179.現実と夢
「え? え? な、なに? どしたの? シグリ!? シグリ!?」
「コーレナ……? ルイ……?」
一年生の空き教室で……正確には学院全体で異変は起こった。
ルミナとエイミーが日課のように失伝刻印者の訓練を行っていると、何故か二人以外が眠るように倒れてしまう。
二人の側仕えであるコーレナとシグリ、そしてカナタを待っていたルイの三人はぴくりとも動かない。
体を揺すったり頬を引っ張ったりしたが、何の変化もなかった。
「いくらなんでも変ですね……」
「どうなって……」
とりあえず三人を並べて寝かせると、空き教室の扉が勢いよく開く。
「いたああっ!!」
「ひいい!? でかっ! 怪物!?」
「こらエイミーさん! イーサン先輩です! カナタのお知り合いですよ!」
「怪物でもいい! すぐに学院を脱出するんだ! もう、君達しか起きていない!!」
「「……え?」」
ルミナはエイミーと顔を見合わせて、ここにいない大事な人の名前を呼ぶ。
「イーサン先輩……カナタ、は?」
「――っ! まずは、脱出を! 道中で説明する!」
「な、なんなのよ……もう……」
「カナタ、は……」
イーサンは眠っているコーレナとシグリを担ぎ、浮遊しているエイミーはルイを持ち上げる。
カナタがいないことに不安を覚えながら……ルミナも学院から脱出した。
何度振り返っても、カナタが追いかけてくるようなことはなかった。
♢
「生徒が集まる実戦試験の時に何かをしてくるとか、私の危険度は信奉者が集まるカリスマだとか話術とか後は美しさを警戒とか、私がいつまでも第三域のままだとか……そんな常識的な思考しかできない時点であなた達は負けているのよ学院長。
当たり前の話でしょう? 私が動くタイミングは、私だけが決められるの。本当に私を警戒するのなら、四年も動向を見張るんじゃなくて入学した時に社会から排斥される覚悟で殺しておかないといけなかった」
メレフィニスは悠然と廊下を歩く。
床には眠っている生徒達が転がっている。
その中にはメレフィニスの信奉者もいるが、メレフィニスは意にも介さない。
いや……覚えていないのか。路傍の石を見分けるのが難しいように。
「四年も学ばせてくれたことに感謝するわ。でもね? どれだけ勤勉に学んでいようと、その理由や目的が社会規範に沿っているなんて限らないのよ? 人はみな、自分の中に猛々しい欲望を抱えて生きているのだから。
私の夢のための四年間はとっても、有意義だったわ。みんなではないけれど、魔術を頑張ろうっていう生徒達の希望、目標……そして夢が集うこの魔術学院はとても新鮮な場所だった。それに最後にあんな子にも会えて……ふふ、楽しかった」
メレフィニスが辿り着いたのは学院長の部屋だった。
そこは学院長しか開けられない固定術式が張られているはずが、メレフィニスはいとも簡単に扉を開ける。
積まれた書物。散らばる書類。
古めかしい羽ペンに高級な魔道具達が歴史を語る。
それら全てを無視して、メレフィニスは椅子へと向かった。
「この場所にいたから、私は術式を“夢と現実の境”と解釈できた。魔術とは現実に張り付ける夢。現実とは夢を描く雑多なキャンバス。そして術式とは、私の見ている現実と夢を繋げる境界。
私は私の夢を、この魔術学院に描く。ええ、ええ、安心して……誰も捨てたりなんかしないわ。眠るのは第一段階。夢を見るためにはまず眠らなければいけないでしょう?」
メレフィニスが学院長の椅子に座る。さながら玉座のように。
静かに揺れる青藍色の髪は永遠に明けない未明の夜空。
「夢の輪郭に触れられたなら、それはすでに泡沫の夢ではなく確かな現実……私が望む世界の上でみんな等しく、みんな幸福に。あるべき上下は私と私以外で十分。価値なき者にもことごとく私が価値をつけてあげる。
さあ、おままごとを始めましょう? 私の夢の上で過ごす生が現実になるまで……ずっと」
メレフィニスには目的がある。その目的のために仲間を集めるなどしない。
自らを慕う信奉者も、嫌う者も一度唱えてしまえば誰も彼も等しく同じ。
彼女の現実の上で、永遠に生きる民となる。
「あれ……ここは……?」
顔に泥をつけた少年は呆然としていた。
口から出る率直な言葉はあまりにこの場に似つかわしくない。
焦げ臭くて土臭くて、錆臭い、嫌な匂いしかない戦場。
少年の周囲には先程まで戦っていた鎧姿の誰かが転がっている。
「戦場……何で……?」
少年は自分を見た。見覚えのあるぼろぼろの服と漁ったもので詰まったバッグ。
自分が生きる価値を示すように……金目になるものなりそうなものならないもの。戦闘が終わった場所に飛び込んで武器や装飾品、小物などを漁る“戦場漁り”の時のような恰好だった。
しかし、少し違う。
戦場漁りをしていたのは十歳の頃だが、背丈が違う。
ここにいるのは間違いなく十三歳の自分だった。
