転生者たちの戦い-3-
皇国の船が帆も張らずに動き出したのを見てフィアは更に警戒の色を強めた。
(オイオイ、推進機関まで開発しやがったってのかっ)
知らずの内に噛んでいた奥歯がギリリと音を立て、相貌が凶悪な狼の様に鋭く変わる。
睨みを利かせるフィアに何人かの魔術師や水夫は恐れをなしたように視線をそむけた。
しかし今のフィアにとってそんな些細な事はどうでもいいことだ。
問題は敵がただ逃走したようには見えない事。
逃げるのであれば皇国に向かって逃げるはずだが、彼らが目指しているのは皇国から離れた風上の方向だ。
圧倒的に不利な状態にも拘らず、彼等は未だ勝機を見失っていない。
次に敵の技術力がフィアよりも高いと予測できること。
火船に火薬が用いられたであろうことから覚悟はしていたのだがこうも次々とこの時代にはありえない発明を出されると懸念は深まるばかりだ。
(まさかこの距離から撃てる迫撃砲の類はねぇよなぁ!)
「攻撃準備できました、いつでもいけます!」
考えたくない事態をぐるぐると巡らせているとすぐ傍から伝令の声がかかった。
今更考えても無駄だと浮かんだ疑念を切り捨てると次の指示を飛ばす。
「よし、敵は風上に向けて進路をとっている、速度なら気球のほうが早い、先回りして確実に潰せ」
ぐるりと半円を描くように進路を取っている敵艦が目指していそうな地点は既に割り出していた。
後は気球を一直線に飛ばせば短縮される分も合わせて十分に追いつける。
ふよふよと漂いながらも目的地に向けて動き出した気球に目を細めて、フィアは念の為とばかりにもう一つ指示を加えた。
「次の準備もしておけ、まだいけるな?」
「は、はい! 問題ありません!」
兵士はフィアの指示に勢いよく答えると水素の精製プラントに向けて全力で駆け抜ける。
水素は戦艦の中央に備え付けられたプールに注がれた海水を電気分解することで得ている。
流石に気球を飛ばすだけの量ともなれば必要な電力も膨大で、数多の魔術師が屈託して雷撃系魔法を使ってどうにか作り上げていた。
故に、魔力の回復を挟まずに連続で飛ばせる量は極限られており、出来ることなら浪費はしたくはない。
それでも敵ならば、まだなにか別の信じられないような手段で攻撃を凌ぐのではないかという想像がどうしても拭えなかった。
「何考えてるかしらねぇけど、次で終わりだ」
「不安でもおありですか?」
微かに漏れた呟く様なフィアの声に、いつの間に姿を現したのか、一人の女性が尋ねた。
襟首で揃えられた短めの髪が風によってさらさらと流れている。
年齢はまだ20にも達していない程若く、体系も小柄とあってこの船の中では贔屓目に見ても明らかに浮いていた。
その上、彼女が腰に差しているのは海軍が好んで使う、湾曲した片手剣、カトラスだ。
魔術師の殆どは先遣隊のような特殊部隊を除いて帯剣することがないし、特殊部隊であれば魔法に耐えられるだけの特殊な刀剣を使う。
よって吊るされた剣は女性が魔術師としてではなく、剣士としてこの船に搭乗していることの証でもある。
女性の、しかも歳若い剣士となれば尚のこと珍しい。
「アイルか。別になんもねぇさ。いつも通りだよ」
フィアは隣に立つアイルの目を見ようともせず、ぶっきらぼうに言い放った。
場合によっては怒っているようにも取れる言葉を受けても、アイルの表情は少しも恐れる様子はなく、ただ無邪気な笑顔を向けている。
ともすれば、ただ一人の想い人を眺めるように。
「そうですね。フィア様の作戦が失敗するはずがありません」
(どこからその根拠がわいてくるんだか……)
フィアは今度は言葉に出さず、一人頭の中で呆れるように苦笑するが、彼の顔からは先ほどまで僅かに浮いていた苦しそうな色合いは抜けていた。
緊張を解すためだということはフィアもすぐ分かる。
「もう戻れ、もしかしたら敵が乗り込んでくるかもしれねぇんだ」
とはいうものの、それはありえないだろう。フィアの艦は腐っても大型船、それに敵と同規模の護衛船が2隻ついている。
気球に対して防御魔法を展開しているため、今帝国の船には一切の防御魔法がかかっていないが、もし気球を破壊した後に突っ込んでくるようであれば話は早い。
帝国は気球を捨てて通常の海戦を行えばいい。数の利によってまず負けはしないのだから。
そもそも近づかれるより先に気球による爆撃で沈没させることができるだろうが。
「そうですね。そうなったら、必ず私がフィア様をお守りいたします。この私の命に代えても」
「その必要もなさそうだけどな」
既にこの盤面はチェックメイトに等しい。皇国が苦し紛れに逃げをしたところで詰んでしまった状況が変わることはない。
