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少年(?)山田の胃が痛い日々  作者: 夏澄
王の盾の帰還編
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7・再会への道のり

「まったく。禊を済ませたばかりというのに・・・」

一人白い部屋に残されたサイラスは呆れたように言葉を漏らした。

肝心の2人は部屋の外、1階のこの部屋に面した小さな庭に出て話をしている。

このまま待っているのも居心地が悪い、とサイラスはひっそりと部屋を後にした。




「怒って・・・ますよね」

わたしの前で腕組みをして立つディー団長におずおずと声を出す。怒りの空気というか不機嫌の空気がピシピシと肌に伝わってくる。

「何に怒ってると思う?」

声は低く、出来るだけ荒げないように努めているのだろうと思えた。

「黙って行こうとしたこと」

眉が更に吊り上げられる。騎士団を纏め上げるだけあって、怒っているディー団長は迫力があって恐い。

「と、帰還の術を行うこと自体もですよね」

「そうだ」

組んでいた腕を解いて伸ばされる。手がわたしの顔に掛かる髪に触れたところで、怒られる恐さに身体が硬直した。

固まるわたしにディー団長が動きを止めて、はぁっと息を吐いた。

「チックから伝言を聞いたときの俺の気持ちが分かるか?」

「す、すみません・・・」

「俺は・・・、行かせてお前の不在に耐えるのも辛いが、しかし止めてずっと後悔し続けるお前の姿を見るのも正直堪える」

頬へ伸ばされた指は転じてわたしの指を絡め取った。

たったそれだけの動作がわたしの心を揺らす。揺れて、熱で溶けてしまいそうだ。絡め取られた指先はそこから形を崩して砂のようにボロボロと崩壊してしまいそうに緊張で震えていた。

「だからお前が決めたことに従うことにした。だから黙って行かないでくれ」

指に口づけられる。

(心臓がどうにかなってしまいそう)

わたしはカラカラになった喉を一度ごくんと唾を飲んで言葉に出した。

「戻ってきます」

今から言う言葉をどうか否定しないで、と願いながら。


「戻ってきたいので言葉をください。・・・わたしをこの世界に繋ぎ止めるための言葉をください」


わたしは前に立つディー団長の顔を見ていられず、うつむいてぎゅっと目を閉じた。

恥ずかしさで顔が赤くなるというより、否定されることへの恐怖で顔はむしろ蒼白になっていることだろう。誰に否定されるより、この人に否定されることが一番辛いと感じていた。

この身を案じてくれることに、困ったときに名を呼んでも良いと言ってくれることに期待してもいいだろうか。

いつも寄りかかる先にいてくれたこの人に、これまでも寄りかかる先にいてほしいと期待することはおこがましいだろうか。


繋がれた指が離され、腕を引かれた。優しく、でも力強い手がわたしの身体を引き寄せた。

ディー団長の髪から暖かな土の香りがして、続いて人の体温を持った風が耳を横切った。


「いつもお前を想っている。還りたいと泣くお前に還したくないと、傷付く度に失いたくないと何度思ったか。帰る場所がないなら俺がなる。俺を目指して帰って来い」


わたしの耳を震わせた言葉に胸に熱い幸福の水が湧きあがる。


「戻ってきたらわたしの名を教えるので、そのときは呼んでください」

細身に見えて、しっかりと鍛えられた筋肉のついた背中に腕を回す。

わたしはその身体に巡る力を手繰り寄せた。

ディー団長らしい、草花を優しく育む春の大地のような魔力がわたしを包んで離れて行った。足元のむき出しの茶色の土から薄緑の若葉が芽を出して伸び、そこだけ春の色合いに染まっていく。

「カズ・・ハ・・・」

ゆっくりと傾いていく体を支えて、伸びた草の上に横たえた。

「なんだ、ちゃんと覚えていてくれたんですね・・・」

焦げ茶色の髪に指を伸ばして撫でる。ふわふわとした触感がわたしの指をすり抜けて落ちていった。

「ごめんなさい。いなくなる瞬間を見られたくなかったんです」

ディー団長の魔力を奪って気絶させたのは、目の前にいられていざ行こうというときに「嫌だ」と心がごねないようにするため。

「わたしは弱いので、本当は怖いと貴方に縋ってしまいそうだから」

言えばディー団長はわたしの手を取ってくれるだろう。そしてわたしはずっと後悔し続ける。そんな姿は見てほしくないし見せたくない。

意識を失い閉じられた瞼にクチビルを落とす。

「さよなら、はいけませんね。少しの間、行ってきます。戻ってきたときは、おかえりと言って迎えてください」

戻ったときには怒られてしまうかもしれない。でも、ディー団長に怒られることは嫌いじゃなかった。怒っていても、わたしのことを思ってくれてのことだということが伝わってくるからだ。


