを欠かしたことはない。

 たとえ、場所が戦場であったとしても、その習慣は変わらなかった。


 黒い(かぶと)を外した彼は、粛々(しゅくしゅく)と祈り続ける。

 生まれついての高貴な銀色の髪に、(するど)い切れ長の碧眼(へきがん)――そして、右半分が火傷(やけど)のように(ただ)れ、皮膚が墨で染められたかのごとくに黒ずんだ顔の上を、生きた刺青(タトゥー)にも似た呪詛が這い回る。


「我が主、メアリよ……」


 (ささ)げられる祈りの言葉。

 しかし、それはもはや(すが)るようなものですらなく、義務的に、あるいは機械的に()される祈りの儀式だ。


 ――彼はあの日以来、祈りに意義を感じられなくなってしまっていた。


 呪いに浸食されていない逆半分の顔も、老いではなく疲労……いや、()()によって、実年齢よりもだいぶ年老いて見える。


 しかし、明けない夜はないはずだ。

 今まではそう信じて、祈りを(ささ)げてきた。


 メアリ様に全てを(ささ)げれば、何時(いつ)の日かは、必ず認めてもらえるはず。

 そう、私こそがメアリス教の聖騎士にして異端審問官。正義と秩序を(つかさど)る者。

 いつの日か、裏切りの騎士の罪が全て(つぐな)われ、使命から解放される日が――。


「…………いや、そんな日が訪れたところで、なんの意味がある?」


 ぽつりと、声に出てしまった迷い。


 迷いの原因は、唯一この醜い呪いと真摯に向き合ってくれた少女。

 心優しく、高潔な精神を持つ彼女を殺してまで、手に入れるべき未来なんて……はたして其処(そこ)に、どれほどの価値があるのだろうか?


 敬愛な信徒であるはずの彼は今、その心に(ゆる)されざる迷いを抱いていた。


 いくら(いの)れども、黙したままの女神。

 会ったことはおろか、たった一度声を聴いただけでしかない彼女の影を(おそ)れながら、信心深い騎士は定められた善を()し続けた。


 だが――その結果、彼は何を得られたのだろう?


