5・北の森の迷子
~王宮北の森にて~
「おーい、ラビ。どこにいるんだ?」
カサカサッ
枯れ葉を踏んで森を進む。ここは初代であるマコトが生み出した森。
それまでは、ただ岩だけがゴロゴロところがる丘陵地帯だった。神獣達との遊び場がここで、気付けば森が出来上がっていた。一度芽吹いた芽は新しい芽を生やし、代を重ねてこうして生きづいている。
300年もの間、緑を絶やすことなくこうして森であり続けたこの場所に生命の偉大さを感じる。
葉の零れ落ちた木々の間を縫って、彼は森の奥へと進んだ。
「絶対ここにいるんだと思うんだけどな」
1時間程降り続いていたモモの花は先ほどから真白の雪に変わっている。雪はしんしんと降り積もり、夜半には地面の土の茶色の全てを白に変えることだろう。
はぁっ、と吐いた息が木々の枝の間に白く濁って消えた。
ゲホッ ゴホッ
体の奥からこみ上げるものに咳をした。熱いものが喉を越えて外に出る。口元を押さえた手に血の赤が付き、ポタッと溢れた1滴が地面に赤いシミを作った。
苦い鉄さびの味に内心で舌打ちをする。
(やべ、やっぱ無理に起こされたからな。内臓やられてるかも・・・。結構力も使ったしな)
正確な封印の解除が行われなかったことにより、彼の内部は損傷を受けていた。目覚めて直ぐに異変は感じていたが、血を吐く程とは思っていなかった。直後に大量の魔力の処理を行ったことも、更に損傷を広げる原因になったようだ。
冬の寒さが身に染みる。身体は保温機能が上手く作動していない。寒さに、一定の体温を保とうとするのが人だが、手も足も指の先が冷たく白いままで、温もりを戻そうとする機能が働いていないことが分かった。
先ほどまで快活に動いていたかのように見せかけていた身体も軋みを訴えかけている。吸い込んだ空気が冷たく肺に突き刺さる。
それでも彼は何事もなかったかのように、「あー、しんどい」と血を拭って先へと進んだ。
※ ※ ※
雪が舞う中、大木の幹の陰にうずくまって身を震わせる白銀の髪の子供がいた。
左目は赤い花に変わり、その腕も色とりどりの花で埋め尽くされている。振り回したのか、いたるところに花ビラが落ちている。それでも、その左腕からは美しい花々が咲き誇り、甘い匂いを放っていた。
「うぅっ。マコト・・・うえっ、ん、っ」
嗚咽を鳴らす。残された右目から透明な涙が溢れて止まらない。
ここに来たのは、王都で一番懐かしさを感じるのがここだったからだ。
昔、みんなでよく遊んだ森。
本当は、開拓して畑を作る予定だった土地だ。自分達が何もないだだっ広い場所を格好の遊び場として使っているうちに森になった。
花の甘い香りに昔の記憶が蘇る。
追いかけっこと称してマコトが逃げて、みんなで追いかけた。ついつい力の入った奴が魔力をぶっ放して、その力をマコトが変換したせいで緑が芽吹いた。
それを見た国王は怒っていた。でも、目は笑っていた。
「おい、ここは開拓予定地だって言ってあっただろ。なんで日に日に木が生えて森になっていってるんだ!? それと、お前達の遊びが怖いって、近隣住人から苦情が来てるぞ! せめて魔力は使うな! まったく、神獣が何匹もいるってだけで恐ろしいのに、変な遊びしてんじゃないぞ」
「変な遊びって、俺達は追いかけっこしてただけで・・・」
「マコト、お前が一番自重しろ!」
目の前に正座させられて、マコトがぶーぶーと頬を膨らまして文句を言うのが常だった。
「まあまあ、それくらいにして。シュークリームを持ってきたよ。ほら、みんなで食べよう」
そう言って、大皿にたくさんのシュークリームを用意して兄弟殿下がやってくる。
『シュー、クリーム? 何だそれは。美味いのか?』
神獣達が人型を取って傍に寄る。狼なんて姿は厳ついヒゲを生やしたおっさんなのに、目を輝かせてフンフンと匂いを嗅いでいる。
それに弟殿下が笑って応える。
「中に甘いクリームが入っていて、とても美味しいですよ」
狼はシュークリームという名の付いた甘い匂いを放つ菓子をひょいと持ち上げ、不思議そうに眺め回した後、大口を開けて放り込んだ。
