13・初代の思い出
ウサギと彼の思い出。
―――――しんしんと降り積もる雪。どこまでも白い、一面の銀世界。
ウサギの影をまとった子供に触れられた次の瞬間に見えた景色がそれだった。
寒いはずなのに、わたしは温度を感じなかった。
降り積もる雪が、わたしをすり抜けて地面に落ちていく。
(これも、また誰かの記憶?)
深い雪に埋もれるように男の人が倒れている。1匹の白いウサギがそれを覗き込んで、鼻をひくひくと動かしていた。
『変なのがいる。お前、変わってるね。この世界の匂いがしない』
その声に男の人が「ううっ」と重たそうに頭を上げた。
「あー寒っ。変なのはお互い様だろ。会話ができるんなら誰か人を呼んできてくんないかな?ちょっと死にそう・・・」
その時、武装した男達に追われて剣を持った男性がこちらに向かって走ってきた。
「をいをい。突然知らない場所に落ちたと思ったら、今度は何だよ!?」
武装した男達が魔法による攻撃を仕掛けてきた。
「うえっ。マジ!?」
雪原に緑の野原が誕生した。
※ ※ ※
どこかの居酒屋だろうか。木のロッジの中は、暖かそうな薪のストーブを囲んで並べられた机の前で食事を楽しむ人で賑わっていた。
「いやー、助かったわ。生き返るー!!」
ほふほふと美味しそうにシチューを頬張る。隣に座る人は傷を負って腕に包帯を巻いていた。
「こちらこそ、危ないところを助けてもらって助かった。しかし、貴方はいったい何者なんです?」
身なりの良い人だ。物腰も洗練されている。
「あぁ、名前?俺は山田 真。マコトって呼んでよ」
「マコト」
「そうそうマコト」
会話が成り立っているようで成り立っていない感じもしたが、よく思い返してみれば、この人はそういう人だった気がする。
言葉が通じない相手にもガンガン日本語で話し続けられる人。
いつもにこにこと笑っている人懐っこい性格。
(オトーさん)
幼い頃別れた父の姿がそこにあった。
(山田 真。わたしのオトーさん、そして初代の『王の盾』)
「私はウェイド。ウェイド・ウル・シルバレン」
「ウェイドね。こいつは・・・名前なんだっけ?」
『神獣の名は人には発音できないよ』
ぷいっとそっぽを向くウサギに、特に気にもせず頭を撫でた。
「あそ。んじゃ、こいつはラビ」
『ちょっと、勝手に名前付けないでよ!』
きっと父の中で「ウサギ=英語でラビット」の図式からそう名付けたのだろう。こういう名前の付け方は幼児と大差ない。
師匠とキティの話や本で調べたことから、父はこの後、政敵の多い王様を助けて元の世界へ還る方法を探して各地を巡ったはずだ。
※ ※ ※
『よう、ウサギ。変なの連れてるね』
とある森で金色の瞳をした大きな黒猫が話し掛けてきた。
父とウサギは神獣のいる場所や不思議な伝承のある土地を調べては訪れていたようだ。ふらっといなくなっては戻ってくる父に、当時の王様は「またか」という顔をして出迎えていた。
『こいつ、還る方法はないって言ったのに、方法を探すって聞かないんだ』
「でも危ないからって、付いてきてくれるんだよな?」
『う、うるさいな。ボクは別にそんなつもりじゃ』
人型をとって旅に同行していたウサギは赤くなって否定する。
「で、還る方法知らない?」
『って無視すんな!』
(そういやオトーさんってスル―能力も半端なかったよな。そこが気まぐれな神獣に気に入られたのかもしれない)
あるときは、翼の生えたとても大きな龍に会いに行った。
『我の眠りを邪魔するのは誰だ?』
「ごめんなー。ちょっと尋ねたいことがあってさ」
『生意気な。喰ってやろうか人間』
ガアァっと大きな口で頭にかぶりつこうとした龍に、父は逃げることもなくじっとしていた。
寸前でピタリと動きを止めた龍に触れる。
ポン ポンッ
その巨大な頭に花が咲いた。ぐるりと頭を1週したそれは巨大な花の冠のように見えた。
「じゃあ、俺はお前の体を花に変えてやろうか?神獣は人間なんか喰わないってキティが言ってたぞ。いつまでも寝こけてるから、自分の食い物の区別もつかなくなったか?」
『可笑しな人間だ。神獣に臆することもなく対峙するとは』
龍が目を細めて笑った。
※ ※ ※
満点の星空の下、大きな岩に上って大きく腕を伸ばす父。星を掴もうとでもしているのだろうか、手をグッパーと握ったり閉じたりしている。
『何してんの?』
「ん?いや、こうしたらあっちの世界に届くかなーって。」
