3・各自行動せよ その1
瞳に狂気を宿したウサギに、わたしはなすすべなくじっと見つめることしかできなかった。
「止めろラビっ!」
お父さんがウサギを止める声がする。
「やだ。止めない」
小さな子供の癇癪のように、止められれば止められる程、ウサギは意固地になっていっているような気がした。次第に険しさを増す顔が不吉に歪み、その小さな手が振りかざされた。小さいけれど、きっとウサギならこの球体を容易く破壊することが出来るだろう。そう思って、次に来るであろう衝撃に瞼を閉じた。
「山田さんに酷いことしないで!」
桃姫が駆け出してその手に縋り付いて引き留めに入る。全身の力を込めて腕にしがみ付いたけれど、ウサギの腕はびくともしなかった。
(桃姫、無茶しないで!)
声にならない声がもどかしい。わたしは「止めて」という思いを込めて球体の壁をゴンゴンと叩いた。
「邪魔をするなっ!」
「きゃあっ」
ぶんっと振り払うと、桃姫の体が投げられた小石のように吹き飛んだ。
血の気が引いて息をのんだわたしの視界に小柄な影が走った。その影は桃姫を抱きとめたが、勢いが強すぎて一緒に吹き飛ばされてしまう。
がしっ
吹き飛んだ2人を受け止めたのはラズーロ王子だった。小柄な影はフェイト。フェイトがクッションの役割をして衝撃を和らげたため、王子も何とか受け止めることに成功したようだ。
「俺の大切な『王の盾』を随分と乱暴に扱ってくれるな」
「フェイト君・・・王子・・・」
桃姫の瞳にじわりと涙が浮かぶ。桃姫が2人に抱きつくと、王子はよしよしとその頭を撫で、フェイトは「く、苦しい」とうめき声を上げた。
「桃姫大丈夫ですか?」
「怪我はありませんか?」
ヒューバート様とサイラスさんが桃姫を気遣って声を掛ける。
「子供の成りとはいえ、女性に対する扱いがなっていないわね」
カレンデュラお嬢様も傍に寄って、桃姫の乱れた髪を直す。
彼らの傍にはディー団長、陛下、キティ、そして師匠の姿があった。
「みんな勢揃いってこと・・・。ここに入るには強力な結界を敷いていたと思ったんだけど?」
「どうやって入ろうかと思案していたところだ。その結界が先ほど急に緩まってな」
師匠が警戒しつつ、桃姫達の周囲に透明な結界を張る。これでウサギの攻撃も容易に彼らを傷つけることは叶わなくなる。
わたしは安堵して、水中でほっと息を吐いた。
『まったく、無茶な起こし方をしたもんだね』
師匠の横にいたキティが一歩前に出る。その身体のあちこちに擦り傷が出来ていたので、無理やり結界を解こうとした結果なのだろう。キティも随分と無茶をしたようだ。
『王子、君の血少しもらうよ』
キティの言葉に、小さな風が起こって王子の指先を切り付けた。赤く鮮やかな血のしぶきが飛び、空中を移動した。
それはわたしが入った球体まで飛んでくると、スッと球体の壁に溶けていく。
キティの額が金色に光り、わたしの耳では解読できないような音がキティの喉から鳴ると、球体全体がそれに共鳴したように白く発光しだした。
パァァァ
光は徐々に強くなり、部屋全体を明るく照らした。みんなが光を放つ方向に目を向けて成り行きを見守る。ウサギもこのときばかりは目を丸くして沈黙した。
ピシッ
球体ににヒビが入った。あちこちに亀裂が入り、ヒビが広がっていく。
パリンッ
ガラスが砕けるような音を立てて、球体は空中に霧散した。わたしを包んでいた液体も同時に霧となって空中に溶ける。
突然、足元のない空中に放り出されたわたしは、姿勢を崩して床にスドスンと落ちた。打ち付けた腰に手をやってさする。
(出られたのはいいけど、前置きしといてよ)
可愛げのない音で球体から解放されたわたしは心の中でキティに文句を垂れた。
お父さんが駆け寄ってきてわたしを背に庇ってくれる。少し年齢を重ねてしまったけれど、ずっと見てきた背中だ。その背中に手を置くと、懐かしい声が降ってきた。
「よう、娘。久しぶり」
「どうも、お久しぶりです。お父さん」