 彼女に本当の優しさを教えられて以来、芽生えた小さな疑問は順調に育っていた。


 今の自分は、異教徒はおろか、同胞からも恐れられ、安息の時間は無い。

 周囲の人間が自分に求める“善”を、“正義”を()せば()すほどに、自分の中からすらも居場所を失っていくような……彼はそんな感覚に囚われていた。


 ――『信仰を疑えば、贖罪(しょくざい)の道は遠くなるぞ』


 それは、無能な神官や枢機卿(すうききょう)たちから、頭ごなしで責め立てるように(たまわ)った、ありがたいお言葉だった。

 神の言葉を思い出したクロードは、頭の中からソフィアの献身を無理やり消し去る。


 そうだ、疑問を抱くだけ無駄なのだ。

 この黒い炎に取り()かれている限り、初めから自分の生き方は定められている。


 彼は自分に言い聞かせた。


『女神に疑いの心を抱くことは、(ゆる)されざる悪徳』


『裏切りの騎士の末裔(まつえい)は、それだけで例外なく咎人(とがびと)となる』、『そこに疑問を持つ行為は許されない』


『原罪が許されるその日まで、黒騎士は使徒として懺悔と(つぐな)いを続けなければならない』


『女神に見捨てられたくなければ、教えに従え』、『さもなくば、未来で楽園への扉は閉ざされるだろう!』


『女神の怒りを買いたくなければ、教えに従え!』、『さもなくばその魂は、永劫の地獄で苦しむことになるだろう!!』


 ――(まど)うことに意味は無い。


 贖罪(しょくざい)の使徒に、自我など必要ない。


 どこか(おど)しにも似ているそれらの教え。

 彼は女神の威光を()って自身の心を縛り、無理やり思考を停止させた。




「将軍閣下。失礼いたします!」


 背後から一人の部下が、黒騎士クロードに声をかけた。

 ちなみに黒騎士は、その部下の名前すら(おぼ)えていない。


「出陣の準備が整いました。いつでも出撃可能です!」

「……そうか」

 クロード卿は部下の男を横目で見てみる。

 すると想像通り、彼は明らかに自分の素顔を――這い回る黒炎の呪詛を恐れていた。


 黒騎士は外していた兜をかぶり直し、くぐもった声で指示を出す。

「では、夜明けとともに、王都を攻める……お前たちはいつも通り、合図を送るまでは包囲と援護に集中しろ」

 遠回しに言ったが、要するに『邪魔だから下がっていろ』という意味だ。


 圧倒的な戦力を有する黒騎士が蹴散らし、取り囲んだ兵士が逃げ出した敵を殲滅する。普段と変わらない完璧な作戦である。

 ()いてこの作戦の問題点を挙げるなら、黒騎士から逃げ(おお)せる者なんて滅多にいないという点だけだ。


 しかし、今回は珍しく、部下からの忠言があった。

「お、お言葉ですが閣下、レヴィオール王国では常駐していた我が軍および研究機関が壊滅したと……もう少し、警戒すべきでは……?」


 ――別に、貴様が戦うわけではないだろうが。第一、私がどうにもできない脅威を、貴様らが心配したところで無意味だろうに。

 部下の心配は至極もっともであったが、黒騎士には面倒臭く思えて仕方がなかった。


 皮肉にも魔獣の徹底した皆殺しが功を成し、彼の情報は一切漏れていなかった。

 だからこそ黒騎士は、臆病風に吹かれた枢機卿(すうききょう)どもの指示によって、正規の兵と合流を余儀なくされたのである。

 しかも、彼らが充分な諜報を済ませるまで、黒騎士はこの王国手前の森の中にて足踏みをさせられていた。

 単独でも戦える彼にとっては、はっきり言って全てが邪魔でしかなかった。


「いや……私には心当たりがある。今レヴィオールを守護している存在が()ならば、むしろ私以外に殺すことは不可能だろう」

 黒騎士が思い浮かべている相手。それはもちろん、冬に呪われた地で戦った漆黒の魔獣だ。


 あの魔獣が相手なら、メアリスの神兵が全滅しても不思議ではない。あの不死の怪物を殺せるのは、おそらく自分の黒い炎だけなのだから。


 雑兵が何人いようと無意味だ。

 彼らが必死で(かつ)いできた大規模破壊用の魔道具でさえも、奴を殺すことはできないはず。


 とはいえ、黒騎士はほんの半月前に独断で戦線離脱したばかりである。その手前、あまり強く意見することはできなかった。

 前回は黒い炎に導かれた結果だと納得させることができたが……これ以上は命令に逆らわないほうが無難だろう。

 黒騎士はそう自分を納得させて、足手まといの存在を受け入れていた。

 ……実はこの兵士たちが黒騎士(じぶん)の見張りも兼ねているなんて、彼は想像すらしていなかった。


 彼が黒騎士として命令違反を犯したのは、あの時が初めてのことだ。

 しかし、彼の上層部はその()()()を不審に思っていた。それどころか、すでに次代の候補者を探し始めていた。

 彼の立場はメアリス教国にとって、どこまでも『人格を有していない兵器』扱いにすぎなかったのだ。


 そんな事情はつゆ知らず、黒騎士は戦場へ(おもむ)く準備をする。

「とにかく、奴の相手は私がしよう。お前たちは自分の心配だけしていればいい」

「は、はぁ……?」

 部下の男はいまいち納得できていない様子だったが、黒騎士は無視をした。


「あの、ついでにもう一つ、質問よろしいでしょうか。閣下?」

「許可する。言え」

 今日はやけに質問が多い。黒騎士は少し(いら)つきながら答える。

「はい! バフォメット族は見つけ次第殺せとのご命令ですが……本当に、よろしいのでしょうか?」

「……何が言いたい?」

「それを実行してしまうと、手に入る悪魔の瞳(バフォメット・アイ)は現在の頭数だけとなります。ここは再度、繁殖用の奴隷を確保しておいたほうが……」

「必要ない」

 黒騎士はたった一言で、部下の忠言を切り捨てた。


「ですが閣下!」

「……奴らを生かしておいた。その結果が、今まさに、この状況なわけだが? 最後の警告だ。余計な欲を出す必要はない」

 甲冑の中から黒騎士がすごむと、部下は震えあがった。


 部下からすれば、黒騎士は得られる見返り(リターン)よりも危険(リスク)排除を優先しているかのごとく見えただろう。

 実際に反乱を起こされて甚大な被害を(こうむ)っているわけだから、バフォメット族の奴隷が制御不能だったのは紛れもない事実であり――再び奴隷化する手間と今の情勢を天秤に乗せれば、判断の根拠としては説得力があった。


