ライトグリーンに輝いて<FA:萩尾滋さんから>
ホログラムの人魚が部屋を漂う。
尾びれを振る度にノイズが交じる。
あからさまに眩しいライトグリーンの鱗が、彼女を光でできたデジタルな生き物だと示している。
ノイズが走るたびに鱗が剥げてごろりと床に落ちるのは、きっと気のせい。
ただの演出だ。
鱗は二枚貝のように分厚く、火山灰のように味気ない色をしてそこかしこに転がっている。
私は靴の踵で床一面に転がる硬い鱗を踏みつけながら、テーブルの上に伸びた私の皮を折りたたんだ。
皮の表面は真っ黒に焦げてバリバリしている。
折るとよく膨らんだパイ生地のようにあっさり割れて、切れ目から炭が落ちる。
足元には割れた鱗が、そしてテーブルには焦げたパンくずのような私の皮の欠片が積もる。
私は皮をきれいに三つ折りにして、それをさらに半分に折った。
ビジネスバッグぐらいの大きさになった皮を小脇に抱えて部屋を見回す。
人魚はいない。
私の左手を引くのは十に満たない少女。
彼女は私を導きトイレへと押し込める。
六畳ほどもある広い空間。
トイレと言っていたのに便器は見当たらない。
床も壁も天井も油膜を張ったようにてらてら光るタイルを敷き詰めてある、それ以外なにもない四角い空間。
タイルを磨いたのは私なの、と外から少女が主張する。
振り返るともう扉もない。
少女の名前を私は知っていた。
小夜だ。
それだけしか彼女について私は知らない。
いつの間にか私は黒いスリッパに履き替えていた。
スリッパを踏むと足先からタイルに向けて、ムンクのマドンナの隅に描かれていたのにそっくりな胎児の絵が緑色に浮かび上がった。
さっきの人魚の鱗と同じ。
バスクリンを湯に投入した直後のような、毒々しい少しオレンジがかったライトグリーン。
スリッパの先にライトが仕組まれているのだろうか。
胎児はもうスリッパの動きによらずひとりでに部屋を自在に泳ぎ始める。
さっきの人魚みたいに漂っている。
「私を掴め。さもなくば全てを失う」
という声とも言えないものが風となって右から左へと抜ける。
風とともに光が波のように右から左へと流れ、重いはずの貝殻たちが落ち葉や花びらのように軽々と舞う。
いつの間にかタイルで囲まれただけの空間に縦に長く細い窓ができている。
これもホログラムか。
光が外へと抜ける。
あれは、外だ。
ライトグリーンの生き生きとした草原が風にどう、と靡く。
私はビジネスバッグのようになった私の皮を小脇に抱え、地下鉄のホームに立っていた。
ジューススタンドの列に並びドリンクを求めると、透明なプラカップにライトグリーンに光る液体を注がれる。
細かな粒子のクレイを溶かしたような液体が、握った私の手の熱で動いているのが見える。
これは私を絞ったドリンクだ。
わかる。
これはかつて私だった。
気持ち悪いほど輝いていた緑がカップの底から順にボロボロと澱になり、火山灰の色に濁っていく。
輝かせて濁る前に早く。
はやく。
光の抜けるスピードより先に。
またしても右から左へと風が抜ける。
光が走り花びらのように軽やかに貝殻が舞う。
さざめく音。
見上げた青空にもつれ合う電線が伸びる。
私を連れて行って、連れて行かないで。
「真っ当に物語れていないお前に足元などない。誰の視界にもチリのようにしか映らない」
という言葉が中心に詰められている開きかけたポピーの蕾を見ている。
羽化しかけた蝶のように、かさかさの花びらを広げようとして死んでいる。
鮮やかなはずだったオレンジは急速に色を失い、オーブンシートのように味気なくなる。
ひらひらとどこまでも薄くなり乾いた花びらに触れると、舌先に感じる綿菓子のように遠い感覚を指に残して、もろくなったプラスチックのようにぱらりと崩れ落ちた。
予定調和。
つまらない。
もっと深く精神を捧げ、帰れない旅に身を賭して、潜り迷い埋もれ詰まって誰にも理解されずに死ね。
いつの間にか私はカップの中だ。
上も下もわからないまま乾いたクレイに埋められて、身動きが取れなくなって、全身の毛穴から体液が滲み出る。
私が土の粒子の隙間に満ちる。
熱を失い、腐り、枯れて冷たくなる。
香り、拡散し、湿度を失ってパラパラになり、土が風に舞う。
花びらのように。
それを靴の踵が踏みにじる。
タバコの煙を消そうとするように執拗に。
変わってる。
そんなこと考えたことない。
眠りなさい。
気のせいよ。
分からない。
脆い岩でできた顔だけの男が私を指し、お前が犯人だと糾弾する。
ネジでできた二つの目。
私は耳を塞ぐ。
もう一人の私がやはりそうかと肩を落とす。
信じたかった、信じてたのに。
ネジの男が大きな音を立てて崩れ、死んだ。
隣で耳を塞ぎ崩れ落ちている私が殺した。
知らず殺ってしまっている。
犯人は私。
罪深い。
私は耳を押さえてうずくまる私の襟を掴み引き上げようとするが、相手はたちまち汚泥となって溶け落ち、土に吸い込まれてしまった。
私の手に残るのはもはや黒くベッタリと汚れた服だけ。
ガソリンを塗ったくったようだった服は、私の皮のよう。
たちまち乾いてパリパリになる。




