1・歪み悩める者達
新章です。
場面が色々と展開します。
「ねぇ、最後はめちゃくちゃにしようと思うんだ」
乳白色の球体に眠る男の横で、白銀の髪の子供が笑う。
眠る男がそれに笑みを返すことはない。
だが、ウサギの目には微笑んでいるように見えた。
「そうだよね。君を裏切った王家は仕方がないとはいえ、まだのうのうとその血を残している。それにあの女・・・」
赤いルビーの瞳が炎を灯す。
「王家の魔女が呼んだのかな。異界の匂いがした。ムカツク。君と同じような力を持ってる奴が平然と生きているのがボクには許せない。バカ猫が味方に付いてるみたいだし、何をたくらんでるんだか・・・」
狂ったウサギには分からなかった。自分の目の前に現れた少女が、大好きな人と同じ匂いを纏っていることに。
一瞬怒りに歪んだ顔はすぐに穏やかなものに変わる。
「邪魔はさせないよ。ね、マコト、今度の『王の盾』は十分な力を持っているよ。彼女の力で完成する。」
冷たい球体に頬を寄せる。自分のぬくもりを与えるように。
「これで最後だ。もうすぐ君に会える」
※ ※ ※
―――――これは祝福であり、呪い。
雪の降る街。暖炉で暖かく快適な温度に保たれた部屋、鏡の前で拳を握る一人の男が居いた。
パリンッ
ヒビの入った鏡に映るは、歪んだ獅子の顔。金色のタテガミ、明るいところでは若草色だが暗闇では金に光る瞳、白く鋭い牙。
(醜い獣だ)
誰もが恐れる醜い顔。これは古の時代に神獣より与えられし祝福であり呪い。
男の名はレオール・バズ・カンパール。
シルバレンと肩を並べるほどの大国・カンパール帝国の皇帝だ。
カンパール帝国の皇帝は代々、獅子の顔をして生まれる。その呪いが消え、人の顔となるのは唯一、愛し愛される者を手に入れたときのみ。
それにはこんな伝承が関係している。
『およそ300年前。この地に国はなく、広大で肥沃な草原が広がっていた。
この地を統べるのは1匹の神の獣。孤独な獅子王は、されど孤独というものを知らなかった。
一人の人間の女との出会いが、彼に孤独を教えた。
愛を得た獅子王は子に祝福を与える。
この国の繁栄のため、体力・知力・魔力、常人より優れた皇帝として十分な資質を。
「我を愛した女のように、獅子の顔ですら愛せる伴侶を得よ。
我のように孤独と愛を知れ。孤独は冷静な判断を、愛は民を想う心になるであろう」
以後、皇帝となる者は賢帝となるべく獅子の祝福を得ることになる』
「なにが愛だ。誰が獅子の顔をした男を愛する。とんだ呪いだ」
実際にこれまでの獅子王が伴侶を得たケースは少ない。多くの獅子王が伴侶を得ず、独り身で死ぬのだが、それでもこの呪いは解けない。その血の流れを汲む者に必ず獅子の顔をした子が生まれるのだ。
「これは祝福ではない。呪いだ」
拳を振って、手に付いた血をはらった。
ブゥン
そのとき、空間が捩れた。円を描くように1回転し、何かを吐き出してもう一度反転すると元に戻った。
ドサリと落ちてきたのは、黒髪を二つくくりのお下げにし、ふわふわとした服を着た少女だった。
「ううぅっ」
身体を起こそうともがくが、傷を負っているのか腕が震えて叶わず床に崩れ落ちる。
何者かと、近づいて顔を上げさせる。ズルリと髪が落ちた。黒髪のお下げはカツラだったらしい。
(短い髪。男? いや、これは女だ)
髪は短くとも、抱きとめた身体は柔らかく甘い香りを放っていた。
「だ・・れ?」
