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果ての世界で  作者: yuki
第三部 帝国編
45/56

目的-2-

『一応、ちゃんと助け出したのね』

 セシリアが寝入ってから少しして、同じ人物だというのに雰囲気がまるで違う声が突然馬車の中に満ちた。

 傍にいた女性は先ほど閉じられたばかりの目が開かれているセシリアを見てきょとんとしているが、フィアは声を聞くなり馬車を止めて中へと入る。

「そいつにちょっとばかし話がある。操縦は任せた」

 女性は訝しげにフィアを見るが、細い明かりの中に浮かぶ驚くほど真剣な表情を見て渋々ながら頷く。

「よう、性悪女」

『なによ、変態』

 互いを包む空気がひんやりと冷たさを増す。

 どちらも険悪な面持ちで互いを睨み合う中、先に口を開いたのはセシリアの方だった。

『救出に4日も使うなんて遅すぎるわ』

 憮然とした物言いに、フィアが苛立たしげに毒づく。

「ふざけんな。4日は奇跡だろうがっ。てめぇこっちがどれだけ苦労したと思ってんだ! ちったぁは感謝くらいしやがれっ」

『"彼"なら1日かからないもの』

 だがセシリアはフィアの憤りもどこ吹く風、まして感謝する様子などどこにもなくさらっと流した上に良く知る相手と比べてみせる。

 怒りからか、或いは目の前の小さな少女へこれ以上不満をぶちまけるのは大人気ないと思ってか、フィアは煮えくり返る感情をどうにか抑えていた。


 そもそもフィアは今回のセシリア誘拐について一切知らされていない。

 その上帝国は多数の島が点在する海洋国家を統合したもので、帝国が使える監禁場所は3桁に達する。

 元々一つ一つの国がそういった設備を当然の如く有していたし、1つきりという事もなかった。

 どこに運ばれたかも不明なセシリアを4日で見つけるなど奇跡以外の何物でもない。……普通ならば。

「一体どういうことだか説明してもらおうか。どうしてお前はここにいる」

 どかりと胡坐をかいて座りなおしたフィアが仕切り直す。

『帝国に誘拐されたからよ』

 ある意味当然の回答に、フィアは頭を抱えて叫んだ。

「ちげぇよ! 俺が聞いたのはそういう意味じゃねぇ! どうしてお前は自分が攫われる未来を正確に把握してやがった。挙句、船の中で俺にその記憶を流し込んだのは何故だ」

 フィアがこの短期間でセシリアを見つけ出せた理由は未来に起こる出来事を予め知らされていたからだ。

 船の中で強制的に流れ込んできた記憶の中に、セシリアが誘拐された後に監禁され、ついでとばかりに拷問されている記憶があった。

「初めは俺がお前を連れて行ったときの未来かとも思ったがな、時期が違った。帰りの船の中で検証して本国の信用できる仲間に調べさせりゃ焦った帝国がお前を連れ去る計画を立てたって言うじゃねぇか。しかも奴等、成功してお祭りモードときたもんだ」

 一度区切ってセシリアを伺うが答える様子はなかった。はぐらかされたことに、フィアが鼻で笑って挑発を投げる。

「皇国の警備は要人一人すら守れないほど歯抜けになったか?」

『なるわけないじゃない。仮にも王城暮らしよ。城内外を問わず王都の中で私を攫うのは不可能ね。王都の中なら十人程度に囲まれても城まで逃げるくらいの力は彼にだってあるもの』

