最後の戦い-1-
『殆ど無計画じゃない』
薄暗い室内の中で板張りの床の上、直に腰を下ろしているセシリアが絶え間なく襲ってくる振動に辟易しながらぼやいた。
時々平和そうな馬の嘶きが聞こえる幌馬車の中。
商品の日焼けを防ぐためか、風によって砂や埃が混ざるのを防ぐためか、2頭仕立ての上等な仕立ての馬車の天井には木製のアーチが流線型に流れ、その上から分厚い布のカバーを張る事で日光や風を完全に遮っている。
荷物の搬入時には開かれる後部に作られた入り口も、今はしっかりと蓋を閉じていた。
帝国の気候は皇国よりずっと涼しいが、風も通らず、空から降り注ぐ直射日光を布地が受け止める事で馬車内はサウナにも似た高温多湿環境を作り出していた。
その最奥の端で膝を前に抱えて微動だにしないセシリアの姿は置物の様でもある。
スカートが役目を果たさないほど捲くり上げられ白い肌を晒しているが体感温度は然程変わらず、ぐったりと壁に背を預けてい
「方法があるとしたらこれくらいだろうが」
すぐ隣ではフィアが同じように身を縮めている。
少しでも風を送ろうと襟を仰いでいるが蒸された空気が蔓延する室内ではさして効果がなく、やがて諦めたのか彼もまた壁に寄りかかった。
揺れ動いた肩が隣に座るセシリアに触れるなり、彼女はフィアを半眼で睨む。
『暑苦しいんだけど、あんまり寄ってこないでくれる?』
「寄って来いって言ったのはお前だろうが!」
ただでさえ意識が朦朧とするくらい暑いというのに、2人は冬山で遭難した登山者が身体を温め合うかのごとく身を寄せ合っていた。
よくよく見れば投げ出された手の指先が申し訳程度に重なっている。
傍から見れば仲のいい姉妹に見えなくもないだろうが、現実はその真逆。
「2人ともあんまり熱くなりすぎて声をだすのだけは止めてね……」
優の声がそれぞれの頭に直接届いた。
指先を重ねているのは黙っていると際限なく鬱憤を溜め込んで今にも爆発しそうだった2人に、精神のリンク状態による会話というはけ口を与えるための行為に過ぎない。
こうでもしないと2人は小さなちょっかいを徐々に発展させて大事にしかねないからだ。
今は大声を出すわけにも騒動を起こすわけにもいかない。
なにせ、この馬車の持ち主に2人も闖入者が居ることを気付かれてはいけないのだから。
身を寄せ合っているのもそういう理由からである。
フィアが今の人数で城塞都市に攻め入ると宣言したのは昨日の事だ。
真正面から馬鹿正直に攻めたところで城門に近づくまでに半数近く、城門を破壊し終わった後に1000も残ればいいというのが共通の見解だった。。
フィアが率いる兵は数に対して魔術師の比率が圧倒的に少なくなっている。
構成員に貴族が含まれていないことが一番の要因だが、城を攻めるのに魔術師が足りないのは致命的だ。
飛んで来る魔法や矢を防ぐのには防御魔法が最も有効かつ必須条項で、城門を破壊する為の破城槌を保護するのにも必要になってくる。
木製の破城槌は城壁の上から降らされる油と火矢で燃やされる事が多いのだ。
だから正攻法は早い段階から捨てられた。
「手練れが海戦で死んだのは向こうも同じだ。城門を無血で突破して全軍を都市に運び込めりゃ勝負は五分五分だな」
次に考えられたのが一つの思考実験。
一体どういう状況を作り出す事が出来れば敵を倒せる可能性が出てくるのか。
とはいえ、動かせる兵はこの状態から1人足りとも増やせない。となれば、行える思考実験はほぼ限られる。
その中で最も可能性が高かったのが、城門はひとまず無視してこの人数で中に切り込めたらどうなるかという仮定だ。
戦いには常にフィールドが存在する。
平地、船上、海岸線、城砦、市街地、森林、砂漠、山脈、雪原。あげればきりがないが、そのどれもが戦闘に大きな影響を与えるのは言うまでもない。
先の仮定では城門を無視した先、市街地での戦闘行為が見込まれるが、こと市街地では魔法の運用が難しくなる。
魔法の利点は遠距離からの強力な一撃。
しかし、市街地では距離を稼ぐのは難しく、障害物も多いことから魔法を避けられる可能性が高くなる。
狭い通路では一度に相対できる人数も限られるし、細かな路地が網目状に張り巡らされていることで戦力も分散してしまう傾向にあるのだ。
そうなれば生きるのは個々の力。
魔法も剣術も使える訓練された騎士に勝つのは難しいがそうでない雑兵ならば切り伏せる事は難しくないだろう。勿論、こちらにも相応の被害は出るだろうが。
「しかし、城門を無血で突破など……」
フィアの仮定を聞いた兵士の1人が遠慮がちに声を上げる。恐らく何も言わなかった兵達も同様の思いだったことだろう。
城砦を落とすのが如何に難しいかは兵士であれば誰もが知るところだ。
兵糧攻めで弱らせてからならまだしも、万全の状態の城砦に真正面から挑んで勝てるほど帝国の作りは甘くない。
けれど、フィアはだからこそ弱点になりうると訴えた。
城塞都市である帝国の首都は防御に甘え、傾倒し過ぎている。
兵を外に出さない事でこれ以上裏切る環境を作らせないという意図もあるにはあるのだろう。
だが同時に、自分達は安全な場所で守られていると思っているから、わざわざ危険な平野に兵を向けようとせず、挑発する事で攻めを促してきたという意図もありありと読み取れた。
守りの堅さに絶対的な自信を持っているのは間違いない。
「ま、外から攻めりゃ負けは確定だな。だがやつらも、まさか内側から、それもたった2人で御自慢の城壁がぶち抜かれるとは思わないだろ」
フィアの自信有り気な物言いに場がざわつく。
帝国にとって、というより、この世界にとって城壁とは多数の兵士が取り付き破城槌で打ち破るか、梯子をかけて内部に侵入し開放するかのどちらかしかありえない。
城門が遠くから破壊できてしまう火薬や大砲の開発ができるまで、もしくは魔法の研究が進んで威力が跳ね上がるまで、この法則は変わらないだろう。
ではその"安全"がもし一瞬にして崩れ去ったらどうなるのだろうか?