「貴方に幸福を」


ディー団長の顔の横に生えていた四葉のクローバーを摘み取り、力を失った手に差し込んだ。


 ※ ※ ※


暗い地下へと続くらせん階段をゆっくりと降りていく。青白い燐光を放つ洞窟を進み、帰還の陣が引かれた部屋へと入った。

部屋では待機していた師匠とお父さんが出迎えてくれた。お父さんの腕の中には片目が灰色になった白いウサギがちょこんと居座っている。

『準備はできてるよ』

キティが師匠の足元から尻尾を揺らして近付いてくる。


「始めてください」

わたしの言葉に頷いた師匠が琥珀色の珠を取り出す。それは歴代の『王の盾』達の力が入った珠だ。両手に掲げられたそれは、師匠の手の中で発光し無数の金の光の糸を放出していく。光の糸は伸びて床に描かれた帰還の陣へと吸い込まれていった。珠の色は褪せて行き、最後には灰の固まりとなってサラサラと床に落ちていった。

全ての光の糸が吸い込まれると、力を吸収した帰還の陣が光りだした。描かれた線が力を伴った光りを明滅させる。

「後はお前の力だ。それで道は開かれる」

ウサギの力がなくなった今、到達地点は元の世界でわたしが消えた地点に標準を合わせている。世界にぽっかりと開いたわたしという存在の不在によってできた穴にお父さんをはめ込むようなものだ、と師匠からは説明を受けた。意味はよく分からないが、師匠がそれで帰還が成しえるというのだから大丈夫なのだろう。


わたしが1歩進み出ると、キティが足元に小さくにゃあと鳴いて顔をこすり付けてきた。

『色々と押し付けて困らせたけど、君のことマコトの次くらいには好きだったにゃ』

「それ、ごめんって言いたいの?」

金の瞳がくりんと瞬いてこちらを見る。

わたしはしゃがんで毛並みの良いキティの頭を撫でた。それに気持ちよさそうに目を細めたキティは、もう一度にゃあと鳴き、お父さんの傍にぴょんと飛んだ。

『一緒に連れてって』

黒い毛並から白い光が立ち上る。キティの身体は形を崩して光となって溶けていき、お父さんの体へと入っていった。

『力をあげる。もう数年は長らえることができるよ。これで一緒。もう、寂しく、・・ない。』

光は薄暗い部屋の中でキラキラと輝いてお父さんの体を満たしていく。白い顔は健康的な人の色を取り戻し、目の色も艶を取り戻していく。

お父さんがぎりっとクチビルを噛む。わたしもキティの勝手に目頭が熱くなった。

(キティもずっと寂しかったんだ。気の遠くなる時間をずっと待ってたんだ)

「本当に神獣ってやつは身勝手な生き物だな。人の許可も得ないで・・・」

胸を押さえるお父さんは、キティのくれた暖かさを確認しているみたいだった。


(キティは勝手。でも、わたしも今から勝手をする)

「お父さん、準備はいい?」

「ああ」

わたしはお父さんの背中にしがみ付いた。小さい頃、大好きだった背中だ。寂しくて、辛くて立ち上がれなくなったときはいつも呼んでいた背中。

(もう呼べない。・・・もう呼ばない)

呼んでもお父さんは来られない。呼んだら聞こえなくたって、お父さんはそれを察知して不安に思うかもしれない。

「さよなら、だな。もう呼んでも来てやれない」

「呼ばないよ。わたしはこの世界が好きだから、ここで生きていく。助けてくれる人もいるから大丈夫。だからお父さんを呼んだりしない」

「なんか娘を嫁に出す気分。助けてくれる人って・・・あの騎士か。やっぱ、駄目。呼んで。すぐに来て殴ってやるから」

振り返ってわたしを抱きしめる体は温かかった。

「もうっ。呼ばないったら」

お父さんの温もりがただ嬉しかった。

「お母さんの傍にいてあげて」

そっと胸を押して離れる。

(忘れない。もう一度会えたから。今度はきちんと「さよなら」できたから。もう、探さない)

わたしはお父さんの笑った顔を忘れないように心に刻み込んだ。そして、お父さんにも覚えていてもらおうと、精一杯元気な顔で笑い返した。


帰還の陣の中心に仰向けになって横たわる。

師匠が陣の外でわたしの方へと手をかざす。師匠の朗々とした声がわたしの内部に響き、振動を与えた。

始まりは指先から。先ほどの琥珀色の珠から出たのと同じ金の光の糸が陣へと伸びていく。次第に足、太もも、二の腕、胴体と身体の全てから金の糸が伸び、わたしという肉体は糸へと変わり、陣へと吸い込まれていった。それに伴い、わたしという意識も途絶え、消滅した――。


 ※ ※ ※


夕方だろうか。

傾いた西日が校舎を赤く染めていた。

グラウンドと思われる方向から、カキーンとボールを打つ音がする。

体育館裏の倉庫脇で、白いウサギを抱えた男が立っていた。

「さて、これからどうするかな」

白いウサギがピクピクと鼻を動かして男の声に耳を傾ける。

「まだあのアパートに住んでるって言ってたし、とりあえずそこに向かうか」

異界の匂いにキョロキョロと周囲を見渡すウサギに、歩き出した男は苦笑してその小さな頭を撫でた。

「百合子はなぁ、恐いんだぞ。絶対、会った瞬間に1発殴られる。最初はビックリするかもだけど、でも優しいから、ラビのこともきっと可愛がってくれるさ。とりあえず、最初は大人しく殴られて、その後は土下座で平謝りかな」



