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果ての世界で  作者: yuki
第二部 商国編
25/56

防衛準備

 夜の帳の中、商国に扮した王国の残党が見る者が見れば感嘆の声を漏らすほどの整然とした進行を続けていた。

 先ほど商国の400の兵との戦闘があったにも関わらず疲弊や損害は僅かも見られなかった。

 商国は初め、彼らのことを農民の雑兵と思い込んでいた。

 とある領地の貴族と全ての農民が忽然と姿を消している報告を受けていたからだ。

 たかが農民風情相手に、数に5倍の差があろうと騎士と魔術師の軍が負けるわけがない。

 そう考えた部隊長は碌な作戦さえ立てずに愚直な突撃を敢行した。

 もしこれが本当に農民の群れであるのならば、損害を受けなかったのは商国の部隊の方だっただろう。

 しかし現実は違う。彼らは王国において正式な訓練を積んできた歴とした騎士と魔術師なのだ。

 

 この世界では互いの魔術師と騎士の実力に相違がないと仮定した場合、1.5倍の戦力差で圧勝、2倍の戦力差で一方的な蹂躙に変わる。

 魔法にしろ剣にしろおよそ攻撃という物は魔法による防御が可能だからだ。

 防御を破る為には防御にかかる魔力以上の攻撃を、いうなれば複数人での同時攻撃をする必要があり、裏を返せば複数人で攻撃できなければ掠り傷一つさえ付けられない事になる。

 まして400と2000。絶望的なまでの数の差は一方的な蹂躙どころか無残な虐殺でしかなかった。

 彼らは一人も残らず、街道を赤く染め上げる演出の一部分にしかならなかったのだ。

 商国は既に彼らが農民でないことも、もっと言ってしまえば国軍の残党であることも気づいている。

 商国では何より利益が求められる部分が少なからずあった。

 国を運営するギルドの頭目たちは誰もが根からの商人で利益の勘定にばかり心血を注いでいるのだから。

 中には違法な手段によって利益をあげている輩も少なくない。

 過去に商国へと紛れてきた王国の難民が居ること自体は彼らも気づいていた。しかしそれを全て検挙していては人も時間も、何よりお金もかかる。

 それに彼らが商国へ定着するということは商国内の消費も上がり、結果として流通を潤す事にも繋がる。

 利益という数字で物事を考える彼らは、王国が戦争で負けてなお諦めず兵を上げるとは思いもしなかった。

 

 軍を集結させるというのは酷く複雑な作業でもある。

 敵に近すぎては逆に引き返された場合に大きな損失を負い、遠すぎては追い付けなくなる。進軍の速度も部隊の人数や士気、気候によりまちまちで完全無欠の計画を打ち立てることは難しい。

 拠点として防衛ができる地点を選択しそこに全兵力を集合させてから討伐に向かうのは策としては冷静で申し分のない物だった。

 だがそれでは圧倒的に遅いのも事実だ。彼らが用意できた兵は凡そ2500。数の上では有利であるものの圧勝の域には届かず、深手を負えばどう転ぶかわからない微妙な数だ。

 重要な港からもかなりの規模の兵を集めている。慎重になるのは無理もなかった。

 既に2000の軍がフィーリルに到達するのは防ぎようがない。到達までの予測時間は凡そ6日間。対して、商国の追手がフィーリルに辿りつくには凡そ8日間。

 2日をフィーリルの砦が持ちこたえてくれなければ事態は取り返しのつかないことになる。

 しかしフィーリルの兵は先遣隊のみ。防衛を担う辺境伯はまだ子供で逃げ惑うことしかできないと商国は思っていた。

「急げ! ペースを乱すな、一定の速度で進み続けるのだ!」

 深夜にも関わらず、比較的軽装の騎士たちは一様に張りつめた表情で先を急いでいた。彼らの頬にポツリと滴が垂れる。

 今夜は月が見えない。分厚い雲は雨雲だったようでこぼれ続ける滴の数は次々に増えていった。

「くそ……! 天気まで邪魔をするのか」

 騎士に激励と怒号を送り続けていた騎士団の隊長が恨めしく空を睨めつける。

 雨はあざ笑うかのように勢いを増していった。

 

