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果ての世界で  作者: yuki
第二部 商国編
28/56

小さな結末

 闇夜の中、皇国の軍に扮した王国軍の残党が海岸線を伝うように東へと進み続けていた。

 三重の月が織りなす幻想的な光は分厚い雲に覆われて少しも姿を見せる事なく、ともすれば全てが闇に溶けてしまう程だ。

 魔法によって浮かぶぼんやりとした光が唯一足元の宵闇を遠ざけていた。

 と、彼らの目指す場所に煌々とした明かりが見える。終わりの見えない行軍は遂に終わりを迎えたのだ。

 彼らはこのフィーリルの果ての海に船を用意し、商船に紛れて商国へと侵入し破壊の限りを尽くす計画を立てている。

 僅かにペースの上げられた行軍が次第に明かりへと近づき、光はより明るく彼らを照らし出す。

 しかし、そこにあったのは彼らが思い描いた風景ではなかった。

 

 予め偽装を行い密かに用意された船は天を貫かんばかりの火柱を吹き上げ火の粉の雨を周辺に撒き散らしている。

 茫然自失と言った様子で目の前の光景を食い入るように見つめていた軍の周囲に、物陰や草陰に伏していたフィーリルの先遣隊が次々に現れた。

「良い燃えっぷりだねぇ」

 先遣隊の隊長が嗤う。既に彼の剣は腰から引き抜かれ、担ぐように刀身を肩へと乗せていた。

「貴様らの企みなんざとっくにお見通しってな。滅びた国の残党風情が手間掛けさせやがって」

 合図など何もなかった。王国軍の残党には激しい憎悪と殺意が浮かびあがり、それ以上の言葉を紡ぐより先に仕留めんと刃を走らせる。

 が、疾風のように駆け抜け斬り払った残党の騎士の剣には僅かの感触もない。

「アホが、少しは相手を見極めろ」

 彼の背後から隊長の剣と言葉が浴びせられるのと残党のシルエットが真っ二つに切り裂かれるのはほぼ同時だった。

 先遣隊の強さの理由は、その隊の誰もが魔術師としての素質と騎士としての剣術を同時に備えているからだ。

 先ほど隊長が行ったのは特定の場所に幻を作り出す、ごく初歩的な魔法だ。よく見れば違いの分かる姿ではあるが暗闇が味方して判断が難しくなっている。

 彼をとりまいていた3人の残党が一様に警戒の色を強めた。互いに数度目線を送り何度か頷く。

 しかし隊長の方はそんな彼らを殆ど見もせずに乱雑に剣を構えた。

 刹那、残党の二人が騎士に向けて防御魔法の結界を展開する。どうやら二人は魔術師のようだ。

 残党の騎士を包み込むように球状の淡い燐光がはじける。続けて隊長に向けて攻撃魔法の詠唱に入る――が。

「おせぇ!」

 魔術師の一人が信じられないほどの速度で駆け抜けた隊長の剣によって一閃された。

 その隙を見逃すかとばかりに残党の騎士が袈裟がけに斬りつけるが、団長はその攻撃を予め用意していた結界で受け止め、逆に残党の結界に鋭い突きを放つ。

 互いの結界は硬質な音を響かせ同時に砕け散る。切結んだ剣が火花を散らす中でもう一人の魔術師が完成した炎の矢を数発、団長へ向けて立て続けに放った。

 隊長はそれを後方に跳ぶように回避し、騎士の残党も魔術師の魔法によって追撃ができず一瞬二の足を踏んだ。

 その僅かな隙に隊長が手に持っていた剣をひと思いに魔術師に向かってぶん投げる。騎士が自らの剣を投げ捨てるなどと言う奇異な攻撃に魔術師が反応できたのは奇跡的と言っていい。