後は逃げ切れなくなった獲物を潰せばそれでお終いだ。
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「終わってたまるものですか」
セシリアは可能な限りの全速力でもって海上を進んでいる。
後方からは敵艦が浮かべた気球がまっすぐ、この船の目的地に先回りせんと巨体をゆらゆら揺らしながら向かってくるのが見えた。
「セシリア様! このままではあの空飛ぶ物体とぶつかります、進路を変えるべきでは!」
確かに、気球はすいすいと空を横切り、この船よりもずっと速い速度で運航を続けている。
何もしなければ目的地に先回りされるのは火を見るより明らかだが、それはあくまで何もしなかった場合だけだ。
「ロウェル、魔術師に風の魔法の準備をさせて! 攻撃じゃなくて、面を押し出すような感覚で!」
空に浮かんだ気球を観察した結果、推進装置が取り付けられているような形跡はない。
であれば、あの気球は後方から押しやるように風の魔法を展開して移動しているに違いない。
それならこっちも同じように敵に向かって押し返してやることも可能なのではないか。
船がだんだんと気球に近づき、危険と思われるラインを割る直前、セシリアが叫ぶ。
「今よ!」
同時に全ての艦隊から力の限りを尽くした烈風が空に漂う気球に向かって吹き付ける。
瞬間、こちらに向かっていた気球は帝国の方角へと明らかに向きを変えた。
本来なら両端から力を加えられれば気球は潰れ海面に落ちるだろうが、今あの気球の周囲は防御魔法によって守られている。
防御魔法は確かに魔法を防ぐ盾になるが、同時に気球の形を守りながら風を受ける面にもなってしまうのだ。
魔法の威力は距離によって決まる。拡散しやすい風ならなおさらだ。
これだけ近い皇国と帝国ではいかに人数差があろうとも負けるわけもない。
その上こちらは風上、自然の力も加わればその力はさらに増幅される。
気球は見る見るうちに速度を上げて帝国の方向へと突き進んでいった。
「帆を1つ展開して! 敵に向かって全速前進!」
1枚程度の帆であれば転覆しないであろう絶妙な距離を保ちつつ、セシリアは舵を帝国船へと取り直す。
「このまま気球を敵艦隊に送り返すわ。ここからは持久力勝負になると思うけど……頑張って!」
「敵の武器を利用するのか……こりゃあいい、今頃相手さんは腰抜かしてるかもしれねぇぜ」
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「ざけんな……! 風を強めろ、あと少しだ、あと少し押し出せば起爆させて巻き込める位置にいるんだ!」
戦艦にいる魔術師の大部分が3発目の気球準備に取り掛かっているせいで魔術師の絶対量が不足していた。
護衛艦2隻の魔術師の数では3隻の敵艦に勝てるわけもない。まして距離は敵の方が近い上に気球の防御魔法まで展開している。
仕方なく3発目の作業を途中で中断させて魔術師を追加したのだが、結果は然程変化したように見えない。
気球と帝国艦隊の距離は思っていた以上に風の力を弱め帝国の力を削いでいる。
そうこうしている間に敵艦の姿は豆粒サイズが空豆サイズに、握りこぶしサイズに、今ではかなり迫力のあるサイズに変わってしまった。
「無理です……! 風上をとられていることと、敵の魔術師の質が我々より高いようです!」
海軍の基本は防御、陸軍の基本は攻撃。互いに熟練の魔術師だとしても攻撃魔法であれば陸軍、ひいては先遣隊に分があった。
かといって帝国海軍も数では勝っているのだ。平坦な、足場がいくらでもあり多岐に渡る戦術を選びぬける平地戦では数よりも個々の能力で決まることは幾らでもあるが、移動できるのは大きなユニットである船の上だけで直接的に剣を交えない海戦であれば数は大きな意味を持つ。
やがて両者の力は拮抗し、気球がぴくりとも動かなくなる均衡点が出来上がった。
互いの距離はもう魔法なしでも人の姿を視認できそうなほど近く、距離にして200メートルも離れていないだろう。
後はもう、完全な意地の張り合いだ。すでにあと半分ほど、50メートル程度の距離を気球が詰めれば船を巻き込める位置にいる。
敵船相手に魔法を撃とうと風の魔法を止めればあっという間に押し切られかねない位置なのだ。
数人程度なら離れてもそう拮抗状態が大きく動くことはないが、数人で中型のガリオン船を沈ませるのは不可能だし、お互いに最低限の防御要員くらいは残している。
(くそ、もう少し早めにこいつを見切るべきだった!)
