8・始まりの旅路
とうとう最終話です。
戴冠式を迎えて、更に数ヶ月の時が経った。
畑では、たわわに実った果実が秋の色あいに華を添え、黄金色の麦穂が地面に光の波を作り、あとは農夫による収穫のときを待つばかりとなった。
秋、現『王の盾』がこの地に召喚され1年の季節が巡り、次の1年へと進みつつある季節。
花祭りを数日後に控えたこの日、暗い地下へと、一人の男が今日もまた螺旋階段を黙々と下りていく。
片手に花を持ち、こうして下りていくのももう何度目だろうか。毎日、時間の空いたときに向かう先はいつも静かで寒い。
キイィと音を立てる扉の先に見える陣は、今日も静かに淡い光を放っていた。
しゃがんでそっと陣を撫でる。
「いつまでもそんなところにいないで、早く戻ってこい」
その問いかけも毎日のようになされているが、心のこもらなかったことなど一度としてない。いつも本心から、願いを込めて、そこに彼女がいるかのように話しかけた。
「カズハ」
愛しい名を呼ぶ。その呼びかけに応えが返ってきたことは今日まで一度もなかった。ただ一方的に話し掛け、応答のない床を寂しく見つめる日々。だが、応答はなくとも、確かにここに彼女はいるのだ。
別れ際、「戻ります」と言った言葉に縋って日々を暮らしている状態。
それでも日々の業務は怠っているつもりはなかったが、ガーランド副団長からは「団員が心配している」と彼自身も心配げな表情を浮かべて言われた。周囲の人間からも「笑顔がなくなった」と言われるが、笑えないものは仕方がない。
声を掛けて手を触れても陣は淡い光を放ち周囲を薄く照らし出すだけで、何の変化も見受けられなかった。
(今日も駄目か・・・)
名残惜しいが、返事もないので諦めて立ち上がる。
部屋を出ようと扉に手を掛けたとき、陣の淡い光が応えるかのように一度だけ明滅した。
「っ!?」
慌てて陣に駆け寄る。
「カズハっ。戻ってこい、カズハっ!」
明滅は頻度を増し、その度に光が強さを増していく。
「カズハっ!」
眩い光が視界を覆って、全てが白に包まれた。
※ ※ ※
そこは色のない灰色の世界だった。どこまでも地平線の彼方まで広がる草原の中、わたしはたった一人で立っていた。
風はない。あるはずの草の匂いすらせず、灰色の空の下で立ち尽くす。
(色・・・草の色ってどんな色だっけ? 匂いは? 忘れた。何も思い出せない・・・)
世界は灰色で、日の入りも月も星も出ないので時間の経過が分からなかった。
わたし以外の生物の気配はなく、空を飛ぶ鳥はおろか地を這う虫すら姿を見かけない無機物のような世界だ。わたしという存在すら生物ではないのではないか、そんな感覚に囚われる。
時折、誰かがわたしの名前を呼ぶような声がするのだが、呼ぶ声は不明瞭で、またそれが誰なのかすら思い出せなかった。
(誰か呼んでみようか)
「・・・っ?」
出そうとした声に詰まる。誰を呼べばいいのか、どんな名を呼べばいいのか、自分のことさえ確かでないのに、でも誰かを呼びたくてたまらない。
(寂しい)
泣きたいのに、泣き方すら分からない。わたしは立った状態から草の上に倒れこんでみた。衝撃はなく、痛みすら湧いてこない。あまりに静か過ぎて、逆に耳鳴りがするくらいだ。
倒れた先は灰色の地面と灰色の草だけで、寄りかかる先には何もなかった。
(寄りかかる先・・・?)
いつかどこかで似たようなことを思ったことがある気がした。
(寄りかかる先・・・何に寄りかかる? いや、誰に?)
「―――っ」
名前が呼ばれる。
(誰の名前? 誰を呼んでいるの?)
鈍い思考がクリアになっていく。今までは耳を通り過ぎていただけの言葉がわたしの意識を引っ張る。
「お願い。もう一度呼んで!」
灰色の虚空に叫んだ。呼ばれた名がわたしのものでなくても、懐かしさを覚える声にもう一度声を出して欲しかった。今を逃せば、もう2度と聞けないような気がした。
「――ズハっ」
(それがわたしの名前?)