ゴクン
一口でそれを飲み込んだ彼の目が満足げに緩む。
『ふむ、美味い。もっとくれ』
「どうぞ、たくさんありますから」
みんなで皿を囲んで食べたそれはとても美味しかった。とても楽しかった。
(あぁ、そういえば国王も兄貴も、弟のアイツもいたんだっけ・・・。なんで忘れてたんだろう・・・)
マコトと会うまでは、白銀の平原でたった一人でそこに存在していた。『存在』していただけで、『生きて』はいなかった。
彼と知り合い、たくさんの感情を覚えた。
『楽しい』というのは特にくすぐったい気持ちで、ときに胸をぎゅっとしめつけられる思いがした。そんなふうになるのはいつも、「ずっとこの時間が続けばいいのに」と思うときだった。
人の言う『幸せ』とは、こういうものを言うのだろうかと思った。
何となくだか『幸福』というものが何か分かった気がした。
森が出来てからは、遊びにかくれんぼが加わった。
マコトにじゃんけんというものを教わり、負けた奴が鬼になった。
「いーち、にーい、さーん――――」
マコトは鬼役がヘタで、なかなか隠れた奴を見つけられなかった。しびれを切らして「もう降参! 出てきてくれー!」と言われても、自分だけはマコトに見つけて欲しくてずっと隠れていた。
「おーい、ラビ。出てこーい。ラビー?」
隠れていても、嬉しくて、楽しくて、困ったように自分の名前を呼ぶマコトの声にふふっと笑うのが好きだった。
今は誰も来ない。こうして身をうずくめて小さくなる自分にかかる声はない。
「マコト・・・」
彼は自分を否定した。
あの日、マコトが槍で全身を刺された時、大切な存在を失うという『絶望』を知った。いや、『絶望』を知った気でいた。そこにはまだ、「いつか彼は起きる」という『希望』があったのに・・・。
大好きな人に否定されるのが、こんなにも心を打ちのめす『絶望』に変わるとは思わなかった。
感情のまま王都を消し去ってしまおうとしたけれど、それも失敗に終わった。先ほど3本の光の柱が上り、モモの花が舞った。3本ということは、内1本にはマコトも関与しているに違いない。それは、この目と腕を花に変えたように、自分への否定のように感じた。その力は今も継続して花を咲かせ続けている。それが彼の自分への拒絶の現れのようで胸を酷く締めつける。
(もうこのまま消えてしまおう)
せめて彼がくれた花束を抱いて、このまま己の時がなくなるまでじっとしていよう、と腕を抱えこんで膝を丸くした。涙は止まっていたが、頬を伝った涙の乾いた跡がやたらとカサついていた。
「・・・寒い」
実際に神獣であるウサギが寒さを感じることはない。寒いのは心。ぬくもりの傍にあれたと信じて疑わなかったそれが、本当は絵に描いた暖炉の傍だったと気付いただけ。
「寒いよ。マコト・・・」
そこから先は沈黙し、ただ静かに雪の降る音を聴いた。
カサッと枯れ葉を踏む音に、森の獣でも来たのかと思った。思ったが、ただの獣が神獣に害なすことはできないので放置する。しかし、それは立ち去るどころかこちらに乾いた枯れ葉の音を鳴らしながら近付いてきた。近づいてくるそれが、こちらを観察しているような気がした。
(たまにいるんだ。自然の法則を無視する奴が)
『行け。神の獣に害をなそうとすれば逆に害を被るぞ』
思念を飛ばして警告を与える。しかし、それは警告を無視して更に近づいてきた。
「なに格好つけてるんだか。ほら、ラビ。帰るぞ」
「マコ・・・ト。なん、で?」
首をもたげると、そこにはもう2度と顔を見ることは叶わないと諦めたはずの存在がいた。
目を丸くして驚く自分に、以前と変わらず腕を差し伸べてくれる。
「こんなところでじっとして、寒かっただろ? 俺も寒い。帰って熱い風呂に入って、暖炉で暖まろう」
指先から彼の血の匂いがした。神獣の鼻は嗅ぎ取っていた。紛れもない、彼の血の匂いだ。
枯れた涙が再度溢れてくる。
「ボクのせいだね」
(無理やりに起こしたツケが回ってきたんだ。ボクのせいで、君が傷付いた)
責めてほしかった。そうして、この心を散り散りにして傷つけてほしかった。そうしたら、少しは購えるだろうか、そう思った。
