357.前に踏み出す者
「団長っていつも突っ込むけど死ぬの恐くねえの?」
カナタは酒盛りしている傭兵団の会話を聞くことが多かった。
他の戦場漁りと違って、夜遅くまで魔術滓を眺めていることが多かったからだ。
傭兵の一人がウヴァルにそんな質問をしたのを聞いて、当時のカナタはふと気になって聞き耳を立てていた。
「こええに決まってるだろ馬鹿。死ぬのが恐くない人間は傭兵なんかやれねえだろ」
「逆じゃねえのか?」
「逆じゃねえよ。傭兵ってのは関係ねえ戦争に首突っ込んで、相手ぶっ殺して生きてこうって集団だぜ。死っていう糞と向き合いながら、生きてやるって、死ぬ気で思える連中しかやれねえ仕事だ」
ウヴァルはそれを誇っているわけではなかったように思った。
同時にその時のカナタでは、まだよくわからなかった。
「でも団長って基本突っ込むじゃねえか。だから聞いてんだよ」
「そうそう、傍から見たら死にたがりにしか見えねえって」
酒盛りしている傭兵達はウヴァルの戦い方が気になったのか普段の騒がしさが少し鳴りを潜めていた。
ウヴァルがどの傭兵よりも率先して敵兵に突っ込む背中を何度も見たからこその疑問だったのかもしれない。
いつもの覚えなくてもいい雑談ではなく、傭兵団のメンバーがウヴァルの答えを待っているとわかったからかウヴァルは真面目になることを恥ずかしがるように、残りの酒を飲みほした。
「死ぬのはこええよ。でもそれは死ぬってことから逃げるのとはちげえ。死と向き合って命そのものを実感するってこった。そうやって向き合ったやつだけが本当の意味で命を振り絞ることができる。最後に戦場で生き残れるのはそういうやつだ。だから俺は笑って前に出るんだよ。そんで、今日も生きて酒を飲んでる」
「団長って真面目なこと言えるんだな……あでぇ!?」
「てめえは死にてえみたいだな」
ウヴァルは傭兵の額に、先程ウヴァルが空にした樽ジョッキを投げつける。
あまりに間の抜けた声に傭兵達は笑い声を上げた。
「覚悟のねえやつは勝てねえんだよ。生き残れはしてもな」
笑い声の中、カナタは確かにその言葉を聞いていた。
「いかれた男めぇ!!」
亡者との群れと光の樹が激突する。
一対一の魔法戦とは思えぬ規模による仮想領域同士の衝突。
亡者のうめき声と光の枝が肉を貫く音、そして使い手の声が中庭という空間でぶつかりあっている。
中庭を囲む教皇宮殿の外壁は、もう戦闘が始まる前の姿を保っていない。
壁が破壊されて廊下は剥き出しになり、破れたカーペットがだらんと廊下だった場所で垂れている。華々しく、荘厳な雰囲気はもうどこにもない。
「いかれたぁ!? 国民全部騙してるあんたのがいかれてる!」
「騙してなどない! 導くのだ! 神の代理人たる我が!」
「安い弁舌だな!」
「デルフィ神を愚弄するか!」
「てめえを愚弄してんだよっ!!」
亡者のように血で汚れたカナタ。教皇が着る白い祭服のままのクヴィリス。
この見た目で誰が拮抗どころか、カナタが押していると思うだろうか。
「ぐっ……!」
クヴィリスの足が後ろに下がる。彼の出した光の樹は亡者に群がられて、黒い氷と血で蝕まれ始めていた。
魔力量ではなく仮想領域の性能による差。カナタのほうが押している。
何故? そんな疑問がクヴィリスの頭に浮かぶ。
どれだけ疑問を浮かべても誰も氷解させてはくれない。
そう……クヴィリスは教皇であって魔術師じゃない。戦士でもない。
格上を相手に命を振り絞ってきたカナタとは違う。ゆえにクヴィリスはカナタの戦い方に追い付けない。がむしゃらなのではなく、勝つために選んだ動きだと理解するのが数瞬遅れてしまう。
