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少年(?)山田の胃が痛い日々  作者: 夏澄
獅子王とさえずる小鳥編
85/95

6・愛すべき小鳥 その3

陛下sideの話です。

[レオール陛下視点]


まばゆい光に包まれて小鳥と自分の身体が弾けた。床に打ち付けられ、痛みにふらふらとする頭を振る。

光でチカチカする目を何度かしばたかせて身体を持ち上げたそこに見えたのは、人の顔だった。

金色のタテガミは金色の髪に、若草色の猫の瞳は人の瞳に、肌に毛は生えておらず、ツルツルとした人の肌がむき出しとなっていた。

「これが余か?」

おそるおそる鏡に手を触れる。鏡の中の人も同じく鏡に手を触れた。間違いなく、それは己の人の姿だった。

「おい、小鳥。見てみろ」

振り返ると小鳥が床に倒れていた。

その後ろでは、木の長椅子から若葉が生え、壁に緑の蔦が這っていた。蔦からは名前の知らない花が咲き誇り、甘やかな春の芳香を放っていた。窓の外では、綿毛がふわふわと風に揺れて舞っていた。

天上の春が顕現したかのような景色の中で、唯一、小鳥の身体だけが死の香りを漂わせている。


目を瞠目させる。


心が冷えた。


「小鳥っ!」


抱き上げた身体は冷たかった。


「起きろ、小鳥!」


(余の小鳥が死んでしまう)

目の前の小鳥の体温が失われていく。頬の赤みが消え、真白の肌へと変わっていく。

(息は?)

していない。口元に手を当てるがそこに触れる風はなかった。

(鼓動は?)

聞こえない。胸に耳を当てても何の音もしなかった。

(死ぬのか?)

「いや、死んではならん! 生きろ! 死ぬのは許さん!」

 ドン

胸を叩いた。何度も。何度も。

「生きろ!」


この身を哀れと嘆く自分が「生きろ」と必死に叫ぶのが滑稽だった。

蘇生の術も功をなさず、小鳥が息を戻す様子はない。

誰もが怖れる己の姿を唯一怖れず、間近に触れた小鳥の体温がむなしく奪われていく。

「・・・逝くな」

温もりを奪ってくれるな、と冬の精霊を恨みながらその身体を抱き寄せた。


 ※ ※ ※


「良き皇帝となられますように」

優しく、いかにも国母としてまっとうな言葉ではあったが、母が己を見る目に温もりを宿すことはついぞなかったように思う。

母と会うのは春節の祝いの席でのみだった。それ以外は互いに避け合い、周囲もなるべく会わずにすむよう取り計らった。

日差しは暖かくとも、掛けられた声は凍った池の水のように冷たく凍てついていた。


「まったく、この季節は気分が憂鬱になって仕方がないわね。アレと顔を突き合せなければならないのだもの。皇帝になるのでなければ獣の母などやっていられないわ」

パタパタと扇を振り、昔から付いている執事にそう漏らす母の言葉が別室から聞こえてくる。

獅子の耳は人の何倍もよくできているようで、遠くの声すら拾い上げる。

幼い頃はまだ母に希望を持っていて、よく涙したものだが、今となってはその声にも心は揺れることもなくなっていた。せいぜい「またか」と思うくらいだ。


父は前皇帝の従弟に当たり、前皇帝は子はおろか正妃も娶ることが出来ていなかった。母は侯爵の出でプライドが高く、獣の顔をした子が生まれて喜んだのは、これで自分が国母になれると確信したときのみだったそうだ。それを呪詛のように聞かされ、うんざりともしていた頃、皇帝の座に着くなりさっさと別に居を構えて引っ込んでしまったときは酷く安堵した覚えがある。

