186.夜が深まる3
「体内にも仮想領域だなんて用意周到ね。暗殺にでも怯えてたのかしら?」
「わしを失脚させたい奴は山ほどおるからの。不意打ち対策は当然じゃろ」
「それも、魔力が切れれば維持できないでしょう? 老体に足りるかしら?」
「わしに魔力切れさせたきゃあ、第五域を持ってきてみろい!」
両者は再び、容赦なく魔術を撃ち合う。
飛び交う光と闇の第三域の魔術。頑丈な部屋の床と壁は砕けていくも、すぐに修復していく。
(なるほど……わしの固定術式を残していたのは部屋の修復で魔力を削るためか)
ラクトラル魔術学院はヘルメスの仮想領域で張り付けられた固定術式によって魔力による傷や怪我を無効化、もしくは再生できる場所がいたる所にある。それは人間だけでなく学院そのものにも影響を及ぼしており、実技用校舎の広間などもどれだけ実技の授業が白熱して壁や床を傷つけても自動で修復されるようになっている。
学院のほとんどがメレフィニスによって塗り潰される中、学院長室の固定術式だけが無事だった理由にヘルメスはようやく納得した。
固定術式が残るこの部屋で戦闘を行えば、部屋が壊れれば壊れるだけ修復の魔力分をヘルメスから削ることができる。魔力切れはあながち冗談でもないらしい。
(魔術戦に持ち込んでも優位を保つためか。考えたな小娘)
しかし、逃げるわけにはいかない。
ここで逃げればメレフィニスは今度こそ生徒達を人質にするかもしれない。
メレフィニスの策に乗った上で勝利する。これがヘルメスの前提条件。
「この程度……トップを舐めるなよ……!」
「いつまで頂点のつもり? この世界では、私が王よ」
自信に満ちた表情でメレフィニスは自らを王と言い切る。
不利なのは最初から承知の上。それを覆してこそここのトップなのだとヘルメスは魔力を練り上げる。
「『喰い荒らせ、星の獅子』」
「第三……?」
加筆詠唱を封じ、常識的な威力の魔術の中……メレフィニスは初めて視線をヘルメスから少し上に。
現れたのは部屋の天井いっぱいまである巨大な光の獅子だった。
星のような眼光がメレフィニスを捉え、牙と爪は魔術を切り裂く。
「加筆詠唱なしでこれ……!?」
「ちいと使う魔力を上乗せすればよいだけのこと! 貴様の魔術ごと食い荒らしてくれるわ!!」
「……ちっ」
獅子の一撃が床をバターのように裂く。
メレフィニスは初めて魔術を躱すために後ろに跳んだ。
獅子が少し動くだけで天井と床は削れ、修復を繰り返す。
メレフィニスも魔術を放つが、獅子は咆哮するだけでびくともしない。
「面倒な猫ね……“膨張”。『陽を欺く帳』」
(視界を遮る第三域……!)
暴れる獅子の咆哮の中、聞こえてきた魔術の名にヘルメスは即座に反応する。
メレフィニスが唱えたのは暗闇で周囲を満たす目潰しの魔術。今ヘルメスが唱えた攻撃魔術の狙いを定めさせず、次の攻撃を暗闇から奇襲できる仕切り直しの一手。
しかしそこはヘルメス。魔術の名前で何が起こるかは予見できる。
メレフィニスを中心に黒が広がり、部屋中の明かりを遮り始める前に、
「『砕けぬ星座図』!」
自身の周囲に光属性の防御魔術を展開する。
周囲が暗闇に包まれる中、ヘルメスは宝石のような光の壁に包まれた。
この暗闇の魔術は厄介だが、厄介ゆえに対処にはセオリーがあり……多大な魔力消費と次の魔術を唱えれば消えてしまう弱点がある。
次の一撃を疑似的に不意打ちに出来る強力な魔術だが、このように知識があれば何てことはない。魔術戦ならばやはりヘルメスに分がある。
暗闇が晴れたその瞬間、止まっていた獅子は再び動き出してメレフィニスを食らうだろう。
(…………待て……?)