何とも味気なかったけれど、それが十数年ぶりに再会した父娘の挨拶だった。確かな存在を感じたくて、置いた手でお父さんの服をぐっと握りしめた。
『君は全部めちゃくちゃにして、最後は国王達も殺してしまうつもりだったんだろうけどね。鍵はあのときの国王の血の流れを受け継いだ者だったんだよ。これの意味するところが分かる?』
キティがわたしたちの前にストンと移動してウサギに対峙した。
「なん・・で・・・」
ウサギの声が震えていた。まさか大好きな人を起こすための鍵が、憎んでいた国王の血の流れを受け継ぐ者にあるとは夢にも思っていなかったらしい。
『白虎も彼らに力を与えるときに言っただろう? 「祝福」だって。「呪い」でなく「祝福」。みんなマコトを傷つけられたことを怒ってたけど、彼らもまた友達だって認めてたんだよ』
「違う。ボクは認めない。あいつらはマコトを傷つけた奴の父親と兄貴なんだ」
ウサギが混乱しているのが分かった。わたしがウサギの意識下で見た神獣達と当時の国王達との仲は決して悪くはなかった。いや、むしろ仲は良かったと思う。お父さんを介して彼らもまた神獣達を友としていた。ウサギも楽しそうに彼らに話しかけていたはずだ。
そして弟殿下とも・・・。
だからこそ、人に裏切られたことが彼の心に闇を生んだ。そして長すぎる時が彼を狂わせた。
『もういいだろう? こっちに帰っておいで、ラビ』
キティが金色の瞳を和らげて声を掛けた。
「何それ、何それ、何それ。分かんない、分かんない。やだ、分かりたくないっ!」
頭を押さえてウサギがかぶりを振る。振るたびに花弁が床に落ちていくのが物悲しかった。
「ふふっ」
ふいに動きを止めたウサギが、今度は笑い出した。背筋がぞくりとするような狂気に満ちた笑みだった。
「ぷふっ。あはははっ。いいよ。今更何がホントウかなんて関係ない。ボクは止めない。アレは王都に仕掛けてもう秒読みは始まってるんだから。あははははっ」
そうしてしばらく笑い続けた後、残された右目の笑い涙を拭いて言った。
「全部消えちゃえ」
そのルビーの瞳は、もう誰のことも映していなかった。
※ ※ ※
暗い洞窟に、石造りの階段を上る音がこだまする。
カンカンカンッ
わたし達は急ぎ、らせん階段の上部を目指した。「全部消えちゃえ」ウサギはその言葉を最後に部屋から姿を消した。不吉なその台詞にわたし達はとにかく外に出ようと、ひたすららせん階段を上っていった。
「ウサギは何をするつもりだ?」
先頭を行く王子が、すぐ後ろを行くお父さんに尋ねる。
「ラビの言葉通りだろ。全部消すつもりだ」
「簡単に言ってくれますね」
眉をしかめるヒューバート様にお父さんは明るく言った。
「ラビは元々、シルバレンの国王達に魔力を詰め込んだ珠を存分に見せ付けた後、各地にそれを仕掛けて発動させるつもりだった。ボーンって感じでね。それを皮切りにシルバレンとカンパールの大戦争勃発って筋書きで。それは楽しそうに話してたぞ」
この人はどんな状況にあっても楽しそうに話す。それが相手の毒気を抜いて親しくなるきっかけになるんだけど、今は控えて欲しい。
(ボーンって・・・不穏極まりない状況でボーンって)
「余の国にとっては迷惑な話だ。しかし、それを王都に密集させて仕掛けたということか」
「そんなことになったら王都にどでかい穴が開くことになるぞ」
珠の威力を実際に知っている師匠の言葉だ。もし発動するようなことになったら、本当に王都に穴が開いてしまう事態になりかねない。わたしは王都に巨大な穴が開く光景を想像して、ブルッと身を震わせた。
「多分、この王宮だけ残して全部消してしまうつもりだろうな。ここは帰還の陣がある場所だから」
「「では、急ぎ民の避難を」」
焦ったように言うサイラスさんとカレンお嬢様に父は冷静な判断を返す。
「んな時間はないって。珠の力を浄化するしか手立てはない」
『珠は3つあるんだよ?』
「丁度良いじゃん。俺と娘、そこの女の子も力があるんだろ?」
「私?」
「そ、珠は3つ。浄化できる人間も3人。丁度良いじゃん」