それなりに豪勢な生活を送っているらしいが、国庫に支障が出ない範囲で収まっているので、好きにすれば良いと捨て置いている。


己の獅子の顔は母を含む自分以外の人間にとってはよほど気味が悪いらしい。


あるときは、粗相をして茶器を返した侍女が恐怖で顔を引きつらせていた。

「も、もうしわけございませんっ」

別段気にすることでもないのに、勝手に怯えて職を辞した。咎めるつもりはなかったが、その噂は勝手に広まり、自分を怖れる者が増えたのは事実だ。


臣下も、鍛えられた兵士でさえ己の姿に畏怖した。


それが日常。つまらない、心の揺れることのない日常。

唯一、心が揺れるのは鏡を見るときだ。見るたびにこの恐ろしい顔に苛立ちを覚えて、何度も鏡を割った。


そんな中、現れた小鳥は獅子の顔にも怖れをなすことはなかった。

シルバレンの『王の盾』への表敬訪問の道中は実に愉快なものだった。

記憶のない小鳥はよくさえずった。


「陛下のタテガミは綺麗ですね」

同じような言葉は、褒め言葉としてよく言われるものだった。容姿について、褒めるところの少ない自分に対する精一杯の言葉がそれだからだ。

「そうか。では触れてみるか?」

そう言うと、大抵の者が「そのような恐れ多いこと」と口元を引きつらせて黙り込むのだが、小鳥は違った。

「えっ。良いんですか? では遠慮なく」

嬉々として触れてきた。手触りを楽しむように掴んだり、撫で付けたりして、ときどき「へー、思ったより手触りが良い」と感想を述べる。

「陛下はタテガミがあって良かったですね。動物だったらタテガミのあるのは雄ですから。女性だったら

タテガミがなくて、威厳が半減しちゃいますもん。やっぱ、獅子ならタテガミがないと」

この思考は随分と方向性が間違っていると思ったが、小鳥の言はやはり面白く笑えた。

小鳥が「陛下は獅子の顔をしているだけ」と言ったのは本心らしい。この獅子の顔をただの顔として扱うのが小鳥だった。


ほんの数日で愛しさを覚え始める。


愛しさと同様、不安も大きくなっていく。


ある夜、寝つきが悪くてベッドから起き上がった。

床に丸まって眠る小鳥に近づくと、すやすやと安らかな寝息を立てていた。その白い首に手を這わす。細く、簡単に折れてしまいそうだ。

このように小さく弱い存在に安らぎを覚える。

そして同時に思う。

(いつか、その顔が恐怖に歪んでしまうのではないか)

そのとき、自分はきっと小鳥を殺してしまうだろう。叫び声をあげる前に、悲鳴がこの耳に届く前に。

首に這わせた手に力を込める。

「うっ。んっ・・・」

息苦しさに小鳥が身をよじらせた。

 ジャラ

足に巻いた鎖が鳴る。自分のモノである証として付けさせた鎖だ。その鎖が小鳥を縛る。

(いや、このようなモノをつけたところでお前の心は縛れないのだろうな)

むしろ縛られているのは己の方だと思う。いつか開放せねばと思うが、そうしたくない自分もいた。


「ディエルゴ・リュディガー」


小さく、呪文のような名前を小鳥の口がさえずった。

無意識の中で思い出した名前だろうか。手を離すと、スーっと息を吐いて顔を緩めて笑った。

「あり、がとう・・・です。ディー団長」

呼んだ名は大事な想い人の名なのだろうか。思い出せば、この小鳥はためらいなく飛び立ってしまうだろう。

「余を愛せ、小鳥」

(この思いは愛着か? 愛情か?)

少なくとも手放したくはないという執着だけは強かった。


その執着は夢となって現れた。森の神殿で過ごした夜、夢の中で小鳥の首を噛んで殺した。

夢で、自分はたくさんの鏡に囲まれていた。何枚もの鏡に映る自分の姿が醜く、咆哮をあげて割っていった。だが、割れた鏡も細かい破片となっただけで、自分を映すことを止めようとしない。

『お前は何者だ?』

「うるさいっ!」

最後の大鏡に飛び掛ったと思ったら、それは小鳥の姿に変わり、生々しい赤い血を流して倒れこんだ。

目の生気がなくなっていく。

うつろな目が、自分を呪っているように感じた。


飛び起き、押し倒して首を絞めた小鳥に恐怖はなかった。

咳き込みながらも「大丈夫」と手を伸ばしてきた。どこまで許容範囲が広いのか。その優しさに溺れてしまいそうで、それでいて、どこまでやったら恐怖を覚えるのか試したくなる。

