344.神を崇める国
アオフ祭二日目は今を生きる自分達を尊ぶ日。
国民が今生きることができている自分について考える。そして、感謝をする。
今年は特別だ。教皇の奇跡を目撃した歴史の生き証人。
首都は一日目と同じく大騒ぎで、食事に聖水にと大盤振る舞い。家族と抱き合い、友と語らい、子供の夜更かしだって今日は許される。
今日は今この瞬間に感謝する日なのだから。
「なあ……本当にあれって奇跡だったのかな」
男が聖水の勢いからか、そうつぶやいた。
それを聞いた酔った友人達は大笑いする。
「何言ってんだお前も見ただろ! 死んでたはずの教皇様が起きたんだ!」
「あれを奇跡と言わないでなんて言うんだよ!」
そう、死者蘇生は紛れもない奇跡。人類が成し得ないもの。
首都リュールヴェーアにいたトラウリヒの民はそれを目撃した。
「俺達はさ、死んだからってデルフィ神がおわすところに行けるんじゃない……善く生きて、生き抜いたら行けるんだ。それなのに、戻ってきちゃっていいのかな」
「おいおい何言ってんだお前……」
「酔ってんだろ」
「教皇様も仰ってたじゃないか。俺達を導くために蘇ってくれたんだよ」
「そうか……そうなのかなぁ……」
町中が大騒ぎの中、一人の男は聖水を飲みながら夜空を見上げる。
そこに彼等が信仰するデルフィ神はいない。
また、違う場所では――。
「ねぇママ……教皇様は何で蘇ったの?」
とある家の娘は今日だけ許された夜更かしにわくわくしながら母に質問した。
「私達を導くためよきっと」
「でも……教皇様はデルフィ神のおわすところへ行ったんでしょ? 私が行ったらきっと戻りたくないと思うの。ママが教えてくれたでしょ? 私達はいいことしながら生きたら行ける夢のような場所だって。教皇様は生き返ってくるの、嫌じゃなかったのかなあ」
娘の疑問に向き合うため、母は娘を抱きしめた。
「例えば、私がデルフィ神のおわすところに行ったとして、そこがどんなに素晴らしいところでも……生き返って戻れるなら戻ってくると思うわ」
「なんで? ママ?」
「あなたがいるからよ。ママはあなたといたいからきっと戻ってきてしまうわ。」
「わぁ……! そういうことだったんだ! 教皇様には会いたい人がいたのかな!」
「生き返るっていうのは、そういうことだと思うわ」
「そっか……ママ……」
「あ、あらあらどうしたの?」
自分が抱いてる娘が、今にも泣き出しそうになっていて母親は慌てる。
娘が何故泣き出したのか母親には見当もつかない。
「ママ……死んじゃやだ……やだよう……。私も、ママに会えなくなるのやだぁ!」
「あらあら、ママが想像させちゃったわね。大丈夫よ。ママはぜーんぜん元気だから」
「やだああああああ!!」
娘は母の胸で泣き疲れるまで泣き続けた。
死者蘇生とは大切な者と別れる恐怖から逃れられる尊い奇跡なのか。
それとも……別れを惜しむ人の思いを陳腐にしてしまう愚行なのか。
「爺さん、何で不機嫌なんだよ。こんなめでたい日にさ」
また違う場所では白い髭を顎に蓄えた老人が不機嫌そうにしていた。
「ふん……何が奇跡じゃ。何が聖戦じゃ。魔物を操る? ふん!」
「爺さん元騎士か?」
「そんな上等なもんじゃないわい。元聖堂士団ではあったがな」
老人は聖水を飲まず、食事もいつもと同じものにしていた。
肉を食わず、スープと野菜と黒パンで済ませていた。
騒いでいる他の住人と違って、腹は膨れない。酔ってもいない。
「魔物と戦ってきた儂らが今更、魔物を操れるなんて奇跡を受け入れるわけなかろう……大体、聖女様が同席していないのに何故みんな両手を挙げて信じられる?」
「そりゃ奇跡だからだろ。蘇った神の代理人クヴィリス様万歳だ! トラウリヒの問題を一気に解決してくださった!」
「奇跡……か。ふん、どっか行け若造。わしはもう寝る」
「偏屈な爺さんだなあ」
老人は騒がしい食堂を出て、家への道を歩いていく。
すれ違う住民はみんな教皇の奇跡を讃えていた。
「……儂には戦争前のプロパガンダにしか見えんよ。聖典のどこに死者蘇生と魔物を操る奇跡なんぞ載っておるというんじゃ」
敬虔なデルフィ教徒である老人は、デルフィ教の象徴である教皇を疑っていた。
聖典にはそんな奇跡は載っていない。そして象徴の片割れである聖女の姿もない。
そもデルフィ神のおわすところから帰ってくることなど、それはむしろデルフィ教の教えに逆らっているのでは。
「気に入らん。気に入らん。本当に、あれは奇跡じゃったのか。デルフィ神よ、どうか愚かな儂にお教えください。あれは本当にデルフィ教の奇跡なのですか」