知識のない人間が専門用語を押し付けられている時のような困惑がクヴィリスの動きを蝕んでいく。
互いに傷が再生する状況の中、血と泥に塗れるのが最適解だと突き進む。
クヴィリスには理解することができない。自分の命を振り絞って戦うというのがどういうことなのか。
戦うべき時に前に出るその精神の正体も。
「限界か……っ!」
光の樹が綻び、クヴィリスの仮想領域が消滅していく。同時にカナタの仮想領域も。
互いに干渉して削り合った結果相殺され、魔術のカタチを保てずに消えていく。
だがクヴィリスにはヴンダーの杖によってすぐに魔力を回復できる。また唱えればいいだけのこと。
仮想領域が消滅し、元の中庭に戻ったことで亡者の中に紛れていたカナタの姿もクヴィリスからわかるようになる。
距離にして十五メートル。長くはないが唱えるには十分な距離。
「“膨張”! 『至れ、――ぶがっ!?」
もう一度第四域を唱えようとしたクヴィリスの口元に飛んでくるのは石。
元の中庭に戻ったことで見つけた石をカナタが思い切り投げたものだった。
石は戦場において最も身近な武器の一つ。戦場に身を置いたことのないクヴィリスでは予想ができない。
「ご、の……!」
クヴィリスの前歯と唇が再生し、もう一度唱えようとした時カナタはすでに駆け出していた。
「ぁああああっ!!」
「ごぶっ!?」
カナタは跳び上がって、盾にした腕ごとクヴィリスの顔面に蹴りを打ち込む。
魔力を消費して再生する。だがそれは傷つかないという意味ではない。
刺されれば痛むし、顔を蹴られればうまく発声もできない。
何より……カナタに押されて動揺している精神を戻すことはできない。
その一撃で歯噛みする奥歯すら欠けて、クヴィリスは口内の血を吐き出しながら自分の天敵を見る。
ヴンダーの杖だけは意地でも離さないと握り締めているのがクヴィリスの最後の意地だ。
「っ……!」
「胸倉掴まれるのは初めてか?」
だがその意識をカナタはクヴィリスの隙に変える。
ヴンダーの杖を奪われないように意識しているがゆえに他への反応が一瞬遅れていることを見逃がさない。
カナタは胸倉を掴んだ勢いのままクヴィリスの鼻目掛け、思い切り頭突きを入れる。
骨と骨がぶつかり、鼻がひしゃげる鈍い音をさせながらクヴィリスの鼻から血が勢いよく噴き出す。
「ぶ、ぐ!? びぇあ……っ! ぶぐっ!」
何度も、何度も何度も何度も。
クヴィリスの顔が再生する間にカナタは頭突きを繰り返す。
唱える前に何度も何度もクヴィリスの顔面を潰して唱えさせないように。
クヴィリスも抵抗するが……ヴンダーの杖をカナタに触れさせるわけにはいかず、かといって離すわけにもいかず。
左腕で殴りつけるが、魔術のない状態ではカナタをどかすほどの力はない。
「……」
「ぐぎっ! ぶはっ! ぼぐぅぁ!? ごっ……! ぎ……!」
カナタはクヴィリスの抵抗など無視して無言で繰り返す。何度も何度も。
何度も頭突きして、クヴィリスの歯で額の肉が見えるような怪我を負ってもクヴィリスの術式の力によって再生していく。
カナタは顔が自分とクヴィリスの血で塗れても攻撃の手を緩めない。
クヴィリスの目尻に涙がいくら溜まろうとも、頭突きでクヴィリスの鼻と歯を折り続ける。
そして、クヴィリスの抵抗が弱まったその瞬間。
「ご、ぱ……」
クヴィリスは終わらない痛みに折れて右手の力を緩めてしまった。
拷問のような痛みの連続。何度も折られた鼻と歯がクヴィリスから戦意を奪う。
再生するからと、無抵抗のまま痛みを与え続けられれば