その笑顔が寂しく見えた。
「還りたいなぁ。百合子・・・一葉・・・」
小さく、母とわたしの名を呼んだ声。
(オトーさんはわたし達のこと、忘れてはいなかったんだ・・・)
※ ※ ※
場面は色々と展開した。たくさんの神獣と知り合った場面。王様を助ける場面。次々と移り変わる中、次第に父は人々に本来の名前より『王の盾』と呼ばれる回数の方が増えて行った。
(でもそのほとんどが幸せな記憶だった)
《でもそのほとんどが幸せな思い出だった》
わたしの意識が何かと重なり合った。
「こんなところに呼び出して何?」
人のいない閑散とした場所だった。手を見る。大きな男の人の手。
(わたしの手じゃない)
《俺の手だ》
周囲を男達が囲んでいた。
呼び出したのは、数人の臣下と槍を持った7人の兵士。その筆頭にいるのは、王様の息子。二人兄弟の弟の方だった。
臣下の一人が下卑た笑いで応える。
「私達はこの弟殿下を次の王に擁立したいと願う者です」
「次は兄が継ぐことになってるだろ?そいつも納得していたはずだ」
弟殿下が視線を受けてうつむいた。その背中は丸く萎縮している。悪臣達に言われるまま付いてきたのだろう。
(気弱な子だから)
《気弱な子だから》
「納得などしていませんよ。兄殿下と親しい貴方の存在に邪魔をされたんです」
「俺は邪魔したつもりはないよ」
「貴方を腹臣に据えようという声もあるとか」
「政治に興味はないよ。勝手にそう言ってる奴がいるだけ」
臣下の男が手を挙げて合図を送る。
「その声がこちらには不要なんですよ」
槍が一斉にこちらに向けられた。
「をいをい、物騒だねぇ」
肩をすくめてみせたが、余裕はなかった。
「貴方は英雄だ。だが力を持ち過ぎた。神獣を従えた人間が味方につくということが、どれほどの脅威となるかお分かりですかな?」
(従えるって、彼らは友達なんだけどな)
《従えるって、あいつらは友達なんだけどな》
神獣に人の世の政など、どうでもいい。ただ気に入った人間にちょっかいをかけるだけ。
でも、怖れられていたのは事実。
「だから俺はこの国から出ようと思ってるんだけど?」
「国から出るだけでは足りないんです。英雄の貴方には弟殿下に後を任せて異世界に戻って頂く」
「実際に戻れるわけじゃなさそうだね」
「そういうシナリオです」
男が手を下げた。
7本の槍が体に突き立てられた。
足を腕を腹を胸を・・・次々とえぐられる。異物が正常に存在する肉や臓器を割って侵入してくる感覚。
刺された部分に業火で焼かれるような激痛が走る。
(熱い。あつい。痛い。いたい。アツイ。痛い。イタイ)
心が、体が、魂が、悲鳴をあげた。
胃の腑から血が込み上げてきて、ゴボッと吐いた。大量の血が流れ、足元に赤い水溜りが出来上がっていく。
地面に膝をつく。体が傾いていく。急激に視界が暗く薄く曇っていき、外界の光を捕えることが難しくなる。
(色が消えていく。灰色の世界・・・わたし死ぬの?)
《駄目だよ。これはお前の記憶じゃない》
声がして、槍の刺さった身体から弾き飛ばされた。
それでも痛みと熱はまだ残っていた。薄れゆく意識の中で咆哮が鳴り響いた―――――。
※ ※ ※
『何でだよっ!?マコトは兄貴とお前を区別したことなんてなかっただろ!?』
弟殿下に向かって叫ぶウサギの声がした。
(哀しみと怒り・いかり・イカリ・・・。起きなきゃ。今から起こることを見なくてはいけない)
そう思って、重たい頭をもたげた。
『離せ、バカ猫!マコトの傍にいかなくちゃ。マコトが死んじゃう。マコトが』
『駄目!今マコトの傍に行ったら、身体も力も小さいお前は他の奴らに踏みつけられる』
キティがウサギを咥えて引き止めていた。ウサギの赤いルビーの瞳から大粒の涙がこぼれた。
『マコトが死んじゃうっ』
胸が引き裂かれそうな叫びだった。
ポウッ
白い光が父を包んだ。
父から流れ出る血が止まっていた。2つの長い首を持つ亀がその体に触れ、時を止めたのだ。
『これでマコトの体にこれ以上の損傷はつかぬ』
淡く白い光を放って亀の姿が父の体に溶け込むように消えていった。
巨大なガマ蛙が父を飲み込み、腹の中に入れる。
『我の腹の中で傷を癒せ』
ガマ蛙の体が変化し、現れた乳白色の球体の中に父の姿が見えた。
ガアァァァッ
翼の生えた龍、白い虎、灰色の狼が吠えた。
雷鳴が轟く。
