89 大歓声
いつもより少し長め。
思ったより文字数が増えた89話、お願いします。
顔の火照りが収まった俺達は、改札にICカードをかざし、ゲートをくぐった。
駅から出ると、一気に視界が広がり、様々な建物が見えてくる。それらはどれも同じように赤と黄色───ここをホームタウンとするサッカーチームの色で彩られている。道には一定間隔に選手の旗も設置されている。
そして、その一番奥には、堂々とスタジアムが鎮座していた。
サッカー観戦のために毎年五回程ここに通っている俺からしたらもうすっかり見慣れてしまった光景だが、初めてここを訪れる千波とっては新鮮なものだったようで、今度は羞恥ではなく、興奮で頬を染めていた。
「すごい、すごいね、佑!」
そう口ずさみながら千波は駆け足でどんどん先に進んでいく。普段は大人びた雰囲気を纏っていることが多い千波だが、こうして純粋にテンションが上がると年相応、もしくはそれ以下の子のようにはしゃぐのも千波の魅力の一つだ。
はしゃぐ千波を追いかけて進んでいくうちに、駅からスタジアムへの一本道はあっという間に終わって、スタジアムに到着した。
スタジアムを取り囲むようにスタジアムグルメのキッチンカーやグッズショップが展開されていて、それを見てさらに千波がテンションを上げる。俺が誘ったものに対してここまで盛り上がってくれると、思わず嬉しくなってしまう。
「せっかくだから何か買って食べようか」
俺がそう言うと千波が目を輝かせ、再び駆け出していき、俺はまたそれを慌てて追いかけた。
それからしばらく経って試合開始の三十分前、俺と千波はとうとうスタジアムの中に踏み入り、自分達の席に移動した。俺が取った席は三階席の中央、ピッチの全体が見渡せる良ポジションだ。
俺達が席に着くタイミングで選手達の直前練習が丁度始まり、スタジアムは歓声に包まれていた。
「す、すごい声……! たくさんの人が集まって同じことを叫ぶと、こんなに迫力があるんだ!」
さっき買ったカップ唐揚げを手に、スタジアム初参戦の千波がここでも新鮮な感想を口にする。
それに対し、俺は千波の初体験の感動を邪魔しないように、心の中で全力で同意する。俺も初めてスタジアムに来た時は本当に衝撃を受け、それに惹かれていった。俺が今でもこうしてサッカー観戦をずっと続けているのは、きっとこの雰囲気をずっと味わっていたいからだ。
選手達が練習をするのを見ながら、千波と少しサッカー談議、といっても千波がまだサッカーにそこまで深く精通しているわけではないから、どの選手がお気に入りだ、とか、あの選手が今日は活躍する気がする、とかを話していると、一旦選手達がロッカールームに下がっていった。もう間も無く試合開始だ。
「どう? 佑。似合ってる?」
さっきまで着ていた服の上からユニフォームを羽織った千波がひらひらと裾を揺らす。
試合開始直前になって千波にユニフォームを渡すのを忘れていたことに気づき、もう試合が始まるというタイミングで渡したのだ。
ユニフォームを着た千波は、スタジアムという非日常にすっかり溶け込んでいるように見えるほどにそれが似合っていて、裾を揺らして俺に見せる仕草も相まって、ものすごく可愛い。
「うん。……似合ってる」
照れそうになるのを抑えながら呟くと、千波は頬を緩める。
と、スタジアムが一気に歓声に包まれる。
タイミングが絶妙すぎて一瞬、千波の笑顔に対して歓声が沸き起こったのかと思ったが、見ると選手達が入場してきていた。
応援の声がより強くなり、スタジアムの空気感がさらに変化する。そして主審の笛が鳴り、試合開始。
周囲の応援の声に合わせて千波も声に出して声援を送っていた。千波が楽しんでくれているのを喜びつつ、俺も一緒になって声を張り上げた。
試合が始まってからヒリヒリする拮抗した展開が続き、気づけばもう後半ば。まだスコアは動いていない。