敵に与えられる混乱や士気の低下は想像だにできない。
時間と材料さえあれば大砲を作って完全なワンサイドゲームを行う事が出来たのかもしれないが、今はこの両方が足りていない。
だが幸いにして、条件付ではあるものの、城門どころか周囲の城壁まで吹き飛ばせるだけの火力を既に握っていた。
セシリアとフィアによる複合魔法である。
城塞都市には日々周辺の農村から食料や物資などが運ばれている。それに紛れて極少数が帝国内に進入する事は然程難しくない。
セシリアの不可視化を使い、暗がりの荷台の隅で縮こまっていればまず発見されないだろう。
もし発見されたらその時はその時。
逃げて次の手を考えるなり、可能であれば隙を突いて薙ぎ倒した後で帝国内に潜伏してしまえばいい。
大胆なフィアの作戦を誰もが唖然とした様子で聞いていた。反対意見はついぞ出てこない。
その後は何故か異様に先を急ぐフィアによって作戦はみるみる間に形を作り、第一の布石としてフィアとセシリアが帝国内へ潜入することになり、今に至る。
馬車への侵入はそう難しくなかったのだが、暗がりとはいえ完全ではない不可視の魔法を広範囲に展開すると逆に違和感が出てしまう。
それを防ぐためには荷台の隅で出来るだけ身体を小さく、目立たない様にするのが好ましく、2人は雪山の遭難者よろしく身を寄せ合う選択を取らざるを得なかったのだ。
道は一応の舗装をされているとはいえ、現代のようなアスファルトやコンクリートで固めてあるわけではなく、ただ土を固めているだけで、雨や風によって簡単に凹凸が出来てしまう。
車輪がその上を通るたびにサスペンションなど期待できる筈もない荷台は跳ね上がり、腰やお尻をしたたかに打ち据え気分を更に凹ませる。
日が昇っている間は温度がゆっくりと、しかし確実に右肩上がりを続け、篭もった熱気で頭がくらくらした。
密封状態の荷台は流れ出た汗が風で冷やされる事もなく、不快指数は振り切れんばかりだ。
こんな劣悪な状況で機嫌がよくなる筈もなく、些細な言い争いは止む気配がない。
「大体お前だって今回の作戦に異は唱えなかっただろうが」
咄嗟に反撃の一言が思いつかず、セシリアの小さな呻き声が意識の中で流れた。
セシリアにとっても早期決着は望むところだ。というより、フィアに勝ち目があるとすればもはや短期決戦しかない。
大体3日くらい。これが臨界点だろうとセシリアは思っていた。
それ以上戦いが長引くようなら、恐らく自分にもフィアにも勝ち目はない。
原因は優の支払う概念魔法の代償だ。
セシリアの概念魔法が未来を切り開く為に過去を繰り返し、結果的に未来で使うはずだった記憶の容量を圧迫するという代償だったように、能力と代償は密接に関係している。
未来を得る為に必要なのは未来の可能性。
優も同じように、セシリアを助けることを願ったせいで常にリンクがきれなくなった。
初めは互いの考えている事が全て分かってしまうという事その物が代償なのかとも思いはした。
それは確かにある種間違っていないのだろう。ただ、その先があった、というだけで。
『そもそも、負けたらどうするの』
「そん時はお前の魔法があるだろ」
だからそれはこの状態で成功するか怪しいのだと心の中で悪態を付く。
可愛らしい口から小さな舌打ちが漏れた。
帝国までの道程は凡そ1日、忍び込んだのは夜中だったが、翌日の夕方には辿りつくことができた。
兵士が馬車を呼び止める声が聞こえてくる。
よく聞き取れないが積荷と許可書の確認をしているのが何となく伝わってきた。
問題はこの後、兵士が中に入り物品の確認をする時だ。いかにしてばれずにやり過ごすか。
とはいえ出来る事と言えば固まって祈ることしかないのだが。
確認が終わったのか、馬車が再び動き、暫くするとまた停まる。背後から重い物を降ろす様な音が聞こえてきた。
一応非常時ではあるから、城塞都市の外部に続く門は全て厳重に閉じられ、商人が使える場所は北と南の2箇所に限定されている。
突然、馬車の荷台に強烈な西日が射し込み、セシリアが呻きそうになった所でどうにか堪えていた。