それぞれが今を考えた。自分と向き合った。
教皇の奇跡に酔う住民がほとんどの中、そうでない信徒達は考え続ける。
何が正しいのか。他と違うことを考えてしまう自分達は間違っているのか。
死とは。生とは。奇跡とは。
自分達の信じるものは一体何だったのか。信じるべきものとは一体。
デルフィ神は答えてくれない。
「神よ……」
自らの信仰が揺らぐ罪悪感に老人は道端で神に祈った。
ここはトラウリヒ神国。
人が生き抜いた先にいるデルフィ神を崇める国。
◆
「おお! 聖女様がお帰りになられたぞ!」
「これでトラウリヒ神国は安泰じゃ! がっはっは!」
教皇宮殿ですら聖水で酔っている大人達ばかり。アオフ祭の間は政務よりも祭りが優先なのではめを外す理由としてはこれ以上ない。
そんな司教含めた大人達は聖女の帰還でさらに盛り上がる。
いくら聖女をお飾りだと思っていても民の求心力は認めるところだ。
奇跡を起こした教皇と、民を導く聖女。
デルフィ教の象徴である二人が揃った今、トラウリヒ神国に不安はない。
酔っぱらいながらも司教や司祭も関係なく聖女を出迎えに正面玄関へと向かった。
「聖女様よくぞお戻りに! 一体どこへ……んあ!?」
予想に反して正面玄関にいたのはエイミーだけではなかった。
あまりの驚愕に司教も司祭も目を剥く。
「ったく、みんな浮かれてるわね……」
「こら、大人しくしろ」
「んんん! んんんんん!!」
浮きながら進むエイミーと、護衛騎士シグリに捕縛されているアンダース。
呆けている大人達に向けて、エイミーがふんと鼻を鳴らした。
「ここに戻ってくる道中、なーんか逃げようとしてたのを見つけたから捕まえてあげたわよ。どうせこいつのことだから何かやらかしたんでしょ?」
「むぐおおお!」
昨日まで教皇になりかけていたアンダースが後ろ手に縛られ、猿ぐつわで口を塞がれている憐れな姿は、酔っぱらった教皇宮殿の連中にとってあまりにいい肴だった。
いけ好かない人間が権力から転げ落ちるというのはどの時代でも最高の娯楽。
司教達の反応は驚愕から、大笑いに変わっていく。
「流石は聖女様! 仰る通り! アンダースは教皇様がお戻りになられた昨日の内に逃げようとしておりました!」
「教皇様がお呼びになったのですが部屋におらず、どこに行ったのかと思っていましたが、まさか逃げようとしていたとは!」
「こうはなりたくありませんなあ。それに比べて異変を感じて捕縛した聖女様の判断力! 流石でございます!」
「……」
捕縛されているアンダースの瞳が少し陰る。
率先してアンダースを見下す言葉を吐いたのは、つい昨日までアンダースと協力して教皇の座をとろうとしていた者達だった。
アンダースには見覚えがありすぎる顔しかいない。最近まで、同じ部屋で聖水と葉巻を楽しみながらこの国をとった後の話をしていたのに。
確かに仲間だと思っていたわけではない。利用し合う関係だとわかっている。
それでも、何も思わないわけではない。
「全く、こんな顔見まくってるおっさん逃がすって……警備の騎士は?」
「聖女様。アオフ祭ですからそこはどうかお許しを……半数は我々と同じように祭りを楽しんでいるかと思います」
エイミーは、仕方ないわねえ、と腕組みする。
「みんな楽しそうだものね。いいわ、じゃあ祭りが終わるまでこいつは隔離区画につっこんどきましょ。せっかくのアオフ祭だもの」
「ええ! ええ! 今年のアオフ祭は特別ですから! 逃げようとした理由は不明ですが、逃げたということは後ろ暗いことがあるに違いありません! 終わったら調査しましょう!」
「ええ。行くわよシグリ。あんたも少しははめ外したいでしょ」
「はい」
「じゃあこっちは任せて楽しんで」
エイミーがひらひらと手を振ると、教皇宮殿はさらに盛り上がる。
彼等の視点では、聖女が帰ってきた今もう憂いはない。
エイミーを見送ると、各々がまた聖水と料理を楽しむために大食堂へと戻っていった。
「うまくいったわね」
「いくら教皇宮殿の方々でも、これだけ酒に酔っていては確認も緩いですね」
「お酒……? 聖水じゃなくて……?」
「あ……」
「聖水って……お酒なの……? だから私飲んじゃ駄目って言われてたの……?」
「んむぐお……」
キュアモが思い付いたのは堂々と隔離区画へ向かうことのできる方法。
国全体が緩んでいることとアンダースが逃亡扱いになっているであろう状況を利用した正面突破。
アンダースのプライドと威厳を犠牲にし、エイミーは帰還した聖女として堂々と乗り込んだ。