すっかりスタジアムの雰囲気に馴染んだ千波がワンプレー毎に表情をコロコロと変えていて可愛い。
そんなことを考えていると、応援しているチームが中盤でボールを奪われ、速攻を食らう。スルーパスに抜け出し、キーパーと一対一になろうかというタイミングで俺のお気に入りの選手がギリギリでボールを奪取。スタジアムに歓声が沸く。
そのままその選手が前線にボールを放り込むと、今度はこちらのカウンター。前線でのパス交換からペナルティエリアに入り込むと、ディフェンダーに囲まれながらもしっかりとボールの芯を捉えたシュートを放つ。放たれたボールは見事な弧を描き、ネットへ───と思われた瞬間、キーパーが必死に伸ばした手の先に触れ、僅かにコースを変えたボールはポストに激突。スタジアムにため息がこだまする。と、そのこぼれ球にいち早く反応した選手が滑り込みながらボールを蹴り上げると、直前のシュートセーブで体勢を崩していたキーパーの手の横をすり抜け、今度こそボールがネットに突き刺さった。
瞬間、ドッ、と地鳴りのような声がスタジアムに響くと、それが大歓声に変わっていく。
「っしゃ〜!!」
俺も負けじと声を上げ、ちらりと隣に目をやると、千波も右手を高く突き上げ、ガッツポーズを見せていた。
そして、俺の視線に気づいて千波もこちらを向いたので、右手を広げて千波に寄せていくと、千波も同じように右手を広げる。そこに向かって右手を動かし、バチ、と乾いた音のするハイタッチを交わした。
ハイタッチの後はもう一度ピッチに向き直り、ゴールを決めた選手に向かって「ナイスゴール!!」と声援を送る。
「──────」
ゴールを喜んでいると、不意に隣から声が聞こえた気がした。千波が何か俺に話しかけたかと思って隣に目をやるが、千波も俺と同じようにピッチを眺めていた。
空耳か、とまたピッチに向き直り、ゴールの感傷に浸った。
その後はスコアは動かず、応援しているチームが 1-0 で勝利を収め、浮かれた足取りで俺と千波は電車に乗り込み、帰路に着いた。
完璧なコースを突いたと思ったシュートがキーパーに阻まれ、私は落胆の声を溢す。すると、走り込んできた選手がギリギリのタイミングで滑りながらボールを蹴り込み、ゴールを決めた。
途端にスタジアムの熱量が一気に変わり、凄まじい歓声が肌をビリビリと痺れさせる。
これ、すごい。本当にすごい。全員の気持ちが重なると、こんなすごい声になるんだ。
ゴールが決まったことよりも、ゴールに対する歓声に驚かされ、スタジアムと一体となって私も喜んでいると、佑がこちらに手を伸ばす。私も手を出してハイタッチを交わした。
その後すぐに佑はピッチに向き直って声援を送り出したので、その横顔を少し眺める。
佑がこんなに心から喜んでるの、久しぶりに見た。
普段の冷静そうにしている表情もカッコいいけど、やっぱりこうして喜んでいる顔の方が私は好きだ。
そう思うと、つい口から声が漏れていた。
「………好き、だな」
サッカー観戦も、スタジアムの雰囲気も、佑のことも。
つい漏れてしまった言葉は、幸いにもスタジアムの大歓声に飲まれ、佑の耳には届かなかった。それでも少しだけ佑の鼓膜を打ったらしく、一瞬こちらに視線を向けたが、慌てて顔をピッチに向けることで誤魔化すことができた。
だけど、佑に気持ちがバレなかったことに安堵する心の隣に、あの声がスタジアムに飲まれずに佑に届いていたら───と、そう考える心もあったのだった。
読んでいただきありがとうございました!
中編『サッカー観戦』終了です!
元々の趣味をテーマに挙げただけあって当初の予定よりも長めになりました。
次回はこの日の杏実の様子をお届けする予定なので、お楽しみに!
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