最後の戦い-2-
広い部屋には円卓が設けられ、壮年の男達が腰掛けていた。所々空席が目立つ。
「陛下! 敵軍が続々と集結中、凡そ7、8千程度と思われます!」
勢いよくドアが開け放たれ、20前後と思われる若い騎士が半ば叫びながら転がり込んできた。
しかし円卓に座る男達は動じる事もなく、微かな嘲笑さえ浮かべてみせる。
「やはり乗ってきましたな」
フィアを煽り、こうなるように仕向けたのは他でもない彼らだ。
今はまだ積極的にフィアの味方になろうという勢力がない。同時に帝国の味方になろうという勢力もない。
本来ならば力で脅し従わせる所だが、先の海戦でほぼ全ての艦を失ってしまっている。
この地の防衛力を割いてなけなしの使者を向かわせる事は不可能ではないが、向かい来るフィアとの一戦を考えれば良い手とは思えなかった。
力で抑え込もうとする事で交渉がこじれてフィアの支援に回られるのも面倒だ。
だからこそ彼らは周辺諸国に帝国にもフィアにも味方をしないよう通達した。
「全軍上空に注意し、飛来物があれば直ちに破壊するように通達しろ」
強面の男性の言葉に、若い騎士が貴族式の礼と共に返事をする。
彼らも城壁を何の計略もなく突撃するとは考えていなかった。
この街の北側には程近い場所に海が広がっている。とすれば、フィアは必ず得意の戦法で攻めてくると見越したのだ。
確かにフィアの考案した攻撃方法は強力だ。しかし欠点はある。
気球は構造上脆く、迎撃されればその時点で爆破、もしくは墜落してしまう。
これを防ぐには常に防御魔法で保護する必要があるが、フィアの率いる軍勢に魔術師が少ない事は判明している。
宵闇に紛れて迫られるのは怖いが、帝国には数多くの魔術師がいるのだ。
常に雷光弾によって空を照らし、発見次第攻撃して潰してしまえば恐れる事はない。
彼らはフィアがこの戦法を用い戦っているところを何度も見ているのだ。警戒に隙はなかった。
フィアの目論見どおり、攻撃の届かない場所で陣を形成したフィアの軍勢を見て首都はにわかに慌しくなった。
矢や投石用の石、散布用の油や篝火がそこかしこに用意され、やがて始まるであろう攻城戦に向けて着々と準備を整えていく。
兵士達にも緊急招集がかかり城門に配備されたが、兵によって士気に大きな差があった。
英雄と呼ばれたフィアを相手にするのが畏れ多かったり、単純に恐ろしかったり、或いは本当に戦うべきなのか疑念を感じていまひとつ身が入らない者。
逆に手柄にしようと張り切る者。全体的に見れば前者には民間の兵士が多く、後者には貴族の騎士が多い。
そもそも兵士の中で本当に戦闘、もとい人を殺す覚悟が出来ていた者は少ない。
なにせ今までしてきた仕事の大部分は土木工事や工作活動なのだ。軍事演習も多少は受けているが総じて茶番である。
せめて敵対する国家との戦闘ならまだしも、今回の相手は同胞の人間だ。民間出の兵士の士気が上がろう筈もなかった。
しかし帝国内でそんな事を言えば投獄されてもその場で殺されても文句は言えない。
暗鬱たる気分のまま、出来れば降伏するかこのまま帰って欲しいと願わずにはいられなかった。
一方フィアとセシリアの2人もせわしなく行き交う兵士達に見つからないよう、建物の影で不可視化を発動させつつ様子を見ていた。
敵の数が多くこれ以上近づく事はできないが、城壁の周りは高い建物もなく視界が開けている事もあって十分に攻撃可能な距離だ。
時刻はもうすぐ正午にさしかかろうとしている。首都というだけあって、既定の時間になると街には鐘が鳴り響く。
それを合図にフィアとセシリアが複合魔法を発動させて城門と城壁を破壊する手筈になっていた。
けれどセシリアは集まっている兵士を見て複雑な心境だった。
『全員、巻き込むつもりなの?』
「あぁ」
可能な限り人数を巻き込んだ方が有利になることは分かる。
けれど、行き交う兵士の士気が必ずしも高くないことも十分に伝わっていた。
戦いたくなくとも外堀は埋まり、戦わざるを得ない状況に立たされた人達が沢山居るのを、フィアは自分で選択した事だと躊躇う事なく断じた。
兵士になるということは有事の際に剣を取る役目を担うことであり、それが納得できる理由であるとは限らない。
だから兵士に志願したのであれば誰かを殺す事も、逆に殺される事も予め覚悟して然るべきである。
フィアの主張が間違っていない事はセシリアにも分かった。
だがそれでも、無益な戦いで散る命は少ない方がいいとも思う。
「なら、お前はどうするんだ」
セシリアの心中はフィアにも見通されていた。
「……城門だけを破壊して混乱させるだけでも戦意喪失してくれるんじゃないかって」
これだけやる気がないのであれば、想定外の事態が起こった時に戦う心を持ったままで居られるかは怪しいところだ。
「どうやって城門だけを破壊する? 城門の前にだって兵は居る」
フィアの言うとおり、城門の前には数多くの兵が集められている。
もし突破されれば中に入れないように押し留める役割を、城壁からの攻撃で数を十分に減らせたなら城門を開き残党を殲滅する役割を与えられているのだ。