「カズハっ」
何かが、誰かの姿が頭をよぎった。頭をよぎった名前を取りこぼさないようにわたしは必死で手を空に伸ばした。
「ディー団長っ!」
冷たい涙が頬を伝う。草がわたしを中心として緑に染まっていく。空は澄んだ青色に変わり、風が草を揺らしてザァァッと音を立てながらむせ返るような草と土の匂いを運んできた。
太陽が白くまばゆく灰色の世界に光を満たした。
伸ばした腕が、暖かく力強い手に引き寄せられた。
※ ※ ※
花祭り3日目。
王都中にひらひらと薄桃色のモモの花が舞った日の夜、王宮東側で地鳴りが鳴り、一つの塔が崩れ落ちた。
「おー、絶景かな絶景かな」
粉塵が舞い上がる中、少し離れた場所で、春先に新しく王となったばかりのラズーロが「ふははっ」とまるで悪人のような笑い声をあげていた。
「・・・デカい花火ってこれですか。やれやれ、というかもう何も言えないというか」
横で呆れたように口をあんぐりと開けるヤマダに
「まだまだ。これで終わりってわけじゃないぞ」
そう言ってニヤッと笑ったラズーロは王宮の先端にいる赤髪の魔女に向かって大きく手を振った。
その合図で魔女が空に手を掲げる。
美しい色合いの光の花が頭上で数十発と打ち上げられた。赤や黄色といった単一色の花火から、複雑な色合いの花火まで、後から後から降り注ぐ光の花に、今度こそヤマダは絶句して立ち尽くす。
呆けた顔をするヤマダにラズーロがワシャワシャと髪を撫で繰り回した。
「よく戻ってきた。少々遅すぎたきらいはあるがな」
笑う顔はスッキリと晴れやかだった。
「封印って、こういう意味だったんですね」
撫で繰り回されてぐしゃぐしゃになった頭を直しつつも、夜空に浮かぶ花に視線は釘付けになったままだった。
「まあな。もう使わんといっても、残っていると使いたくなるのが人間だ。召喚しようにも術式がなければできんからな。術の文様を書き写した書物も全て破り捨ててくれたわ」
「本当にバカなことを仕出かしましたね」
「おう。これは絶対に後世の歴史に残るぞ。着任1年足らずでバカをやらかした賢王の華々しい1ページを飾るにふさわしいだろう」
ドヤ顔でふんぞり返る王に、ヤマダは苦笑して手を差し出した。
「本当に小気味いい見世物でした。ありがとうございます」
伸ばされた手を取った王は、ふんっと鼻を鳴らして懐から1枚の紙を取り出した。普通の紙よりも分厚いそれは、一般に普及している紙よりも頑丈な造りだ。
「旅券だ。これがあれば、国境の検問も通りやすくなる。俺からの餞別だ」
「あ、ありがとうございます」
戸惑いつつも、深々と頭を下げて礼を述べた。
旅券の発行は戻ってきてすぐに申請を出していたものだ。それを王様自ら渡されるとは思っていなかった。
ヤマダは戻ってこられたら旅をしたいと思っていた。それはこの異界の地をもっと知り、好きになるための旅だ。
旅券に関しては、旅をしてたくさんの国や土地を知りたいと、そう申し出たヤマダにディエルゴ騎士団長が手筈を整えてくれていたものだったので、てっきり彼から受け取るものだとばかり思っていた。
「えっ!?」
ヤマダは、渡された旅券に書かれた名前を見て再び絶句した。目は丸く見開かれて、何度も紙を往復する。
「こ、ここ、これって」
顔は青ざめ、紙を握った手がブルブルと震えだし、次の瞬間には耳まで赤く染まっていく。
それを見て、ラズーロはイタズラが成功した悪童のようにニヤニヤとからかいを込めた笑みを浮かべた。