ヴンダーの杖は滑り落ちるようにヴンダーの杖が泥となった地面に落ちる。
べちゃっ、という泥に杖が落ちた音と、二人の頭がぶつかり合う音が戦いの幕を引いた。
「終わってねえよ」
カナタはクヴィリスの胸倉から手を離す。
額から顎まで血塗れになったその顔はあまりにも、魔的だった。
「それではルミナ様! 私は足手纏いにならないように避難しますね!」
「ええ、エメトさんとキュアモさんに出会ったら現状の報告を!」
「お任せを!」
カナタを残して一時撤退したルミナ達は中庭から聞こえてくる音を聞きながら態勢を整える。
魔物騒ぎが収まった町にルイを逃がし、ルミナは息を整える。
魔力切れをしたエイミーを横目に見ながら。
「エイミー、私はカナタのところに戻ります。一緒に行きますか?」
「……」
自分に失望したエイミーはその声に反応できない。
決意したはずだった。養父に正面から敵対したつもりだった。
自分は変われて、大事な時に選択できたのだと。
だがそれはまやかしでしかなく……心のどこかで養父を説得できるとでも思っていたのかも。
あんな啖呵を切りながら、みんなを巻き込んだ結果が人任せ。
自分はあの時……本当の意味で選ぶことができなかったのだろうか。
選んだつもりが、感情に任せて突っ込んだだけなのか。
「エイミー」
「む、無理を言うな公女! 魔力切れの小娘が戻る意味なかろう!」
「アンダースさんに聞いていません」
「な、何を!? 私は教皇の側――」
「エイミーさん、それでいいんですね?」
後ろで騒ぐアンダースの声を遮るように、ルミナが強くエイミーに語り掛ける。
エイミーはその声に顔を上げた。
その顔は戦うことを決めた人間の顔ではなく、自分の情けなさで泣きそうになっている顔だった。
「だって……私みたいな……」
「……いいんですね?」
繰り返されて、エイミーはルミナの顔を見上げる。
ルミナは辛そうな顔でエイミーを見つめていた。
エイミーはそこで先程カナタに言われた言葉を思い出す。
“自分は駄目なやつだってうずくまるな。そうしても何も変わらないって俺は知ってる”
覚悟を決めたと思ったら中途半端な自分。
そしてその情けなさでうずくまっている自分。
エイミーは袖で乱暴に自分の目元を拭いて、鼻水をすすりながら立ち上がる。
情けないからとうずくまったままではいけない。
結局また自分を助けてくれた人の声に突き動かされている自分を恥じた。
それでも動かないよりはましだと歩き出す。もう浮く魔力もないのに。
情けないのは変わらない。それでも自分の代わりに戦ってくれる友人の下へ行くべきだと。
「ありがとルミナ……いく! 行くわよ!」
「ええ、もちろんです」
「お、おい!」
ルミナとエイミーが一度脱出したはずの中庭のほうへと戻っていく。
アンダースは手を伸ばすが、中庭に戻っていく二人の背中には届かない。
中庭は今第四域同士が衝突する危険地帯。この国で最も危険な場所だ。
せっかく脱出できたというのに戻る意味など全くない。怪物は怪物同士戦わせていればいい。
「馬鹿な連中だ……無謀なことをするのは若さのせいさ」
アンダースは教皇宮殿に背を向けようとする。
「そうだ……若さの……!」
足が動かない。教皇宮殿から離れようとしてくれない。
アンダースは歯を食いしばりながら、今度は町のほうに背を向けた。
「あー……! くそっ! 私だってまだ若いってことだ! そうに違いない!」
アンダースは一人で言い訳しながらルミナとエイミーを追いかける。
驚くことに、教皇宮殿から逃げようとするよりも足は簡単に動いていた。