気球の防御結界を解除すれば両者からの風が気球を押し潰し気体は逃げ出すなり穴が開くなりして海に落下、無力化されるのは間違いない。
だが大量の魔力を使って生み出したこと、防御魔法を解除した瞬間に敵がこの気球を乗っ取るのではないかという危惧、帝国のほうが人数が多く、これほど押し返せないはずがないと過信した事から判断を先送りにした。
その結果、あろうことか皇国はこれほどの至近距離まで気球を押し返し、皇国側も気球を防御魔法で覆ってしまっている。
全力で攻撃すれば蹴散らせる密度ではあるが、その間に進む気球の距離は際どく、被害を受けたのでは目も当てられない。
想定外の事態をどう修正するべきか頭を悩ませていると、僅かに気球の拮抗が崩れ、皇国側に動き始めた。
「そうか……敵の魔術師は数が少ない! 持久力ではこちらのほうが上だ! 全員、全力で押し返せ!」
幾ら個々の能力が高くとも、一人では時期に限界が来る。このまま押していれば必ず押し返せるとフィアは確信したのだ。
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しかし皇国きっての先遣隊の面々は、これほど早く消耗するほど軟な鍛え方をしていない。
「段階的に力を緩めてください、相手に拮抗が崩れているって思わせるんです」
気球がわずかに皇国へ向けて動き出したのは全てセシリアの作戦の一環だった。
これで敵は気球を押し返せると思い込み、その選択肢に食らいつく。
もし敵が早々にこの気球を捨てるのであれば乗っ取り操る。捨てないのであれば押し返し拮抗状態を作る事が目的。
よもや敵もこの綱引き状態がセシリアによってお膳立てされ手のひらで踊っているなどとは思うまい。
引くべきところは引き、食いつかせる所で誘い込む。場の流れを軽々と手玉にとって見せた少女に隊長は笑うしかない。
「だがよ、今はまだどうにかなるとしても、流石に敵の人数が多すぎる……魔力が先に尽きるのはこっちだぜ」
ただ今の状態は辛うじて作り出している危うい均衡だ。
いかに技量が高いといっても、お互い傷も負わず魔力を使い続けるだけなら人数が多いほうが圧倒的に有利なのは変わらない。
おまけに、先遣隊の魔法は威力を強めている分消費も早かった。
「大丈夫、この作戦の目的は時間稼ぎです。その間に敵の旗艦を沈めます」
事もなげに告げたセシリアに、隊長は興味深そうに唇を釣り上げる。
敵の旗艦を潰すというのは海戦に置いて圧倒的な戦力を持って挑まねば成し遂げられるものではない。
「ほぅ、どうやって潰す気だ?」
「これから小舟で旗艦に少人数で潜入、作ってある爆弾によって船底に穴をあけ、旗艦能力を失わせれば敵は撤退せざるを得ません」
「おいおい……」
セシリアの言葉に、その場にいた誰もが顔を引きつらせるしかなかった。
作戦が素晴らしいから、という訳ではなく、あまりにも無謀で勝率が低いからだ。
少人数で潜入した所ですぐに見つかって包囲されるのがオチ。まして今は甲板に大量の魔術師が蔓延っているのだ。
「流石にそれは無謀にすぎますが……セシリア様のことです、また何か考えがあるとして、話を聞かせてもらえますか?」
ロウェルの言葉にセシリアは頷くと、目を閉じて集中、一つの魔法を発動させる。
"不可視"と名付けた魔法は光の屈折を操作し、対象を覆い隠し背景と繋げることで見え難くすることが出来る魔法だ。
完全に透明になれるわけではなく、多少歪んだような感じが残ってしまうのだが、集中してみない限り見破られることは少ない。
元々この魔法はセシリアが幼い頃書斎に入り浸るために思いつき、作り出した魔法でもある。
「セシリア様は、一体何処から魔法を見つけてくるのか……」
半ば諦観の篭ったロウェルの声に、隊長も同感だとばかりに肩を竦めた。
「そ、そんな事よりこれからの行動の指針です。この魔法は私を中心にしか展開できません。だから必然的に、旗艦に乗り込むのも私になります」
