158.夜明け前の空
「ああ……どうしよう……」
後日、監督生として選ばれた生徒同士の顔合わせのために実技用校舎を訪れていたカナタはうなだれていた。
筆記試験の挽回をと思っていた実戦試験がまさかの免除になってしまったからである。
カナタに残されたのはレポートの提出という厄介にして不得意分野。
魔術についての検証や実験は好きなので問題ないのだが、それを他人が見られるように書き記すというのはどうにもピンと来ないのであった。
「ルミナ様に相談しようと思ったけど……やけに真剣で集中してらっしゃるし……。ルイはこっちの話だと頼れないからなぁ……」
苦手どころかそもそもレポートとは一体どうやって……? の段階であるカナタは友人であるルミナやエイミー、イングロールに相談しようと思ったのだが、どうにもクラス全員が他人のことなど構っていられないという様子で相談を躊躇ってしまった。
どうやら特級クラスの面々は筆記試験の悲惨な成績を挽回できなくなったカナタよりも真剣なようだ。
……カナタは知る由もなかったが、その彼等のやる気はカナタがこうして監督生に選ばれたのが原因である。
その学年から実力が秀でた者として選ばれる監督生――それは実質、選ばれた一人がワントップだと突き付けられているようなもの。特級クラスの面々からすれば、同学年でそれだけの差が出来てしまっていることを表す。
ともなれば、国を背負っているに等しい留学生であるエイミーやイングロールが必死になるのは必然。ルミナはまた別の理由で、夏季休暇中に父の言葉に打ちのめされ、カナタに近付くためにと奮起しているのだが……これまたカナタには知る由もない。
「……遅いなぁ」
カナタは足をぶらぶらさせながら一人で待つ。
実技用校舎の奥にあるこの部屋は中心に円形のテーブルと椅子があるだけの簡素な部屋だ。
丁度、入学前にカナタが案内されて学院長達に色々言われた部屋に似ている。
先程までは学院長であるヘルメスもいたのだが、他の監督生を連れてくると言ってどこかへ行ってしまったので部屋にはカナタ一人だ。
暇潰しできるようなものもないので、待つしかない。
「実技用校舎だから魔術使っても平気かな……?」
壁を見つめながらそんな恐ろしい言葉を呟くと、扉が開く。
瞬間、カナタは背筋を伸ばしながら立ち上がった。
「違います! 試し打ちしてやろうとか思ってません!」
「何がだい?」
「え?」
「カナタ、久しぶりだな。まさか夏季休暇の間に僕を忘れたなんてないだろう?」
「イーサン先輩!」
ヘルメスが戻ってきたかと思えば、部屋に入ってきたのはカナタの頭三つ分は背が高いであろう大男……入学したばかりの頃、カナタが救ったイーサンだった。
イーサンは親しみを込めて手を振りながら、用意された椅子に座る。
「イーサン先輩も監督生に?」
「ああ、これでも元々は優秀な生徒だったんだ。それに煽動魔道具リーベに精神をやられていた期間、常に魔力消費が激しかったせいか……夏季休暇の間、療養していたら魔力量が以前の倍近く上がった。それで選ばれたのさ」
イーサンは四年もの間、煽動魔道具リーベに精神を侵されていた。
しかし、そうなる前は申請するだけで他国への留学が許されるほどの腕前であり、カナタと戦った時も第三域の魔術を普通に連発するほどの実力者。
そこにさらに魔力量という突出したものが見つかれば監督生に選ばれるのも当然だろう。
実力を抜きにしても、知り合いが同じ立場というのはカナタにとって心強い。
「なんか、ほっとしました。ここに一人残されて寂しかったのもあって……」
「僕はカナタは選ばれるだろうと思っていたから、会えると思っていたよ……なにせ僕をあしらえてしまうほどの実力を持っているんだから、僕が選ばれてカナタが選ばれなかったら抗議するところさ」
「いや、実は選ばれないほうが都合がよかったりはします……」
「どういうことだ……?」
カナタは自分の筆記試験の成績がひどかったことを話した。
「はっはっは! はーっはっは!!」
「笑い過ぎでは……」
「すまない! いや、君にもそういう弱点があったんだなとね! はっはっは! 筆記が苦手か! 安心したよ、子供っぽい苦手分野もちゃんとあるんだな!」
イーサンの豪快な笑い声が部屋に響き、カナタはどこか恥ずかしくなった。
だが周囲から見れば確かにほっとする弱点であるというのも事実。
宮廷魔術師は倒せても課題のレポートは倒せないなど、実に可愛げのある弱点ではなかろうか。なおその実力は可愛いで済まされないのだが。
「魔術師になる以上はこれから付き合っていくものだからな。頑張るしかない」
「わかってるんですけどね……」
「アドバイスをしてあげたいが……実験内容を見てしまうとな。僕も色々研究をしているから、気付かぬうちにカナタの実験内容からインスピレーションを受けていた、なんてことになるのは避けたいな」
「うう……」
「魔術のレポートはそこが難しいな。でも、書き方とかなら教えることはできるから、そこは頼ってくれてもいいぞ」
「本当ですか?」
「ああ、カナタの力になれるならこれほど嬉しいことはないよ」
イーサンという味方を手に入れ、カナタがレポートの課題に光明を見出す中。
再び扉が開いて、カナタをここに案内したヘルメスが戻ってきた。
カナタはおかえりなさい、と言おうとしたが……ヘルメスの険しい表情に言葉が一瞬詰まる。
「おや、イーサンも来ていたようでなによりじゃ……なら、紹介は早いほうがよいの……。ほれ、入るといい」
「ええ、学院長」
一瞬、夜明け前の空が部屋に訪れたかのようだった。
見たことのない青藍色の髪はそう錯覚させるほど美しく、流れるような艶やかさは歩くだけで他とは違う品格を漂わせる。
無駄のない所作に陶器のような白い肌、艶やかな仕草。品のある風格をしていながらも装飾品で着飾っていないのは、この世に彼女に釣り合う装飾品がないのではと思わせるほどの容姿をしていた。
ヘルメスに促されて部屋に入ってきたその女性を見て、カナタとイーサンは目を剥く。
「同じ監督生として二人に紹介せねばならんな。彼女は第二王女メレフィニス・アニムス・ノーヴァヤ殿下である。二人とも失礼のないようにな」
「全く学院長ったら……学院ではただの生徒なんだからそんな意地悪な紹介しないでよね、もうっ」
カナタとイーサンは驚愕のままその女性――メレフィニスに釘付けになる。
(な、なんだ……これ――!?)
だがカナタが驚いているのはその美貌にではない。
ここまで異様な人間を、初めて見たからだった。
カナタの瞳に映るのはメレフィニスの美貌ではなく、その周囲に星のように浮かぶいくつもの術式。
まるでメレフィニスという人間が纏う空気に術式が刻まれているような異様さ。
それは魔術が術式として浮かび上がっているのか、それとも固定術式なのか、はたまた魔道具の力なのか判断すらつかない。
目を剥いて見続けるカナタの様子に気付いてメレフィニスは妖艶に笑う。
こちらを見る瞳もまた吸い込まれるような、夜明け前の空の色だった。
「へぇ、あなたも見える人なのね? 公爵家の側近くん?」
笑顔は絵画のように映えているが、贋作のような違和感も抱かせる。
それでも美しいはずなのに、カナタは戦慄しながら思った。
――この女が空の一部だとしたらきっと、鳥は空を捨てるだろう。