 地面にはいつくばる様に転げる事でどうにか回避した魔術師の頭上すれすれをぐるんぐるんと猛烈な横回転をしながら飛来する剣が通過し、闇に消える。

 武器を失くした敵に向かって残党の騎士が勝ち誇った笑みを浮かべて上段から切り伏せるのと飛んでいった剣が騎士の首を刎ねるのはほぼ同時だった。

 風による軌道の操作。予め小言で唱えておいた魔法をレールのように展開して投げつけた剣を誘導する魔法だ。

 剣と魔法を組み合わせることによって扱える攻撃の手管は無限と言ってもいい。故に彼らは騎士団の中で最も早く派遣され、敵を食い止めるという難題を果たすことができる。

 先遣隊の数は500に届かず、敵の数は1000を少し越えるくらいだろうか。

 戦闘での基本である1.5倍どころか2倍を越していたとしても、彼らにとってこの程度の差は不利になるものではない。

 そもそもこの基本はお互いの実力が同じ場合でなければ成立しないのだから。

 

 残党の騎士の首を刎ねた剣を、しかし隊長は受け止めなかった。その切っ先が再び風によって操作され無様に転がっていた最後の残党へと突き刺さり、剣はようやく動きを止める。

 力任せに引き抜くと一度強く振ってついていた血糊を落とした。

 見渡せば既にそこかしこで戦闘が始まっていた。

 金属がぶつかり合う甲高い音に混じって金切り声が交じり合う。

 時折、魔法によって払われた闇の中で幾人かが切り結んでいる姿が照らし出された。

 ざり、とすぐ背後から砂利の音がするより先に、隊長は振り返りもせず無造作に剣を背後へと向けた。衝撃と金属音が立て続けに弾ける。

 新たな敵は5人。先ほどより増えた手勢に、しかし隊長は不敵な笑みさえ浮かべている。

 既に壮年に差し掛かっているにもかかわらず、隊長の剣技と体力は衰えることを知らない。

 見渡せば残党の顔はまだ30にも届いていない、彼に言わせれば"若造"だった。

「せっせと畑を耕してりゃいいものを」

 舐めるなとばかりに、残党の騎士二人が左右から切りかかる。片方を受け止めれば片方が切り裂き、背後に下がれば既に準備された上空から降り注ぐ炎の矢が貫く。

 残りの二人の魔術師は騎士2人へ結界を使用し、万が一の隊長の攻撃に備える。

(ちったぁ考えるじゃねぇか)

 複数で一人を仕留める時に大切なのは相手に逃げ場を作らせないことだ。詰め将棋にも似た即興の連携によって出口のない袋小路に追い詰めれば自然、勝敗は決する。

(だが、詰めが甘い)

 騎士二人の剣に向けて隊長は駆け出した。想定外の動きに対して一瞬の動揺が見られるも、結界によって守られている事もあって動きが鈍るほどではない。

 隊長はその勢いを利用し、前方右側の騎士の攻撃を剣で受け止め、力の限り跳ね飛ばす。同時に左手に集中して展開した結界によって騎士の剣をがっしりと掴むと潜り抜けるように包囲網を飛び出した。

 後方でむなしく炎の矢が地面を抉り草を炭へと炭化させる。

 残党の騎士二人が今度こそ驚愕の表情を漏らし体勢を立て直し追撃にかかるも、既に遅い。

 魔術師の二人の首が同時に宙を舞い、真っ赤な水が噴水のように吹き上げた。

 距離をとって反転、敵の魔術師はその光景を前に、結界を張るべきか攻撃を行うべきか判断がつかないようで未だにたたらを踏んでいる。

 その時間は余りにも大きい。

 既に魔術師が死んだ事により騎士二人への結界魔法はない。

 隊長は走り抜けた際に口ずさんでいた呪文を開放した。風を薄く圧縮し、鋭利な刃物状へ転換したものを刀身にまとわりつかせる事によって斬撃時の威力を底上げするための魔法だ。