「ちょっとカナタ! 何やってるの!」
「え……」
くすんだ赤髪を揺らして、少女が走ってくる。
その後ろには橙色の長髪を持つ女性もいた。
「全くあんたどこ行ってたの!? 時間を決めて一旦集合だって言ったじゃない!」
「らしくないなカナタ。そんなに夢中になっていたのか?」
「ロア……! グリアーレ副団長……!」
カナタと呼ばれた少年の目頭が熱くなり、瞳が潤んだ。
そんな様子に、くすんだ赤髪の少女ロアもぎょっとする。
「ど、どうしたのカナタ! 怪我した!?」
「見たところ傷はないようだが……どこか打ち付けたか?」
橙色の髪の女性グリアーレがぺたぺたとカナタの体をチェックする。
それがくすぐったくて、あまりにも嬉しくて、カナタはついに俯いて涙を流してしまった。
「違う……ちがうよ……! 嬉しくて……ふた、二人に、会えたのが……!」
「どゆこと……?」
「心細かったのか……そういう時もある、のか? まだまだ子供だなお前は」
「おーい! いたかぁ!!」
カナタが涙を拭っているとロア達が来た方向からそんな大声が届く。
「ああ、見つけたぞ!」
「この……声……」
カナタは汚い袖で拭っていた顔を上げる。
声の主は段々とこちらに近付いてきて、ついにその姿を現した。
古傷がある強面の男……カナタの記憶そのままの恩人の姿が。
「おいおい? いい歳になっても迷子で泣いてんじゃねえよ?」
「おか……おがしらっ……!」
どれだけ拭っても涙が溢れてくる。
泥の付いた顔は涙と混じってさらにぐちゃぐちゃになってしまったが、それでもカナタは嬉しそうに笑顔のまま涙を流し続けていた。
「あん? 本当にどうしたお前? 何で俺の顔見て涙が増量するんだ」
「ウヴァルが恐いんじゃないか?」
「もう四年以上いるのにか!? いい加減慣れろよ!?」
「え……? よ、ねん……?」
カナタが戦場漁りをやっていたのは二年のはずだった。
四年と聞いて違和感を覚えるが、目の前にいるロアが確かに記憶よりも成長している気がする。
「でも、どうしてみんながここに? 俺、魔術学院にいたのに」
「はぁ? 魔術学院?」
「え、うん……」
魔術学院と言うと、ウヴァル達三人は目を見合わせた。
そして今度は心配そうな表情でカナタを気遣うように声を掛けてくる。
「カナタ……本当に、大丈夫……? 帰ったらご飯食べようね?」
「頭でも打ったのかお前? 少し診てもらうか?」
「え? え? あれ……? だって……」
カナタが困惑しているとグリアーレは呆れたように言う。
「何を言っているんだ。お前がそんな所にいけるわけがないだろう」
「あ、れ……?」
「気絶して夢でも見たのかもしれないな。ウヴァルの言う通り、誰かに診てもらえるよう近くの町に寄ってやろう」
どこかグリアーレの言葉の中に違和感があったような気がした。
しかしその違和感はすぐにカナタの中から消え去っていく。
自分は平民の戦場漁り。これまでも、これからも。
グリアーレの言う通り、魔術学院など縁遠すぎる場所に用はない。
カナタは無意識にポケットに手を突っ込む。
……ポケットの中には何もなかった。
「そう、だよね……そっか……」
「カナタったら……でも無事でよかった」
「うん、心配かけてごめんねロア……」
「いいのよ。カナタに迷惑かけられるなんてもう慣れっこなんだからさ」
満更でもないようにロアはカナタに手を伸ばす。
カナタも嬉しそうにその手を取った。
――『トラウリヒの微睡み』。
それはデルフィ教の司祭でありながら稀代の魔道具師フェベルトゥスなる男が作り上げた、第四域相当の術式が刻まれた対人魔道具。
魔道具でありながら仮想領域を構築する離れ業を成し遂げた珠玉の逸品。
言うまでもなく彼が生み出した中でも生涯一の傑作だった。
だがこの魔道具の実験後……彼はほどなくして自決する。
残された彼の遺書はこう綴られた。
「ほら、行こカナタ!」
「うん! ロア!!」
罪深きこの命を以て償いと謝罪をここに。そして警告を。
これから先、遠い未来でどれだけの魔術や魔道具が生まれるか想像もつかない。
中には一つで多くの命を奪う残虐なものもあるだろう。
それでも、断言しよう。
この世で最も邪悪な魔道具を作り出したのは私である。
フェベルトゥス・ゼーンズフト。
これにて第七部終了となります。
次の本編更新から魔術学院編最終章・第八部『魔術漁りは選び取る(前)』の更新となります。
長編ファンタジーである今作を書く上で、ここまでは絶対更新を続けようと思っていた区切りの部分となります。今月中には更新開始を予定しており、それまでに閑話や人物紹介のページを更新しながら準備を進めていきますので、読み直しなどしながらお待ちいただけるとさらに嬉しいです。
読者の皆さん、らむなべへのますますの応援をどうかよろしくお願いします。