「一人旅は寂しいだろう。この俺が許可してやるから、アイツと一緒に行って来い。アイツも快諾してたし、もう待たされるのは嫌なんだとさ」
ラズーロの言葉が終わらないうちに、ヤマダは旅券を手に駆け出していた。慌てたために、途中で蹴つまづいて転びそうになっている。その後ろ姿を見送りながら、ラズーロは腹を抱えて笑い出した。
「あー、面白っ! 帰ってきたら思いっきり笑い飛ばしてやろうぜ。なぁ、ヒューバート、サイラス」
その言葉に、木の影から2人の男が姿を現す。
「騙したみたいで心苦しいです」
そう言いながらも、サイラスの青い目には「面白い」と書いている。
「ヤマダが居ないと、腑抜けて使い物にならないんですから。当然の処置です」
ヒューバートは掛けた眼鏡をくいっと上げて淡々と言い放つ。
「人生一度きりの新婚旅行だ。大いに羽を伸ばしてくるがいいさ」
「でも相手はコザルですからね」
「素直に受けるかどうか」
「ま、とりあえず、俺達は後処理に取り掛かるとするか。これから先は大臣どもが煩くなるぞ。どう説得するかな・・・」
「説得、というより、捻じ伏せるの方が正しいのでは?」
3人は塔の崩壊と空に轟く花火の爆音に慌てて駆けつける騎士や大臣達を、1人は笑って、1人はため息を吐いて、もう1人はやれやれと首を振って出迎えた。
※ ※ ※
わたしはラズーロ王からもらった旅券を握りしめて騎士団の宿舎へと向かって走った。慌てすぎて礼儀も何もあったものではないが、扉を乱暴に開けて侵入したわたしをディー団長はいつものように爽やかな笑みで迎え入れた。
「ディー団長っ。これ、いったいどういうことですかっ!?」
駆け寄るわたしは勢い余って床に蹴つまづいてしまった。ドシャッという効果音がつきそうな勢いで盛大にこけたわたしをディー団長が笑いながら起こす。
わたしはこけても手から離さなかった旅券を表が見えるようにディー団長の目の前に出した。
「旅券をもらったのか。それは良かった」
「それは良かった、じゃないですよ!」
目の前に付きだした旅券に記された名前に指を置いても、特に気にした様子もなく、それがどうしたという顔で首を傾げられる。
(それは素ですか!? それともわたしをからかっているんですか!?)
わたしは指で指しても分からないのなら、とディー団長に詰め寄って叫んだ。
「な、なんで旅券の名前が『カズハ・ヤマダ・リュディガー』となってるんですかっ!?」
旅券の発行のためにとディー団長に言われるがまま幾つかの書類にサインした覚えはある。旅券の発行にしては量が多いと思った。「旅券の発行だけでこんなに書類が必要なんですか?」と不思議に思い首を捻るわたしに、「お前はこの国に戸籍がないのでそのためだ」といった主旨のことを言われて「そうなんですか」とろくに内容も確認せずにサインした数日前の自分を呪いたい気分だ。
旅券の名前もそうだが、重要なポイントはもう一つある。
婚姻関係の有無の欄が『既婚』となっている。
「いつの間にわたしは結婚したことになっているんですかっ!?」
「いつ、って・・・サインをもらったその日のうちに神殿へ持って行ってサイラスに受理してもらった」
「いやいやいや、なんでもないことのように言わないでください」
(ってことはなんですか。旅へ出ますと言いに行ったときにはサイラスさんは知ってたってことですか?)
