転生者たちの戦い-6-
あるところに一人の少年がいた。
彼には家族が4人いる。
厳格だが時々は冗談も言ったりする気のいい父親と、ともすれば不釣合いと言えるとても綺麗な母親。
そして母親の血を色濃く受け継いだ可愛いさでは右に出るものなどいる筈もないと豪語する妹。
少年の家族はみんな仲が良かった。
特に彼にとって初めての妹の事は生まれてこの方一度も喧嘩した事がないほど溺愛している。
"シスコン? いいだろう別に。妹を大切に思って何が悪い?"と胸を張って言い張るくらいに。
妹が僅か4歳の時から、いつしか相手を見つけて結婚するのか、絶対嫌だと頑なに思っていたほどだ。
彼の父親でさえそれを見て苦笑するくらいだったが、妹は少年にもよく懐いていた。
歳を追うごとに可憐さを増していく妹は素直に、真っ直ぐに育って、少年にとって数少ない誇りの1つでもある。
そんな少年のもう一つの誇りは魔力があることだ。
両親には魔力なんてないのに、どういう訳か少年には生まれた時から魔力が宿っていた。
この地方では精霊に見初められたとも言われている稀有な現象だったが、だからといって少年が非凡な人生を歩めたわけではない。
なんてことはない、彼の家は酷く貧乏だったのだ。
暮らしていた村はいわゆる農村で、家畜を飼い、畑を耕して作物を作る日々を繰り返している。
男子というのは重要な労働力でもあるし、可愛い妹に重労働をさせるなど以ての外だったことから率先して家事を手伝った。
だから少年は魔力を持っていても学校に行くことができず、ちゃんとした使い方を学ぶ機会がなかったのだ。
でもそんな事を少しも気にしてはいない。
農村では領主に税金として作った作物の一部を収め、残りは売るなり交換するなりして必要な物資を得て生活している。
畑からはそこそこの量の作物が取れたが、税は重く、幾ら作っても領主に奪われていく毎日だった。
そんなある日、少年の妹が病気にかかった。
治せない病気ではなかったが、自然治癒を望むには分が悪く、薬も高額で幾ら切り詰めたとしても重い税考えると手が出せない。
だから少年は領主に何度も土下座して今年の税を来年に先送りしてくれるよう頼み込んだ。
すると領主は無様な少年の姿を愉快そうに嘲笑って、来年の税を三倍にできるならいいだろうと条件を出したのだ。
今でさえ厳しいのにたった1年で3倍もの額を納めろというのは無理を超えて荒唐無稽な話だ。
だが少年はその条件を飲んでしまった。
無茶な条件だと彼の父親は怒鳴ったが、今まで間違ったことがあれば問答無用で鉄拳制裁を加えてきた父親がこの件で少年に手を上げることはなかった。
少年とて無茶な条件だとはわかっていたが、これ以外に妹が助かる道はない。
絶対にどうにかしてやると強く、ただ強く願った時に、ふと、本当になんとなく、こうしたらもっと作物ができるんじゃないだろうかという閃きが脳裏に霞んだ。
理由は分からない。その方法は常識を超えた酷く奇怪なもので、他の誰かに言っても信じてもらえなかっただろう。
でも少年は父親にその発想を懇切丁寧に説明した。
父親は真剣な少年の様子に賭けになると分かりながらも大きく頷いたのだ。
結果は……信じられないくらいの豊作に加え、類を見ないほど質の良い作物が出来あがった。
三倍の税を払ってさえ余裕ができるほどの、十数年に一度と言ってもいい豊作。
少年と父親はこの結果に喜ぶと、その手法を独占することなく周りに広める事にした。
訝しげながらも実績した農村は以前に比べ圧倒的な豊作を続け、重税で苦しんでいた農村には笑顔が戻った。
……しかし領主は連年、異常ともいえる豊作を続ける彼らに更なる増税を言い渡す。
提示された増税額は法外と言ってもいいほどだった。だがこの国では領主が税金の管理を全面的に任されている。
拒めば領主は農民を自由に処分できる権限を持っている以上、彼らは言われるがままに税を納めるしかなかったし、税を納めたとしても生活しているだけの生産量を作れる状況にあった。
綱渡りではあったが生活だけは続けられる毎日を数年ほど続けた頃だったろうか。
ある年を境に、育てていた作物に病気が流行った。
悪魔の黒い爪と呼ばれる最も危険で対処のしようがなく、もし食べれば悪魔に心がさらわれるか、手足が悪魔に持っていかれ、真っ黒に黒ずみ腐り落ちてしまうという危険な病気だ。
当然こんな物を収穫できるはずがない。所々が黒く染まる一面の畑は断腸の思いで諦めるしかなかった。
ぎりぎりで生きてきた村には納めるだけの税など当然の如く残っていない。
領主は怒り狂った。
