8・冬の王都 その2
たどり着いたのは王宮の北西部にある高台だった。
以前、コスモスの咲く頃に桃姫と来た場所は、今は枯れ野原となって寒々しい姿を晒している。枯れ草の間に寂しげに古代遺跡がひっそりと鎮座していた。
遺跡の一つを椅子替わりに腰かけてみれば、冷たい石の温度がお尻を通して伝わってきた。
「ここは俺の好きな場所でな。」
「知ってますよ。あのとき、わたしも一緒にいたんだから。」
だから何だ、という態度で返すと、王子は苦笑して視線を王都へと向けた。
「俺にはこの景色を守る義務がある。お前はこの景色に何を見る?」
暗闇の中で、眼下に広がる王都には家々に明かりが灯っていた。煙突からは煙が立ち上り、家々から漏れる明かりが往来を歩く人を照らし出していた。
「この景色には人の営みがある。あの明かりは人が作り出したものだ。」
王子の言葉のように、人がいなければここから見える景色は真っ暗闇で、ただ星の光がまたたくだけの風景になるだろう。
「あの明かりひとつひとつに人の営みがある。ここに来るとそれを思い出せる。」
さっき食事を御馳走になった居酒屋へ目を向けると、ベロンベロンに酔っぱらった客を笑って見送る男の人の姿が見えた。
「お前、『王の盾』の役割が何だか知っているか?」
王子がわたしに問いかけた。そんなこと、当の王子が一番分かっていることだろう。
何を今更、と思いながらもそれに答える。
「王を支え、王を守り、国を安寧へともたらす、ですよね。」
(それもまやかし、建前だと知ったけど・・・。)
寒気を感じて足を遺跡の上に乗せ、膝を抱える。それでも大して寒気は変わらない。
目の前に王子がいたが、わたしは世界に取り残されたような気分になった。
(王子は知らないから、こんなに堂々としていられるんだ。)
だが、続く言葉にその考えは拭い去られた。
「俺はウソでも続けていけばマコトになると信じている。前代の『王の盾』はそのウソに耐え切れず、その役割を放棄したようだがな。」
「・・・王子、知っていたんですか。」
下に向けていた顔を上げる。王子の吐く息が白く夜闇に溶け込んでいく。瞳は鋭く知的で、それがどこかの映像で見た野生の狼のように見えた。
「つい最近な。この景色を守ってきたのは確かに『王の盾』だ。歴代の盾達がウソをマコトに変えた。前代はウソをつき続けるべきだった。人々の支えとして『王の盾』は必要だった。」
王子のその顔は為政者の風格を漂わせていた。
(厳しいようだが、王子くらいになると個人の感情など大衆の前では抑えなければいけないんだ。でも、逃げてしまった前代の気持ちも分かる。真実を知って、自分がその立場にいることがバカバカしくなったんだ。きっと何の為に異界の地で頑張ってきたのか、分かんなくなったんだ。)
「だが、真実を知った今、俺は桃姫を最後の『王の盾』にしようと思う。ことが終われば、俺はあの塔を封印するつもりだ。俺は歴代最高にして最悪の愚王と呼ばれるだろう。」
王子の台詞には迷いは見られない。
「愚王というのは同意しますが、最高とは大した自信ですね。」
わたしが言うと、王子はニヤッと笑った。
「自信がなければ、王子なんてやってない。目的遂行の為に俺に付き合え。」
王子がわたしに手を差し出してきた。偽りを知ってなお、堂々としている王子に改めてその肩書きが名前だけのものではないことを知る。
王子はウソをつき続けることを選んだ。
(この人が王になる。きっとこの後に続く王家もみんなをきちんと導いていくことができるだろう。そこに『王の盾』がいなくても。その基盤を作っていく、そう言っているんだ。)
首に巻いたマフラーに顔をうずめる。そこからは暖かなシチューの匂いがほんわかと漂ってきた。
(人のぬくもりだ。)
そう思うだけで、一人ぼっちになってしまったような感覚が薄く消えていくのが分かった。
この世界でたくさんの人達と出会った。昨日まで知らなかった人が、笑顔をくれ、優しくしてくれた。
差し出された手を取ると、繋がった手から魔力が注ぎ込まれた。
それはどっしりと構えた王子らしい魔力だった。力強い魔力がわたしの身体を駆け巡り、大地へ染みこんでいく。
枯れ野原に緑の茎が伸び、色とりどりのコスモスが咲いていく。枯れ野原となっていた高台は、今や満開のコスモスの咲く野原へと変貌していた。たくさんのコスモスの上に、ハラハラと小雪が舞い始める。この冬になって初めての雪だった。
「たいした力だ。さすが、というべきか。」
王子が感嘆の声をあげる。