言いに行ったときは何も言われなかったけど、そういえば顔がニヤついていたような気がしなくもない。
(は、嵌められた)
追い打ちをかけるようにディー団長が教えてくれる。
「因みに婚姻の保証人にはラズーロ様とヒューバートになってもらった」
よくよく思い返してみれば、珍しくヒューバート様の笑みが柔らかかった気がする。カレンお嬢様もわたしが旅に出ると言ってもウフフと笑って送り出してくれた。もっとごねるかと思っていたわたしには肩すかしだったその態度も、今では納得がいく。
ディー団長がわたしの左手を取り、薬指に音を立てて口づける。
「事後承諾にはなるが・・・俺と結婚してもらえないだろうか」
ものすっっごく周囲の外堀を埋められまくっている気がしないでもないのは、気のせいではないだろう。
「俺に幸福をくれるんだろう?」
あの日、わたしが帰還の術に入った日、気を失ったディー団長に言った言葉だ。
どうやらこの人の言う「幸福」がわたしと共にあることだということは認めざるを得ない事実のようだ。でなければ、こんな実力行使には至らないだろう。
「名前を呼んだら、すぐに駆けつけてくれますか?」
「当然。どこにいたとしてもすぐに」
「疲れて立ち竦んでしまったら、寄りかかる先にいてくれますか?」
「もちろん。許してくれるなら常に傍にいよう」
全ての回答が即答だった。
これはもう頷くしか道は残されていないようだ。
「分かりました。生涯を貴方と共に」
腕に抱き寄せられて言われる。
「まだ大事な言葉を聞いていない」
「貴方が好きです」
暖かい腕の中に顔をうずめる。
(この腕の中がわたしの帰る場所・・・)
ようやく心の底から戻ってこれたと実感できたわたしは、心の中で「ただいま」と呟いた。
窓の外、秋の夜空にまだ遠くで花火の音が鳴っていた。
※ ※ ※
天気は快晴。旅の出発にはこれ以上ないというくらい良い天気だ。
旅支度を整えたわたしの横には、旦那様となったディー団長。
(だ、旦那様・・・むずがゆい)
「さて、まずは何処へ行く?」
「最初は隣国のカンパールへ。陛下に戻ったことを直に伝えたいので」
その後は、お父さんがかつて巡った地を訪れていきたいと思っていた。全ての神獣がお父さんについてシルバレンへ来たわけでもないので、運が良ければ会えるかもしれない。会って話をしてみたい。もし会えなくても、どんな世界をお父さんは見てきたのか知りたかった。そうしてこの世界を好きになっていきたかった。
「陛下」という言葉にディー団長がピクリと眉を動かす。
「カズハ。忘れるなよ。お前は俺の花嫁だということを」
ディー団長は嫉妬深いらしい。顔は笑顔だったが、その薄茶色の瞳はまったく笑っていなかった。
(ちょっと他の人の名前を出しただけでこれって・・・うわ、面倒くさ、じゃなかった可愛い、可愛い)
それくらいのスタンスでないとこの先もたないような気がして、わたしは無理やりそういう位置づけに持って行った。
「さ、もう行かないと馬車の時間に間に合いませんよ」
荷物を取って先へと歩き出すわたしにディー団長が追いすがる。
「待て、聞いているのかカズハ」
「聞いてますよ。わたしが生涯を共にと約束したのは貴方だけです、ディー。ずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
手を差し出して伺いを立てる。
あえて「団長」という部分を省略すると、それはもう嬉しそうに出した手を取って微笑まれた。
こういう顔は本心から可愛いと思う。他の誰でもない、わたしだけに見せてくれる顔に思わず口元がにまにまと緩みそうになる。
「もう一度」
「ほら、本当に間に合わなくなりますから。行きましょうディー団長」
わたしは緩みそうになる口元を引き締めて歩き出した。
「もう一度」
ディー団長はしつこく呼びかけてくる。
「機会があれば、また」
秋の風は少々肌寒かったけれど、繋いだ手は暖かかった。
「カズハっ」
そんなやり取りを繰り返しながら、澄みきった青の空の下、わたし達は手を繋いで歩いていった。
頭上に赤と白のガーベラの花びらが舞う。
それは旅の無事を願う桃姫の心の現れだ。わたしを想ってこうして奇跡を起こしてくれる桃姫は、やっぱり優しくてみんなに愛される素敵な『王の盾』だ。
しかし、とりあえず今は―――、
「いい加減しつこいですっ。ごねてないでもっと早く歩いてください、ディーっ!」
風に舞って、ガーベラの花びらが優しく香った。
ガーベラ赤:常に前進
ガーベラ白:希望
ようやく終わりました。
だました感はあるけど、そうでもしないと山田は捕まえられないとディー団長は実力行使に出ました。
この後、2人は旅(新婚旅行)へ出掛けます。
しばらく旅をしてシルバレンへ戻る予定です。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。