 だがそれは基礎中の基礎。隊長は魔法の発動した剣を力の限り、水平に振りぬいた。

 瞬間、圧縮された風が開放され、軌跡を辿るように不可視の鎌鼬が飛来する。

 魔力のない騎士がそれに気付くことも、迷い行動できなかった魔術師がそれを防ぐこともできなかった。

 後に残ったのは上半身と下半身を真っ二つに切り裂かれた6個の塊だけだ。

「さぁ、次はどいつだ?」

 せせら笑うように、隊長は周囲をぐるりと見渡す。彼に向かおうとしていた何人かの残党があからさまに気圧され後ずさる。

「早いか遅いかの違いだろうが、まぁいいさ。片っ端から潰すだけだ」

 1000もの残党はたった数時間の間で完全に殲滅されていた。

 対して先遣隊の損耗は僅か百十数人。手痛い損耗ではあったが皇国の危機に比べれば小さなものだ。

「全隊に告ぐ! 各小隊は損害状況を報告しろ! 動けるものでこれからノーティアへと戻る!」

 隊長はその視線をここからはまだ遠いノーティアに向けた。

 とても7歳には思えない程聡明な頭脳を持ちながら、ふとすれば歳相応の可愛らしい姿を見せる、不思議な領主の事が頭によぎる。

 王からの連絡によればノーティアの住民は彼女を含めて全て撤退する手筈だと言っていたが彼女が素直に従うとはとても思えない。

 芯の強さも、どこか無鉄砲な性格も昔戦場を共にした事のあるバレルにそっくりだった。

 最大の懸念点はあの新兵器だ。威力に関して言えば最強と言えるが多数の敵に対して有効とはとても思えない。

 敵の数が2000では足止めができない限り有効な運用ができない。

 何とか無事に逃げおおせてくれと祈りながら、ノーティアに向かうための準備を進め始めた。

 

 

 

 狭い部屋の中でセシリアは一人ベッドの上で転がっていた。

 窓の外には穏やかな青い空と白い雲が幾つかふわふわと漂い長閑で平穏な雰囲気をこれでもか、というくらい放っている。

 こんな風景が続いているのも彼女によってこの地域が守られたからであることは間違いない。

 けれど、その窓を眺めるセシリアの表情は梅雨時に分厚い灰色の雲が陰鬱と立ち込めた時のような暗い物だった。

 右手はずっと頬に添えられた白いタオルを押さえている。

 もうそのタオルの下にある赤い腫れもとっくに引いているはずなのに、未だじんじんと痛みを放っているような気がしていた。

 端的に言えば彼女は殴られた。具体的に言えば母親であるシスティアによって。

 フィーリルを守ったのは褒められることかと聞かれれば、きっと殆どの人が褒められることだと答えただろう。

 でも視点を変えれば行動の意味は大きく変わる。

 

 目を覚ましたシスティアはまるで迷子になった子どものようだったとロウェルは言っていた。

 憔悴しきった顔で近くに控えていた使用人からセシリアの居場所を聞くなりいつもの余裕も淑女としての嗜みの欠片もなく部屋へ突入、眠っていたセシリアを一瞬死んでいるのかと勘違いして取り乱した程だ。

 ロウェルがうろたえる彼女に諭すように事情を説明すると、ようやく落ち着きを取り戻した。

 すると今度はかつてないほど乱雑にセシリアを揺り起こすと驚いて目を丸くしていた顔を思いきり叩いた。

 突然のことに混乱したセシリアは何も言えず、システィアもまた何も言わなかった。ただ涙に濡れていたシスティアの表情を見てセシリアは目をそらすことしかできなかった。

 それから静かに、ロウェルに向かってセシリアを屋敷の一角に幽閉するように指示を出して今に至る。

 既にそれから3日が過ぎているがセシリアはここから抜け出そうともせず、システィアも合おうとはせず、屋敷の中には重苦しい雰囲気が生まれていた。


 セシリアにも言い分はあった。辺境伯として爵位を受けた以上、この地の防衛は仕事の一つだ。

 先遣隊が国内に紛れた敵へ向かってしまった為、フィーリルを防衛できるのは辺境伯である彼女しかいない。

 それに、敵を追い返すだけであれば勝率が悪かったと思ってはいなかった。

 ただ自分自身の生存に関しては運に頼るしかなかったのも事実だ。

 2000を止める為に一人の犠牲しかでないのだって僥倖と言っていいだろう。誰一人として犠牲を出さないなんて奇跡が重ならない限りできることではない。

 今更になってロウェルに言われた言葉が鋭く刺さっている。

 誰かを救う為に自分を犠牲にしても、それは周りを不幸にする。結局ロウェルの言いたかったのはそういう事なのだ。

 寝ても覚めてもセシリアが思い浮かべるのは母親の酷く歪んだ泣き顔だった。あの原因が自分にあるのは分かっている。

 それについてちゃんと謝りたいとも思っていた。

 でも、何を謝ればいい?