 

 

「すぐに親方へ連絡を。深夜ですが私にしたように叩き起してください」

 温厚なセシリアにしては少し意地の悪い言葉に、ロウェルも先刻の行動を後悔していた。

 彼にしても突然の事態に完全に我を忘れ、かつて寝起きの悪かったバレルにしたような全力での揺さぶりを掛けてしまったのだ。

「も、申し訳ございませんでした。しかし親方に何を依頼するのですか?」

 そこですかさず話題を変える。セシリアも若干の間を開けて小さなため息をつくと、いつもの雰囲気に戻った。

「次はもう少し優しくお願いしますね……。敵の進軍速度からみて、このフィーリルに到着する時間は6日と言ったところでしょうか。余裕を見て5日、イシュタールから駅馬を使って馬車を使わず馬だけで昼夜を問わず全力で飛ばすなら凡そ2日。彼らには3日で可能な限り量産してほしい物があります」

 セシリアはそう言って一枚の紙をロウェルに見せる。

「これは……大砲に使う弾なのですか? それにしては形が違うような気がしますが」

「違うわ。大砲の弾は残り50程度。大砲は5門で敵が射程範囲に入るのは入り組んだ地形もあって砦の割と近くよ。そこから撃っても砦に到着するまでには2-3発のリロードしかできないもの。実際に使うとしても30発あれば十分よ。先遣隊を使って足止めができるなら後方の魔術師に対して有効な攻撃ができたんだけど、30程度じゃ足止めにはならない。彼らを足止めする手段を別に作らなきゃいけないの。これはその為の……武器です。あまり、使いたくはなかったのですが」

 そういって一度セシリアは目を伏せた。

 彼女が作ろうとしている武器は地球においても過去に幾度となく活躍している。そして、その活躍と同じかそれ以上に悲劇を生み出し続けている忌み嫌われた武器だった。

 それでも、とセシリアは決意する。フィーリルを守ると決めたのだ。何か出来るだけの知識があるのに何もしないのは彼らを見捨てることも同じなのだから。


「んだってんだ、こんな夜中によぉ……」

 いつになく機嫌の悪そうな親方の掠れた声が音声通信から聞こえてきた。

 音声通信は工房に設置されているわけではなく、イシュタールの役場的な役目を果たす場所に1つ置いてあるのみだ。

 そこに夜間に連絡し、辺境伯と緊急事態の2つをもって脅し職員に親方を叩き起させていた。

 突然起こされた親方は烈火のごとく怒り狂い、普段の強面を二倍にも三倍にも怒らせた顔は般若を通り越し形容しがたい何かへと姿を変え職員にトラウマを備え付けたとのはまた別のお話。

 だが親方はセシリアの緊急と貴族の名前を使っての連絡に応えた。

「フィーリルに敵が進行しています。このままでは防衛ができず、被害が出ることは間違いありません。親方にはこれから言う物を作ってもらい、毎日徹夜でフィーリルまで発送してほしいんです。……発送は配送ギルドを使わないで、出来るだけ口の堅い、絶対に秘密を漏らさない信用できる方にお願いしたいと思っています。それが無理なら配送ギルドでもかまいませんが中身を見せないでください」

 早口にまくしたてるセシリアの声に親方もたじたじといった様子だ。

 セシリアの言葉は今までの様な温かく、落ち着いた中にほんの少し悪戯心を含んだ、いわば彼女らしい物とは遠くかけ離れていた。

 いうなれば悲痛の2文字だ。なんとかしたくても自分だけではどうしようもなくて、縋るような思いでかけられる言葉の数々。

 親方も尋常ならぬ彼女の声につもっていた眠気も霞んでいた思考も全てが鮮明に変わっていく。

「落ち着け。詳しい話を聞かせろ。そいつは俺たちだけでやらなきゃいけない事なのか? 外部に漏らしたくないらしいが一つの工房で作れる数はたかが知れてる。ならよ、俺を信用しちゃくれねぇか? 絶対とは言い切れないが仕事はきっちりする職人の知り合いが居る。そいつらを巻き込めば作れる数はずっと増えるぜ」