しかしどんなに逆さに振っても税が払えないことを知るとならば代わりにあるものを差し出せと要求した。
領主がこれほどまで重税を課しているのには殆ど隠してすらいない理由がある。
彼は10を過ぎた頃の少女を奴隷として何人も買い漁り自らの慰み者としていたのだ。
この国には奴隷制度がある。
戦で奪われたもの、庇護者をなくしたもの。そういった身寄りのない者達は商人の下へと集められ売り捌かれる。
男子は労働の対価として重労働である鉱山か、畑で殆ど食料すら与えられない劣悪な環境で死ぬまで使い潰される。
女子は器量の良い者は貴族向けに売り払われ、残ったもので教養のあるものは屋敷へ使用人として売られていく。
少年達が必死に働いて作り出した数々の作物はそんな物を買う為に湯水の如く使われていたのだ。
領主が怒り狂った理由も新しいモノが買えないからと言う、これ以上ないほどのくだらない理由だった。
……故に、領主が要求したのは少年の妹だった。
奴隷として扱えるのはあくまで住む場所も身よりもない人間だけで、領主といえど農民を奴隷化することは出来ない。
勝手に農民を奴隷化して売り捌かれては困る奴隷業を営む商会が圧力をかけているからだ。
領主が合法的に少年の妹を手に入れるには自主的に屋敷へ奉公に向かう必要性がある。
少年の家族に突きつけられた選択肢は妹を手放し束の間の平穏を得るか、否を唱え村ごと焼き払われるかの二択だった。
どちらにしても少年の妹が連れて行かれ屋敷に捕らわれる道は変わらない。
……選択肢など初めからなかった。
農村はこんな事になったのは収穫量を増やす方法を広めた少年達のせいだと言いがかりをつけ、それを収める責任が妹にあるとまでのたまった。
教えた時には何度も何度も頭を下げたというのに、その面影は何処にもない。
誰もが一様に迷惑そうに顔をゆがめ、傲慢に言った。
少年も家族も妹が屋敷に行くことには反対だったが、世界はそれを許さない。
少年の妹は全てを理解して、自分の中で屋敷へ行くことを決めてしまった。
それが私にできる一番だからと、笑顔さえ見せて。
けれどそれが強がりだという事は少年にもすぐに分かった。
出立の前日、何も言わずに震える妹を何時間も抱きしめていたのに、少年は言葉をかけてやることができなかった。
いや、何かを言える立場になかったというべきだろう。
翌日、妹は領主の元に行って、少年は領主の噂なんか嘘だと自分に言い聞かせることしかできなかった。
暇を見つけて何度も会いに行っては番兵に組み伏せられた。結局少年にできたことは何もない。
そんな事が1年続いても少年は事務的に屋敷に通い続けていた。
番兵の目には憐憫が映ってはいたが、彼も仕事でそうしている以上手を緩める訳にもいかないのだろう。
義務のように取り押さえられ放られる毎日。番兵もできるだけ痛みを与えないようにすることを覚えてしまっていた。
でもその日はいつもと違った。門の目と鼻の先、すぐ近くに懐かしい妹の姿があったのだ。
元より長かった栗色の髪はこの1年でまた少しだけ伸び陽光を受けて光の粒子を振りまいてさえいる。
小さかった体躯も少しだけ大きくなっているが、大きく丸い瞳や、長いまつげ、良く整った幼さの残る顔立ちは殆ど変わっていない。
組み伏せられるよりも早く、少年は妹の名を力の限り叫んでいた。妹の顔が声に気付いてか不意に彼のほうを向く。
その瞬間、少年は戦慄した。
妹の瞳には目の前の兄の姿が映っているはずなのに、何の色も、興味も、宿していなかった。
目の前に組み伏せられている誰かの事などまるで知りもしないように、或いはただの道端の石ころのように、少しの感情さえ感じない目で映しているだけ。
妹の心はもう、とっくの昔に壊れてしまっていた。
その事実を間近で突きつけられた少年に計り知れないほどの後悔が襲い掛かる。
―あぁ、一体自分は今まで何をしていたのだろうか―
―この1年間で、ただ義務的に屋敷に通うことで贖罪をしたつもりになっていただけだ―
―何もしていない。ただ空っぽに過ごしていただけだ―
そうして、彼の心は一度目の崩壊を迎えた。
暴れ狂う感情を撒き散らしながら力が欲しいと切に願った。
何もかもを変えてしまえるほどの。
こんな理不尽な世界を書き換えられるほどの圧倒的な力が。
後悔の涙を流しつくして、血塗れになるほど大地に手を叩きつけて、偶然にも願いは叶えられた。
自らの悔恨で胸を焼かれ高熱を出しうなされた後に目を覚ました彼は、あるはずのないもう一つの記憶を手に入れていたのだから。