以前住んでいたアパートに着く。壁は記憶の中にあるよりずっと黄ばんで汚れていた。扉の横に置いていた三輪車はもう置かれていない。

(そりゃそうか。一葉ももう高校生だもんな)

壁に背中を預けて通りを見ていると、角を曲がってくる人の姿が見えた。買い物帰りだろうか、パンパンに張ったスーパーの袋を下げている。

長い長い旅路だった。何から話せばいいのかすら迷うところだ。話したいことはたくさんある。

スーパーの袋を持った人物は、こちらの顔が認識できるくらいの距離まで来ると、ありえないものを目撃したかのように目を丸くして立ち尽くした。

マゾな気質はないが、罵倒されるのを覚悟で、ずっと恋焦がれていた声が自分に掛けられるのを待つのも良いかもしれない。

でも、まずは一言。立ち尽くして動けない体が硬直から解き放たれるように。


「よ、百合子。ただいま」


下げたスーパーの袋が地面に落ちる。

年月を経ても愛しさは変わらないどころか増すばかりだった。男にとって最愛のその人は、プルプルと拳を振り上げて・・・

「真っ。あんた今までいったい何処をほっつき歩いてたのっ!?」

男の頬にストレートパンチを繰り出した。

頬を打つ音が、日の紅を映し出した空に重く鈍く轟いた。


 ※ ※ ※


春、シルバレン王国は国中が新しく訪れる時代を思い、期待に胸を膨らませていた。

本日、新しい国王となるラズーロ王子が無事戴冠式を迎える。

優しい花の匂いが王都を満たしていた。買ってもらった飴を片手に子供がはしゃいだ声をあげながら走る。春の日差しに軒先でうつらうつらと眠る老婆の横を花で満たしたカゴを抱えた売り子の娘が通り過ぎる。

王都は活気で溢れていた。

「山田さんにも見て欲しかったな」

窓から見える景色に、美しい装いで着飾った現『王の盾』が呟く。ピンクやオレンジ、白といった花でできた冠を被り、若草色のドレスに透き通った白のローブを羽織っている。

華やかな見た目に反して、その柳眉は哀しげに寄せられ、ピンクのグロスが塗られた唇からは溜め息が漏れ出る。


冬の騒乱から数ヶ月が経ち、雪で包まれていた王都はすっかり春の装いに衣替えしているというのに、依然として彼女は戻ってきてはいなかった。


侍女が戴冠式の時刻を知らせに来る。

晴れやかな場に悲しみの色は見せてはいけない。その自覚を持ってにっこりと微笑めば、同性であるのにも関わらず侍女は頬をうっすらとピンクに染めた。

そこにいるのは堂々とした、国を支える要、美しき『王の盾』がいた。




夜、祝賀会の行われている会場にて、憂いに眉を下げる令嬢の姿があった。

「噂どおりのディエルゴ様のご様子ね」

濃い真紅のドレスに身を包んだカレンデュラ・オルンハイムは兄の横でひっそりと溜め息をついた。憂う顔は以前より確実に艶やかさを増し、大人への成長を遂げている。

「未だ帰らない想い人がいるのです。当然でしょう」

会場の隅、壁を背に場内の様子に気を張り巡らせる騎士団団長に目を向ける。その表情は固く、彼とお近づきになりたいと願う令嬢達も遠巻きに見つめるしかない様子だ。あの冬の出来事以来、彼の顔からは常にあった微笑みは抜け落ち、瞳は剣呑さを秘め、口元は固く結ばれ、まるで人が違ったようになってしまった。

(お兄様だって)

兄は以前と変わらない冷たいアイスブルーの瞳をしているが、時折思い出すと更に表情をなくすことをカレンデュラは知っていた。

「あんなふうになるくらいなら、ワタクシはまだ恋なんて知りたくないわ」

呟く彼女に瞳を和らげて頬を撫でる。

「そんなことを言うなんて、カレンデュラはまだまだ子供だ。ほら、せっかくのパーティです。一曲踊ってきなさい」

そう背中を押された先には、騎士団の団員でもあるナートが緊張した面持ちで立っていた。

「・・・お兄様がそう言うなら。でも、ワタクシの一番はお兄様なんですからねっ」

そう言いながらも、頬を赤くして若き騎士団員の元へと向かう妹の背中をヒューバートはくすりと笑って見送った。


再び壁際の騎士団長に目を向けると、勇気を出して声を掛けてきた令嬢を首を振って断っている姿が見えた。その目は相手を映しているようで何も映してはいなかった。


「あれでは亡霊だ。早く戻ってきなさい・・・ヤマダ」


囁きのような呟きは、賑わう会場の音楽に消える。

ヒューバートは空になったグラスを新しい酒と変えるため、人々の間を縫って華やかな会場へと溶け込むように進んだ。




あと1話です。


ナート:

仮面舞踏会からカレンデュラに好意を寄せていた。

ちょこちょこ声を掛けてはダンスに誘っている。

最近ようやく申し入れを受け入れられるようになってきた。



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