 その言葉にセシリアはすぐ返事をすることができなかった。

 だが、もう時間がないのも事実だ。決めたのだろう、どんな手段を使ってもフィーリルを、約束を守ると。それを今さら変えることはセシリアにはできない。

「……お願いします。作る形は……」

 親方に作ってもらう武器の形状を出来るだけ詳しく伝達する。今までの付き合いのおかげか、親方はセシリアの求める武器の形状を把握することは難しくなかった。

「なんだそりゃ。まぁいい、分かった。一日作った分をその日の夜に送ればいいんだな? で、こっちは3日間徹夜して作れと」

「はい」

 無茶な要求だとセシリアは自分でも思う。けれど音声通信の向こうの親方は呆れたようにまた笑い、こういうのだ。

「お前さんの依頼は毎回無茶苦茶だが……いいだろう、やってみよう」

 

 イシュタールで通信を終えた親方は役場の扉をぶち破るかの如く勢いで開き夜の街へと走っていた。

 壮年を過ぎ初老と言ってもいい親方の足は軽快だ。

 瞬く間に弟子たちが使っている寮へと飛び込むとその扉を片っ端から蹴り飛ばした。幾つかの哀れな扉は衝撃に耐えきれず扉が歪む。

 爆発的な騒音に弟子たちが何事かと顔を出すとそのうちの一人の首を掴んで大声で怒鳴りつけた。

「おめぇら仕事だ! 全員直ちに工房へ向かい火を入れろ! これから3日は全員徹夜だ、ほら急げ!」

 余りにも理不尽な親方の物言いに、けれど弟子たちは慣れた様子で支度をしていく。

 一つは親方の無茶がいつもの事であるから。

 もう一つは、親方が信用に足る存在だから。

 ここにいる弟子たちは誰も彼もが親方を尊敬している。最近奮う事のなかった彼の技術をここ最近使わせ続けているセシリアという少女の依頼にも発想力にも深い興味を持っている。

 なら断る理由なんて、彼らにだってどこにもありはしないのだ。

 

 親方はその足で別の工房の旧知の知り合いの家へと向かう。

 そこでした事は先ほどの行為を少しだけ丁寧に、を力いっぱい叩くだけに留める。

 中から怒り心頭の壮年の男性が出てくるも、親方の顔を見た瞬間に彼の顔から怒りが消え疑問へと変わった。

 それから親方は事情を手短に説明し協力を煽る。

 真夜中に来て謝罪一つなく仕事を頼みこむなど非常識にもほどがある。

 けれど扉の向こうの彼は親方の依頼を聞くなり着の身着のままで駈け出した。その行先は、彼の弟子が過ごす寮だ。

 それとは別に親方はまた別の工房の知り合いの元へと走る。そこで起きた事はもう語られる必要さえないだろう。

 何故こんな荒唐無稽な依頼を受けるのかと問えば、きっと彼らはこう答える。

 親方の依頼だからな、と。

 

「てめぇらさっさと働きやがれ! それから耳かっぽじってよぉ聞けや! ここで作ったもんは一切他言無用だ! もし話して見やがれ、纏めて火にくべて燃料にしてやらぁ!」

 どこかの工房の親方が弟子を怒鳴りつけた。

 

「1日でぶっ倒れるくらい働き続けろ! だがぶっ倒れていいのは3日後だ!」

 どこかの工房の親方が理解不能の命令を叫んだ。

 

 深夜にもかかわらず火を入れ始めた工房を見て何人かの住民が騒音に目を覚ますが、抗議を入れようとは思わない。

 彼らが修羅場を繰り広げるのはそう珍しい事ではなかった。

 翌日、3つのギルドが作り上げた武器は凡そ500。それは2日でセシリアの所へと届けられ、国軍の接触までに凡そ1500近い武器が山となって積まれることになった。

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