お届け屋さん<FA:萩尾滋さんから>
図書館のカウンターで受け取ったのは、藤の籠に入った大量の郵便物でした。
宛名の人に直接手渡してほしいと、司書が籠を差し出してきたのです。
おずおずと持ち手を握る手の上から、司書が掌を重ね「お願いね」って真剣な顔をしました。
温かな手。
私は仕事を引き受けることにしました。
最初に尋ねたのは、かつて大学の二つ上の先輩だったケンでした。
少ししわになったエアメールの束。
同じ形の、同じ封筒。
差出人は見ませんでした。
見てはいけない気がしました。
ケンはホテルのように立派な学生寮に住んでいました。
エントランスにはグリーンのアラビア模様の絨毯がひかれ、左右にドアマンが待機しています。
広々とした車寄せにはエメラルドがかった石柱が両サイドから半円型の石造りの屋根を支えているのが見えます。
一階にある食堂では、濃いグレーのスウェット姿をした初老の夫婦がコーヒーを飲みながらイングリッシュガーデンを眺めていました。
近所に住む学外の人かしら。
犬の散歩をするおばあさんが窓の外から彼らに向かって手を振っています。
手紙を手にしてふと、あれ、ケンはまだ学生だったのかしら? と不思議に思いました。
私はとうに卒業して、それからもう何年経ったろうか? と言うのに。
トレーを返却しに立ったケンが食堂のおばさんと何やら微笑みあって話しているのが見えます。
私はあのおばさんと変わらない年齢なのに、ケンは全く昔のまま、変わっていない。
なんて不思議!
声をかけそびれた私は、食堂を出たケンの後を追いました。
ケンはエレベーターで3階を押し「何階ですか?」と私に尋ねました。
わかるかしら。
私が。
きっとわかっちゃいない。
何も答えないわたしに困惑するケンの目が滲むようにして、私を内側に発見したのを感じました。
記憶の中の私が目の前の私と重なる瞬間の、ああ! と言う顔。
何を話したか覚えていません。
でも何か話したんです。
私は急に逃げたくなって「二階です」とでたらめを言い、エアメールを彼の胸に押し付けました。
でたらめを言ったつもりが、本当に私はここの二階に部屋を借りているような気がしてきました。
ええ、きっとそうです。
エレベーターの扉が開くと廊下の先に見知った後ろ姿がありました。
華奢な肩。
冷たそうなつるんと整った髪。
突然藤の籠から手紙が一通滑り落ちて、その宛先が彼女だとすぐにわかりました。
私は彼女を追いかけます。
彼女は私の大切な……。
久しぶりだったね。
渡したからね。
いつまでこちらにいるの。
郵便物を渡し終えるまで。
元気でね。
どんな風に呼び止めたか、覚えていません。
ただ、そんななんでもない会話をして、別れたんです。
本当になんでもないことだけ。
白い綿帽子みたいな余韻を残して。
籠いっぱいの郵便物だけど、宛先は全部で四件しかありませんでした。
ケンと**と、それから……思い出せない。
私の中は綿帽子でいっぱいだから、霞んで何も見えなくなってしまって。
私の部屋は二階にちゃんとありました。
本当に最初からあったのかわかりません。
きっと新しく今生まれたんです。
青い光が差し込み、揺らぎ、満ちています。
ガラスにまだ青いビニールシートが張ってある、新しい部屋に。
20191129