尋ねてくるが、その目に怯えはなかった。意識が薄いのか、焦点が合っていない。
(だからか。余を怖れないのは。つまらん)
さて、その処遇をどうしようかと思っていると、バタバタと人の駆けつける音がした。
「陛下! 今大きな物音が」
兵を伴った臣下が慌ただしく音を立てて扉を開けて入ってきた。
床に倒れる少女に「この者は? 何者です?」剣先を向ける兵達。少女がそれに怯えて自分にすがりついてきた。
黒い透き通った夜闇の瞳と視線が合う。今度はその焦点が合っていたが、その中に怯えの色はなかった。
「陛下」
指示を待つ臣下に手を振って退室をうながす。
「よい、これは余が拾った者だ」
「しかし陛下」
食い下がる臣下に牙をむき出して「よいと言っている!」と吠えると、ビクリと肩をすくめて怯えの表情を見せた。
(これが普通だ)
少女は大きな声に驚いたようだが、やはり怯えてはいなかった。すがる手は離されることはなかった。
まるで己だけが自分を救ってくれる存在である、とでもいうように、その手はしっかりと服を掴んでいた。
兵達が下がると、ほっと息をついて服を握った手が離された。
「して、お前の名は?」
「名・・・名前。わたしの名前・・・・わたし、誰でしたっけ?」
そのとき、初めて少女の瞳が不安に揺れた。
※ ※ ※
魔女の邸宅にて、金色の瞳の黒猫がオロオロと行ったり来たりを繰り返している。
『や、やばいにゃ。やっちゃったにゃ。魔女の護符、強すぎ!ウサギの力を弾き飛ばすどころか、あの子が引き寄せられちゃったじゃないか。ウサギにあの子の事知られちゃったにゃ』
「それは私も計算外だった。だが、猫」
オロオロする黒猫を魔女が首の皮を掴んで持ち上げた。
「ヤマダをどこに飛ばした!? ヤマダに付けていた私の虫も壊れてしまって居所が掴めん」
『あのね、とにかくウサギと引き離さなきゃと思って遠くに』
魔女の眉根がピクッと動く。
「思って遠くに?」
その低い声に黒猫の全身の毛が逆立つ。
「ど・こ・だ?」
黒猫はその怒気を鎮めようと精一杯の猫なで声で対応した。
『魔女はカンパールという国を知っているかにゃ?』
カンパールという国はこの大陸でもシルバレンと1,2を争う大国だ。その両者の関係はいたって友好なもの。友好だからこそ、この大陸の平和の秩序は保たれているといってもおかしくない。
代々の皇帝が獅子の顔で生まれるという、神獣の御業を残す帝国カンパール。
「おい、まさか」
『テヘッ。移動させるときに懐かしい気配に気を取られてつい・・・・カンパールの獅子王のとこまで飛ばしちゃったにゃ』
ペロッと舌を出す黒猫に、魔女の額の何かがプチンと切れた。
「このバカ猫! さっさと行って連れ戻してこいっ!!」
更に地面の底辺から響くような怒声を上げ、窓から黒猫の体を放り投げた。
※ ※ ※
ドサリ
暗い空間から放り出された部屋は暖かかった。久しぶりに温度を感じた気がしたが、今まで自分がどこにいたのか、何故か思い出せなかった。
(身体が重い)
全身が焼けつくような痛みに腕に力が入らなかった。
床でもがいていると、誰かに顔を上げさせられる。見えたのは獅子の頭を持つ人(?)だった。
「だ・・れ?」
酷く喉が渇いていた。ようやく出せた声もカスカスだ。
(誰・・・? 神獣? あれ、神獣って何だっけ?)
バタバタと足音を立てて部屋に入ってきた人達が持っていた剣をこちらに向けてきた。
(怖い! わたし刺されるの?)