「では・・・」
「分散して、珠に込められた魔力を浄化する。それで決定!」
※ ※ ※
外に出ると、事は既に始まりを告げていた。
王子達の姿を目に留めた騎士が駆け寄ってくる。
「お捜ししました王子、ディエルゴ団長。王都各地で民が暴徒化しています。民同士による武器を持っての諍い、露店・商店への襲撃、規模はそれぞれ小さいですが数が異常です。対処しきれません!」
「十中八九、アレの魔力に当てられてるね」
師匠がその綺麗な眉をひそめて言った。
「騒ぎの中心は?」
ディー団長が騎士に確認を取る。
「はっ。騒ぎの中心は3箇所。南部のブリック大橋、西部の貧民街、そして東部の小神殿です」
ブリック大橋は王都南部を流れる大河に架かる橋の名称だ。そして東部の小神殿といえば―――、
「小神殿って、孤児院が併設されてる神殿のことじゃ・・・」
子供達がたくさんいるような場所に仕掛けたというのか。困惑する子供達の顔が脳裏に浮かんだ。
「みんなが・・・」
フェイトの顔がみるみる青ざめていく。孤児院の子供達はもちろん、神殿の人達だって彼の家族なのだ。
不安に駆られたフェイトが東部の方角を見た。空は灰色に曇っていて外気は寒い。今は降っていないけれど、この空模様ならそのうち雪が降り出してくるだろう。ここからでは王宮の外の様子は分からないが、子供達は怯えて震えているかもしれない。
「俺、戻らないと」
大切な家族のもとへ駆け出そうとしたフェイトの手を取って、
「私も一緒に行く」
桃姫が追従の意を唱えた。
「俺も共に行こう」
震える彼女の肩にぽんと手を置いて王子が各自に指示を出した。
「初代、ヤマダ、そちらも別れてブリック大橋と貧民街に向かってくれ。ディエルゴ、サイラスは残って指揮をとれ。暴動の鎮圧、民の安全の確保をはかれ!」
「はっ」
「分かりました」
返事をしたものの、ディー団長は心配そうにわたしの顔を横目に見てきた。
わたしはそれに笑って返す。
「大丈夫です。あっ、わたしの『大丈夫』は信用できないでしたね。でも心配要りません。何とかなります。いや、何とかしますからどーんと任せて下さい!」
拳を作ってにかっと笑うと、その手を引かれて抱き寄せられた。
「ヤマダ、無茶はするなよ」
「はい、大丈夫です」
でも、無茶をするくらいでないとあの珠を止められないということくらい、ディー団長も分かっているはずだ。それでも心配して気にかけてくれる。そういう人だ。
「行って来ます」
そう言うのは帰ってくるためだ。「ただいま」と言うための「行って来ます」。
いつの間にかこの人の存在が大きくなっている。震えて泣くと背中をさすってくれ、歩けなくなると抱えてくれ、迷子になると迎えに来てくれた。寄りかかる先に何もないと一人で立とうとするわたしの常に支えになってくれた。
わたしはディー団長の背中に腕を回して一度だけぎゅっと握り締めて離れた。
フェイトが近づいてくる。
「気を付けろよ」
「うん。フェイトも気を付けて。ほら、動揺してる場合じゃないよ! しっかりしなきゃ」
ぐいっとその頬を両手でパチンと叩いて挟み込んだ。顔を寄せて額と額を擦り合わせる。
「大丈夫。フェイトはみんなを守れる力を持ってる」
その言葉に彼の青白かった顔に活気が戻る。
「そうだな。動揺してる場合じゃなかったな」
「桃姫をよろしくね。期待してるよ、未来の騎士さん」
フェイトの髪にしみ込んだ草の香りが微かに香り、チュッとわたしの頬に口付けが落ちてきた。
「分かった。じゃあな」
にまっと笑った顔は、いつものフェイトの顔だった。
「2人とも。気を付けるポイントは焦らずじっくりだ」
お父さんが参考になるのか分からないアドバイスをくれる。
それでも、その言い方は明るくて、本当に何とかなりそうな気がしてくるから不思議だ。
「さぁて、行きますか」
それぞれが散り散りに別れて出発した。
ここから各自行動していきます。
ウサギは癇癪起こしてフェードアウト。
彼の耳には誰の声も今は届かない。