それは圧倒的な力といっていい。直接誰かに振るえるものではなかったとしても。
少年は村から逃げ出した。妹を助ける為には村で働いても意味などない。
首都へと行き、王に究極の魔法があると吹聴し謁見の許可を得た。
奇しくも他国との戦争状態にあった事が功を奏して話だけは聞き入れられ、胡乱下に見下ろす王に向けて彼は大胆不敵な演技で一つの魔法を教えたのだ。
それが気球による水素爆弾。
ヒンデンブルク号爆発事故というのをご存知だろうか。
静電気によって火災が発生し、水素に引火した事で気球が爆破、炎上した稀に見る大事故だ。
空に船を浮かばせる方法はエンジンによる強引な出力だけでなく、軽い気体を詰める方法もある。
電気分解は然程難しい原理でもなければ、発生する塩素にさえ気をつければ材料も無限と言っていい。
そして水素の詰まった気球はそれ単体で危険な爆弾にもできる。
胡散臭そうに話を聞いた王から時間と労力を借り受けると、少年は魔法を完成させ数日の内に戦争状態にあった隣国を滅ぼして見せた。
その功績から一定の地位を貰い受けると、逸る心を抑えながら自分の村へ戻り、傲慢な領主を躊躇うことなく惨殺し妹を奪還した。
1年と数ヶ月ぶりの再開に涙を流しながら家に連れて帰ると、父親も母親もむせび泣きながら喜んだというのに、妹は何の反応も示さず、話さず、ただじっと、硝子玉のような目を開いていた。
その瞳には相変わらず何も映っていない。父親や母親の顔も、勿論少年の顔も。
でも少年は家族で一緒に暮らせば、きっといつか自分の心を取り戻してくれるだろうと疑わなかった。
これで、全ては終わったかに思えた。
でも、それは終わりでもなんでもない。
ただの延長。
外れてしまった車輪はもう元に戻らない。
変わった過去はもう巻き戻ることはない。
歪んでしまった心もまた元には戻らない。
自分からは少しも動こうとしない妹を寝かしつけるために部屋に連れて行き、扉が閉まった瞬間に変化は訪れた。
妹がみた事もないくらい可愛らしく"歪んだ"笑顔を浮かべて一礼した。
突然の出来事に混乱している少年の手を取ってベッドへ導くと押し倒すように倒れこむ。
それから自らの唇を合わせようとして、寸でのところで少年が引きとめた。
何が起こっているのか、少年は全く理解できなかった。
妹は少しだけ首を傾げてから、能面のような笑みを少しも崩すことなく、自分が着ていた服に手をかけると躊躇うこともなく扇情的に剥いでいく。
一糸纏わぬ姿になったところで、その手が少年の服に伸びて、呆気にとられていた彼が弾かれるように飛び上がった。
上にのしかかっていた妹が体勢を崩してベッドの上に転がる。
そこには相変わらず、代わり映えしない歪んだ顔が張り付いて首をかしげていた。
そうして、少年はようやく全てを悟った。
妹は、助けられたという事さえ理解できないほど壊れていたことに。
たった1年と少しの間で味わった絶望はどれ程だろうか。
流れ星を見つけては願い事を祈って、けれど星が消えるまでには言い切れない時、決まって困ったような笑顔を浮かべていた。
一面の花畑でせっせと冠を作っては、隣で微笑んでいる少年に満面の笑みで渡していた。
木から落ちた鳥の雛を帰すためになれない木登りをして、降りられなくなって焦っていた。
誕生日に少年がとっておきのプレゼントを渡すと、毎年見ているほうが恥ずかしくなるくらいはしゃいでいた。
想い出は数え切れないほどあって、そのどれもが活き活きとした感情を伴っている。
それが今は欠片の片鱗さえ見せることもなく澱み、濁りきってしまっていた。
そうして、少年の心もまた、2度目の崩壊を迎える。
全てを終わらせようと思った。
こんな悲しいことは考えようとしなかっただけで今も世界中で起こっている。
奴隷として売られ、望まぬ行為を強いられ、妹のように壊れてしまった人が沢山いる。
その事実を、少年は認められなかった。
ならば変えてしまえばいい。
この世界から奴隷制度を根絶させて、いつかの記憶のような平和な世界を作り上げてやる。
間違っているのは、この世界の方だ。
少年は再び村を飛び出し、周辺諸国を怒涛の勢いで攻略し始めた。
宣戦布告も何もない。闇夜に忍び寄り城目掛けて気球を幾つも飛ばし形さえ残らないほど破壊しつくした。
異常な攻撃力と速度に、散らばっていた国は次々と統合されていく。
そして行く先々で奴隷制度をなくし、解放された奴隷を公共事業の立ち上げによって手厚く保護した。
奴隷制度だけをなくしたところで行き場のない彼等が行き着く先は同じ場所しかない。