 フィーリルを防衛したことを謝るのは違うと思った。そうしなければ沢山の人が悲しみ、国全体に影響が出た可能性がある。

 各地で様々な悲劇が生み出されるであろうことも想像に難くない。

 それを防いだ行為を謝るのは何かが違う。

 そしてフィーリルを守る為に自分を賭けの対象としなければならなかったこともまた必然だった。

 同じことが起これば同じ判断を下すだろうと心のどこかで思ってしまう。だからこれについても謝れない。

 でもあの表情を思い出すたびに罪悪感が溢れ出して来てどうしようもなくなるのだ。

 幾度となく重い溜息が小さな口から漏れていく。真面目な故に理由なく適当に謝ることもまた、セシリアにはできない。

 

 システィアにもまた言い分があった。セシリアを自分の所有物と思ったことはないが、自分の娘だ。

 頭ごなしに言うことを聞けと思った事はなかったが、本当に大事な決断は親がすべきだと思っていた。それが親の責任でもある。

 そうして辺境伯を放り出した責任も逃げた責任も全て自分にあるとするつもりだった。

 フィーリルを守る役目を負うのにセシリアは幼すぎる。若干7歳の少女が負うべき仕事でも使命でもない。

 幸い王だってセシリアに撤退を指示した。にも拘らずセシリアは勝手にノーティアの地を防衛したのだ。

 ロウェルや使用人に自分は生きて戻ってくると、裏で死さえ厭わない覚悟で戦場へと赴いた。待つ人たちはその言葉を信じていた。

 今回は本当に、たまたま上手くいったからセシリアは生きている。

 だからこそ、何か一つでも条件が違っていたらという仮定を振り切れない。

 セシリアは元から手のかからない賢い子どもだった。一から十どころか百を理解して他人に迷惑などかけたこともない。

 両親の言うことはきちんと聞くし間違った時も素直に謝る。

 けれど、誰かのためという特定の条件があると無茶をする事も少なくなかった。

 セシリアを謹慎という名目で幽閉したのだって、このまま手の届く場所に置いておかないとふとした拍子にどこか遠い、手の届かない場所に行ってしまいそうだったからだ。

 でも、同時にセシリアはフィーリルを守った。この地に暮らしている沢山の人々の笑顔や生活をあの小さな身体で守り通した。

 親としてそれが誇らしくないのかといえば否。よくやったという気持ちもあれば褒めてあげるべきだと言う気持ちもある。

 でもそれ以上に、まるで自分が不要だとでも言いたげなセシリアの行動が悲しくもあった。

 親の想いは子には中々届かない。全てを犠牲にしてでも子どもだけは守りたいというのが親の性だ。

 どうしようもない感情の行き場が、セシリアに振るった手のひらだ。

 今でも痺れた様な感覚とあの時のセシリアの表情が消えることなく生々しく残り続けている。

 部屋の中に再び溜息が漏れる。朗らかなシスティアの顔には深い苦悩で染まっていた。

 