暗がりの中にいた2人はきついものがあるがフィアは予想していたのか予め目を閉じていて、リンク状態のセシリアを嘲笑っていた。
兵士は手狭な室内の中、山と詰まれた木箱をランダムに開けたりしながら問題がないかを確認していく。
そして遂にその時がやってきた。セシリアのほぼ前、フィアのすぐ隣にある木箱の検閲を始めたのだ。
幸いにして2人に気付いた様子はないが油断は出来なかった。
不可視の魔法は視覚的に見えなくしているだけで現実にはそこにある。
何かの思いつきで、気まぐれで、体勢を崩してもう数歩も踏み込まれれば彼の足は2人の存在を捉えるだろう。
兵士の動き、特に足元に2人して細心の注意を払う。
だからこそ、頭上で木箱の点検中だった兵士が積荷の木の実を落としてしまった事に気付けなかった。
兵士はしまったとばかりに手の平から零れ落ちていく木の実を凝視し、不意に消失した事に目を丸くしていた。
「あれ、確かにここに落ちたはずじゃ……」
彼の視線からは何も置かれていない床が見えているはずだ。
陰になって薄暗くなっているどこかに落ちた木の実に向けて、彼の手が何の躊躇いもなく伸ばされる。
避ける事も逃げることもできなかった。真っ直ぐに伸びてくる手をなかったことには出来ない。
ならば、と、セシリアがその手を握った。
兵士の顔が明らかな驚愕に彩られ、声をあげる刹那に不可視化の魔法を優が阿吽の呼吸で引き継ぎ、セシリアが別に魔法を発動する。
記憶の変更。木の実は落とされなかった。
「あれ……。まぁ、異常はないか」
一瞬記憶が飛んだ事に疑問は感じているようだったが、落とした木の実を探そうとはしなかった。
後は踵を返して蒸し暑い馬車を降り、簡単に行ってよしと声をかける。
『危ないところでした』
「寿命が縮まるな……」
馬車は再び動き始める。最近まで帝国の中心にいただけあって、フィアはこの馬車の今後の動きを把握していた。
国が買い取った物資は一度保存庫に保管される。
荷解きの時にまだいると発見される可能性が高くなることから、脱出は保管庫の中に入ってからすぐ、ということになった。
不可視の魔法はそのままで、入り口まで近づくと外を確認してタイミングを計る。
常に監視の目が在るわけではなく、降りるのは簡単だった。後は迅速に物陰に身を潜めつつフィアの案内の元使われていないという一室に潜り込んだ。
誰も使っていないのはいいが何分埃が酷い。室内には窓もなく換気さえ出来なかったが文句は言えなかった。
「ひとまず首尾は上々だな。作戦の概要をもう一度確認する」
「確認するほど内容があるとは思えないけどね」
辛辣な言葉が優の物であったことを察して、フィアが苦い顔をする。
一方でセシリアはまたか、と内心嘆息していた。今の言葉は優の物ではなく自分の物だったはずだ、と。
作戦内容は酷く簡単かつ大胆だ。いや、そもそも作戦と呼べるかすら怪しい。
フィアとセシリアが帝国内に侵入した後、要塞に集まった全軍で帝国首都に赴き、敵の攻撃がぎりぎり届かないであろう場所に陣を取る。
わざと目立たせる事で敵はどうしても彼らに傾注せざるを得なくなり、城門、城壁に詰める兵の数は増やされる。
そして真昼間、まさに白昼堂々進軍を開始する事で限界まで敵の兵力を集めたところで背後から城門もろともに吹き飛ばすのだ。
混乱の最中、数キロメートルの距離を怒涛の勢いで進行し城砦都市に侵入、混乱を混沌に書き換える。
一方でセシリアとフィアは姿を隠しつつ王城に赴き、可能であれば国王を排除すれば目的は達成。
言葉にするのは簡単極だが実行に移すのは非常に難しい。
特に王城は質のいい駒を大量に配置しているはずだ。これを2人でどう突破するか、考えていないのだ。
『本当に無計画じゃない……』
「なるようになる。やってみるしかないんだよ」
『一つ疑問なんだけど、どうしてこんなに事を急いだの?』
セシリアの疑問に、フィアは沈黙で返した。それ以上追及する気がないのか、セシリアも何も言わない。
けれどフィアの顔はどこか焦っているようにも映っていた。