まだこの世界には普及していない公共事業という概念は見事に功を奏し、溢れた彼等の就労先として大きな成果を得た。
健康管理は勿論のこと、望めば勉強や武芸さえ行える、過剰とも言っていい政策によって奴隷の立場は爆発的に向上する。
腐敗した貴族を処分し、その後釜に付けることもあった。
港が幾つも作られ、海洋国家同士で自由に貿易が出来るようになり、街道が整備され流通経路が広がり、商船の管理によって航路の整理も行われた。
貴族や領主が設定できる税率は厳しく制限、監査され、市場が開放され職業の強制もなくなり、元農民が店を構えたりする事もできるようになった。
逆らえば少年は容赦なく断罪したし、それを咎められる人間は、もはやこの国のどこにもいなかった。
計画は恐ろしいほど順調で、彼は英雄とさえ呼ばれ国民に慕われるようになる。
何より彼によって救われた奴隷の数はとても数え切れる量ではない。
確かな地位を手に入れ、護衛として常に控えている女性もまた、元は奴隷として売られた経緯を持つ。
そんなどん底から引き上げてもらった彼を護衛することは、彼女にとってこれ以上ないほどの名誉でもあった。
少年は護衛の彼女にも身分など関係ないかのごとく気さくに接し、時には寄り道をして露天で買い食いをする事もあった。
全てが順風満帆に動いている。そう感じたのも無理はない。
けれど少年の原動力は憎悪だ。結局それは、新しい歪みを生んでしまう。
少年の手によって奴隷が解放され、保護され、高度な教育を受けられる様になった結果、バランスを保っていた力関係は大きく傾いだ。
元より自堕落な貴族は勿論の事、真面目に職をこなしていた貴族や一部の商人まで立場が危うくなったのだ。
奴隷は低コストの労働力という意味合いもあって、市場の形成になくてはならないものでもある。
どんなに認められない事実であっても、この世界を支えていた大きな要素なのだ。
それが突然なくなったことによる混乱は余りにも大きかったが、少年は貴族に大きな憎悪を持っていた事もあって、それをみていなかった。
ある日、少年は市場をなんとなしに歩いていると、物陰から年端もいかない少女に命を狙われた。
煌く短剣の刃に驚きを示したものの、魔法は使っておらず、振り方も素人のそれだった事もあり、少年は簡単に避けると少女を抑え込んだ。
この時点で少年は国にとっての要人になっていた。
そんな相手に斬りかかれば弁明の間もなく殺されても文句は言えない。
少年もそうするつもりで魔法を発動しかけたが、彼を睨む強い意思を持つ相貌と長い栗色の髪が思わず妹を連想させ咄嗟に思いとどまってしまった。
少年が何故自分を狙うのかと聞いたのはただの気まぐれからだ。
でもその問いに、目の前の少女は涙に濡れた声でこう叫んだ。
―貴方のせいでお父様は病に倒れ、私は売られ、今は地獄にいる―
奴隷商は儲かる。
表向きでは禁止されていたとしても、はいそうですかと止める奴はそういない。
奴隷の身分が保証された結果、彼らは没落した貴族の子息を商品とすることにしたのだ。
なんてことはない、奴隷制度をなくしたいと思っていたはずの少年は、いつのまにか、あの胸糞悪い領主と同じ事を間接的にしていたのだ。
それはどんな喜劇だろうか。
少女を拘束していた力が弱まり、再び振るわれた刃を、茫然自失の只中にいた少年は防ごうと思わなかった。
このまま刺し貫かれるならそれでいい。
人生に幕を引くには、これほど皮肉な終わり方はあるまい。
けれど、振りぬかれた短剣は事態に気付き駆けつけた護衛の女性によって弾かれた。
止める間もなく、少年の目の前で剣は再び閃き、少女の胸を深々と貫く。
―呪うわ―
それが少女の最期の台詞だった。
なんて事をしてくれた、と思わず叫びそうになって、寸でのところで思いとどまる。
護衛の彼女は元奴隷で、貴族に酷い目に合わされ続けてきたのだ。
それに、護衛として主を守るために取った行動としては満点と言っていい。
けれど目の前で息絶えた少女もまた酷い目に合わされたのだ。
同じ境遇の2人が殺し合う世界など、少年は求めていない。
誰を責める事も出来ず、行き場のない嘆きや怒り、悔恨が言い知れぬ叫びとなって市場に響いた。
こうして彼は3度壊れた。
彼は嗤い続ける。
結局何も出来なかった自分を。
不幸を量産して誰かを助けたつもりでいる自分を。
だけど止まる事も出来なかった。
妹を不幸にした原因を根絶する事をやめる事など出来ない。
どうしようもない矛盾の中で彼は嗤い続ける。
その対象は同席した誰かではなく、常に自分にしか向いていない。




