4・愛すべき小鳥 その1
カラカラ カラカラ
舗装された土の道を馬車が通る。周囲は高い木々が道に並走して立っていた。
空気は冷たく、空は灰色で今にも雪が降り出しそうだ。
馬車の中は暖かいが、窓に額を付けていると外の冷たさが伝わってくる。
ジャラ
足を動かして座席の位置をずらすと、足に巻かれた鎖が音を立てた。
いくつかの宿場町を抜けて、馬車は森の中を進んでいた。
カンパールという国は大陸の西側に位置している。
帝都は広く平らな地なのだが、シルバレン側に面した国境沿いは深い針葉樹林で覆われている。
その針葉樹林の中心を切り開いて大きな街道としているだけで、帝都を抜けてからはずっと緑の森を進むことになった。
「わたしって一体誰なんだろう?」
流れる景色に、少しでも失った記憶に関するものがないか探してみるが、目に入ってくるものはまったく初めてのものばかりだった。
ちょっとでも懐かしいと思えるものはないか、と思ったが、濃い緑の針葉樹達はどこまで行っても異国の景色でしかない。
この景色というか、この世界自体に違和感を感じる。言葉もすらすらと出てくるには出てくるが、頭の中で出てくる言語は話す言語とは違っている。
(わたしは一体どこから来たんだろう?)
「お前は余を愛する小鳥だ」
呟いた言葉に陛下が恥ずかしげもなく、そう返してきた。
(いやいや、その冗談は笑えないって。愛するって・・・この陛下はよく平気でそんな言葉がスラすら出てくるな。わたしには無理だわ)
と口には出せない感想を脳内にめぐらせていると、わたしの沈黙を困惑と捉えたのだろう。
「と言いたい所だが違う。余はウソは嫌いだ。お前の正体は分からん。余が知っているのは、お前が捩れた空間から出てきたさえずる小鳥ということだけだ」
陛下は素直に訂正をかけた。
「ウソでも記憶を失う前までは自分を愛していたんだと言っておけば、その呪いも解けたのに。陛下って、意外と正直者ですよね」
目が真剣なものだったら少しは信じたかもしれないが、陛下は人をからかうような目をしていたので本気とは捉えられなかった。
(どうせペットの小鳥がどういう反応をするのか見てみたかったんだろう)
案の定、陛下が声を上げて笑い出す。
「ふはははっ。皆が恐れる獅子を捕まえて正直者か。やはりお前は面白い」
帝都を出て数日、今のところまだわたしは陛下気に入りの「さえずる小鳥」だった。
「もっとさえずれ」
と言われたところで面白い話が浮かぶわけでもなく、世間話的なものをする度、こうして「面白い」と笑ってくれるのだから、概ね陛下のご期待には添えられているらしい。
窓の外、横に着く馬に騎乗した兵を見ると、陛下の笑い声にビクッと肩を震わせるのが分かった。
(自分の主に怯えるってどうよ?)
ほんの数日のことではあるが、みんなが陛下に怯えているのが分かった。何とか機嫌を損ねないように、びくびくとして常に及び腰、話をするときは目を合わせない、これが通常姿勢。
陛下が笑い声を上げる度にこうなのだ。陛下が笑うのは不吉の前触れ、とか思っていそうだ。
「陛下は顔が怖いからなぁ」
ぼそっと出た言葉に陛下が眉間に皴を寄せる。
「お前も余を恐ろしいと言うか」
(あぁ、そうでしたね。顔のことはNGでしたね)
「眉間に皴が寄ってるって言ってるんですよ。もっと笑えばいいのに」
わたしは身を乗り出して陛下の両頬を掴んで持ち上げた。陛下がピクリと背中を後ろに寄せる。
獅子の顔の手触りは質の良いぬいぐるみのようだ。獅子の顔はしているが、獣臭はしないし、むしろよく手入れされていて作り物めいている。
「何をしとるんだ」
「いえ、こうしたら少しは笑った顔になるかと思って」
にっと笑う形を取ったが、白く鋭い歯が見えて逆に厳つい顔になってしまった。これは、しかめ面をしている方がまだましだった。
「失敗でした」
掴んだ手を引っ込めて元の位置に戻る。
ジャラ
足首に巻かれた鎖が音を鳴らした。
「陛下はこうして人の足に鎖を巻くような人で、わたしを小鳥とか呼んで、威圧感はあるけど」
「良いところがまったく見当たらんな」
「怖い人ではないですよね」
「・・・・・」
「・・・? どうかしましたか? お腹の具合でも悪くなりました? それとも熱でもあるんじゃ」
陛下が黙り込んでしまったので、調子が悪くなったのかと思い、その額に手を当てた。
わずかに、本当に微妙な差だが、わずかに身体の位置がずれたのを感じた。
(怖いと思っているのは陛下の方みたい)
どうやら陛下は人に触れられるのに抵抗があるらしい。周りの態度からして、積極的に人に触れることがこれまでなかったのだろう。
「お前は躊躇いなく余に触れるのだな・・・」
それきり陛下は沈黙してしまって馬車の中に静寂が訪れた。馬車の車輪がカラカラと鳴るリズムに、いつの間にかわたしは眠りについていた。
※ ※ ※