ヘルメスはそこで違和感に気付く。
先程、傷を修復してみせた時点で不意打ちをしても意味がないと気付いたはず。
ではあえてこの魔術を使って隠れた理由は一体?
巨大な獅子の攻撃から逃れるため? 魔力消費の時間稼ぎ?
いや、違う。これはもっと決定的な――。
「……罠――」
気付いた時にはすでに遅かった。
突如現れる巨大な魔力反応。同時に暗闇を泳ぐように跳んでくるメレフィニスが視界に映る。
次の瞬間、メレフィニスの手の中に黒い穴が開き……穴から現れた真っ赤な剣がその手に握られた。
「ありがとう……あなたが魔術師と学院長の間で揺れてくれて、本当によかったわ」
メレフィニスが突き立てた剣は防御魔術を切り裂き、そのままヘルメスの肩に突き刺さる。
ヘルメスが咄嗟に体を捻ったため急所には刺さっていない。
……それが普通の剣であれば、ヘルメスにはなんてことのない一撃だった。
「な、に……!?」
突き刺さった剣が液体のように形を変え、ヘルメスの手足を拘束する。
それだけではない。触れた感触も、視覚も嗅覚も消え始め、さらには魔力運動まで停止して魔術に必要な魔力までもが途絶えた。
防御魔術も、巨大な獅子も魔術のカタチを保てず消えていく。
強制的に解除された影響か、こつん、と床に魔術滓が落ちた。
ヘルメスに刺された剣の正体は対竜魔道具『バルムンク』。
それは魔力そのものを破壊する竜の爪と牙、そして制作当時トラウリヒの教皇だった男の命を素材に作られた……魔物の長たる竜と交渉するために作られた魔道具。
竜の魔力運動すら停止させ、さらには聴覚以外の五感を奪う……『トラウリヒの微睡み』と双璧を為す無限の牢獄だった。
「馬鹿な……! どうやってわしの目をかいくぐって……どこからその魔道具を出した……!?」
自分の感覚が封じられるのを感じながらヘルメスはありえないと叫ぶ。
『バルムンク』は第四域を超える術式を持つ……その強大さから魔力反応を隠せないことも。
こんなものが学院にあればヘルメスが気付かないはずがない。
「ま、さか……。貴様の力は……それか……!?」
「知らないのも無理はないわ。私はずっと、“虚無の孔”のことをあなたに隠していたものね」
ヘルメスが気付いたのは彼女の秘密を一人知っているからこそ。
四年間……メレフィニスが隠し通した最後の切り札だった。
ヘルメスの驚愕をよそにメレフィニスはすぐ前でしゃがみこみ、今度は手のひらの上に開いた黒い穴から杖を出す。
「『ヴンダーの杖』まで……まさか、四つ全てか……!?」
「ええ、そうよ。あなたの目を欺くために『煽動魔道具リーベ』は他に売りつけて、『ヴンダーの杖』は他の場所で魔力を蓄えさせていたの。そうすれば、四つばらばらになったと思わせられるでしょう? まぁ、煽動魔道具リーベは結局ずっとここにあることになったけど……私は本当に何も関わっていなかったから結果オーライかしら」
僅かにあったヘルメスの視界も完全に遮られる。
ヘルメスが最後に見たのはメレフィニスが本当の意味で浮かべた、勝ち誇った笑顔だった。
「私が本当に油断していると思った? そんなわけないでしょう? あなた達は四年間、私を警戒しているつもりだったのでしょうけど……私もまたあなたを見続けてきた。あなたの力、癖、思考、動きをずっと」
「第二王女……おぬし……!」
「あなたが魔術師に振り切っていたら、私のいる場所に第五域を撃ち込んで終わっていたでしょうね……生徒が百人死ぬくらいで済んだかも。でもあなたにはできなかった。長い間、学院長として過ごしていたからこの場所で魔術師としての非情さを出すことはできない」
