一瞬「ある」ための舞台
12月6日の四つの夢はこれでおしまい。
外国にいる。
南国の、ここは何処だろう?
黒い、焼き板のような壁。
ケーブルドラムを再利用した丸テーブルも、カウンターも皆ささくれだった黒い板でできている。
わたしはテーブルを挟んでTさんと「書くこと」について話をしている。
動機とか、展望なんかについて。
Tさんは、Nさんとかもう一人書籍化した女性の作家の名前を挙げて「彼女たちは華やかに映る」という。
「そのようになりたい」という。
けれどわたしは「それを目標にして書くことは考えられない」と返す。
理由としてまず遅筆で自分の中にあるものを写すことしかできないから、求められるであろう商業的なペースで書くことは重すぎる。
そして時流や世間のニーズを読み取って表現する能力にも決定的に欠ける。
動機も映るものもあまりに内向的すぎるため、必要を満たすことはないだろう。
だから目標になり得ない。
というよりなにより無理なのだ。
耐えられない。
もそもそしたクッキーを牛乳に浸すと崩れてしまうように、ようやっと形あるものになったわたしはわずかな風でも剥がれて流れていってしまうから。
「ではなぜ、なにを目的として書くのか?」と少し苛立ち含みの鮮やかなカラーの声を聞く。
わたしのペース、わたしのニーズを掬い上げて書くことで、辛うじて微かにわたしを浮かべることができる。
蛍のように、暗闇の中で光る時々だけ存在を映すことができるように。
言葉の起こす僅かな波。
捲られることで触れる指先を感じる。
そのような微かさでは、他者にとってどのように映るか相手の心をはかって表現していく事は、強すぎる。
圧され、潰れてしまう。
知らず踏まれた蛍の様に、輪郭からはみ出すことになってしまう。
わたしはまだ他者と会話ができない。
できるのは呼吸と、喃語のようなものを発することと、それを見てくれる人の眼差しを受け取ることだけ。
その波を感じることに精一杯だから。
呆れたのかもしれない。
Tさんはもうなにも言わず、席を立ち、会計に向かう。
後を追いそれぞれ支払う。
わたしの時レジが計算を間違えてひどく手間取る。
店員が計算に使うのは枯山水のような砂の上に置かれた球形のグラスアートだ。
一つ一つが宇宙のような、水流のような、生まれたての炎のような輝きを宿している。
それを指が引き抜くように持ち上げて、おろして、跡を残して、砂紋を作る。
優雅に。
グラスアートがそれぞれ一つの銀河みたい。
レジのレシートに「画竜点睛の点が入った!」と店員がはしゃいでいる。
お店のマークなのだろう龍の眼のところにたまたまインクがついたようだ。
黄色いレシートの中の黄金の龍。
しかしこの会計トラブルがために、わたしはなかなかそのすばらしいレシートを手にできない。
レジ前では現地の男女がラケットを持ってボール?遊びしている。
インディアカみたいな玉を床に落とさずにつく遊び。
ピアスをした、民族衣装の大人たち。
店を出てTさんたち一行とバスに乗り、劇場へ向かった。
わたしは白地に赤い刺繍の入った襟のふわふわなキャミソールをきている。
何か似合わないと思うがそれはストールが首を隠すせいで首が詰まって見えるからだ。
襟も潰れている。
ストールを外すと襟が解放されて、ひらひらがふわっと膨らんでバランスが良くなる。
うん。ダチョウみたいで可愛い。
我々はこの衣装でこれから舞台へ出るらしい。
一瞬「ある」ために。
20191206




