12・無意識に刻む
「・・・結局、朝になっちゃった」
見慣れない部屋で一人呟く。隣には床の上だというにも関わらずスヤスヤと眠りに付く部屋の住人。
昨夜は深夜まで居酒屋に居座り、解散したのは午前様。
ディー団長は今回の主役だったので、みんなにしこたま飲まされた。わたしはその隣に座らされ、ずっとちびちびと果実水を飲んでいたのだが・・・。
「着替えたい」と申し出ても退席することは許されず、
それどころか「そうだな、そんな露出した服は駄目だな」と言われてディー団長の上着を被せられた。
ちょっとでも動こうものなら「どこへ行く」と手を握られた。
目がすわっていたので、そうとう酔いがまわっていたように思う。
解散後はガーランド副団長に肩を支えられて帰宅。その際、服の裾を捕まれてどうやろうにも解けず、今に至る。
スー スー
すこやかな寝息をたてるその顔は普段じゃ拝めないようなあどけなさを持っている。
(もうすぐ会えなくなる。1週間後か、1ヵ月後か、・・・それとも明日か)
師匠はわたしの力の成熟をもってすぐに取り掛かると言っていた。
キティは気まぐれな先生だが、訓練のかいもあってわたしの力が徐々に増してきているのを日々実感していた。
(いつでも取り掛かれるように、覚悟を決めておかないといけない)
いつかのディー団長の言葉を思い出す。
名前を教えるのがこの世界に自分を刻み込むようで嫌だ、と言った自分に「俺だけに刻めばいい」と言ってくれた。
「わたしの名前は、」
(ディー団長は優しい。こんな意地っ張りなわたしを受け入れようとしてくれている)
起きているディー団長には言えない。
受け入れてもらったら嬉しい。きっとこの世界に居場所が出来たような気持ちになるだろう。
(でも、それじゃ駄目なんだ。わたしは弱いから、いざという時、怖くなってディー団長のところに逃げ出してしまうかもしれない)
多分、逃げてもいいと言ってくれるだろう。国にとって大切な『王の盾』である桃姫が傷付くかもしれないという状況にあっても、わたしの弱さを見たら言ってくれる。
それが分かっていた。
(貴方を逃げ場にはしたくないから。だから貴方の無意識に刻む)
「カズハ。一つの葉と書いて一葉です。人の幸せのひとひらになれるように、そう願って付けられた名です」
起きているディー団長に残すのは怖いくせに、無意識にでも刻もうとするのはわたしの我が侭だ。
「いつか訪れるさよならの代わりです。貴方の無意識の中で覚えていて下さい。
わたしの名前は山田 一葉です」
そっとディー団長のまぶたに口付けを落とした。こうする理由も名前を刻む理由も、もう分かっていたが、この想いを伝えるつもりはなかった。
「んっ」
ディー団長が身じろぎをする。
まどろみの時間はもう終わりだ。
「ディー団長、いい加減に起きて下さい。もう朝ですよ!」
その身体をゆすって目覚めの瞬間を待つ。哀しい顔はしない。いつも通りの淡々としたヤマダの顔で。
「をわっ。ヤマダ!?」
目を開けたディー団長が飛びのいた。
「目覚めた途端にそこまで驚かなくてもいいでしょう」
「ずっと居たのか?」
「えぇ、ご覧の通りこの有様で。」
ほら、と捕まれた服の裾を見せる。するとディー団長が「悪かった」と手を引っ込める。だが服の裾を握ったままだったので、身体が引かれてディー団長の方に倒れこんでしまった。
ごんっ
鈍い音を立てて頭を打ち付けたディー団長を押し倒す形になってしまい、至近距離にディー団長の綺麗な顔が映った。
いつもだったら、慌てて避けるのだが、このときのわたしは違った。
目に焼き付けるようにディー団長の顔を見る。綺麗な顔だ。曇りのない薄い茶色の瞳。髪は少しクセがあるがふわふわとして手触りが良さそう。
誘惑に負けて髪に顔を近づけると、ふわっと優しい土の香りがした。
(全部覚えておこう。ここに帰ってこられるように・・・)
顔を離して、茫然とするディー団長の頬に触れる。見た目どおりのスベスベお肌だ。
(くそう、羨ましいぜ)
そのまま指を滑らせて鼻をきゅっとつまんだ。
「ディー団長は意外と寝起きは無防備で隙が多いですね」
こちらを見返すディー団長の目がビックリして丸くなっている。
「さて、わたしは家に戻って着替えてきます」
よいしょっと立ち上がって扉へ向かった。扉を開けて振り返るとディー団長はまだ床にころんだ体勢のまま耳を赤くしていた。
普段してやられてばかりだったので、そんな姿のディー団長が面白かった。ディー団長はいつもこんな気分だったんだろうか。たまには逆の立場も悪くない。
「じゃあ、またあとで」
笑って部屋を出た。
―――――そして、その後しばらく、ディー団長とわたしは会うことはなかった。
※ ※ ※
~ヒューバートside~
王都を出て数週間が経った。
この視察は実りのあるものだった。郊外の街は王都とはまた違った暮らしぶりだった。
貴族の多い王都よりはその暮らしは貧しく思えるが、比較的貧富の差がない分、むしろ王都より平和な印象を受けた。
この視察はカレンデュラにとっても良い刺激となったようで、王都で大人しくしていた当時よりもずっとしっかりとした大人の女性へ近づいてきている。
「ワタクシの今の目標は、お兄様の隣に立って補佐をすることよ!」
と言っていたが、どうやら実現する可能性は大いにありそうだ。