(この小鳥は、どこまでも耐えてしまうだろう)

きっと貪欲な自分は追い込んで壊してしまう。壊れるまで、小鳥は「大丈夫」と言っていそうな気がして怖い。

(怖い? あぁ、そうか。余は怖いのだ。小鳥を壊すのが。失ってしまうのが怖いのだ)

だから逃げた。


逃げても小鳥は追ってきた。

「悪い夢です」

じっと動かない自分に寄り添う小鳥。人一人分の距離をあけられた空間が寒々しく思われた。触れられた手だけが暖かかった。


夜が明け、聖堂の扉へと向かう。そこには真実を映し出す鏡が張られている。そこに映るのは獅子の顔をした己の醜い姿だ。

「小鳥、お前の目に余はどのように映る?」

「獅子の顔です」、「人の姿です」、どう答えようと小鳥を開放するつもりだった。

このまま傍に置けば、確実に壊してしまうからだ。

(壊してしまうよりは、このまま自分の元から飛び立った方がましだ。嘲りと共に鎖を断とう)


「陛下は格好良いと思いますよ」

しかし小鳥の口から出た言葉は、まったく予想もしていなかった言葉だった。


「陛下はもっと人に触れることを覚えたらいいんです」


光と共に衝撃が身体を走った。


 ※ ※ ※


「逝くな、小鳥」

頬を伝う雫。十数年ぶりの涙だった。そして誰かを思って流した初めての涙だった。

人に戻れても、共に喜ぶ相手のいないことのなんとむなしいことか。これならまだ獅子の姿のままでいた方がましだった。

深い喪失感に打ちのめされる。

(もう一度)

 ドンッ

「生きろ!」

叫んで、胸を叩いた。

「動け。もう一度息をしろ」

 スウッ

その呼びかけに応えるように、小鳥が息をした。

 ゴホッ ゴホッ

むせながらも必死で呼吸を繰り返す。頬に赤みがさし、冷たかった肌に温もりが戻ってくる。

「良かった。気付いたか小鳥」

もっと気の利いた台詞を言えばよかったのに、ただ起きたことに喜びを感じて、そのままを口にした。


「へい、か」

一度失われたと思ったさえずりが戻ったことに歓喜する。己を見て、呼びかけられることがこれほど嬉しいと思ったことはなかった。

「かがみ・・見えますか?」

「ああ、見える」

「ほら、言ったでしょう? 陛下は格好良いって」

涙で濡れた頬に手が沿わされる。


「陛下は人です」

弱弱しいが、はっきりとした小鳥の答えだった。「余は人か? 獣か?」己の疑念に対する答えを、命をとして答えた小鳥にどうしようもないほどの執着が湧き上がりそうになる。

(だが、翼ある小鳥をいつまでも閉じ込めておくことは出来ない)

それも分かっていた。


(いま少しだけ)

とその身体をかき抱いた。「余を愛せ」とは言わない。いずれ記憶が戻れば飛び立つ小鳥だ。

だが、留めようのない想いは溢れ、口をつく。


「愛している、小鳥」


(せめて想いを告げることだけは許して欲しい)


そのとき、キイィと扉が開いて、その向こうに帯剣した男の姿が見えた。

「ヤマダ?」

小鳥を見て驚愕の表情を浮かべる。青白い顔をした小鳥を見咎め、続いて鎖の巻かれた足に目をやる。

男の顔に怒気が浮かんだ。

「貴様、ヤマダに何をした!?」

スルリと剣を抜き、身構える男はどうやら小鳥の知り合いらしい。


(手放すには良い口実か。小鳥を渡すに相応しい男かどうか見極めてやろう)


「誰か。剣を持て!」



いかに小鳥を愛おしむようになったかの話でした。


ようやくディー団長のお出ましです。

山田に「わたしのために争わないで」とか言わせてみたい。

・・・多分、言わないけど。

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