蔓の天井に牡丹の花<FA:萩尾滋さんから>
夜、息子が寝てしまった後、両親と夫と四人でテーブルを囲んでいた。
父が重い瞼を上げて、この頃歯の調子が良くないとこぼす。
この辺りで歯医者を探しているが見つからない、と。
歯医者はうちから徒歩五分の場所にある。
道順を説明しようとするが住宅街で目印になるものもないので、土地勘のない両親にはなかなか通じない。
緑道沿いの歯医者は、よく使う駅への道とは逆方向なのだ。
「普段通らん道やから、言われてもわからんわぁ」
母はすぐさま考えることを放棄した。
父はほとんど眠りかけていて、夫は端から説明を諦めてスマホをいじっている。
***
両親に説明するため私は地図を書いていた。
……はずなのに、気がつくといつのまにか私は一人緑道を歩いていた。
いつもの緑道。
腰の高さに灯る街灯が等間隔に道を指し示している。
植え込みにはいつもの丸く刈り込まれたさつきや笹の茂みがあって、面する家のアロエや柿、山茶花の葉が灯りにぼんやり映る。
それが、角を曲がるとパタリと消えた。
暗闇に目がなれた時、植物が生い茂り私の背丈ほどの位置でぐるりと空を覆っていることに気がついた。
月も星も暗い空も、何も見えない。
どこにも隙間がない。
覆っているのは枝ではなかった。
緑道の両端にある植え込みにはぽつりぽつりとハナミズキが植えられている。
そのハナミズキの幹を伝い、空を覆い、壁を作るほどの蔓が両端から伸び、手を繋ぎ、天で絡まり合っているのだ。
蔓はツルムラサキのような水っぽく艶やかな丸い葉を開いてびっしりと空を覆っていた。
そこここから垂れ下がり、時折私の頬をさすり、剥き出しの二の腕をしっとりとなぞる。
当たった箇所に舐めたような水の線ができる。
水滴が肘を伝う。
頭上にはペンダントライトのように淡く光る牡丹の花が大きく一輪ぶら下がっている。
羽化したての蝶のような頼りない花びらの一つ一つには、薄っすらと管が浮かんでいた。
管は脈打つように発光する。
深海の生き物みたいに。
ただれたようなオレンジ。ピンク。中心のミモザみたいな黄色。
牡丹の灯りが道のりを指し示すように等間隔に灯る。
草のトンネル。
夜の緑道は昼とは全く違って、こんなにも生き物の匂いが濃いんだなと思う。
植物の鼓動で道が揺れる。
トンネルを抜けた角にいつもの歯医者があった。
玄関の傘立てに一輪の蓮の蕾が灯っていた。
***
どう父に説明したものかと思案しているうちに、私は元のテーブルの前に腰掛けていることに気づいた。
父は眠っていた。
「あんたも一緒に行ったらわかったのに……でも明日早いからね」
と母が言う。
地図は書きかけのまま。
私はまだ何も口にしていない。
なのに母はまるで自分が私と歯医者までの道のりをたどってきたかのようなことを言っている。
母を見ているとそんな気もしてきた。
母が思ったことをそのまま全部口にするのに、どーせーっちゅうねんと父が返す。
ああ、寝ていたようでこの人起きていたんだな。




