302.捨て続けた者
「…………」
何故、自分は生きているのか。
ケネスは幽閉塔の一室で口枷と後ろ手に手枷を嵌められながら、用意されている椅子にじっと座り続けていた。
メレフィニスが閉じ込められていた幽閉塔の最上階は崩れてしまったが、幽閉塔はその一室だけではない。エフスラがいなくなっても、城との融合を解除された今のケネスには幽閉塔の強固な一室に拘束するだけで十分だった。
「…………」
幽閉塔には、王族なら面会が可能だ。
あの戦いからすでに一ヶ月以上……国王ウィスカも視察から帰還しているというのに、ケネスに面会する者は誰もいない。今まで国王を裏で支えた実績があるにはあるものの、今回の出来事を見てケネスに面会に来ようとする者など確かにいないだろう。
だが、腐っても王弟。現国王の弟なのだ。
長年の野心が砕かれ、地位も失い、完全に空っぽになったケネスは自然と兄の事を考えていた。
いや、魔術王という夢を失った今それしか考えるものがなかったというべきか。
空っぽになってしまった今の自分には血筋しか残されていないからか、それとも後継者争いをする前の時間を思い出したのか。
「こんばんは」
「っ!?」
そんなケネスの下に、ようやく面会者が訪れる。
だがその声はケネスが予想した人物ではなかった。
「ケネス様ですよね。一度お会いした事がある」
「……!?」
ケネスはまず混乱し、次に憎しみを視線に込めた。
自分の野望に立ちはだかり、夢を砕いた張本人。
恐らくはケネスが最も見たくないであろう人物が扉の外からこちらを覗いている。
この幽閉塔は王族関係者しか面会に来られないはずだが、一体どうしてここに来たのか。外の警備は何をしているのか。
色々と気になる事はあったが、口枷が邪魔で言葉は発せない。
「今日の俺はただの代理人なんです。すぐに終わりますので時間はとらせません」
「……?」
何か伝言を預かってここに来たという事だろうか。
確かに、それならば王族しか面会に来る事のできない幽閉塔にカナタがいるのも頷ける。王族の誰かに言伝を頼まれて、万が一を考えてカナタを送り込んだとあらば納得もいくからだ。
一体誰からの伝言を聞かされるのか。ケネスがそんな事を考えていると、カナタは部屋の鍵を開けて部屋の中へと入った。
「!?」
「あ、ちゃんと許可は貰ってますよ」
カナタは部屋に入ると、部屋にあったもう一つの椅子をケネスの前まで運んで座る。
ケネスの驚きが落ち着かないうちに、
「『燦然たる魔の宴』」
カナタはいきなり、自分の第四域を唱えた。
突如、部屋に漂い始める鉄のような錆臭さ。戦火の熱。転がる遺体と死の気配。
周囲の光景は瞬く間に部屋ではなく、カナタの仮想領域……戦場へと姿を変えた。
「“選択”……『捧げよう、平和の礎に』」
「んっ!? んん!?」
展開されるその仮想領域はカナタが取り込んだオルフェの魔術。
ケネスは突然展開された第四域の魔術に困惑しながら首を忙しなく動かしていた。
「いや、大変でしたよ。魔術滓はあったんですけど、自分の第四域って完全に取り込むには自分が一度そこにいなきゃいけないので……わざわざ治療中のオルフェ様に使ってもらったんです」
「……!?」
言葉遣いこそ目上の人間にするものだが、カナタの目は人間を見る目にしてはあまりに冷たかった。
その間に、仮想領域内で倒れている遺体が徐々に立ち上がっていく。
オルフェが使っていた時のような神秘的な空気は一切なく、立ち上がった遺体はただただケネスに群がろうとしている。
「んんっ!! んんんんつ!!」
何の真似だ、とケネスは口枷の下から叫ぼうとする。
カナタは当たり前のように告げた。
「今回の件でもらった俺の褒賞だよ。許可は貰ったと言ったはずだ。俺はあんたを処刑する権利を貰った。どうせ秘密裏にしなきゃいけないって話だったから」
遺体が剣を抜く。槍を握る。石を拾う。兜を脱いで振り被る。
動けないケネスにゆっくり、終わりまでのカウントダウンのように一歩一歩。
ケネスが身をよじって逃れようとする中、カナタもまたじっと動かない。
警備の人間がいるはずなのに、誰も止めようとしてこない。
まさかカナタの言っている事は本当なのかと青褪める。
「俺は頼まれた。だから、約束を果たしに来た。それだけだ。あんたに特別な感情なんか特にない」
何の話だ。そう言いたかったが、ケネスは口枷のせいで何も言えない。
兄と話をさせろ、という言葉も口に出来なかった。
「自分は国の恥だって、情けない男だって、同僚の仇も取れないって……悔しがっていた。涙を浮かべていたんだよあの人は。そんな事あるはずないのに」
今回の一件の褒賞としてカナタはその気になれば、何でも望む事ができただろう。
そんなカナタが選んだのはオルフェとの約束だった。
魔術滓と一緒に手渡された、涙ながら託された思い。
「だから殺すのは俺じゃいけない。お前を殺すのはオルフェ様の魔術だ」
「んんんんんんっ!!」
ケネスの疑問が氷解する。自分は偶然生き残ったのではなく、ただ殺され方を選ばぶために生かされていただけ。
助けを求めても、口枷に邪魔されて言葉にならない。いくら言葉にならない声を上げても警備の兵は来ない。
口枷の端から零れるよだれを泡にして、迫ってくる死から何とか逃れようとケネスは体をよじり続ける。
その勢いのまま、ケネスを固定している椅子は横に倒れた。
体を起こそうと顔を上げると、こちらを見下すカナタの視線に一瞬体が震える。
「今更、何で自分の命だけ拾おうとしてるんだ? 全部捨てたんだろ? 味方の命も、今までの地位も、守るべき国も、魔術王とやらになるために」
それは、少年の目とは思えなかった。
自分に向ける善良や良心の一欠けらすらもったいないと言わんばかりの瞳。
戦っている時に神秘を宿していたとは思えないその目は、ケネスの命をただ見つめている。
「遠慮するな。戦場に命も捨てていけ」
「んんんんっ!! んんんんっづ!!」
――助けてくれ兄さん。
そう発したかった声もまた言葉にならず。この世の誰にも命乞いすらできず、憎き敵にさえ自分の言葉を残せないまま、ケネスはゆっくりとオルフェの魔術に殺されていく。
ケネスが許してくれと涙ながらに目で訴えても、カナタは座ったまま。
その姿はまるで、玉座に座る王のようで……痛みと恐怖の中にほんの少しの羨望を抱きながら、ケネスは動かなくなっていく。
幽閉塔にはこだます言葉なき悲鳴。月すらその死に様を照らさない。
カナタはそのまま、オルフェの代わりにその死を目に焼き付けた。