「あの二人は頑なですからね……」

 使用人に与えられた休憩時間にこうしてロウェルがお茶を振舞うのは良くあることだ。

 向かいにはよくシスティアと一緒に過ごしている使用人のメリルが疲れた様な表情で紅茶を飲んでいる。

「雰囲気重くて話しかけるのも躊躇われるのよね……。今まで割と話しながら掃除とかしてたけど、もうひたすら無言なの。音一つ立てるのだって緊張するんだから」

 うんざりといった様子で机へと突っ伏す。二人のぎくしゃくとした振る舞いにはロウェルも困り果てていた。

 普段は明るい笑顔で話す領主がここ最近はベッドから出もしないで一日中ぼうっとしている。

 食事にしても運んで食べさせないと口をつけないし話しかけても上の空。時々思いつめたように深い溜息をついては部屋の空気を無駄に重くしている。

 それに、心情的に言えばセシリアが一人で死んでしまうかもしれない戦場に赴いたの事に怒ってもいた。

 必ず生きて戻ってくると頷いた割りに、生きているのは奇跡の賜物だ。

 せめて自分を連れて行くべきだったと説いても死ぬのが二人になるだけで意味などないと言い切る始末。

 確かにあの場所で多数に攻撃された場合、それを防ぎきる手立てはないかもしれない。それでも取れる選択肢は増えていたはずなのだ。

 誰かを助けるというのは尊い行為だと言いきれるのだろうか?

 誰かを助けに入ったことで死んでしまったらどうなる? 助けられた相手は一生物の心の傷を負うかもしれない。

 だからこそ、誰かを助けるのであれば必ず両人とも生き残らなければならないとロウェルは思っていた。

 それが助けるという行為であって、もし死んでしまえば助けたことにはならない。

 誰かの笑顔が誰かの存在の上でこそ成り立つことをセシリアがあまり理解していない事を、ロウェルは快く思っていない。

 とはいえそれを7歳の少女が悟るのはきっと難しいことなのだ。

 

 せめて何かきっかけでもないものかと思っていたとき、丁度よく皇国の王から連絡が届いた。

 事情を聞きたいから謁見しに来て欲しいという内容だ。書状にはセシリアが来るように明記されている。

 王の命令であればシスティア様も背く訳には行くまい。セシリアと二人並んで王都へ向かえば少しはわだかまりも解けるだろうとロウェルはようやく見えた糸口にほんのりと期待を高めた。

 

 馬車の中は異界だった。

 セシリアとシスティアがお互いくっつくように座っている。わざと馬車のサイズを一回り分小さく手配したロウェルの功績だ。

 けれど二人は互いの姿を盗み見るばかりで全く会話をする気配がない。

 ロウェルは二人に何とか話題を提供しようと話しかけてみるのだがポツリポツリと返事が来るくらいだ。

 しかもお互いの様子をまず伺ってから返事をするせいで妙に間ができてしまう。

 首都までの道のりは長い。ついに5日が経過した時点でロウェルが限界を迎えた。

「お二人ともいい加減に意地の張り合いは終わりにしてください」

 揺れる室内にも拘らずロウェルがゆらりと立ち上がった。その表情は俯いているせいもあってよく見えない。

 身に覚えがありすぎるせいか、二人の目線が両脇の窓へと逃げた。

「セシリア様。今回の一件でどれ程我々に心配をかけたかご存知ですね?」

 突然の名指しの質問にセシリアが固まる。逸らしていた視線が反射的にロウェルへと向けられた。

「ご存知、ですね?」

「あ、はい」

 有無を言わせぬ口調に思わず返事が漏れた。

「ではちゃんとシスティア様に心配をかけたことを謝ってください。いつまでもぐだぐだ悩んでいて何か一つでも結論は出ましたか? セシリア様は深く考えすぎなんです。理由なんて心配をかけたから、それだけでいいでしょう」