夕方、街道沿いの旅人の宿としても使われているという神殿で早めの宿をとることになった。
このまま進んでも、しばらくは泊まれるような宿がないのだそうだ。
陛下の寝室の床にわたしは転がされた。
(またペット扱いっすか)
これでは小鳥ではなく子犬だ。陛下はペットを傍に置くタイプのようで、わたしは毛布を与えられて床の上で睡眠を取らされた。不満はあったが部屋の外へ放り出されるよりはましだったので、文句は言えず、投げられた毛布に包まって眠る体勢を取る。
旅の疲れからか、すぐに睡魔が襲ってきた。
―――――夢を見た。
周囲を鏡で埋め尽くされた暗い部屋。映るのは獅子の顔。周りの様子は分からないのに、像を結んだ鏡だけは異様に光を放っていた。
ガルルルルッ
声を上げようとしたが、それは人の声ではなかった。
ガウッ ガルルッ
鏡に映る姿が変化していく。人の手だったものが獣のそれに変わる。下肢が変化し、2本の足では立っていられなくなる。
その姿に苛立ちを覚えて、次々と鏡を割っていった。
パリンッ パリンッ
キラキラと破片が飛び散る。その破片1枚1枚に獅子の姿が映った。何十、何百もの獅子が瞳を金色に光らせてこちらを見てきた。
『お前は何者だ?』
「ガウゥッ!(うるさいっ!)」
人の声にならない声で吠え、最後の1枚に飛び掛る。
ドサリ
そこにあったのは、首に獅子の牙を食い込ませたわたしの姿だった。血がドクドクと流れていき、目の光が失われていく――――。
はっとして飛び起きると、そこは冷たい床の上だった。
冷や汗をかいていた。気分の良い夢ではなかった。
「うぅっ。ぐっ・・・」
ベッドの上を見ると、陛下が苦しそうな声をあげていた。
見ていられなくて「陛下、起きて下さい」と何度か体をゆする。しかし夢の中の陛下にはなかなか届かず、汗をかいて苦しそうに身を捩じらせる。
「陛下っ!」
バサッ
陛下が突然身を起こしてわたしに圧し掛かってきた。首に手を掛けられて、爪が首に食い込んでいく。
闇の中で、陛下の瞳が金色に光っていた。
「くっ。はぅ、へい、か」
息が苦しい中、必死で声を出した。
「小鳥・・? ・・・っ」
息を呑む音がして、ふいに呼吸が楽になる。ゼーハーと失った酸素を荒く取り入れるように息をした。
急激な酸素の低下で指先がプルプルと震えていた。
「余は、何ということを」
「だ、大丈夫です。すこ、し酸素が足りなくなっただけ、で」
荒い呼吸の中で声を出して手を伸ばしたが、その手はパシッと振り払われた。陛下が恐怖の表情をして顔を両手で覆う。
「余に触れるな」
うめき声のような声で、
「壊してしまう」
そう呟いて部屋を出て行った。
取り残されたわたしの身体に、開け放たれた扉から冷たい空気が漂ってきた。
※ ※ ※
冷たい廊下を陛下の姿を探して歩く。
食堂や風呂場などを覗いても姿は見当たらず、わたしは神殿の聖堂に向かって歩いた。
キィィ
静かに木製の扉を開けると、並べられた長椅子の最前列に陛下が座っていた。
聖堂の窓にはステンドグラスが張られていて、月の光りに照らされて床に赤や緑、黄色の光が映りこんでいた。その中の一つには、カンパールの神獣でもある獅子の姿がある。獅子の目の前に一人の女性と、その使者なのか男性とウサギの姿が描かれていた。
ゆっくりと長椅子の間を進んでいく。石造りの床は靴を履いていても冷気が足の体温を奪っていく。吐く息は白く、この聖堂内で暖かいのは自分の体だけだと思った。
陛下は項垂れて背中を丸くしていた。いつも堂々と威厳を放っている陛下には似合わない姿勢だ。
人一人分の間を空けて、陛下の横に静かに腰を下ろした。
「夢を見ました。陛下に食い殺される夢です」
「小鳥、お前も同じ夢を」
「夢です」
椅子の上に力なく置かれた陛下の手に自分の手を重ねた。その手は氷のように冷えていた。
「悪い夢です」
祭壇には、白い石膏でできた獅子の像が置かれていた。カンパールの代々の王に祝福と呪いを与えた獅子だ。その足元には旅人の信者が置いたのか、小さな野花が置かれていた。
「時々、自分は人なのか獣なのか迷うときがある。人の思考はしていても、鏡を見れば常にそこには獅子の顔がある」
珍しく饒舌に陛下が話し始めた。
「賢帝とは何だ? 獅子の顔をしていれば、神獣の御業と皆は恐れ慄きそして崇拝のまなざしを向ける。この顔はそのための祝福か? 俺には呪いでしかない。誰がこんな恐ろしい顔を愛する。母でさえ、この顔を恐れた。当然だ。将来の帝王となろうと獣は獣。帝王の母という地位を手に入れたら、さっさと俺を捨てて別に居を構えて引っ込んでしまった」
陛下が白い石膏の獅子を睨み付けた。
「余は人か? 獣か?」
「陛下は人ですよ」
そう言いたかったが、今の陛下に小鳥のさえずりは届かない気がして、ただじっと隣で陛下の気持ちが治まるのを待った。
悩める獅子王。
聖堂のステンドグラスに何気に初代の姿があったりします。