龍が槍を突き刺した兵士の一人をその爪で薙ぎ払い、腕を噛みちぎった。兵士達が悲鳴を上げ逃げ惑った。それを追って、一人の足をもぎ取る。一人の背中を薙ぎ払う。そしてまた一人・・・後にはどす黒い血の海が残った。
厚い雲が空を覆い、雨が降り出していた。
虎が臣下の男の体を地面に押さえつけ首にかぶりつく。男が悲鳴を上げる間もない出来事だった。
「た、助けて」
弟殿下もそれを最後の言葉として狼の爪に胴体をグシャリと分断された。
『我らの友を傷付けた』
『許さぬ』
『その血を継ぐ者、全てを根絶やしに』
その言葉通り、男達に関わる全ての人間が悲惨な末路をたどった。彼らは男達の血のつながりを持つ人間を末端に至るまでその爪と牙で裂いていった。
残ったのは王様とその息子である兄殿下。
『お前達はあの卑小な人間の血を持つが生かしておくことにする』
『我等はマコトの為に力を使うことにした。神獣の友を傷つけた罪、その身で贖え』
白金の大蛇の姿が白く高い塔に変わった。
角の生えた馬が最上階の部屋に召喚の陣となって姿を消した。
『異界の地より旅人を引き寄せろ』
龍が爪で自分の体をえぐった。取り出したのは琥珀色の珠だった。
『これを媒介に力を集めよ。その血を絶やすことはならぬ』
みるみるうちに龍の瞳から生気の色が抜け落ちていく。龍の身体がサラサラと音を立てて灰色の砂となって崩れていった。
『それまでこの国が滅びぬよう、お前達に祝福を』
白い虎の身体が光って2人の体に溶け込んでいった。
『では、我は帰還の陣になろう。猫、ウサギ、後は頼んだ』
灰色の狼の姿も掻き消えた。
キティが父の入った乳白色の球体にその身を摺り寄せる。
『目覚めるまで、いましばらくの別れだね。でも私はマコトのそんな姿見てられないから、目覚めの頃にまた来ることにするよ。ウサギはどうする?』
『ボクはマコトの傍にいる』
『ふーん。ずっと待ってるってのもつまんないと思うけど?』
『うるさい、バカ猫。さっさと行けよ』
にゃあ
一声鳴いて、キティはどこかへと姿を消した。
残されたのは白いウサギが1匹。
『マコト。ボクがついてるから寂しくないよ』
そして100年、200年と時が過ぎて行った。
※ ※ ※
シクシク シクシク
(誰かが泣いてる)
どこかの暗い部屋の中で仰向けに転がっている、というのは分かったのだが、身体が重くて身動きが取れなかった。
何とか頭を横に向けると、乳白色の球体に閉じ込められた父とその隣でじっと震えるウサギの姿があった。
『寂しい。哀しい。空しい。時が経つのがこんなに遅いなんてしらなかった・・・』
ウサギが頬を寄せても、それに父が応えることはなかった。
『まだ起きないの?ボクは早く君に会いたい』
その心はまるで小さな子供だ。震えて寂しいと泣く子供。
(あぁ、ごめんね。身体が重くてそこまで行けない)
傍に行って頭を撫でてあげたかったのに、できないのが辛いと思った。
どれだけの時間、そうしていたのだろうか。嘆きは憎しみの声に変わっていった。
『あと少しなのに。人間ってなかなか死なないよね。退屈』
その目が正常な光を失っていくのが分かった。その瞳から哀しみの色が抜け、今はただ人間への憎しみの炎だけが宿っていた。
ただ早く会いたいと願うばかりに、その長い時が彼を狂わせた。
『なかなか綺麗な桜だったよ。でも危うく国が亡びるかと思っちゃった。規模を大きくしても駄目だよね』
(違う。そうじゃない。そんなことしちゃいけない)
声に出して言いたかったのに、わたしの口は音を結んでくれなかった。
『アヤメって奴は反抗的だったけど、今度のシラギクって奴はすぐに心が折れたよ。あと少しだよ。もうすぐ君に会える』
「・・う。違う。駄目だよ」
ようやく出せた声は擦れていた。喉がカラカラに乾いていたが、精一杯の声で叫んだ。
「そんなこと、オトーさんは望んでない!」
『誰っ!?』
ウサギが振り返る。穏やかだった顔が青ざめていく。
『ボクの中を覗くなっ!!』
すさまじい光がわたしの体に襲いかかった。その衝撃が当たる寸前、何かが割って入ってくるのを感じた。
臣下達のことがなかったら、神獣達は初代を還そうとは思わなかったはず。
ウサギ:初代を友人とした最初の1匹。当時の王様達ともそれなりに仲が良かったが、マコトを傷付けられたことで人間嫌いに。
王を守るのが『王の盾』なら、初代の真を守ることになる山田は『真の盾』。