向けられた剣先がとても怖くて、咄嗟に獅子の顔をした人の服を掴んだ。獅子の顔よりも、尖った剣先を自分に向けられていることの方がずっと恐かった。
剣を持った人達がいなくなって、やっと一息つく。
「して、お前の名は?」
名前を聞かれたが、自分の名前が出てこない。
「名・・・名前。わたしの名前・・・・わたし、誰でしたっけ?」
「 〇 〇 ダ 」
頭を優しく笑う焦げ茶色の髪も持つ人の影がよぎる。でもその人の顔が思い出せなかった。
自分の名前よりも、その人の顔を思い出せないことが苦しかった。
わたしを助けてくれた獅子顔の人は、名をレオール・バズ・カンパールと言ってカンパール帝国の皇帝陛下なのだそうだ。
これからシルバレンという国に出立するらしい。
その国には『王の盾』といって、異世界から召喚者を呼んで王のパートナーとする習慣があると教えてもらった。
今回の訪問は、その祝いの為だそうだ。レオール陛下は、召喚の同時期に戴冠したので、次期をずらすことになったのだという。
「陛下は陛下になったばかりなんですね。おめでとうございます」
身体を動かす。
ジャラ
鎖がこすれて静かに鳴った。
「よくさえずる小鳥だ」
今あげたことを聞き出すまでに色々と質問を重ねた。今おかれている状況を知っておきたいのに、対する陛下は口数が少ない。聞けば応えてくれるが、自分からはあまり話をしないのだ。
「フツーの会話ですよ」
ジャラ
「あの、これ外してもらえません?」
足首に巻かれた鎖を触る。
ジャラ
左右の足を繋ぐ鎖は歩くには程良い長さだが、走るには短い。
わたしは今、レオール陛下と同じ馬車に乗せられている。馬車の中の座席はフワフワとして座り心地が良いが、巻かれた鎖は居心地が悪かった。
シルバレンへ出立する間際、陛下は突然現れたわたしという異分子を連れて行くと言って他の人達を困らせた。そして良い顔をしない臣下の人達を置いて、疲労で動けないわたしを抱えて馬車に乗せると、足に鎖を巻いたのだ。
「こんなのつけなくても逃げたりしませんよ」
陛下の言うシルバレンという国が気になった。どうしてだかその国に戻らなくてはいけない、と思った。
「行く」のではなく「戻る」。
(シルバレンがわたしの国なんだろうか? でも、それも違うような気がする)
わたしの訴えを陛下は聞き入れてくれなかった。
「駄目だ。お前は余の小鳥だ。逃げるなよ」
そう言って鎖に触れた手を握ってきた。
「逃げませんよ」
(飼われる気もないけど)
記憶もない、体力も十分でない今、この身一つでシルバレンへ向かうのは難しい。だから、陛下の気まぐれに便乗して連れて行ってもらって、隙を見て逃げようと思った。もしかしたら、途中で飽きて捨てられる可能性もあったが、それはそれで逃げる手間が省けて良い。
「お前は余を怖いと言わぬのだな」
若草色の瞳がこちらを観察するように向けられる。
「怖がって欲しいんですか?」
「・・・・・」
どんな答えを欲しがっているのか分からないが、思ったままを口に出した。
「陛下は獣じゃないでしょ。別に取って喰われるわけでもなし、ただ顔が獅子なだけで」
「・・・・ふっ」
わたしの言葉を受けて、馬車の中の沈黙が笑いに変わった。
「ふ、ふははははっ。よい。お前は実に面白い。小鳥よ、もっとさえずれ」
今のところは気に入られているらしい。人をペット扱いするのはいただけないが、陛下は気まぐれな性質らしいので、怒ったら恐そうだ。この道中だけは怒らせないように気を付けようと思った。
ただ気になるのは、後ろに連なる馬車の一つだ。
陛下は『王の盾』への祝いの品だと言っていた。
だがとても祝いの品を乗せている馬車には見えなくて、よく観察してみようと目をこらしたら、馬車全体が黒い靄に覆われていて思わず息をのんだ。
(あれが祝いの品? ずいぶん物騒なものが乗っかっているみたい)
あれをシルバレンンに持ち込ませてはいけない、そんな気がした。
ということで、山田が記憶をなくした状態で新章に入りました。
物騒なモノを積んだ馬車とともにシルバレンへと向かいます。