けれど、責められると覚悟した耳に入ってきたのは違う言葉だった。
「いいや」
マコトは首を振ってそれを否定した。
「いいや。俺が寝ボスケだっただけだ。さぁ、帰ろう。こっちへおいで」
優しく腕を引かれて、その胸に抱きこまれた。
抱き込まれる瞬間、人の形は崩れ、元の白く小さいウサギの姿に戻った。かつて人の体の部分だった個所は赤や黄、薄紫色の花びらと化してはらはらと散った。ウサギにはもうそこが限界だった。長い時に神獣としての力は薄れ、それに加えてマコトの力を受けたのだ。既に人の姿を保つ力さえ失われていた。それでも構わなかった。もう1度、その腕に抱かれたのだから。
『・・・っ』
小さな小さな思念の声。それを最後にウサギは思念を飛ばすのを止めた。その能力すら花と散った。
その小さな声が自分を抱きしめる相手の名だっだのか、悔恨の意を込めた謝罪の言葉をだったのか、再び自分を受け入れてくれたことへの想いのたけであったのか、それを知るのはただ1人だけ。
零れ落ちた花の絨毯の上で白いウサギを抱きしめるその人だけが知っていた。
日の光がキラキラと雪に反射して2人を包み、冷たいだけの雪は光を受けると黄色味を帯び、ふわふわと森の木々に暖かな色のベールを被せた。
※ ※ ※
戻ってきたお父さんの姿にわたしはほっと息をついた。
その胸の中にはピクピクとひげを動かす小さな白いウサギがいた。彼の左目は灰色に濁っていたけど、残った右目は綺麗なルビーの赤のまま澄んだ光を宿していた。
「あー、疲れた」
王子に用意された客間、火の灯された暖炉の前のゆり椅子に座って暖をとるお父さんの姿に言葉通りの疲労の色を見る。
「お父さん」
ゆり椅子の横の床に直に座って暖炉の火を眺める。お父さんの腕の中でまどろんでいたウサギがピクリと耳を動かした。あれほど饒舌だったウサギは今や言葉を紡ぐことはない。ただ、じっとこちらの言葉に長い耳を傾けている。
「元の世界に戻って。わたしの力があれば還れるから」
ちろちろと揺れる火は薪のはぜる音を鳴らして暖かい空気をこちらに送ってくれる。
わたしは帰還の術についてお父さんに詳しくは語らなかった。それでも、何となく雰囲気で察したお父さんは
「ごめんな。俺の我が侭につき合わせて」
と一言謝った。
「どうしても最後に一目合っておきたいやつがいるんだ」
お母さんのことだと分かった。
お母さんは今でもお父さんがいなくなったときのまま住んでいたボロアパートを出なかった。いや、出られなかったのだ。周りに進められても、心の中で「いつか帰ってくるかもしれない」と思っていたからだ。
お父さんが戻ってくるのを待つ間、キティに聞かされた事実。
『帰還の陣がある部屋で言ったよね。無茶な起こし方した、って。マコト大分中身をやられちゃってた。平気な顔して動いてたけど、長くはもたないよ』
キティは淡々と言ったけれど、その瞳は悲しみをたたえていた。
あの乳白色の球体から出るとき、お父さんはわたしと入れ替わる形で外に押し出された。その体は濡れていたけど、わたしが外に出られたときは少しも濡れてはいなかった。
微妙な差異だと思っていたそれが実は大いなる違いだったことに、立っている足元が揺れる思いがした。
(痛い・・・。胸が押しつぶされるみたいに痛い。このままグシャリと音を立てて消えてしまいそう)
同じ人に対して2度もこんな深い喪失感を覚えることになるとは思わなかった。
『本当に人の感情ってやつはやっかいだね。知るんじゃなかったと思うけど、知ってよかったとも思うんだ』
小さな黒猫の姿になった体を抱きしめる。にゃあ、と小さく鳴いて身を摺り寄せるキティにわたしも頬を寄せて「悲しいね」と呟いた。
お父さんの膝に顔を傾ける。
「オトーさん」
暖炉の火は暖かかったけれど、わたしの頭を撫でる手は氷のように冷たかった。冷たく、それでも優しい手つきにわたしはそれまで堪えていた涙を1粒だけ落とした。
ウサギは父の腕の中に戻り、山田は別れの覚悟を決めた。