複合魔法で城門を吹き飛ばせば彼らが生き残れる確率はゼロに等しい。
「方法は1個だけ思いついた。でも危険はある」
それだけで、フィアはここに来てからセシリアがやけに静かだった理由を理解した。
これから1戦やらかすという時に自分よりも敵の心配をしていたわけだ。
「止めとけ。わざわざリスクを犯す必要があるとは思えねーよ」
ここで失敗する訳には行かない。されど簡単に諦めきれる悩みでもなかった。
『やってみればいいと思います』
セシリアは優の意見に賛成を示す。フィアが明らかに苛立った。
『一体誰のおかげで作戦が実行できるのか今一度考えてください』
もし反対するなら協力しない。そう言われてしまえばフィアに出来る事は何もない。
この作戦の実行にはどうしてもセシリアが必要なのだ。
「……先に何をするつもりなのか教えろ」
暫しの沈黙の後、フィアが思い溜息と共に尋ねる。
「油を運んでたのを見たから。不可視を展開したまま中に入って撒いた後火をつければ人は減るんじゃないかと思って」
フィアが言い返すことはなかった。
城壁は頑丈な石と接着剤として使える特殊な泥と砂で出来ているが、足場や内装には木材が使われている事が多い。
「理論的には可能だけどな……お前のその魔法、完全に見え無くなる訳じゃないんだろ。狭い通路で絶対にばれないと言い切れるか?」
「最近ずっと使ってたし、セシリアと2人で協力して使えば動く時以外はまず見えなくなると思う」
それでも触れられたら分かってしまうし、目ざとい誰かが多少の違和感に興味を示さないとも限らない。
敵だらけかつ狭い場所で見つかれば逃げおおせるのは難しいだろう。
「いや、場合によってはいける、か」
確かに逃げおおせるのは難しいが、それはセシリアが敵だと判断された場合に限る。
セシリアの身体的特徴はまだ一部にしか知られていない上に口伝のみだ。
こんな小さな子どもが帝国にとって重要な人物だと判断できる兵は極限られる。
「……火をつけるのは一番下の階だけで良い。煙が昇るから避難が始まるはずだ。見たところ水の用意はまだない。暫くは全兵力を使ってバケツリレーに勤しむ事になるだろうさ」
遠まわしな行ってこいの合図に、セシリアがぱっと笑顔を見せた。
「じゃ、フィアはこの樽の中に入ってて。不可視が使えないと見つかっちゃうかもしれないし」
直後、酷く後悔したのは言うまでもない。
フィアはセシリアほど想像による補正が上手く扱えなかった。
現象を起こすために必要な知識が優よりも少ないのがその理由だ。
リンクによって知識を与えれば使えるようになるだろうが、セシリアにとって切札にもなりえる魔法を教えるのは躊躇われる。
後は多分、遠まわしな嫌がらせだろう。
フィアを樽の中に押し込んだ後、セシリアは姿を消して慎重に城壁内部へと侵入した。
中はひたすら長く細く続く狭い廊下といった様子で、壁や床、天井は木で作られている。
大きな荷物を運ぶ兵士の後ろから気付かれないくらいの距離をおいて近づくと思ったとおり物資の保管庫に到着した。
荷物を置いて引き返す兵士にぶつからないよう壁に身を押し当ててやり過ごすと中を覗いて目当てのものを探す。
可燃性の油は木製の樽の中に入れられていた。
セシリアの身長ほどもある大樽はとても持ち運べる重さではない。しかたなく魔法を使って樽を横倒しにすると転がしてみた。
丸い事もあって思いのほかよく転がり、保管庫の出口まで押していく。
左右を見て誰も居ないことを確認。樽の口に突き刺されていた栓を引き抜くと、ポン、という景気の良い音がして、中に詰まっていた透明な液体が盛大に漏れ始めた。
それを通路に転がし、風の魔法を使いつつごろごろと転がしていく。荷物を運びに来た兵士が驚いて転がる樽を止めようとしたタイミングで風の魔法を解き放った。
突如速度を増した樽はその重量でもって兵士を押し倒すと猛烈な勢いで転がりだす。
後からやってきた兵士は前に居た兵士が転びでもして樽を取り落としたと勘違いしたようだ。
受け止めようと屈んだタイミングでセシリアはもう一度魔法を発動する。突如勢いを増した樽の一撃によって、彼もまた盛大に押し潰された。
とはいえ、これ以上騒ぎを大きくすれば逃げる隙がなくなると判断したところで樽に向かって火をつける。
後はもう一瞬の出来事だった。
セシリアが出入り口から飛び出してすぐ、異変に気付いた何人かの兵士が様子を見に現場へひた走ると廊下は火の海に変わっていた。
火事を告げる怒声がそこかしこに響き渡り、城門の前に詰めていた兵士が火事を消すべく奔走を始め、まだ敵の位置が遥か遠い事も手伝ってすぐに誰も居なくなった。
「思ったよりも上手く行ったみたい」
フィアを樽の中から引きずり出すと、城壁の入り口や壁の隙間から煙が立ち昇っていた。樽の蓋を開けて転がした事で範囲が広がり、保管庫を巻き込んでの大炎上となったようだ。
消火活動の一部始終を眺めていると正午の鐘が鳴り響く。
「準備はいいな」
セシリアが大きく頷いて、フィアの手を握った。




