10・花の記憶 Ⅳ その2
「私は盾として死ぬのは怖くないんだ。」
ウサギと出会ってから、アヤメは度々このようなことをもらすようになった。
「何も出来ずに死ぬほうが余程堪える。」
彼女はこの国の誰よりも、自分が置かれた立場に誇りを持っていた。彼女の姿に自分も神官という立場にあぐらをかくようなことはすまい。そう思うようになっていた。
ウサギとの出会いから1年後、狂気は形をとって目の前に現れた。
「私からの贈り物です。」
アヤメに敵対する者の筆頭である臣下(以前、彼女にやり込められてみんなに失笑をくらった男)が、贈り物と称して拳大の珠を取り出した。それは虹のように次々と色が変わっていくのに、纏う空気がとても禍々しい毒気を孕んだ珠だった。
「これをここで解き放つか、皆を助けて死ぬか。どちらを選ぶべきかは分かっていますよね?」
珠の放つま禍々しさか男の目に宿った狂気ゆえか、誰もその場を動くことがかなわなかった。
「ほう、ウサギめ。そう来たか。」
そんな状況でも、彼女は背筋をピンと張って堂々としていた。
「お前を殺して、王には退任していただく。そして新しい私の『王の盾』を迎え入れる。頭でっかちの生意気な女ではなく、従順で大人しい盾を。ははははっ。私は新しい時代の王となるんだ。」
「バカめ。私が死んでも、お前が王になれるわけないだろ。」
アヤメの言葉にギロッと睨み付ける男は、もう気がふれているのだろう。『王の盾』を殺したところで、残った王によってすぐに打ち首となることが理解できていないようだった。
「仕方ないな。その珠、取ってやろう。」
男が「勝った」という笑いを浮かべる。
「お前の為じゃない。私の大切な家族の為だ。」
「家族?ふははっ。孤独な盾様は民を家族と言いますか。」
バカにした笑いを浮かべる男に、アヤメはニヤリと笑い返した。
「民は家族同然。その家族を守れなくて何が『王の盾』だ。虐げるしか能のないお前に分からんだろうがな。」
珠に手をかざして彼女は虚空に叫んだ。
「ウサギ!よく見ておけ!私にだって、決められた流れに逆らう根性くらいあるんだよ。これからすることはお前の望みの為じゃない。わたしの望みの為だ。」
そして彼女は自分の望みの為に、大切な家族である民を守る為にそれに手を触れた。
※ ※ ※
「―――――様。ユネス様。」
ゆさゆさと身体を揺さぶられ、まどろみから抜け出した自分に声を掛けてきたのは、将来己の跡を継がせるつもりのサイラス神官だった。
毛布を手にこちらを心配そうに覗きこんでいる。
「サイラスか。」
「こんなところで寝ていたら風邪をひかれますよ。あんまり起きないものだから、このまま女神の元へと召されるのではないかと不安になりました。年が年なんだから気をつけてください。」
(この微妙な失言・・・。ツッコンでいいものかどうか、たまに悩むところじゃの。良かったの。ワシが大神官で。ワシの先代だったら懲罰もんじゃ。)
毛布をかけようとするサイラスを手で止める。
「よい。眠気覚ましに散歩に行く。お前も来い。」
神殿の外は日中でも寒さが厳しくなってきていて、足腰の弱ってきている自分にはキツイものがある。
だがこの冷たさが逆に背筋がシャンと伸びて、頭もスッキリとする感覚がして心地良く思えた。
きらびやかな神殿を抜け、王宮の門の前へ通りかかったとき、スタスタと歩くヤマダの姿が見えた。
より強大な力を求めた結果召喚された、ゆがんだ道を正すための鍵となる人間だ。
何かに追われているのか、その足取りは競歩のようなスピードで進んでいく。
「もうっ、ついて来ないでください!」
その後ろを騎士団団長であるディエルゴが追いかけている。
「いや、お前、首のところにあるアザはどうしたんだ!?」
「本当に目ざといですね。でも何でもないって言ってるでしょう!」
何でもないと言うわりにヤマダの顔は赤らんでいる。
「誰かに付けられたのか!?」
「ち、違いますっ!そ、そう。季節外れのやぶ蚊に刺されたんです!」
「どもるのが怪しい。それに手の傷はどうした。誰かに傷つけられたのか!?」
なおも食い下がるディエルゴにサイラスの姿に気が付いたヤマダが走ってきた。
「サイラスさん。匿ってください!ディー団長があらぬ疑いをかけてきてうるさいんです。」
パッとサイラスの後ろに隠れて匿えと頼む。
(いつの間にこやつら仲良くなったんじゃ?)