勿論ロウェルもシスティアも難色を示すが、こればかりは他に手がないのだから仕方がない。
戦場を共にするという約束は果たしましたという言葉に、二人は目を点にして言葉を失っていた。
セシリアの魔法がカバーできる範囲は3人程度の狭いものだ。
残された時間が少ない事を鑑みれば船内に浸入後、適当な水夫の服を奪って変装してから新型の爆弾で船底に穴を開けるしかない。
もし爆発しなかった時の為、黒色火薬が詰められた別の爆薬も用意するが、これに関しては船底を吹き飛ばせる威力があるか怪しかった。
おまけに大型の戦艦となれば隔壁だってあるはずだ。最低限二箇所、出来れば三箇所くらいは穴を開けておきたい。
纏まって移動していたのでは時間がかかる以上、散開してそれぞれで起爆するしかないだろう。となれば水夫に扮して怪しまれない風体でなければ話にならない。
セシリアは自分に不可視の魔法を使えるから例外だが、どうみても貴族夫人のシスティアが船に乗り込んで怪しまれない理由があるはずもなく、バレれば同乗したほかの二人を危険に晒すことにもなる。
「一人は隊長、お願いできますか?」
逞しい肉体と日に焼けた身体はまさしく熟練の水夫の特徴だ。ロープを握るタコが手にないのは不自然だが早々発見される事もないだろう。
「当然だ」
「私も行きます」
勢い良く返事を返したのは隊長とロウェルの二人だ。
けれどロウェルは魔法に関しての知識はあっても戦闘経験はないに等しい。
適材というなら恐らく鍛え上げられた先遣隊を使うべきなのだろう。
どうすべきか視線を彷徨わせたセシリアだったが、隣の隊長はロウェルの味方をした。
「いいじゃねぇか? 本人が行きたいってんだ」
「でも、危険すぎます」
「何かあってもすぐ殺されることはないだろう。だったら俺が助け出してやるからよ」
反対するセシリアに隊長は事も無げにそういうと大きく笑った。
「まぁなんだ、こんな小さな女の子に守られっぱなしっていうのは男のプライドがゆるさねぇんだよ。それに時間がねぇんだろ?」
隊長の言うとおり、こうしている間にも先遣隊の魔力は減り続けている。余り迷っている時間はなかった。
本当にいいのかロウェルに尋ねても、戻ってくるのは当然の様に肯定の意だけだ。
作戦の決行は結局セシリアとロウェルと隊長の3人で行うことになった。
準備している時間は殆どなかった。それぞれに防水布で包んだ新型と黒色火薬の爆弾を渡すと緊急用の小船に乗り込む。
小さな帆を貼ると不可視の魔法を展開。隊長が嬉々としてオールを2本握ると猛烈な勢いで掻き出し始めた。
停滞した敵の戦艦にみるみる近づくと、セシリアは黒色火薬で出来た爆弾に火をつけて投擲、風でもってコントロールして外側に貼られた防御魔法を悉く貫通させる。
同時にセシリア、ロウェル、隊長が合図と共に張られた帆に向けて風を吹きつけ爆発的な加速で再度防御魔法が展開されるより先に側面へ辿りついた。
後は鉤の付いたロープを戦艦の縁に引っ掛けると、乗ってきた隠蔽のために船を沈めてからするすると登っていく。
船尾は船首ほど人が居らず閑散としていて、不可視の魔法もあって無事船内の一室に身を隠すことができた。
扉を開けてこっそりと覗きながら歩いてきた哀れな犠牲者を武力で持って制圧、着ていた服を借りて水夫に成り済ます。
「それでは隊長は船首の方を、ロウェルは船尾の方を、私は二人の中間を爆破する、それでいいですね?」
セシリアの言葉に三人が頷く。本当はセシリアが船首まで行く予定だったのだが隊長が譲らずにこの配置になった。
男のプライドというものは酷く厄介なものだとセシリアは思うのだが、セシリアのそれも似たような物であることに気付いていない。
「帰りはまたこの部屋に集合、小船を奪って不可視の魔法を使いながら逃げます」
最終確認を終えれば後は迅速に作業を終えるまでだ。
目の前の通路に人が居ないことを確認してから三人は別方向に駆け出した。