ここは海辺の街で、港には多くの漁業船が並んでいる。そこには多くの漁師が魚を水揚げする姿があった。朝早くから獲れた魚を市で売るのだ。
潮風の吹く中、一人市場を眺めて歩く。これもまた、王都に居たときでは出来なかったし、しようとも思わなかったことだ。
自分を変えるきっかけとなった子犬は元気にしているだろうか。
きゃんきゃん吠えるヤマダの顔を思い出して、つい口元が緩んでしまう。
「ねえ、お兄さん。ちょっと寄っていってよ」
子供だ。白銀の髪に赤いルビーのような瞳を瞬かせた子供がこちらをじっと見てきた。
後ろにあるのは、占い小屋だろうか。紫の天幕に覆われた小さなテント小屋だ。
「占いなら結構です」
断りを入れて去ろうとする自分の腕を掴んで引く。
「占いじゃないよ。ボクの言う事は真実なんだから。そう、例えばお兄さんの恋焦がれる美しい盾のこととか」
「何でそのことをっ」
ただの子供が自分の素性を知っているのはおかしい。何かの罠かと思うが、引かれるまま小屋の中に入った。
中は黒いテーブルクロスが掛けられた机に丸イスが対面式に2つ。机の上には大きな水晶玉とゆらゆらと煙を吐く香炉が置かれていた。
子供は奥へ座り、入り口に近い方のイスに座るよううながされる。
「はじめまして。ボクはウサギ」
「自己紹介はいいから、話を進めなさい」
「せっかちだね、お兄さん。いいよ、教えてあげる。真実を。『王の盾』はね、とても可哀想な存在なんだ」
手をかざすと水晶玉に映像が浮かび上がった。そこには柔らかな花のように笑う桃姫の姿。
「お兄さんだけが彼女を守ることが出来るんだよ」
赤いルビーの瞳が怪しく光る。目を合わせると、香炉から昇る煙に合わせて自分の頭にも靄が出来たように意識がぼやけてくるような感じがした。
目の前の子供がにっこりと笑みを浮かべたが、それはとてもこの年代の子供がするようなものではなかった。穢れを知っている、無垢でない存在。
「んっ?」
水晶玉の映像が揺れた。
「何これ。お兄さん、心に別の陰が見えるよ!?」
桃姫の映像が途切れ、水晶の中にぼんやりと見知った顔の映像が浮かんでくる。
「誰なの?コイツ」
さっきまでの子供らしい高い声が、警戒心を伴った低い声に変わる。おかしいと感じるのに、抵抗もできず、うながされるまま答えた。
「これは・・・ヤマダ」
(胸が熱い)
自分の体ではなく、上着の内ポケットから熱を感じた。
「そこに何を持っているの!?」
それに気づいたらしい。ウサギが身を乗り出してきた。
バシュッ
胸に手を置かれた瞬間、光が弾けた。衝撃でウサギの身体が地面に打ち付けられる。
空間が捻じれるようにゆがんでいく。ぐるりと1回転し、そこから何かが出てきて自分の膝の上に落ちてきた。もう一度今度は反転するとゆがんだ空間が音もなく閉じた。
膝の上に落ちてきたのは一人の女だった。
「いたたっ。何、今の?」
二つくくりの黒髪のお下げの女は自分のよく知る人間の声をしていた。顔を上げると薄く化粧をされているが、それが誰だか分かった。
「ヤマダ!?」
「あは、どうもヒューバート様。お久しぶりです。てか、ここどこですか?」
相変わらずののん気な声で久しぶりと挨拶をするヤマダに脱力する。しかし、先ほどまで感じていた靄のかかったようなぼんやりとした意識はスッキリと晴れていた。
「王都郊外の港街です。貴女が来て助かりましたが、その格好は!?それに何故、ここに!?」
「あ、これは余興で着たんですけど、家に戻って着替えようと思ったらここに飛ばされて・・・って、こんなやり取りしている場合じゃなさそうですね」
殺気を感じて視線を戻すとウサギが憎しみのこもった目でヤマダを見ていた。
ヤマダがじっとウサギの方を見つめて動かなくなった。その目は睨み返すというより、じっと観察しているようだ。
「君・・・・・ウサギ?」
「何なのお前。その目、何かムカつく!」
白銀の子供は自分からそう名乗ったくせに激昂してヤマダの服を掴んだ。ヤマダはなすがままになって、その視線はここではないどこかへ飛んでいっているようだった。
ヤマダを掴んだ方のウサギといえば、みるみるその顔が青ざめていく。
「ボクの中を覗くなっ!!」
ストンッ
突然、どこからか黒い物体が2人の間に飛び降りてきた。金色の瞳をした黒猫だ。
『駄目だよ。傷つけちゃ』
脳内へ直接語りかけるような声だった。その瞬間、ヤマダの姿が掻き消えた。
「邪魔をするな、バカ猫!」
悔しそうに叫んで、ウサギと名乗った子供もその姿をかき消した。
黒猫がゆるりと振り返る。
『王都へ』
言って、その黒猫も姿をかき消した。
「今のは・・・?」
胸に手をやる。懐から取り出したのは、王都を出立するときに魔女から渡された護符だ。
それは何かに燃やされたように焦げて煤が付着していた。
小屋を出ると、丁度自分を探しに来たらしいカレンデュラの姿が見えた。
「お兄様、こんなところにいらしたんですのね」
「カレンデュラ、急ぎ仕度をしなさい」
「ど、どうしたのお兄様?仕度って、どこかへ行くの?」
慌て自分の後を追うカレンデュラに応えた。
「王都へ帰ります!」
いつか訪れるさよならのかわりに、眠るディー団長に名前を告げた山田。
そして、ウサギに触れて見えたものとは。