 ……だが、黒騎士が言ったことは、もちろん建前にすぎなかった。


 大陸統一を目指すメアリス教国。戦乱の世は今後も間違いなく続くのである。

 となると、長い目で見れば、悪魔の瞳(バフォメット・アイ)を量産できたほうが今後有利となるに決まっている。


 しかし、そのせいで、万が一にも彼女が(けが)されることになるのなら……その可能性を考えるだけで、黒騎士は気が狂ってしまいそうだった。


 だからこそ、全てを焼くのだ。


 跡形もなく、誰にも触れられないように。


 この世界のどこでもない、遥か遠くへと彼女を逃がすために。


 黒い炎で焼けば、霊魂だって消滅する。つまり彼女は死後、亜人や異教徒として苦しむこともないだろう。


 幸いなことに、レヴィオール王家の抹殺命令は取り消されていない。

 それは使命に囚われた彼なりの情けであり、彼に許可された唯一の誠意である。


 ――そして、其処(そこ)には何も残らない。ならば、私はいったい、なんのために戦っているのだろうか?


 ふと、そんなことを考えてしまった。


 亜人を抹殺する。メアリスの教えの通り、正しいことをしているはずなのに。

 改めて自分の誠意の形を見つめ直したとき、其処(そこ)にあったのは限りなく後悔に近い疑問だった。


 ……いかんな。

 惑うことに意味なんてないのに、気が付けば最近はこんなことばかり考えている。

 以前聞いたところによると、人間がこれまでの人生を振り返るときは……大抵の場合、死期が近づいているのだそうだ。

 もしかしたら、自分は今回の戦いで(ほのお)を使い果たしてしまうのかもしれない。


 自分が解放された後の世界に、思いを()せる黒騎士。

 クロード・フォン・ニブルバーグが居なくなった世界は、はたしてどうなるのだろうか――。


「…………閣下?」

 急に押し黙ってしまった黒騎士。部下が恐る恐る(たず)ねる。

 黒騎士は柄にもなくセンチメンタルな気分となった自分に嫌気がさした。

「……いや、何も変わらないか。その時は……また別の誰かが、黒騎士の役を(にな)うだけ。もしかすると、それは貴様かもな?」

「ヒィッ!?」

 何気なく口から出た言葉に過剰反応する部下。

「……冗談だ。そう狼狽(うろた)えるな」

「し、将軍閣下でも、冗談なんておっしゃるのですね。少し、い、意外というか……」

 珍しく黒騎士がフォローすると、部下の男はあからさまにほっとした様子だった。


 心配せずとも、黒い炎の適性がある者はニブルバーグの血縁者であることになっている。

 この情けない部下が次代の黒騎士である確率は、限りなく低いだろう。


「さて……そろそろ、時間だな」

 頭を切り替え、殺戮モードに入る黒騎士。彼は冷酷な声で部下の男に指示を下す。


「目標はレヴィオールの王都だ――出陣せよ」

「了解です! 将軍閣下!」


 兵士たちの号令が響き、彼らの出陣が開始する。

 レヴィオールの民を皆殺しにし、その命の輝きを奪うために。

 黒騎士クロードも……未練がましく最後に一度だけ祈って、その場を後にした。


 ただし、その()びついた祈りは信仰する女神ではなく、これから自分が殺すはずの聖女(ソフィア)に、そして彼女の同胞たちに向けて(ささ)げたものだ。


 それは、消えていく未来への、せめてもの(つぐな)いだった。




 こうしてみると、黒騎士の登場久々ですね。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 本筋とはまったく関係ないのでしょうけど、女神メアリスの扱いってどんな感じなのでしょうか。 過去に実際いてお隠れあそばされた感じになってますが、自分を崇めてる信徒にまったくノータッチ(黒…
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