 ロウェルの言葉は間違っていない。そうなった原因は全部すっ飛ばした物だけれど、セシリアの心情にはぴったりだった。

「……お母様。その、心配かけてごめんなさい」

 セシリアもシスティアもこういう時だけはきちんと目線を合わせる。表面上はぎくしゃくしていてもやはり親子だ。どこかで繋がってはいるのだろう。

 システィアは返事をしなかったけれど、どこかこわばっていた表情がほぐれていた。

「では今後一切心配はかけないと約束してください」

 続くロウェルの言葉に、今度は即答できなかった。セシリアにしても必要な場合にまた心配をかけることは想像できる。

 それに心配をかけるの定義が曖昧すぎてどこまでが含まれるのかさっぱり分からない。

「はぁ。それではシスティア様。セシリア様がフィーリルを守った行為は間違いですか?」

 溜息一つを吐き出してから、今度は質問の対象がシスティアへと移った。

 彼女は難しい顔をしてから、観念したように言う。

「間違ってはいないわ」

 領主として民を守る術があるのなら使わない訳には行かない事も、システィアはよく理解している。

 ただ親としてその術を娘が行使しなければならないことに納得がいっていない。

 セシリアはまだ子どもで大人がそれを守るべきなのだという考えがずっと取り巻いていた。

 けれどどうしてか、セシリアは普通の子どもより圧倒的に聡い。魔法の使い方もその結果生み出された武器も類を見ないほど強力な物だ。

 彼女に追いつける術を周囲の大人が持たないことも理解できてしまっていた。

「それなら、次からはこうしましょう。セシリア様はきっとこれからも無茶をされます。その時に、必ず私たちも同伴すること」

 ロウェルはロウェルで、戦場に自分がいなかったことを酷く後悔している。

 セシリアが取った行動は間違ってない。でも心配をかけてしまったことも間違ってない。

 彼女に引けと言っても引くわけがない。ならばもう、常に傍に居続ける事くらいしかできないではないか。

「でも、それは」

「意味ならありますよ。私たちの自己満足です。だから精々、私たちを死なせないように立ち回ってください」

 言葉の途中でロウェルが遮る。

 1を失う可能性と2を失う可能性があります。どちらを選んでも得られる結果は同一です。さて、どちらを選びますか?

 セシリアは合理的に1を選んだ。ロウェルは感情的に2を選んだ。どちらも間違いではない。

「システィア様だってセシリア様が手の届く場所にいるのであれば憂いはないでしょう?」

「そう、ね」

 暫く考えてからシスティアも頷く。

「それに私たちが傍に居るなら、セシリア様ももう少し慎重になるかと」

 戦場に出るなら三人一緒。もう自分の命だけを駒として配置する事ができなくなる。

 配置する時は必ず3つ。セシリアは自分よりも他人を優先してしまう。だからこそ、他の2つの駒がある限り危険な賭けは行えない。

「それでもう今回の件は水に流しますよ。いつまでもじめじめしていたらキノコでも生えてきますよ」

 お開きとばかりに盛大な音を立ててロウェルが手を鳴らした。その音に驚いた御者が綱を引いてしまい、馬の動きが乱れ揺れがダイレクトに馬車へと伝わる。

 バランスを崩したセシリアがシスティアの膝に倒れた。慌てて起き上がろうとするのをシスティアがそっと抑えた。

 二人は無言だったけれど、先ほどの陰鬱な雰囲気は薄らいでいる。

 やれやれとばかりにロウェルが大きく息をついた。

 

 

 王都では未だ誕生祭が続いていた。朝から通路の至る所に現れた出店が簡単な木のいすとテーブルを出して、普段は見かけない珍しい食べ物を溢れんばかりに提供している。

 焼けた肉にかけられた香ばしいソースが炭火へと滴り、ぱちぱちと音を立てては少し甘さを感じる香りが風に乗って広がっていた。

 セシリアにとってはどれも見たこともない物ばかりが並び、興味深々といった面持ちでキョロキョロと周囲を見渡す。

 楽器を持った一団がそこかしこで気ままに軽快な音楽を奏でていて、中には踊っている人までいた。

 既に佳境は過ぎてパレードなどの催し物こそないものの、首都はまだまだ誕生祭を満喫しようという人々で溢れかえっている。

「謁見が終わったら首都を見て回りましょう」

 システィアの言葉にはもう馬車の中の堅苦しさはどこにもない。繋がれた手からも和やかな雰囲気が伝わるばかりだ。

 街の雰囲気も合わさって誰もが少し浮かれたような熱を放っていた。

 だからこそ誰も気付かない。街を見回る兵士の数が圧倒的に少なくなっていることに。

 王国の残党なんて、ほんの些細な危機でしかなかった。

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