メレフィニスはヘルメスを超えたなど微塵も思っていない。油断もしていない。
灯りを消さずに待ち受けていたのは魔道具は照明だけと思わせるため、これみよがしに魔術で対抗したのはヘルメスにこの戦いが魔術戦だと思わせるため。
実際は、魔道具をヘルメスに当てられるかどうかの一発勝負。
ゆえにメレフィニスは余裕ある表情を意識し、冷静さを少しでも奪おうと挑発を繰り返し、さらには薄いナイトウェアで煽情的な格好をして情報をできるだけ散らし……魔術以外の切り札があるという推測をさせないために全神経を注いだ。
「どう? あなたの術式を塗り潰して、勝ち誇っていたように見えていたかしら?」
ヘルメスが部屋に入ってきた時に不意打ちをしていたら、その警戒心から避けられていたかもしれない。
しかし、魔術戦となればそれはヘルメスの舞台……その膨大な知識が体にセオリー通りの対応をさせてしまう。皮肉にも、その知識と素早い対応が一瞬の隙を生んだ。
メレフィニスが待っていたのは魔力切れではなく、自然と生まれた余裕が警戒心をほんの少しだけ緩ませるその瞬間。
「あなたの敗因は強すぎること。自分より下の者のほとんどが等しく同じ力量に見えてしまう。だから、人の成長の幅がわからない。私があなたをどれだけ警戒していたかも気付けない。私がトラウリヒの違法魔道具を何のために揃えたと思う? あなたの……あなたのためだけに備えていたのよ」
最後の声は今までと違って一番力強かった。
それは何年も何年も、準備をしてきた少女の本音。
全ての切り札を曝け出すことになっても、ヘルメスを排除できた喜びから来る心の喝采。
自分の夢そのものであるこの世界を閉ざす最大の敵は、彼女の手に落ちた。
「まったく、わしも焼きが回ったのう……。トップだの最強だの……実戦から離れ、歳を取ったらこうも簡単に手玉に取られてしまうとは……」
ヘルメスは完全に拘束され、音以外の情報が完全に閉ざされる。
魔力は一切動かず術式も浮かばない。視覚や嗅覚はもちろん喉の渇きや空腹も感じず、何の変化も起こらない。
ただ生かされるために生きているかのような気味の悪さの中、聞こえる声に耳を傾けることしかできなかった。
「おやすみなさい元学院長。教育者が生徒の夢を邪魔するなんて、野暮だと思わない?」
「リクエストに応えてみっともない負け惜しみを送ってやるわい性悪女。第四域の到達おめでとう殿下、できれば無残に死んでくれ」
「ふふ……やっぱり男性って、負けず嫌いよね」
ラクトラル魔術学院は依然として、王女の夢の中のまま。
彼女が作った夜から目覚める者はいない。
♢
「あなたその荷物何?」
「午前中にかき集めた魔道具ですよ。俺は聖女様達と違ってか弱いんで」
「エメトは俺やシメルタと違って戦いは不得手だからな」
「僕らはともかくシメルタ殿はいいんですか? シャーメリアンの魔術師では?」
「今はエメト殿の用心棒であるからして。それに子供を見捨てたとあらばシャーメリアンにも帰る場所はありますまい」
「武人ですね、シメルタさんは」
ルミナ達がエメト達の酒場に駆け込んだ翌日、六人は魔術学院を訪れた。
外から見れば何ら変わりもないラクトラル魔術学院。
町の人達は学院が一人の王女に乗っ取られていることなど気付いてもいない。
日常を過ごす町と支配された学院を隔てる門はいわば異界への入り口か。
城のような校舎を見上げると、ルミナは全員のほうへと振り返る。
「それでは皆さん手筈通り……よろしくお願い致します」
ルミナが改めてそう言うと六人は互いの無事を祈りながらハイタッチをする。
門は驚くくらい簡単に開き、六人は仮想領域と化した学院へと足を踏み入れた。