 むっとして言い返すセシリアにフィアが再び問う。

「じゃあどうしてお前はここに居る」

『可能性なんて、最初から一つしかないじゃない?』

 セシリアがお返しとばかりにくすりと笑ってみせた。

 先ほどからフィアが何かを確認しようと思ってもセシリアは曲解して別の答えしか口にしない。

 フィアにとってはフラストレーションが溜まるばかりの会話で、怒鳴りたい衝動に何度も駆られながらどうにか嚥下する。

「お前が攫われた理由なんざどうでもいい。俺が聞きたいのはお前の目的だ」

『言うと思う?』

「いい加減に自分の立場ってもんを考えたらどうなんだ」

 嚥下しようと努めていた感情の一端が飲み込みきれず、思わずフィアの手が肩に伸びた。

 途端にセシリアの浮かべていた笑みが痛みによって歪む。

『痛いんだから、触らないで』

 咄嗟に謝罪の言葉が喉元まで出掛かったがフィアは謝る義理などないと思い直して寸前で飲み込んだ。

 再びお互いの間に沈黙が流れる。

 フィアはこれ以上話せばまた苛立つのが分かっていたし、セシリアは難しい顔をして微動だにせず、天井を見上げるだけだ。

『……』

 セシリアのこれ見よがしな溜息が漏れて天井を見つめていた瞳がフィアに向けられる。

『私の目的は……そうね、世界平和、かもね』

「ネジが逝かれてんじゃねぇのか」

『かもね』

 てっきり嫌味の2つ3つは返ってくるかと思っていたフィアは、思いのほか真面目なセシリアの物言いに真意が測れず言葉を詰まらせた。

 世界平和を心から願っているわけではないが、近しい何かを願っている。

 フィアがセシリアの目的について思いをめぐらせていると微かな呟きが漏れた。

『貴方はこの国の王になれない』

 小さな声だったというのに馬車が走る音にも掻き消えず、同時に馬車が大きく揺らいだ。

 女性が慌てた様子で小窓から中を確認すると本気で怒りを露にしているフィアが馬車の壁を殴りつけて凹ませてさえ居た。

「このまま外に投げ出してやろうか」

 今までよりもずっと本気の色合いが強い声でセシリアを睨みつけるが、気にする様子はなかった。

『私は貴方に未来の記憶を流した。そしてそれは現実になった。その上で否定するなら好きにすればいいわ』

 淡々とした物言いにフィアが歯噛みする。

 セシリアが拉致され運ばれる自分の未来の出来事を余すことなくフィアに流したのは事実だ。

 どういう理屈で未来を知ったのかフィアには皆目見当もつかなかったが情報の精度に関しては驚くべきものがあると感じている。

「だからといって、はいそうですかと頷くわけにはいかねぇんだよ」

 けれど、その言葉が本当かどうかフィアには判断できない。

 いや、もし本当だとしても今更後に引くわけにはいかない。

『でしょうね。私も諦めてもらったら困るの』

 ごった煮の感情を磨り潰すような重苦しいフィアの言葉にセシリアも頷いて見せた。

「はぁ?」

 フィアが怪訝な声を上げ、どういう意味だとばかりに首をかしげる。

『概念の干渉は貴方も知ってるでしょ』

 セシリアの言葉にフィアが難しい顔をしながらも僅かに頷いた。

 概念そのものに干渉する魔法は想像による補正の延長線上にある。

 想像による補正に必要なものは膨大な知識と世界の理だが、概念に干渉するには感情や信念と言った精神的な部分が必要になる。

 現実を凌駕するほどの強い願いや想いを想像の補正によって組み替えることで、魔法とは既に呼ぶことが難しい奇跡を発現できるからだ。

 無限の可能性を持った最上級の魔法ではあるものの、原動力となる願いや想いは狙って得られるものではない。

 故に同じ概念の干渉と言っても効果は人によって異なる。

『貴方の性質は過去の経験から基づく"許容できない現実の否定"ね』

 隠し通すのは無理だと思っていたが、いざ目の前で指摘されるとフィアも呻かざるを得なかった。

 この手の魔法は原理を解析されない方がずっと有利に働くからだ。

『それから概念の干渉が代償を伴うのは貴方も同じ』

 魔力を使って魔法を使うだけなら、代償は魔力だけで寝て起きれば回復する。

 しかし概念の干渉は別の、回復しない何らかの代償を迫られる。

「さあな」

 適当にはぐらかすフィアだったが、セシリアは興味がないのか特に追求することもなかった。