少し距離を置いてその様子を眺めることにする。ヤマダは逃げるのに必死でこちらの存在に気付いてはいないようだ。
「首のアザって、何か傷でもついたんですか?」
後ろを振り返ったサイラスがピシッと固まる。
ヤマダの首筋には赤くなったアザが小さな花のようについていた。身長の低いヤマダからは、サイラスを下から見上げる角度になる。その絶妙な角度に、引かれた服の裾、その赤らめた顔にあらぬことをイメージしたのか、サイラスの顔にも朱がのぼる。
「お盛んじゃのう。」
ぽつりと言ってみれば、
「ヤマダ、その首のアザはキスマ」
最後まで言い切らないうちに、
ドガッ
彼のみぞおちにヤマダの拳がめりこんだ。
「やぶ蚊です。断じてそのようなものではありません!」
地面に倒れこむサイラスに「いいですね?」と睨みを利かせるヤマダ。
そこへ、「よう。修羅場ってんなぁ。」とラズーロ王子の明るい声が掛けられた。
「げっ。変態バカ王子。」
ヤマダが苦虫を噛み潰したような声で言う。
「お、何だヤマダ。その首のアザは。」
ニヤニヤと笑って近づいてくる王子。王子のその顔はいじめっ子のそれに大変近いものを感じる。楽しい玩具である獲物を追い詰めるようにじわじわと近づく王子に、ヤマダは逃げていたはずのディエルゴの後ろに身を隠した。
それで全てを察知したのか、ディエルゴが優しく二人に笑いかけた。
「王子、後で話があります。季節外れのやぶ蚊への対策について少々。ヤマダ、ちょっと話そうか。二人で。」
(目が笑っておらんの。)
「いえいえいえ、話ならここで!今この場で。さあ、どうぞ!」
「ふ・た・り・で。」
手つきは優しかったが、その瞳には「決して逃がさない」と書いてあった。
そのまま手を引かれ、ヤマダはいずこへかと連れて行かれる。しばらくすると遠くで、ドガッという重い音と共にうわあぁぁんという泣き声が響いてきた。
「のん気じゃのう。ヤマダは。」
とてもこれから厳しい試練を迎える人間の様子とは思えない。
「あれくらいの方が未来を明るく描けて良い。」
彼もまた真実を知らされた者の一人だ。そして前代の『王の盾』が死ぬのを間近で目撃した者の一人。
大神官の立場にある自分は、国の繁栄の為に『王の盾』は必要であると言う。
だが一人の親友を失い、次の盾も失った個人としての自分は、これ以上の哀しみは不要と言う。
その相反する思いは、未だに胸の内に燻っている。
だが、未来のことは若い者に任せようと思う。
ヤマダは「『王の盾』がいなくても、人は歩いていける」と言った。
そんな当たり前の言葉が、頭の固くなっていた自分には新鮮に映った。その言葉は、王の意向にも変化をもたらした。
『王の盾』が存在することが当たり前だった世界は終わりを告げようとしている。
最後の『王の盾』のパートナーとして次代の王に立つことを決めた王子は、明るい未来を描いていくことが出来るだろうか。
そんな心配も老いた自分には不要なのだろう。
(どうせ老い先短い命じゃ。先のことなど気にしとれんわ。ワシは平和な老後のことでも心配するかの。)
「おい、サイラス。いつまで地面と仲良くしておるつもりじゃ。ほれ。」
古い日記を差し出す。
「これは?日記ですか?」
「2代前の盾の日記じゃ。」
将来、自分の跡を継ぐサイラスは知っておくべきだろう。知って、そして次代の王を支えていって欲しいと思う。
平和な老後の為に、まずは何をしようか。
(まずは酒の補充じゃ。)
先日、いらないチョッカイを掛けた罰として、家の酒は根こそぎ魔女に飲み干された。
「ワシはちと酒を買ってくるからの。」
ほほっと笑って、軽い足取りで王都へと向かった。
山田はディー団長にセクハラ込みで説教を受けた模様。
立て続けに3人、みぞおちに拳が入りました。