枯れた桜を蘇らせるのは力を使った感じがしたが、生きているものを成長させるのは容易い。こんなに大量の変化をもたらしたところで、わたしは息ひとつ切れていなかった。わたしの力は、もうこれくらいのことではビクともしないくらいに成長していた。
(余計な力がついてきたものだと思ってたけど、王子の言う「人の営み」を守る為にはこれは必要な力なんだ。)
「協力します。知らない人達のためでなく、わたしの知っている人達のために。でも死んだりなんかしませんから。わたしは人の為に死ねるほどお人好しじゃない。簡単に死んだりしません。」
王子の碧い瞳を見つめて言った。
「生き残って、王子が塔を封印するのを確かめます。だから、後でやっぱり止めたなんて言わないでくださいね。」
握った手が強く握られた。
「震えているな。だが強がりは嫌いじゃない。その気概、俺の臣下にも見習って欲しいものだ。」
王子が空いたほうの手を伸ばしてきた。長い指でマフラーを少しだけずらして顔を近づけてくる。マフラーでぬくもった首筋に外部の冷気が差し込んでくる。
何をするつもりなのか分からず、そのままじっとしていると、
王子の息が熱く首筋を掠め、次いで生ぬるい感触がして首筋にチクリとした痛みが走った。
「ついつい忘れていたが、召喚の陣は女しか呼ばない、だったな。」
顔を上げた王子がペロリと自分のクチビルを舐めた。
「こ、こここの変態王子がぁっ!!」
ゴスッ
重たい音を立てて王子のみぞおちにわたしの拳が決まる。
「うぐっ。」
うずくまる王子を放置して、わたしは高台をものすごい速さで降りて行った。
[ラズーロ王子視点]
「イテェっ。女の力とは思えんな。」
殴られたみぞおちを押さえて唸る。
悲壮な顔をして塔へ入っていくヤマダを見て、与えられた役割から逃げ出さないように念押しするつもりで後を追った。
だが、そこで見たものは陣に八つ当たりするように自分を傷つけるヤマダの姿だった。
いつも自分に噛み付いてくるのに、しおらしくしているのが何だか嫌だったので、そのまま王都へ連れ出した。
腹は減っていないようだったが、行きつけの店に入って注文をかけた。
あの店の暖かさに触れれば、固まった顔もほぐれるのではないかと思ったからだ。
元気付ける意味ではない。ただ、冷たく表情をなくしたヤマダはらしくないと感じた。
自分の気に入りの場所に連れてきたのは何故だろう。
ここはかつて、桃姫と未来への希望を分かち合った場所だ。
(ヤマダとは?・・・分からない。分からないが、あれは大事な器だ。簡単に壊れてしまっては困る。)
自分は前代の『王の盾』が死ぬ瞬間を目撃したうちの一人だ。
「王よ。『王の盾』の哀しみを知れ。」
前代を殺した男の言葉だ。当時はその意味が分からなかった。父が魔女と何かしらのやり取りをしていたのは記憶にあったが、幼かった自分には男の流した血がただ気持ちが悪かったことの方が勝っていた。
真実を知ったのはそれから数年、つい最近のことだ。
桃姫の腕輪が壊れた頃だ。
父に呼び出されて、全てを知った。
王家には罪がある。知らなかったとはいえ生贄を用意し、神獣へ捧げ続けた罪。
「お前には『王の盾』をパートナーとする最後の王になってもらう。本当はお前にも知らせず、極秘裏に進めていくつもりだった。国のためにも『王の盾』の召喚は続けていくつもりだったが気が変わった。」
「それが何故か聞いても?」
「ユネス大神官長が、アレに言われたらしい。『王の盾』はなくとも、人は歩いていける。アレの言葉があったからかな。」
そう言ってズズッと茶をすする父の姿は、何かから解放されたような顔をしていた。
「というわけで、アレをあまりぞんざいに扱うなよ。成りは男の姿だが、中身は女だ。女は繊細な生き物だからな。」
思い返してみれば、ヤマダを「男」と言ったのは自分だった。
髪も短く男の格好をしていたし、横に綺麗な花がいれば他はモブにしか見えなかったのだ。
間違えても仕方ない、ということにしておこう。
桃姫は明るく美しい花だ。その明るさは陰を知らないからだ。
最後の『王の盾』として、人々を明るく照らしてもらう為にも彼女に真実を知らせるつもりはない。
(自分は陰を背負って生きていく。)
ヤマダにはその犠牲になってもらう。その犠牲もまた背負っていくつもりだった。
そう思っていたのだが、ヤマダは塔の封印を共に見届けると宣言した。
「簡単に死んだりしない。」
先の未来に、ヤマダはどんな顔をして立っているだろうか。
勝負は五分五分。
しかし、ヤマダは無事に戻ってきそうな気がした。
「だが、あれのどこが繊細な生き物だ。」
未だうずく腹部を押さえて唸った。
王子のお蔭でプチ浮上した山田。
王子は女好き。少しでも興味を惹かれるとチョッカイかけたくなる。