『私の性質はね、死者蘇生。お父様の魂を何かに宿すことで蘇らせたかった。その結果、高位次元の魂へ接続する術を手に入れた』

 突然自分の概念への干渉について語り始めたセシリアに、フィアは目を丸くする。

 セシリアが力望み努力したきっかけは父親の死だ。そして、できることなら父親を蘇らせたかった。

『初めはそう思っていたわ』

「嘘かよ!」

 フィアのつっこみに迷惑そうな視線を投げかける。

『私の本当の望みはお父様に死んで欲しくなかった、ただそれだけ』

「何が違うってんだ。どっちも生きてて欲しいってことだろ」

『別に違いが分からなくてもいいわ。でもこの違いが原因で私は未来を観測する術を手に入れた。だから間違いなく貴方は負けるわ。そしたら何が起こると思う?』

 セシリアの疑問にフィアは悩む必要すらなかった。何度も頭の中で考えた事のある問題だからだ。

 そして想像はいつだって最悪と形容できる未来にしかならない。

「奴隷制度は復活。だがそれを是とする鍛え方はしてこなかった。争いになるだろうが、勝ち目はねぇ」

 帝国が奴隷制度を再建するといえば周辺諸国は諸手を挙げて受け入れ嬉々として捕獲に走るだろう。

 元奴隷の中で戦闘訓練を受けているのは一部だ。いくらなんでも正規軍を相手に大立ち回りを期待するのは酷だ。

『だから私をダシに交渉するフリをしつつ王城を攻めるのよね』

 王と貴族さえ殺してしまえばフィアは民衆に受け入れられるだけの基盤がある。

 まだ正式に奴隷制度の再建を宣言していない今なら、予め集めておいた兵力で持って首都を急襲し城を落とすことも不可能ではないかもしれない。

 情勢は著しく不安定になるだろうがフィアであれば王亡き後もこの区域の王として治めることはできるかもしれない。

「だからお前はここに来たと? だったら余計なお世話ってもんだ。お前さえ掴まってなければ帝国がここまで増長する事もなかっただろうよ」

『より悪いわ。本来帝国と皇国が争っても皇国に勝ち目なんてない』

 皇国の騎士は貴族が大部分だ。先の大戦で人手不足に陥ったことから、平民相手にも騎士の公募をしているとはいえ希望する人員は少ないし弾かれることもままある。

 平民が力を持つことを良しとしない貴族は未だ多いのだ。

 徴兵制度がなく、兵力になれるのは貴族ばかりという世界ではどうしても戦力の絶対数が少なくなる。

 それこそ、フィアによって連合艦隊が殲滅されたことで首都防衛用のほぼ全ての騎士団が手酷いダメージを負ってしまうほどに。

 中には機能その物を失い統合してどうにか再編したところも多い。

 今後は外地に派遣されている騎士を首都に戻して人手を補うことになるだろう。

 国王がセシリアを王家に招いたのも不安定な情勢に揺れている皇国内で頭の悪い貴族が何かしでかさないかを警戒してという部分もある。

 手薄になった部分に勝手に手を伸ばせばどうなるか分かるな、と暗に言っているのだ。

 対して帝国は皇国よりずっと前から転生者であるフィアの知識を以って発展して行った。

 貴族しかなれない騎士制度などとっくの昔に取っ払い、貴族以外でも、それこそ元が奴隷でも兵力となれる基盤が整っている。

 多国間を統合し貴族という概念が皇国より廃れているというのも大きい。

 もしこのまま二国が復興を始めた場合、再生する速度は帝国の方がずっと早いといえる。

「帝国がまたそう遠くない未来に攻めるってのか? 4万もの兵と百数十の船を沈められひたすら恐れ戦いてる無能が? 流石にねぇよ」

 帝国にとって皇国は、というよりセシリアが完全にトラウマになっている。

 もし兵力を回復したとしても生半可な覚悟では攻めようと思わないだろう。

 けれどフィアの考えをセシリアは静かに否定した。

『一つだけあるの。皇国を攻めうるきっかけが、ね』

 それが何かフィアも気に掛かったが尋ねても教える気はないだろう。

「そんな物がもしあったとしても5年は先になるだろうさ。その間にお前は遠慮なく持前の知識を振るえるはずだ。何やってたのか知らねぇが、少なくとも俺よりずっと早く国を発展させられるはずだろ。なら帝国なんて来ずに皇国でどっしり構えて不穏分子に対する枷になった方が良いに決まってる。お前がわざと誘拐されてやる必要なんてねぇだろ」

 5年あればセシリアに何ができるだろうか。確かに今現在、帝国の方が進んだ技術を持っていたとしても2、3年でひっくり返され兼ねない知識を持っているのだから。

 ならその知識を使いつつ広告を万全の状態に持っていくべきだ、というフィアの意見は至極尤もでもある。

『私は皇国の抑止力になりえないの』

 淡々とした声に、どこか物悲しげな感情が滲んでいた。

「お前が居るだけで誰も皇国に手を出そうとは思わねぇだろ。内部の敵だって国の後ろ盾さえ手に入れられりゃどうってことない。これ以上の抑止力がどこにあるってんだ。まさかその見てくれのせいで舐められるとでも思ってるのか? だとしたらお前の頭は花畑だな。余計怖いに決まってんだろ」

『そういう意味じゃない』

 ならどういう問題だと思ってもセシリアがこう答えた以上、教えるつもりはないのだろうと追求はしなかった。

「それで、世界平和を実現せしめんとするセシリア様は一体何をお考えなので?」

『私を貸してあげる。後は自分でどうにかしなさい』

「はぁ?」

『……それから、そうね、私が彼の時は優しくしてあげて。彼は随分昔に兄を亡くして、元の世界と雰囲気の似ている貴方に重ねている節があるから。それじゃおやすみなさい』

「ちょっと待て! なんだそりゃ!」

 うっかり肩を掴み揺さぶりそうになった腕をどうにか押さえている間にセシリアは目を瞑って安らかな寝息を立て始めた。

 結局核心部分は何も聞けず不完全燃焼に叫びたくなったが性悪女でない方のセシリアは特に嫌っているわけではない。

 言うなれば彼もまた、あの性悪女の被害者だからだ。

 遠路はるばる異世界から意識を持ち出されるなど思っても見なかったことだろう。

 変わりに優の家族を助けるという話を知らない彼にとって、今ここでぐっすり寝ているセシリアをどうこうするつもりはない。

 余っているガウンの一つを取って寒くないように上からかけてやることさえ自然としていた。

 手が柔らかな頬に触れた瞬間、セシリアが僅かに唸る。

「……お兄ちゃん」

 か細く零れた寝言にフィアが大きく揺れた。

 まるで雛が親鳥を求めるように、触れる手に擦り寄ってくるのをどこか寂しそうに、懐かしむように見つめる。

 手を伸ばして頭を撫でると絹の様だった髪は汚れていて、それが余計にフィアの心を締め付ける。

『なんてね』

 壁に硬いものをぶつける鈍い音が響いて、小窓から再び女性が覗くとフィアが壁に頭をたたきつけている異様な光景が映り、見なかったことにした。

『元から彼に兄なんて居ないから安心しなさい』

「て、てめぇ!」

 気恥ずかしさと怒りと色々な感情が積もって上手く舌が回っていないのをセシリアは意地悪く笑う。

 けれど次の瞬間、セシリアの瞳が凍りついた。

『私は貴方が死ぬほど嫌い』

 突然放たれた言葉を初めフィアは理解できなかった。一言で言うならば、それは異質な何かだ。

 重くて黒くて冷たくて尖っていて、どろどろと流れ出る純粋な憎悪。

 淡々と受け答えしていた姿に最悪な印象を覚えたフィアだったが、あんなものまだ可愛げがあるとさえ言える。

 7歳の少女が溜め込むことのできる量を遥かに超えた感情がそこにはあった。

 フィアは魔法を使われたのかと思ったが、すぐにその考えを否定する。

 セシリアが一瞬だけ噴出させた感情の発露に当てられただけだ。

「そりゃ……そうだろ、攻めてきた敵を好きになれるかってんだ」

『そんな事はどうでもいい』

 攻めたことさえどうでもいいと言わせる圧倒的な憎悪と嫌悪に覚えなどあるはずもない。

『貴方は何度も彼を壊した』

「意味わかんねぇ。助けるのに4日かかったのがそんなに不満か?」

『そういう意味じゃない』

 先ほどと同じ言葉が理不尽に突き立てられて会話が打ち切られる。

 どういうつもりか尋ねたところで答えたりはしないだろう。

 けれどセシリアが眠りにつく前に、一言だけ、先ほどと同じ言葉を口にする。

『彼には優しくして』

 フィアからの返事はなかった。

全面改稿しました、突っ込みは歓迎ですっ

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